第11話 私にワイドショー?

 マスコミの取材責めにあった翌日、早紀は、時田に早めに迎えに来てもらった。それでも、一部の取材陣がマンションの周りを見張っていた。

 彼女は、撮影スタジオに行く前に所属事務所に寄った。事務所で社長と玉井を交え、マスコミの取材から逃れる相談をして、今後しばらくは、友達の忍の家に泊まることが決まった。


「警備員さんってお休みはないんですか?」

 スタジオに向かう車中、早紀は日頃の疑問を時田にぶつけた。

「基本的に変則業務ですから、仕事があるときは休みが取れないことが多いですね。でも仕事中は何も起きなければ暇ですから」

「ごめんなさい。私のせいで休めなくて」

「いえ、何言われるんですか。仕事がいただけて大変助かってるんですから」

「本当?」

「はい。経済的に……」

 時田の表情が少し曇ったので、早紀は話題を切り換えた。

「ご家族は?」

「いえ、一人暮らしです」

「ご結婚は?」

「縁がなかったもので」

「えっ、もてそうなのに」

「そんなことはないです」

 運転席の玉井は、

「早紀ちゃん、それ以上時田さん困らせるんじゃないわよ」と注意した。

「は~い」


 撮影所周辺には昨日ほどではないが、マスコミが待機していた。時田の活躍で、彼女は一言も話さずに、すんだ。

 注目の人物になったため、共演者の態度も以前とどこか違う。

「純君、おはよう」

 と、彼女は主演俳優に挨拶した。

「ああ、お早う。ここに着くまで大変だったな」

「ええ、ごめんなさい。みなさんに迷惑おかけして」

「大迷惑だよ」といって、糸井は鼻で笑った。「でも、これで視聴率が上がるかもって、みなさん話してるよ」

「私はそんなつもりでクイズに出たり、写真撮られたわけじゃないのに」

「気に障ったらごめんな」

 彼女は、共演者はもとより、撮影スタッフ、メーク係にまで、賞金の使い道について聞かれたが、まだどうするか決まってませんとだけ答えるのだった。

 そんな話題の人物も、本番中は撮影に集中していた。


 職員室。

 貴子の隣の席で、民間から研修に来た鳥山が、テストの答案を採点している。採点のペースが早いのが、彼女には気になる。

「あの、鳥山さん」

 鳥山、採点を続けながら、

「何です?」

「採点されるのが大変お早いようですけど、大丈夫ですか?」

「自分の会社では、数百枚の資料に一日で目を通すこともありますので。ゆっくり採点していては時間の無駄だと思いますが」

 白井みちるの答案が、貴子の目に止まる。

「あっ、これ。白井さんの。九十三点?」

「手抜きだとお疑いでしたら、先生ご自身でご確認ください」

 貴子は、みちるの答案用紙を手にとる。

「え~と、確かに合ってます。でも、あの白井さんがどうして急にこんな点を」

「お疑いは晴れましたか?」

「最初から疑ってなんかいません」


 鳥山が定刻に帰った後、貴子は彼が採点した答案を確認する。

「どれも合ってるみたい。さすがに民間の優秀な方。でも原田さんがいいのは普段通りだけど、白井さんだけじゃなく、伴さんまでこんなに点数が上がって……そういえばこの三人、同じ中学出身で普段から仲がよく、家も近くで帰りも一緒みたい。まさかとは思うけど」

 貴子の脳裏に、とんでもない考えが浮かぶ。

「原田さん。この二人に脅されてて、それで試験で不正行為を。一緒に帰るのも仲がいいからじゃなく、弱みを握られてるから……。

 弱みって? 

