第14話 私にパパラッチ?

 九月に入っても、早紀の周囲は落ち着かなかった。

 彼女の登場シーンも残り少なく、その日の撮影は午前中で終わる予定だ。何故か取材陣もその情報をつかんでいた。


 沈静化を狙った特別検証番組の反響は大きく、検証自体が新たなるヤラセとの批判も飛び交っていた。

 そんななかJBCのニュース番組は、独占取材と銘打って撮影スタジオの中に入って来て、出番待ちの彼女にインタビューしてくるのだった。彼らは番組の宣伝にもなるからという理由で、プロデューサーの許可もとっていた。


「今日は当番組に、仁科早紀さんへの独占取材許可がおりまして、最近話題の当JBC放送の人気クイズ番組Q&え~? での全問正解に対する世間での反響について、ご本人に直接伺うことができました。また、八月に放送した検証番組では語られなかった部分にまで踏み込んでみたいと思います。

 仁科さん、撮影中のところすいません」


 早紀は、撮影所にあった折り畳み椅子に腰掛け、教室セットがわざわざ背景に映るような位置で、インタビューに臨んだ。

「いえ。こちらこそよろしくおねがいします」

「早速お伺いします。当社のクイズ番組で全問正解したことで、世間の注目を受けていることについて、どう思われますか?」

「正直、自分の中でも、まだ整理がついてないところがあります。私は、お仕事の一つとして番組の方に出演させていただいただけなのに、それがたまたまあのようなことになってしまって、私自身が一番驚いています」

「このことは、女優としてのキャリアにプラスになると思われますか?」

「何でも経験を積むのはよいことだと思います。それにこのことで、私の名前を覚えてくださったお茶の間の方もいらっしゃるかと思いますし。もちろん、疑惑の女王などと呼ばれるのは嬉しくはないです」

「ということは、全体としてプラスだとお考えですね」

「はい。そう解釈してくださって結構です」

「今後どういった方向に、ご活躍の場を広げたいとお考えですか?」

「そうですね。やっぱり私は女優であり続けたいので、女優業を中心に進みたいと考えています。バラエティなんかも好きですけど、女優の仕事に差し支えない程度くらいに考えています」

「わかりました。今後のご活躍を期待しています」

「ありがとうございます」

「以上、仁科早紀さんでした」


 キャバ嬢リサ役で出演して以来、撮影に同行してきている忍は、取材を終えた早紀に近付くと、

「すごく大人っぽくて早紀じゃないみたいだった」と褒め称えた。

「だって打ち合わせずみだったもの」

「すると今のもヤラセ?」

「ヤラセって言葉、私の前では使用禁止」

 

 最近、マスコミの取材攻勢にも慣れてきた早紀達だったが、その日は今までと様子が違うことに、気が付いていなかった。

 午前中でインタビューとドラマ撮影を終え、帰宅しようとスタジオから出た時は、時田の努力で無事車まで辿り着けたが、そこからマスコミの反攻が始まった。

 発車前に助手席の時田が、まず異変に気付いた。

「バイク、多くないですか?」

 後部座席の早紀と忍は、周囲を見回した。

「五、六……十台ぐらい。乗ってるのはカメラマン?」

「後を尾ける気よ。忍ちゃんの家まで着いてくるつもりね」

 と、玉井はいって、リポーター陣にぶつけないように、ゆっくりと車を動かした。


 予想通りバイク集団は後についてくる。集団といっても、各社独自に用意したもので、お互いはライバル関係だが、今回JBCの情報独占に対抗して、情報を共有する約束を交わしていた。

「これってパパラッチ?」

 早紀が独り言のように言うと、忍が、

「確か蠅っていう意味だったような気がしたけど、確かに蠅ね」

 といって、後部座席から後ろを見た。それから、

「バイクだから小回りが利く。ハリウッドセレブとかが、パパラッチに追われてるのみると、うらやましかったけど、実際にやられてみると、なんか頭に来る。あっちいけ、バ~カ~、バ~カ~、バ~カ~」

