第16話 連続ドラマ「バニラカフェ」 第十話「崩れたアリバイ」

 進学校の三年生は、二月も下旬になると、入試のために休むことがよくある。

「栗田君? いないみたい。あれ、栗田君も試験の日だった? 今年は私立も受けるのかな。さすがに国立一本じゃまずいとわかったみたい」

 出欠をとる担任の貴子は、私立併願を薦める彼女に向かって、国立一本に絞ると主張した、昨年の彼のことを思い出した。今年は、もう三度目なので、自分のほうで出願すると言われ、貴子は関知していない。

「そういえば、原田さんもいないわねえ。彼女は、確か明日京都で試験だったわ。休まなくても早退して行けばいいのに」

 二時間サスペンスドラマのような、貴子のわざとらしい説明ゼリフを、北山は見逃さなかった。

「先生、誰に向かって説明しているんですか」


 そのころ、栗田京平は錦城公園にいた。原田羊子が、土管の穴をこわごわ覗き込むのを見守っている。彼女がこの街を去る前に、事件を解決したい。そう思い、乗り気でない彼女を説き伏せ、公園に連れてきたのだ。


「やっぱり無理。思い出せない」

 彼女の声は震えている。

「無理に思い出さなくてもいいんだ」

 栗田が彼女を安心させるため、そう声をかけると、彼女は自分から土管の穴のひとつに潜り込んだ。

「おい、大丈夫か?」

 彼が穴を覗き込むと、彼女は中で横たわっている。気を失っているのか動かない。

「原田。どうした?」


 数秒後、彼女は目を開いた。

 それから、心配する栗田に見守られながら、土管から出てきた。

「私、思い出した。土管の裏に行ったら、男の人が血の流れたお腹を押さえてた。私、それ見て驚いて大声を出して。その人、まだ意識があって、私に聞いてきた。お前、あの学校の生徒なのかって。

 私が、はいって答えると、あいつに刺された。まだ近くにいるから、土管の中にでも隠れてろって言われて。私が救急車呼びますって言っても、あいつに殺されたいのかって言われて。

 そしたら、その人、目を閉じて動かなくなって。私、言われたとおり土管の中に入って、気が付くと周りに人が大勢いて」

「それで、彼を刺したのは、原田じゃないんだな?」

 事件の核心をつく栗田の質問に、彼女は頭を押さえた。

「私がここに来たときは、もう刺されていた。でも、他に人はいなかったから、どうやってあの人が刺されたかって言われてもわからない」

「いいんだ。久弥自身があいつと言ったなら、その人物が久弥を刺したんだ。これで原田の無実が主張できる。後は、どうやってその人物が公園の中にいる久弥を刺して逃げたかだ……」


 栗田は土管の周囲を見回した。

 高さ一・二、奥行き〇・八メートルの池垣が、北側フェンスとの間を塞ぐ。その内側に三本の土管をコンクリートでおむすび型に固めた遊具。間の隙間に久弥が仰向けに倒れていたが、隙間が三十センチ程度なので、体の左側は池垣下部にもたれかかっていた。その部分以外には池垣に乱れた様子は無く、人が乗り越えたとは思われない。

 あのとき、彼女は南側のベンチに腰掛け、東西の中央にある入り口に注意していた。土管の裏に人が隠れようとしても、まず彼女に見つかってしまう。


 彼女の証言を鵜呑みにすると、久弥を殺害した人物がどう行動したのか説明できない。だが、もし彼女自身が犯人だとすると、もっと自分に有利になるように証言するはずだ。だから警察も彼女の証言には一定の信頼を置きながらも、記憶の一部が飛んでいるくらいだから、そこに不注意や勘違いがあって、実際には犯人が巧妙に彼女の目を盗んで出入りしたものと考えているようだ。