 まさか、二年前の事件の加害者が原田さんで、一人で抱えきれなくなって親友の二人にうち明けたところ、それが裏目に出て……のわけないか。あの小学生みたいな二人に限って。でも念のため一度帰りに付いていってみましょう」



 その日の撮影が終わると、中井まどかや同年齢の生徒役の子は、早紀と玉井に次のように提案した。

 早紀が車に乗り込むまで、大人数で彼女を囲んで移動すれば、彼女をカバーできるだけでなく、自分達もワイドショーに映る可能性があるので、むしろそうしたいと。

 玉井はこの案に乗った。

 こうして駐車場に停めてある車まで、およそ百メートルの集団移動が始まった。


「どうもたった今撮影が終わった模様です。続々と出演者やその関係者の方達がスタジオから出てきております。仁科さんの姿は……仁科さん!仁科さん!」

 と、リポーターのひとりが騒いでいる。

「カメラさん、こっち、こっち」

「えっ、今映ってるの?」

 などと、大勢の生徒役が我先に取材カメラに映ろうとする。中でも一際目立つのは、ピースサインをする最年長生徒の森川と、その隣で馬鹿みたいと、彼を見下す十歳の下平だ。

「こら、大勢でカメラの前塞がない。取材の邪魔しないでよ。仁科さん、どこ?」

 と、リポーターも怒っている。


 早紀は、玉井達と無事車に乗り込むと、久々に明るい表情を見せた。

「うまくいった。うまくいった。まどかちゃん、頭いい」

「あっ、気付いたみたい。早く逃げなきゃ」

 玉井は、あわてふためくリポータ陣を尻目に、急いで車を発進させた。

「今、仁科早紀さんの乗っている車がスタジオを出ようとしています。すいません。仁科さん、聞こえますか? 何か一言!

あんたじゃない。誰? あんた? 森川?」

 リポーター陣は、煙に巻かれたようだ。

 

「忍? 本当、大変。今そっちに向かってるけど、後尾けられないよう注意するね。もう買い物に寄れないから、食材そちらのものでお願い」

 早紀は、あらかじめ携帯で忍に連絡しておいた。

 早紀達の乗った車が真壁邸に到着すると、忍は玄関から顔を覗かせた。豪邸の仮の主は、時田を見るなり、作り笑顔を浮かべて、玄関の扉を開けた。

「それじゃあ、忍ちゃん。早紀ちゃんのこと宜しくね。明日の朝、私かこちらの時田が迎えに行きますから」

 マネージャーはお帰りのようだ。

「え、もう帰られるんですか? せっかくだから寄って行ってくださいよ」

「悪いけど、これから仕事なの」

「そちらの時田さんだけでもどうですか」

「自分も、すいません。これから帰ります。ただ、何かあった時はすぐに駆けつけます」

 二人が帰ると、忍は、

「何か起こらないかな」と言ったので、早紀は、

「もう、何も起こってなんか欲しくない。いろいろ大変なんだから」

 と反応した。


 食事を終えて居間の大画面TVを点けると、忍は、

「昨日のワイドショー、録画しておいたから」

 といって、早紀に見せた。


「今日発売の週刊誌に、ドラマなどで活躍される女優の仁科早紀さんが、台湾の歌手であり俳優でもある人気スター何新奇、ハーシンチーさんと呼ぶそうですけど、ファンに混じってこのシンチーさんを成田空港でお出迎えをする様子が掲載されました。

 ところでこの仁科さん、先日JBC放送さんの人気クイズ番組に出演されて、番組開始以来誰もなしえなかった全問正解を達成したことで、大きな話題となっております。

 というのもこの番組、これまで一般の方しか参加されていなかったんですけど、その日に限り同じJBCさんのドラマの出演者の方々が参加され、その一人である仁科さんが優勝された上に、全問正解を達成されました。

 この仁科さん達が出演されているドラマというのが、他局の悪口を言うようで申し訳ないですけど、視聴率の上からいうとあまり芳しくなく、業界の常識から考えて、番組の宣伝に来たのは間違いないと思われます。

 そのこと自体は何の問題もないですけど、クイズ番組の内容が普段見ておられる方からすれば、随分と偏っていた感じがするということで、ここでうちのスタッフがデータにしてまとめてみました。この二枚のパネルを見てください。こちらが問題の放送の前回分、そしてこちらが問題の日の放送分。わかりますか?」


 男性司会者は、面倒くさそうに二枚のフリップを並べ、カメラではなく、近くにいるスタッフのほうを見た。

「並べて映すなら、別に二枚にする必要ないのに。一枚でいいじゃないの?」

 スタッフの「すいません」という声が聞こえた。 

「え~、一目瞭然ですね。

 前半はこの番組のルールで、問題を一問でも間違えたりすればすぐに退場となっています。前回の時と較べてどうですか? 