 と、相手にも何を言っているかわかるように、大きく口を開けて、何度も馬鹿と繰り返した。


 道路は混雑していて、思うように進まない。

「どうにかしてまかないといけないわね」

 玉井が信号のない角を曲がると、前方に歩行者がいなかったので、スピードを上げた。それから、思いつくままに車を進めた。しばらくして、バイクの姿は見えなくなった。

「やっとこれで安心。少し遅れたけど、お昼どこにします?」

 と、安心したのもつかのま、すぐに数台のバイクが現れた。

「どうしてわかったのかしら」

 玉井が訝しむと、時田は上を覗き込むような動作をして、

「ヘリに見張られてるかもしれない」といった。

「ヘリコプター?」

 早紀はドア窓を開け、顔を出して上を見た。視力のいい彼女だったが、周囲の建物が邪魔しているので、ヘリコプターは確認できなかった。

「ここからじゃ見えないけど、TV局だったらそのくらいのことするかもしれないかも」

 玉井は、マスコミのやり方にも理解を示した。

「JBCさん独占で、他の局さんも焦ってるようね。空からヘリが私たちの車を見てる。その連絡を受けたバイクが追いかける。このままだときりがない。でも忍ちゃんの家には戻れないし、社長の家にでも向かいますか?」

「それでは社長の近所の方に悪いわ。といっても忍のところにも戻れないし」

 早紀が困っていると、時田が解決策を提案した。

「玉井さん。出来るだけバイクを引き離して、百貨店なんかの屋内駐車場に入ってもらえますか?」

「はい。いいですけど。この辺りだと○○がいいかな」

「そこで、自分と仁科さんはすぐに車を降りますので、お二人はしばらく、そのままこの車に乗っていて、カメラマン達が、仁科さんが車内にいないことに気付くまで、時間かせぎしてください」

「パパラッチには、早紀ちゃんがまだ乗っていると思わせるのね。面白い。やってみましょう」

 玉井は、それからできるだけバイクを巻いて、百貨店の地下駐車場に車を入れた。直前まで二、三台がしつこく着き纏ってきたが、駐車場に入るとバイクの姿はない。

 入り口で駐車係に、

「バイクはこっちじゃなくて、そこ右に曲がったところにあるから、そこに停めて。売り場には外から入ってね」と言われたからだ。


「急いで」

 駐車場に入ると、時田に手を引かれて早紀は、百貨店の売り場に駆け込んだ。帽子とサングラスだけの変装だったが、買い物客は誰も彼女だと気付かないようだ。ここからは一般客を装う。

「あ、僕だが、○○百貨店まで車一台頼む。着いたら連絡入れて」

 時田が携帯で会社に連絡を入れている最中も、早紀は商品ディスプレイに目を奪われていた。


 パパラッチの一人に、空港で早紀のスクープ写真を撮ったカメラマンがいた。彼は他のパパラッチと違い、慌てて地下駐車場に向かったりはしなかった。

 仁科早紀は、車から降りて売り場に入る。そう彼女の行動を読んでいた。そこで、彼も買い物客に交ざり、彼女を捜した。


 マスコミは、早紀達がすぐこの百貨店から出て、外に逃げたと思うはずだ。そこで灯台もと暗しということで、しばらく二人はショッピングを楽しむことにした。但し、早紀は周りに気付かれるといけないので、大声を出さないように注意していた。それでもめぼしい物を見つけると、つい声を上げてしまうのだった。

「きゃっ、あれいい。え? 私もう持ってました」

 一方、バイクを外に停めて売場経由で地下駐車場に入ったパパラッチ達は、数百台収容規模の駐車場の車を調べていた。

「ここ、バイクの駐輪場が遠くて、不便なんだ」

「ライダーを後回しにするこんな店なんか、絶対に買い物になんか来てやらない」

「自転車と同じ扱いかよ」

 などと、それぞれ不満を口にしていたが、ようやく追いかけていた車種を見つけ、車の中を覗き込んだ。

「仁科さん。一言おねがいします」

「中にいないで外に出てきてくださいよ」

 と大声で訴えると、後部座席のドア窓が開いて、見知らぬ美女が顔を覗かせた。

「仁科はここにはいません。同じ車種の別の車に乗っています」

「同じ車種? 僕ら巻くため、同じ車二台用意したってこと?」

「ええ、そのように受け取ってください」

「まぎらわしいことするな。このブス」

 カメラマンは、予想外のことを言われて驚く忍の顔を撮った。しかし、彼女の言葉を真に受けたわけではない。念のため売り場を当たってみることにした。


 空港でスクープ写真を撮ったカメラマンは、怪しい男女が女性バッグ売り場にいるのを見つけた。サングラスをした長身の女と、見たことがあるような男が隣にいる。彼は素知らぬ振りをして近付いた。しかしカメラを構えた瞬間、男の方に気付かれた。