 栗田は、彼女が必死で思い出した記憶が事件解決の手がかりになるかどうか考えた。

 お前、あの学校の生徒なのか……あの学校。あいつ。……駄目だ。わからない。

 それでも、彼は彼女を讃えた。

「今日はよくやった。これで君もあの事件から解放されるよ」

 気休めだと悟ったのか、それともいやな記憶を思い出したせいか、彼女の顔は晴れなかった。

「もう行こうか。原田、明日受験だからな」

 栗田はそう声をかけた。


 二人が公園から出ていく姿を、マッドの部下が目撃した。

「あの女が塩川の。早速マッドに報告しよう」


 原田と別れた栗田がマンションに戻ると、白石がいた。彼は彼女を見ても、頭を少し下げただけだった。

「何よ。そのよそよそしい態度」

「よそよそしくもなるさ。久しぶりだからな」

「全然連絡取ろうとしなかったくせに」

「そっちこそ」

「私は待ってたのに」

「それは悪かった。で今日は何の用?」

「戻ったのよ。ここに」

 彼女は、訴えるような表情で言った。

「でも来月で契約切れるけど」

「えっ?」

「だって進学するんだから。受かればの話だけど」

「そう。原田さんが卒業するから、この街にいる必要がなくなるってことね。京平はいつになったら彼女から卒業するのかしら。でも彼女、京都の大学に進むそうだから、これで二人もお別れね」

 栗田は黙ったままだ。そんな栗田を見て白石は、

「私付いていくから。東京だってどこだって」 と訴えた。

「でも俺、学生寮に入ろうと思うんだけど」

「嘘。あんなにお金持ってる人が、貧乏学生みたいな暮らしできるはずないわ。きっとここよりずっと高価なところに引っ越すはずよ」

 栗田は、面倒な会話は好まない。

「とりあえず何か作って。最近外食ばかりだったから」

「はい」

 彼女は、嬉しそうに食事の支度にとりかかった。

 

 マッドは、両親が留守なのをいいことに、仲間たちを自宅に集めていた。元塩川派の遠藤も一緒だ。

「わかったよな。エンドーちゃん。裸の王様作戦」

 マッドは、考えたのは自分だと言わんばかりに、誇らしげに遠藤に詳細を確認させた。

「大体頭に入ったけど、もう一度最初から説明しなおしてくれ」

「はいはい。わかりました。もう本当に馬鹿なんだから。だから、塩川なんかに利用されるんだよ」

「あいつの事は言うな」

 と、遠藤が殺気だって言うと、

「おお怖い。でもさすがの塩川もこれで終わりだな。ハハハ」

 とマッドは笑った。

 周りにいた数名もつられて笑った。そして、マッドは真顔になると、

「いいか。ポイントはこの原田がいないタイミングを狙って、川辺におびき寄せること。それさえできれば後は何とかなるさ」

「その役目は俺にしかできないってことだな」

 遠藤の顔は、責任感と自信に満ち溢れている。

「そう。塩川は、まだあんたのことを信用してるからな」

 

 白石が作った食事をすませると、栗田は、もう一度公園に行った。すると、ベンチに長迫が腰掛けて、何か思索に耽っている。栗田は隣に座ると、午前中の出来事を話した。

「何だって? 原田羊子が記憶を取り戻した?」

 長迫は驚きのあまり、立ち上がった。

「でも、事件解決には至りません」

 栗田はそう言ったが、大きな前進に違いはない。それに対し、難しい顔で長迫は意見を述べる。

「すると、彼女が金田に襲われそうになって、彼を刺した可能性はないということになるな」

 そう言った長迫自身、まだ原田を疑っていた……あいつに刺された? 今頃になって、そんな嘘を吐くとはどうしてだろう……。


「やはり、彼女は無実でしょうか?」

 栗田は、長迫の口から、原田が潔白であると聞くことを期待した。

「もし彼女の言ったことが、本当ならおそらくそうだろう」

 その言葉に、冷静な栗田も感情的になった。

「本当なら? 原田が嘘を吐いていると言うんですか? だったら、何故今頃そんなことを言う必要があるんです。怪しい人物を見たとか、もっと自分に有利な証言をでっちあげたでしょう」