 一回答えて即退場されてる方が多いですね。特に仁科さんのチームは彼女以外の四人は、四人とも正解率ゼロ。

 どういうことかと申しあげますと、各チーム一人は残ることになってますので、このチーム、仁科さんの前の四人が不正解が続いた場合、彼女は問題を出されずに残ることができるんです。

 それに後半。後半は解答者が自分でジャンルを指定するんですけど、テクノロジーに集中してますね。

 普通我々が選ぶなら、まずテクノロジーは選ばないでしょう。文学、教育、地理、雑学、語学、他にいろいろあるのに。科学者チームならわかりますが、当日の一般の出演者の方々は消防士さんチーム、漁師さんチーム、牛飼いさんチーム。あまりテクノロジーとは縁がなさそうに思えますけどどうでしょうか?」

 司会者の指摘に、女性知識人コメンテーターは遠慮なく、

「やっぱりこれヤラセよ」といった。

「ということは、クイズ番組を盛り上げて、ドラマの宣伝につなげようとしたと思われてるんですね」

「彼女もきっと犠牲者よ。局から強く言われてヤラセに協力させられたんだわ」

「仁科さん自身には罪はないと?」

「そんなこと言ってないわよ……」


 早紀はリモコンをとって、TVを消した。

「何? これから面白いのに」

 忍にとっては所詮人ごとなのか。

「見たくないわよ。どうせ私が悪者扱いなんでしょ」

「それが格好よく映ってるから。だから早紀に見せてるんじゃない」

「えっ、本当? ちょっと興味ある」

 TVを再び点けた。忍は、リモコンで早送りをする。


「いい加減にしてくれないか」

 時田が取材陣を怒鳴りつけたシーンだ。

「誰なんだ。あんたは?」

 リポーターの一人が、時田に文句を言った。

「誰でもいいだろう」

「警備員さん。喧嘩しないで」

「記者会見を開かれるおつもりは?」

「全く考えてません」

「ファンの方に一言」

「いつも応援してくれてありがとうございます」

「ファンの方に悪いとは思いませんか?」

「あなたがたは、自分のしていることが恥ずかしくないですか」


 忍はうっとりした様子で、

「ねえ、格好いいでしょう?」といった。

「これ警備員さんじゃないの。忍、もしかして?」

「そんなことないわ。ちょっと興味持っただけ」

「でも、そう言われてみるとルックスといい男らしさといい、警備員さんって結構格好いいかも」

「これまで一緒にいて気付かなかったの?」

 忍は驚いて聞いた。

「空気みたいな存在の人だから」

「それって、絶対必要な人ってこと?」

「いなくなったら……どうなのかな?」

 早紀は、時田がいることに慣れてしまっていたので、彼がいなくなった時のことを想像するのは難しかった。以前と同じ状態に戻るだけなのか……それとも。


 こうして忍と過ごしている間も、早紀の携帯には心配した知人達から、頻繁に連絡が入っていた。

 当然のように、彼女の父親も様子を聞いてきた。

「TV見たけど大丈夫なのか? 一度うちに戻ってこないか? あっ、そう」

「ところでパパ、例のお見合いの件だけど、ちゃんと先方に断ってくれたわよね?」

「お見合い? あれはお見合いじゃないって。専務さんにも理解していただけた様子だ。というより今は仕事でそれどころじゃないみたいだからな。一時的に子会社の方に出向されて、そちらに専念されてらっしゃる。業務の苦労がわからないと経営は務まらないと言われて、現場の最前線で研修されてるようだ。単なる坊ちゃんじゃないみたいだぞ。早紀も残念なことしたな」