「逃げて」

 時田がそういうと、二人はエスカレーターに向かって駆けた。カメラマンは、後ろ姿で逃げる写真しか撮れなかった。

「三階にいた。他の人にも連絡入れて」

 そのカメラマンは、携帯で他の同業者にそう伝えた。一人で独占しようとするより、応援を呼んで、あの二人を追いつめた方が、いい写真が撮れそうだからだ。

上りのエスカレーターで、二人は四階婦人服売り場に向かった。

「すいません。通ります」

 非常識なお願いをして、すでにエスカレーターに乗っていた他の客達の横をすりぬけた。


 時田は、早紀の手を引いて闇雲に逃げるのだが、それでかえって目立ってしまい、売り場にやってきたパパラッチ達の視界に入ってしまった。

「あっちに向かった」

「そこ曲がった?」

「すいません、店員さん。今逃げてく二人連れ見ませんでした?」

 パパラッチ達は、息も絶え絶えに追いかける。

 逃げる側の二人も必死だ。マネキンなどの展示品の裏に隠れたり、トイレに駆け込もうとしたが、男女別々のためすぐにあきらめたりした。

 時田は必死だったが、早紀は子供の頃の遊びのような楽しさを感じた。そして、追いつめられた時田の目に試着室が飛び込んできた。彼は早紀と一緒にその中へ入った。

「えっ」

 早紀は驚いた。時田とこんなに密着するのは予想外だった。


 外から追跡者達の声が聞こえる。

「見つかった?」

「トイレにもいない。もちろん女子のも見たよ。俺じゃないよ。店員さんに頼んだんだ」

「わかった。非常階段から上にあがったんだ」

 一人のアイデアに皆賛同し、マスコミ陣営は五階へ上がった。そこでも見つからないのは、きっと二人がさらに上がったからだと推測し、結局、屋上でお仲間のヘリコプターを見上げることになった。


 彼らの声が聞こえなくなると、狭い空間にいる二人は、急に照れくさく感じた。でも何故か早紀は、この気まずさの中に安心感を感じていた。世界で一番安全な場所……何があっても彼が守ってくれる。

 そして、時田の携帯が鳴ることで、その時間は終わりを告げた。

「今着いた? 裏の方。わかった」

 試着室に入るときは逃げるのに夢中で平気だったが、落ち着いてくると、時田は試着室から出るところを人に見られるのが恥ずかしく思えた。早紀はそんな彼の気持ちを察して、外に顔を覗かせて、周りに人がいないのを確認した。

「今なら大丈夫。誰もいない」


 二人はそっと試着室を出た。そして下りのエレベーターに向かった。エレベーターが来るまで、こんなに時間が長いと思ったことはなかった。

 エレベーターから一階売り場に出て、出口に向かって走るとき、解放感から早紀は声を上げて楽しそうに笑っていた。それから二人は、待機していたNY警備と書かれた業務用の自動車に乗って、真壁宅へ向かった。

 真壁邸に着くと、時田ともう一人のNY警備の職員は、早紀を車から降ろし、そのまま会社の方に戻っていった。家の中ではすでに忍は戻っていたが、ブスと言われて落ち込んでいた。