「栗田君を安心させるためかもしれない」

「僕を? どうして?」

「君に随分迷惑をかけたことを、彼女はきっと気にかけてるよ。二年も時間を無駄にさせてしまったからな」

「それで嘘を? 彼女は、土管の中で記憶を取り戻した演技をしたんですか?」

「無気になるなよ。その可能性もあると言っただけだ」

「そうですね。すいません」

「俺だって君達が卒業してこの街を出ていく前に、真相を明らかにしたいよ。でも、焦って間違った解釈をするより、不明な点は不明としておいたほうがいい。今わかっていることは、二年前ここで一人の男が殺され、彼女はその時ここにいた。そして今年、その弟もここで殺された。しかし、犯行時刻、彼女には完璧なアリバイがある。それ以上のことは憶測にすぎない」

「弟の方に関しては、彼女は無実ということですね」

「アリバイが崩れない限りな」

「崩れますか?」

「まず、無理だろう。双子の妹でもいない限りはな」

 長迫の冗談に栗田は鼻で笑った。


 快晴で、冬にしては暖かかった。こんなのどかな公園で、二件も殺人事件があったとはとても思えない。

「どうだ、栗田君。これから一杯やらないか?」

 卒業も間近なので、長迫が栗田を誘った。

「えっ、僕まだ高校生ですけど、先生がそんなこと言っていいんですか?」

「でも法律上はOKなんだろ。大学講師がゼミの学生と飲むのと同じだろう?」

「せっかくですが、今アルコールは控えてるんですよ」

 二人が和やかな雰囲気になっていたその時だった。ふと青空を見上げた長迫は目を細めた。

「どうしたんです? UFOでも見えるんですか?」

 栗田の冗談に対し、長迫は、

「なあ、栗田。人間が走って十分の距離も、飛行機なら一分もかからないよな」

 と、意味不明な事を言った。

「当然の事じゃないですか。一体、何が言いたいんですか」

栗田はそう言った途端、長迫の言いたいことを察知した。「まさか……、そんな」

 長迫は、自分の顔を不安そうに見つめる生徒を安心させるため、わざとらしく微笑んだ。

「まあそう心配するな。トイレと言えば一種の密室だ。入り口は一つしかないは……あ、もしかして」

 自分で言いかけて、長迫はある事実に気付いた。頭脳明晰な栗田も、同じ結論に達したようだ。

 それから二人は何も言わず、公園から歩みさった。


 その日、白石は夕食と書き置きを残して、再び出ていった。帰宅した栗田は書き置きを無視し、さっさと食事をすませると、車でどこかへでかけて行った。

 

 翌日も、栗田は学校に来なかった。

「栗田君、あれまた欠席? 仕方ないわね」

 すでに卒業できる出席日数を満たしていた彼は、五年も通った学校に、これ以上来る必要性を感じていないのだろう。貴子はそう思った。

 いろいろ口うるさいこと言ったけど、五年も続けるなんて、栗田君って……。

 