「そう、残念なことしたわね。それじゃあ私記者会見の準備で忙しいから」

「記者会見って? ちゃんと説明しなさい。何? もう切るのか?」


 福島亘からも電話が入ったが、相変わらず淡々としていた。

「園部君から連絡が入って、君が大変なことになっていると言うから。でも声を聞く限りでは大したことなさそうだね」

「そんなことないわ。もうストレスが溜まって溜まって」

「お金も貯まったらしいね」

「亘さんからすれば大した金額じゃありません」

「何だ、せっかくおごってもらおうと思ったのに」

 福島の笑い声が聞こえた。

「マスコミから追い回されて、動物園の檻にでも入れられた気分」

「そう、今度遊園地じゃなくて動物園にでも行こうか」

「結構です」

「冗談、冗談。でも、落ち着いたら都会を離れて山の空気でも吸った方がいい。登山とまでいかないまでもハイキングならいつでも案内するよ」

「私に登山じゃなくてハイキング?」

 横で聞いていた忍は、

「私も行きたい」と早紀にせがんだ。

「忍、わかったわよ。今度三人で行きましょ」

「早紀の身に危険が及ぶといけないから、時田さんも一緒でないと」

 電話の向こうの福島は、

「そうだね。君の世話係がいないと。僕では到底無理だからね」と笑った。


 マネージャーの玉井からの連絡は、彼女を驚かせた。

「早紀ちゃん。それが急遽決まったことだけど」

「最近、急遽決まるって多くない?」

「それが、今度のはもの凄いの。驚かないでね」

「覚悟は出来てます」

「実は、ヤラセ騒動がどんどん大きくなって、大手新聞社さんやNHKさんでも取り上げるほどになってるの」

「えっ」

「もう、ワイドショーレベルの話じゃなくなってきてね。さんざんワイドショーでJBCさん責めている他の民放テレビ局にも視聴者から、『お前のところは一切ないんだな』みたいな追求がきたり、国会で話が出たり」

 早紀の顔から血の気が引いていく。それでも忍は、彼女の顔の前で手を振ってからかった。

「そこでJBCさん、緊急に特別検証番組作ることになったの。放送時間は明日の午後九時」

「それって、バニラカフェの時間じゃない。Q&Aの問題だと思うけど」

「Q&え~さんにかなり迷惑かけてるから、こっちの放送枠でやることになったらしいの。どっちみち撮影遅れてるから、こちらとしてもちょうどいいということで」

「で、私はどうすればいいの?」

「記者会見は取りやめになって」

 そこまで聞いて、早紀は少しほっとしたが、

「明日、生で特番に出ることになったんだけど」という続きがあった。

 早紀は携帯を落とした。

「早紀ちゃん、聞こえる? 早紀ちゃん」

 と、携帯から玉井の声がする。

 忍は、それを拾って彼女に渡した。

「ごめんなさい。突然で。困って……」

「心配することはないわよ。それと忍ちゃんに代わって」


 電話の向こうの要請で、早紀は忍に電話を渡した。

「えっ、本当ですか? はい、喜んで」

 忍が嬉しそうだったので、落ち込んでいる早紀は、

「どうしたの?」と聞いた。

「私も、その番組に出ることになったの。事前録りだけど嬉しい」

 忍は玉井から詳細を聞く。

「はい、そうですか……いいですけど、大丈夫かな」

 忍は早紀のほうを見た。

「早紀の友達代表として、早紀がどんな人柄か証言するんだって」

「私が、どんな人間か番組で追求するわけ?」

 忍はそれには答えず、玉井と話す。

「はい、それで私は、それ頂いてTV局に入るときに見せればいいんですね。はい、代わります」

 忍は、携帯を早紀に戻した。

「それで明日外でロケ撮影でしょ。マスコミも大勢来るかも。時田さんにがんばってもらわなきゃ。とにかく注意しておいてね。それでそれ終わり次第、JBCさんに行きますので。詳細? 私もまだ聞いたばかりで、わかってないの」

 と、玉井は早紀の動揺など関係なく業務連絡をした。


 翌朝、早紀が撮影場所に着いたときには、すでに取材陣は彼女の到着を待ち構えていた。しかも、何事があるのかと、近所の住人や噂を聞いて駆けつけた一般人で、撮影場所周辺は混み合っていた。