「どうしたの? ふさいじゃって」

「早紀の大変さがわかったわ。あのパパラッチ達、本当に頭にくる」

「でもあの人達もお仕事ですから」

「あいつらの肩持つつもり? 機嫌良さそうだけど何かあった?」

「いえ、別に」

 と、早紀はとぼけた。


 その日の夕方、JBCテレビの特別独占ニュースで、今日のインタビューの模様が放送された。

「もうすっかり時の人ね」

 忍の言葉は、今や紛れもない事実だった。

「だから大変なの。もう少し落ち着いてくれないと体が持たない」

「大変なのは早紀だけじゃないわよ。玉井さんや時田さん、それに私だって大変なんだから」

「みなさんには感謝してます」

 チャンネルを替えてみると、他局でも彼女のことを扱っていた。

「……当の仁科早紀さんにコメントを求めるため、当番組スタッフは昼夜を問わず張り込みを続けました」

 深夜の住宅街。モザイクでどこなのか不明。ドアだけが映される。

「これこの家じゃない?」

「えっ、そういえばそう」

「仁科早紀さんはこちらのお宅に潜んでいると思われます。彼女が出てくるまで、交代で夜間撮影用カメラを持ったスタッフを張り付かせます」

 リポーターが小声で実況する。

 深夜三時……。

「あっ、逃げるな」

 時田の声だ。

「追いかけるより、警察呼んだ方が」

 一緒に駆けつけた警備員の声。

 カメラマンが逃げているので、激しく揺れ動く道路とモザイク住宅街の映像。テロップは、「警察に見つかり撮影中止」。

「何? これ」

 早紀は大きな声を上げた。

「やっぱりここの場所知られちゃったんだ。警備員さんたちのこと警察って勘違いしてる」

「今も外にいたりして」

 と、忍は冗談をいった。

「今日苦労して逃げ切ったのは、無駄だったわけ?」

 テレビの中では、アナウンサーが淡々と原稿を読み上げる。、

「その後ご近所の方に伺ったところ、こちらのお宅には確かに仁科さんと似た方がお住まいですが、仁科早紀さんとは全くの別人であるとのことでした。深夜の住宅街をお騒がせして大変申し訳ありませんでした。番組として深くお詫びいたします」

 アナウンサーの口調は事務的だったが、取材陣の粗相をわび、頭を下げた。

「別人ですって」

 忍は楽しそうだ。

「前からよくここに来て泊まっていたから、ご近所の方も私がここの家の人だと勘違いしているのね」

 早紀も一安心だ。



 彼女達がくつろいでいるちょうどその頃、番組スタッフや残りの出演者らは、番組最大のアクションシーンの撮影で大わらわだった。

 すでに陽は落ち、潮の関係で水位が上がってきていた。総勢三十名を超えるキャストが、川縁で乱闘を繰り広げたが、長時間水に浸かりながらの格闘はきつく、迫力が半減していた。


「そこで飛び上がってドロップキック」

「そんなことできるわけないじゃないですか」

 監督の無茶な指示に、塩川役の林もたまらず抗議した。

「でも上半身の動きだけじゃインパクトないから」

「だったら陸に上がって撮りましょうよ。正直もうくたくた。少し休みたいですよ」

 体重の多い分だけ持久力に欠ける彼は、珍しく口答えしていた。林以外の出演者も彼と同意見のようだ。そこで彼の提案を受け入れて休憩が入れられた。

 まだ夏なのに寒いので、口々に不満をもらす。

「そっちは厚着でいいよな。こっちはバスケだから短パンにシャツ一枚で寒くて」

「でもその分水を吸うから大変だよ。そっちの方が乾くのが早いじゃないか」

 水に濡れない監督の若林も、別の面で苦労していた。

「これはどう見ても巌流島の決闘だ。だったら『待たせたな、不良ども』『遅いぞ、バスケ部』『敗れたり、不良ども』の台詞がどうしても必要だろう」

 もう最終回というのに、赤松の思いつきにつきあっていられない。

「この二つのグループは待ち合わせていませんので、今更そんな台詞入れられませんよ」

「ではこういうのはどうだ。バスケ部の連中はボート部からオールを借りて、宮本武蔵の船の櫂みたいに頭上から振り上げて、相手の頭に打ち下ろす。ざっくりと割れた頭部から鮮血がほとばしる。(以下意味不明)」

 若林は、赤松の言葉の最初の部分だけとらえて、こう言った。

「バスケ部は栗田に頼んで無理に試合に出てもらって、栗田は二年前と同様また遅れてしまった。そこで彼らは大急ぎで川へ向かいますから、ボート部に寄ってオールを借りるような展開は無理です」

 


「はい。本当でございますか。はい。ありがとうございます。今後とも宜しくお願いいたします。それでは失礼いたします」

 早紀の所属事務所の社長宮田は、このところ機嫌がいい。というのも早紀が有名になったのに加えて、事務所の新人タレントに大手スポーツクラブからCMのオファーが入ったからだ。

 当のタレント斉藤里奈は、世間にほとんど名を知られていなかったが、早紀同様の長身にとても二十歳とは思えぬ童顔で、テニスルックならきっと似合うと宮田が強く押したことが幸いした。

 宮田は側にいた里奈に「これ振ってみて」とラケットを渡した。

 里奈が言われた通りにすると「どうも違うな」と不満げだ。

「すいません。スポーツあまりしないので」

「今度本格的な所に連れていってあげようか。プロがコーチしてくれるよ」

「えっ、そんなレベルじゃないです」

「別に上手くならなくてもいいんだよ。フォームがきれいになれば」

 急速に知名度は上がったものの、疑惑のイメージが付きまとう早紀にはCM出演の話はなかった。それでも彼女が有名になったことは、事務所にとってはプラスに働いたのかもしれない。

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