 志望校の試験を終えて、京都駅のホームに佇む原田は、栗田に携帯をかけた。

「試験。今終わりました」

「あっ、そう。お疲れさま」

「今、京都駅にいます。栗田さんは携帯に出るくらいだから、学校じゃないですね」

「少し用があって、今日は休んでいるけど、間に合うようだったら迎えに行くよ。S駅に着いたら、またかけてね」

「はい。わかりました」

 栗田との会話はどこか事務的だった。彼女はひかりが到着すると、自由席車両に乗り込んだ。

 S駅に到着すると、約束通り栗田に連絡したが、彼は出なかった。

 仕方がないので、そのままローカル線に乗り換え、地元の駅に向かった。

 駅から出ると、見覚えのあるコンバーチブルが待っていた。

「あれ、奇遇だね。たまたま駅前に寄ったんだけど、よかったら乗っていかない? 空模様も悪いし」

 この時期にオープンカーに乗るのはとても寒いが、栗田は慣れているようだ。

 彼女が助手席に乗ると、彼は、この状況で誰もがする質問をしてきた。

「試験どうだった?」

「がんばったけど、自信ないから、国立も受けなきゃ」

「でも、もし受かってるのがわかったら、国立受けないんだろう? 無駄な受験勉強するなんて馬鹿らしいから、合格したかどうか判断してあげるよ。で、どんな問題が出た?」

「一問目は○○○○○○○○、で二問目は△△△△△△△△って答えたの」

「どちらも正解だね」

「三問目は難しくて××××××××、あってなさそう」

「それもあってるよ。四問目は出来て当然だから、間違いなく合格してるよ」

「そう…かな」

 栗田は合格と言ったが、そのタイミングで突然降り出した雨が不吉に思え、彼女は自信が持てなかった。

 栗田がスイッチを入れ、ハードトップが上を塞ぐと、外界と遮断されたようで、彼女は安心感に包まれた。助手席の彼女は、空から降り注ぐ強い雨が、天井一面を覆うグラスルーフに当たって弾ける様子を見て思った。栗田さんってこのガラスみたい。透明で目立たないけど、いつも私の近くにいて私を守ってくれる。

 

 校門を出てすぐのところに塩川と遠藤が身を潜めていた。

「言ったとおりだろう?」

 遠藤は塩川に、みちると紗英の帰るところを確認させた。「原田って子いないだろう」

「あのニットがまさか」

 原田がニットに連れ去られたという情報は、いくら信用している遠藤の口から聞かされても、塩川には信じられないことだった。

「おれだって信じたくないよ。でも、最近あいつ少しおかしかったろう?」

「彼女をどうするつもりなんだ。金田さんの件は、あの子とは関係ない」

 塩川は、まだ半信半疑なので、遠藤は事を進めなければいけない。

「とにかく俺たちの手でニット探そう。二人じゃ足りない。アイにも連絡入れておくよ」

 遠藤は相原に携帯をかけ、それから、

「アイもうすぐ来るって。最近会ってないけど、友達だもんな」と塩川にいった。


 ホワイトマフィアが、事実上活動休止状態に追い込まれているのとは対照的に、ブラックファルコンは暗躍していた。そして、宿敵であるホワイトマフィアに、とどめの一撃を加えようとしていた。

「エンドーちゃんから連絡あり。次はアイが川縁でニットと若い女を見たと目撃情報を得る。若い女用意できてたよな?」

 マッドの指示で彼らは的確に動く。それでも理想通りにはいかない。

「この女です」と言われ、差し出された写真を見たマッドは、

「確かに若い女だけど、もう少しましなの用意できなかったのか」

 と言ったが、すぐに、

「まあいい。塩川のデブにお似合いの体型だぜ」と納得した。

 周りにいる者達も笑った。だが、マッドの目は笑っていなかった。

 

「今日は二人だけ? その分たくさん頼んでね。で、何にいたしましょうか」

 バニラカフェのマスターは、みちると紗英にいつものコーヒーを出して、追加オーダーを確認した。

「ひつじ子今日試験だから。北山君はもう試験終わってるし、栗田さんは行方不明。二人しかいないけど五人分のケーキ持ってきて」

「そりゃ大変だ。お勘定どうする?」

「栗田さんのつけで」

 紗英は遠慮なく言った。

「はいはい。そういえば栗田君引っ越しするのかな」

「進学すればここにいないから、引っ越しするに決まってるよ」

「同棲してる彼女はどうするのかな?」

 マスターの言葉に、

「え~っ、同棲?」と、二人は声を合わせた。

「君達知らないのか? まあ自分から進んで話すタイプじゃないからな。以前よくここに二人で来ていた。気の強そうな彼女で、よく不満を口にしていたよ」

 みちるは、栗田の部屋の様子を思い出した。

「女の人いる気配なかったけどな」

「きっと別れたんだ」

 紗英はそう期待した。

「へ~っ、そうなんだ。ということは今フリー」

 みちるも期待した。

「チャンスかも知れない」

「紗英、抜け駆けしないでよ」

「私がいつ抜け駆けしたのよ」

「あなたには北山さんという人がいるじゃないの」

「冗談やめてよ」

 二人の様子を観てマスターは、

「栗田君いないと勉強できないのか? おしゃべりなら外でやってよ。何て喫茶店側が言うのもおかしいか」

  