「サイン、ください」

「すいません。急ぎますので」

「仁科さん、マンションの方はお留守みたいでしたけど、昨夜はどこへ泊まられたんですか?」

「近所の者だけど、この騒ぎ何とかして」

「申し訳ありません」


 時田と玉井は、近付いてくるリポーターや一般人から、彼女を必死で守っていたが、押し寄せる人数が半端ではなく、途中で立ち往生してしまった。


「すいません。先に進めないんですけど」

「危ないから押さないでください」

「ただいま仁科早紀さんが、撮影現場に到着しましたが、ごらんの通り駆けつけた取材陣や一般の方々で大変混乱しております。私もインタビューを試みようとしたのですが、近付くことができません」とリポーター。

「もう、やだ」

 早紀はその場で泣き出した。


 その時、早紀の周りの群衆が彼女から離れ出した。

「おう、どけどけ。素人はひっこんでろ」

「怪我するからどいてろ」

「女の子泣かせるような奴らはな、死んだほうがましなんだよ」

 バイクやスクーターの轟音と怒声が、辺りの空気を一変させた。銀龍会の羽佐間と、塩川率いるホワイトマフィア、マッド率いるブラックファルコンが、一時的に手を組んで彼女を救出に来たのだ。


「おう、先生。ここは俺たちにまかせて、早く行きな」

「ありがとう。恩に着ます」

 時田は塩川達に感謝した。

「大変なことがおこりました。出演者の方だと思いますが、強面の方達が仁科さんの周りにいた人達を追い払っています。これも何かの演出でしょうか」

 と、リポーターはその様子を伝えていた。

 

 その日は通常の撮影だけでなく、夜には特番の生放送があった。無事収録を終え、彼女が真壁邸に着いたのは、午後十二時を少し回っていた。TV局を出る時も大変で、神経が休まることはなかったが、先に帰宅していた忍は、時田や玉井がいなくなると、彼女に噛みついた。

「特番見たけど、何で友人の私の顔にモザイクかかってたのよ。おまけに声まで変えられて。A子なんて犯罪者じゃないんだからね」

「ごめんなさい」

 疲れ果てた早紀は、相手に反論する気力も残っていなかった。

「大丈夫? 早く寝た方がいいわ。明日も撮影でしょ?」

「ありがとう」

 忍の言葉に甘えて早く寝た。この時の彼女はストーカーらしき人物の存在をすっかり忘れていた。


 彼女は、夢の中でも現実と同様に大勢の取材陣や野次馬に囲まれていた。

「サインください」

「サインはいいので、お金ください。たくさん持ってんでしょ」

「検証番組の出演料はいくらだったんですか?」

「それをネタにもう一番組できるわね」

 彼女は周囲を見渡すが、時田の姿はない。

「警備員さ~ん。どこにいるの?」

 彼女は人混みを振り払って、逃げ出した。群衆は彼女を追ってくる。薄々夢だと気付いていた。


 目が覚めると、真壁家の来客用の部屋のベッドの上だ。

 カーテン越しに窓の外は月明かりだとわかった。そしてその窓のすぐ外で、深夜の静寂の中、がさがさ音がする。彼女が注意して見ていると、カーテンに人影が映った。彼女は恐怖にかられたが、冷静になるように努めた。

 外の不審者に気付かれないよう、音を立てずに忍び足で部屋から出て、忍の寝室をノックするが相手は起きない。


「仕方ないわね。失礼します」

 小声でそう言うと、寝室に入った。忍はぐっすり眠っている。早紀が忍の体を揺さぶって起こそうとすると、

「きゃっ、泥棒」

 と忍は慌てた。

「大きな声ださないで、泥棒じゃなくて私よ、私」

「早紀。何してるの? こんな時間に」

「外に変な人がいる」

「え~。本当?」

 忍も怯えた。

「どうしよう?」

「警察呼びましょう」

「でも私の勘違いだったら恥ずかしいし、ここに私がいることは警察の人にも知られたくないのね。忍にも迷惑かかるし」

「じゃあどうするの?」

「警備員さん。呼びましょ」

「こんな時間に。可哀想じゃない」

「でもそういう仕事だから」

「そうね」


 早紀が時田の携帯に連絡を入れると、深夜遅くなのに彼は出た。しかし、無理矢理起こしたようで、その声は眠たげだった。

「はい、時田です。何かありました?」

「いま、窓の外に変な人がいて。とっても怖いけど、警察呼びたくないし」

 時田の声が真剣になった。

「今すぐ行きますので、待っていてください。決して外に出ないでください」

「はい。わかりました」


 彼が夜間どこで過ごしているのか、具体的な場所は知らなかったが、警備会社の方で用意した施設ということは聞いたことがあった。そこで数名で待機していれば、深夜の呼び出しにも対応できるというわけだ。