 夕方、塩川は相原から話のあった川縁の小屋の前に立っていた。相原と遠藤は、さらに下流に向かったので、彼は一人だった。

「ひょっとしたらここにいるのか?」

 そう思いながら、小屋の引き戸に手をかけた。

 ゆっくりと開く。

 小屋の中は暗い。こんな川でも魚が捕れるのだろうか。

 彼が開けた戸口から入る夕暮れの明かりで、漁師が使う小舟や網などが置いてあるのがわかった。小屋には梯子で登る小二階があり、漁で使うのだろうか、籠が重ねられている。

 まさか、こんなところに彼女がいるとは思えないが、念のため確認しておいたほうがいい。

 彼は梯子を登った。

 目が暗闇に慣れてないので、足元に気をつけながら登っていく。自分の体重を気にしながら、上に上がった。暗い中、軋る板の上を手探りで移動すると、何やら柔らかいものに触れた。

 人間だ。しかも女の肌のようだ。まさか原田か。しかし、彼女にしては肉付きがいい。


「おまわりさん。ここです。さっき女性の悲鳴が聞こえました」

 ニット帽の男が、懐中電灯で前を照らす警官を案内すると、

「戸が開いてるな」

 といって、警官は注意深く小屋の中に入った。そこでは男女の言い争う声が聞こえた。

「だから勘違いだって」と男の声。

「私をこんなところに連れ込んでどうする気なの」

「そっちが先にいたじゃないか」

「そこで何してます?」

 と、警官が訊ねると、女の声で、

「この人私に乱暴しようとしてます。助けてください」

 続いて男の声がした。

「何言ってんだよ。人のズボン勝手に下ろそうとしやがって」

「おい、君。降りてきなさい」

 警官が上を照らすと、卵のような顔の男の顔が現れた。

「その顔どこかで見たことあるな」


 塩川は、言われた通りに大人しく降りてきたかと思うと、いきなり小屋の外に飛び出した。彼は、小屋の陰にニット帽の男が隠れていることには、気付いていなかった。

「おい、待て」

 追いかける警官と逃げる巨漢。警官の方が優勢になったことがわかると、塩川は川の中に入った。そして、緩やかな流れの中を平泳ぎで向こう岸まで泳いでいく。

「おい、危ないからこっちに来い」

 腰から下を水で濡らしながら、警官は立ちつくすしかなかった。

 警官が川から出ると、ニット帽の男は、

「今の男知ってます。塩川って言うんですけど、この辺じゃ評判の悪です」

 と証言した。


 警官が帰った後、ニットはマッドに携帯で報告した。

「取り逃がしたって?」

 報告を受けたマッドは驚いた。

「あいつが泳いで渡るとは思わなかった。それに警官がだらしなかったから」

「まあいいよ。指名手配の方が面白いかも。これでかえって強姦未遂罪が重くなるからな。ハハハ」

「でも復讐しにこないか心配で」

「ニットの所には来ないだろう。やられるとしたらエンドーかアイだな。まあ、どうでもいいけど」

 

「何ですか? 先生。こんなところに呼び出して」

 栗田はそう言ったものの、長迫から呼ばれる理由が原田のことだとわかっていた。放課後、二人は校舎の屋上にいた。

「あれから考えたんだ」

 遠くを見ながら、長迫はつぶやくようにいった。

「はい」

「兄弟二人とも刺されて死んだんだが、最初に殺された兄久弥の方は、原田も喧嘩する声は聞いたけど、彼の悲鳴は聞いていない」

「弟の事件の方は、近所の人が悲鳴を聞いたんですよね」

「まあ聞いてくれ。弟の場合も同じじゃないかと考えたんだ。刺されたから必ずしも大声で叫ぶとは限らない。傷口を押さえて呻き声をあげる方が多いんじゃないかな。

 しかしだ。たまたま公園の隣の路を通りがかった人が、死体を見つけたらどうする。そちらの方が驚いて叫ぶとは思わないか」

「それは驚くでしょうね」

「そこで死体を発見した人物は、警察に通報するのが常識だが、中には面倒なことに関わりたくないため、そのまま何事も無かったかのように立ち去る人もいるんじゃないかな」

「いるでしょうね」

「つまり俺の言いたいのは」

「警察に三時過ぎに通報があったのは、公園で悲鳴が聞こえたからで、その悲鳴は被害者のものとは限らない。被害者が殺害されているのを目撃した通行人かもしれない。すると、犯行は三時以前の可能性も出てくる。土管の裏で息絶えた兄と違い、公園中央の砂場なら、通行人に見つかりやすいですし」

「そう。やっぱり君は賢いねえ」

「でも二時半に生存を目撃されてますから、すでに六時限目の授業が始まっていた、彼女の現場不在証明は、相変わらず成立している」

「その通り。六時間目は二時半から三時二十分。警察が現場に到着したのが三時十五分頃だから、殺害のチャンスがあっても、五時間目と六時間目の間の二時二十分から三十分の間の十分だけ。だが二時半には生存証言。学校から公園まで往復十分をどうにかやりくりしたとしても、原田にチャンスはないな」

「最初からわかっていることじゃないですか」

「二番目の事件に関しては、少なくとも彼女は実行犯ではないだろう」

「実行犯?」

「第三者に頼んだ可能性はある」

「それを言ったら、誰だって可能性はありますよ」

「彼女には動機がある。金田辰也にしつこくつきまとわれていたからな。しかしその彼女を助けようとした者がいたかもしれない」

「まさか、先生はあいつが彼女のためにやったとでも」

「断定はしないよ。可能性だけだ。彼女自身の知らないところで、そいつが勝手にしたことかもしれない」

「結局、いつまで経っても結論は出そうにないですね」

「そんなことないよ。真犯人が名乗り出れば」

「真犯人……」

 栗田は長迫を鋭い目で見た。長迫の方は、部活や帰る生徒であふれる校庭を見ながら、

「バスケ部、屋外練習なのか。体育館空いてなかったのか?」

 と、事件のことは忘れたかのように言った。

「そうみたいですね。大事な試合が近付いてるんで、通常枠以上に練習してるんでしょう」

「大事な試合か。栗田君も、また頼まれて緊急参加なんて止めてくれよ。でも出席日数クリアしたから問題ないか」

「僕だって大事な行事が残ってますよ」

「何? 大事な行事って」

「受験」

「ああ、そうだった。君、高校生だった」

「何言ってるんですか」


 栗田は屋上から降りると、体育館に行き、バスケ部の練習風景に見入った。キャプテンの片山が、彼に気付いて挨拶する。

「栗田先輩、こんにちは」

「やあ」

「これでもう本当に先輩いなくなるんですね。僕が入った時にすでに上級生が先輩に気を遣ってましたから」

「これで気を遣う相手が減って、気楽になるってこと?」

「いえ、まだいていただきたいです」

「冗談じゃないよ。もう高校は飽きたよ」

「それと明後日の試合、うちでやるので見に来てください」

「何時から」

「二時からです」

「気が向いたら行くかもね」

 そう言って栗田は、その場を立ち去った。そして、確認したいことがあったので、校舎の外で貴子を待った。

 

「また二人だけなの? 喫茶店の立場からいうのもおかしいけど、最後の追い込みは家でやったほうがいいんじゃない?」

 バニラカフェのマスターが、みちると紗英を気遣ってそう言うと、彼女達はここの方が勉強がはかどると言って、ケーキ類を食べ、おしゃべりしながら、彼女達なりの受験勉強を続けた。