 二十分後、時田の到着がわかったのは、外で彼の声がしたからだ。


「あっ、逃げるな」

「追いかけるより、警察呼んだ方が」

 時田以外の男性の声もした。警備の仲間なのだろう。さすがに不審者が現れたので、一人で行動するのを避けたのだ。

 それからしばらくの間、静寂が支配した。家の中の二人は警備員達の身を案じた。

 玄関のチャイムがした。着替えを済ませた忍と、恐怖からかその後ろに隠れるように早紀が出た。時田の他にもう一名、警備服に身を包んだ小柄な若い男性がいた。帽子にはNY警備とあった。夜勤待機の彼と違い、時田の方は突然起こされたので、私服の上に警備会社のジャンパーを羽織っている。

「今、家の側に人がいたんですが、すいません、取り逃がしてしまって」

申し訳なさそうに時田は謝罪した。

「いえ、いいんです」と忍が答えた。


 二人の警備員を見ると早紀は安心した。

 警備服の方が、「警察には届けましたか?」と忍の後ろにいる早紀に聞いてきた。

「いえ、ここにいることがわかると困るから」

 と、彼女が答えると、彼は怪訝な顔をした。

「警察に追われるような人ではないから安心しろ」と時田が言うと、

「はい」と警備服は答えたが、納得したような顔付きではなかった。

 彼は、早紀のことをTVなどで見たことがないのだろうか。

「それでは充分にお気を付けください。何かあったら遠慮せずにすぐに呼んでください」

「わざわざすいません。それではお気をつけて」

 忍が時田にそう言うと、口数が少なかった早紀は彼に、

「警備員さん。こんな遅くに呼びつけてごめんなさい。明日の朝は迎えに来ないでゆっくりしてください。玉井さんと二人で現場に行きます」

 といって、気を遣った。

「ありがとうございます。でも、本当にいいんですか?」

「はい。その代わりしっかり睡眠とってください」

「はい。しっかり眠ります」

 時田は珍しく微笑んだ。

 二人の警備員が去っていく時に、警備服の方が、

「今日は訓練でないんですね」と時田に言うのが聞こえた。

「また、やりたいか?」

「いえ、熱いから結構です」


 二人の警備員を見送ると、早紀は忍に、

「迷惑かけてごめんなさい」

 と、謝ったが忍はむしろ嬉しそうだ。

「ううん、いいの。これから毎日何か起こらないかな。そうすれば時田さん、駆けつけてくれるから」

「でも、外にいたの誰なのかな? 私がここに居ることを知ってるのかも。ここにいてはいけないのかな」

「お願い。ここにいてよ」

 同じ出来事にも、二人の反応は対照的だ。 


 そして翌朝、といってもそれから三時間くらいしか経っていなかったが、早紀は玉井と忍に起こされた。

「もう少し寝かせて」

「だめだめ。時田さん、待たせてるから」

 早紀は一気に目が覚めた。

「えっ?」

「今日は休んでくださいって言ったけど、撮影中は暇だからそのとき居眠りしますだって」

 忍に聞いて玉井は、昨夜のことをすでに知っているのだろう。


 大急ぎで準備して、早紀は車に向かった。車の側に立っている時田の目は明らかに寝不足とわかった。

「体に悪いから眠っていてって言ったのに」

「仕事ですから」

 移動中、早紀が隣にいる時田を見ると、さすがに目は閉じていた。

「やっぱり眠いんだ。無理しちゃって」と小声でつぶやくと、

「いえ、しっかり起きてます」

 と、彼は目を閉じたまま答えた。

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