 原田は先に帰ると言って、カフェに寄らずに二人と別れた。しかし、自宅に戻らず、栗田のマンションに向かった。受験の帰りに駅に迎えてもらってから、何となく彼は冷たい。もうすぐ離ればなれになるからわざと距離を取っているのだろうか。自分としてはそんな感じで終わらせたくない。それで、彼の部屋のチャイムを鳴らした。

「はい」

 女性の声がする。どこかで見たことあるような顔が出た。

「原田さん?」

 向こうは自分のことを知ってるようだ。

「すいません。間違えました」

 原田がその場を離れようとすると、その女は、

「誤解しないで。私もここに荷物を取りに来ただけで、彼とはとっくに別れてるから」

 と、彼女を呼び止めた。

 

 二足歩行も問題なくこなせるようになった有田は、ニットの実家のクリーニング店をガラス越しに覗いた。

「あ、有田君。怪我してたって聞いたけど」

 アイロンをかけ終わって、視線を上げたニットの母親に見つかってしまい、有田は店に入った。

「もうすっかりよくなりましたよ」

「忠なら配達だけど、もうすぐ戻って来る頃なんで、よかったらそこで待ってたら」

「いえ、いいです。特に用は無いんで」

 そう言って外に出て、近くでぶらぶらしているとニットが戻って来た。

「あれ、アリ。もう普通に歩けるな」

 ニットにそう話しかけられると、有田は暗い表情で、

「ごめん、ニット。俺お前に嘘吐いてた」

「何の事?」

「俺の足折ったの、リーダーじゃない。マッド達だ」

「え? どういうこと」

「俺、あいつらに脅されてた。特にマッドの後ろにいる羽佐間っていう人に」

 羽佐間という名前を聞くと、ニットの顔色も曇った。

「お前もか。そう言えば羽佐間さん、お前の仲間になれって言ってたからな」

「何かよくわからないけど、俺たちマッドにはめられたんじゃないかな」

「そうなのか……」

 ニットはまだ何かあるようだ。

「心当たりあるだろ?」

「俺、塩川さん。マッドにそそのかされて警察に売った」

「俺はトクジを騙してこの街から追い出した」

 二人は、自分たちのしたことを振り返り、落ち込んだ。

「忠、そんなところで油売ってんじゃないよ」

 店内からニットの母親の声がした。

 

 暗くなってから一人で歩くのは、原田には久しぶりだった。いつも誰かが側にいた。白石という女の人から、もうあのマンションも三月一杯で契約切れと聞かされ、わかってはいたものの、少しショックだった。

 別れ際に彼女はこう言ってきた。

「お願いだから、もう京平を自由にしてやって。いつまでもあなたから卒業できないのは可哀想よ」

 そこで、彼女にはこう言っておいた。

「私も栗田さんも違う街に住みますから」

 地元に残る予定のみちるや紗英と違い、自分も栗田も他の街に移り住むのだ。みんな離ればなれになっていく。そんなことを考えながら、自宅へ向かって歩いていると、後ろに人の気配を感じた。

 振り向くとそこには塩川がいた。彼女が話しかけようとすると、彼は一言「さよなら」と言って巨体を揺らして走り去っていった。もうあの人とも会うことがなくなるんだ。


 原田羊子の姿が見えなくなるまで走ると、塩川は彼女のいた方を振り返った

 ……君のこと守っていたのは彼だけじゃないんだ。彼が二年も時間を失ったように俺だって君のために仲間を失った。あの事件で仲間達は君にしつこくつきまとった。特に金田兄弟にかわいがられていたマッドは、事件現場にいながら平穏な暮らしをしている君のことが気にくわなかったみたいだ。マッドが俺のこと憎むのも無理はない。でも、後悔はしていない。あいつの怒りが君の方でなく俺に向いてくれて、少しは君の役に立てて嬉しく思う……。

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