第10話 連続ドラマ「バニラカフェ」 第五話「白と黒」
栗田京平は、最近になって学校からの帰り道に、自分の後ろに誰かがいるような気がしてしかたがない。何度も振り向くのだが、人の姿はない。
「気のせいか」
白井みちるは、小さな身体をすばしっこく動かしながら、彼の後を尾けていく。
曲がり角、電柱、郵便ポスト、立看板。気付かれないように物陰に隠れながら移動する。そのため帰りが遅くなり、学習時間が減って、成績が下がり気味だった。
栗田は作戦を立てた。一度振り向いて相手を安心させた直後に、もう一度振り向くのだ。
やってみると、作戦は簡単に成功した。
「あっ」
みちるは、すぐに電柱の後ろに隠れたが、もう見つかってしまったことは、彼女自身にもわかった。
栗田は、彼女のところまで来ると、
「何かご用?」と聞いた。
みちるは思い切って告白した。
「あの、また私たちに勉強教えてください」
栗田は鼻で笑うと、
「ああ、あの喫茶店の補修授業ごっこね。だけど僕たち一応同級生だろ。年は違うけど」
「ひつじ子も、栗田さんに勉強教えて欲しいって言ってます。そうしないと志望校落ちるかもって」
みちるは羊子の名前を出した。栗田と彼女は、どういう関係なのだろうか。
「ああ、いいよ」
栗田はあっさり引き受けた。
「帰りのバニラカフェ塾。授業料無料。しかもバニラシフォンケーキとハワイアンコナコーヒー付き? これなら文句ないだろう」
みちるは嬉しそうに、
「はい。ありがとうございます」と言って足早に去っていった。
その光景を見て栗田は、
「何でそこまでしてやらなければいけないんだ」
と文句を言った。だが、その顔は意外に嬉しそうだった。
「アリ。相談って何だ?」
塩川良平は、彼らが根城としている紡績工場跡地の雑草の生えた敷地内に、有田貴文と二人きりでいた。
「実は……俺、見ちゃったんです。でも、話していいものかどうか迷ってて」
有田の様子がただならぬことを見抜いた塩川は、身を乗り出した。
「いいから言ってみろ」
「はい。ニットが……」
「ニットがどうしたって?」
「ニットが、マッド達と話しているところを見たんです」
塩川は驚いた。まさか、あのニットが。しかし、表情には出さなかった。
「何かの間違いじゃないか。偶然遇っただけとか。ついこの間まで仲間だったからな」
「それが……俺、聞いちゃったんです」
「何を?」
「ブラックに二、三人引っ張って来いって言われているのを」
「それはマッドがそう言っただけだ。ニットは、あいつらの言うことを聞いたりしないだろう」
「でも、ニットの奴、にやにやしながらそいつは面白いってほざいてました。あいつよく、マッドのスクーターの後ろに乗ってたし……」
塩川は巨体で威圧するように、
「おい、このことは誰にも話すなよ。まだ確認とれたわけじゃないし。ただニットの動きには注意しろ」
「はい、リーダー」
その時塩川は、すぐ側に遠藤が来ていて、二人の会話を盗み聞きしていたことに気付かなかった。
遠藤は、二人に気付かれないように、静かにそこを去った。
工場跡地を離れてから遠藤は、ニットの自宅まで行って、このことを直接本人に確認してみることにした。
ニットの実家はクリーニング店を営んでいて、遠藤は彼を訪ねるときは、いつも店の方から入っていく。
「ああ、遠藤君。忠なら今配達中だけど。もうすぐ戻ってくると思うけど。中に入って待ってて」
ニットの母親がそう声をかけると、遠藤は遠慮した。
「いえ、いいです。大した用じゃないっすから」
「そういえば最近、忠、少し変なの。何か聞いてない?」
「変って?」
「すごく丁寧な言葉使って、電話してることがあるの。相当目上の人みたいだけど。少し怖がってるみたいにも見えるし。良平君にだって、そんな言葉使わないのに。誰かそんな人に心あたりある?」
「いいえ。僕らの知る限りじゃ」
「そう。それならいいけど」
「それじゃあ、僕はこれで。忠君によろしく言っておいてください」
そのニットは、配達を終えたばかりの業務用自動車の中で、周りに人がいないことを確認して、携帯をかけた。
番号を押す指が緊張しているのが、自分でもわかった。
「あの、すいません。桜井というものですけど……」
「ああ」
「羽佐間さん。僕にはどうしても、有田を仲間から嫌われるようにし向けるなんてことできません」
「そんなこと言っていいの?」
「……」
「おふくろさん、この街で商売できなくなるよ」
「それは、困りますけど」
「だったらやるしかないだろ」
「……」
「わかった。わかった。仲間思いのいい奴だものな。お前は」
「えっ?」
「その代わりこうしよう。有田の仲間になれ」
「仲間って? 今でも仲間ですけど」
「ふははは。何にもわかっちゃいねえな。昔の有田じゃなくて、今の有田の仲間になれってことだよ」
「どういう意味でしょうか?」
「とにかくあいつと会って話をしてみりゃわかるぜ」
「はい、おっしゃる通りにします」
「それじゃあ、よろしく頼むぜ」
相手は電話を切った。ニットは、羽佐間のいう意味がまだわからなかった。
「おい、長迫」
電話の向こうで、森野が声を荒げているのがわかった。
「お前はもう警察の人間じゃないんだから。これ以上事件の詳細について話すわけにはいかないぞ。こちらだって守秘義務というものがあるんだからな」
「森野の言うことはもっともだと、俺にもわかる。だが、生徒が事件に巻きこまれたんだ。教師として黙って見過ごすわけにはいかないだろう」
「二年前の事件は、確かにそちらの生徒が目撃者となったけど、今度のは直接そちらの学校とは関係ないはずだろう」
「関係ないわけないだろう。二年前の被害者の弟が、同じ場所で殺害されているんだぞ。明らかに連続殺人事件だ。そちらだってあの日うちの学校に電話して、原田の行動を訊いてきたじゃないか」
「それで、お前が電話かけてきて、うちの原田に何の用だって文句言ってきたから、金田の弟が同じ公園で三時頃殺されたって教えてやったんだろうが。いくら昔の仲間とはいえ、今は部外者なんだから、それ以上話すわけにはいかん。マスコミに公表できるくらいのことしかいえん」
電話の向こうの声が冷たくなっていくのを感じ、長迫は強気の交渉から一転した。
「わかった。俺もたしかに出過ぎたマネをした。ただ、問題ない限りで確認はしたい。公園周辺の住人から警察に通報があったのは確かに三時六分かどうか」
「その点は確かだ。現在の110番通報は、内容や場所をコンピューターに入力する仕組みになっているから間違いはない。警察だって進歩してんだからな」
「それから、二時半頃被害者を見かけた、二人の主婦の証言は信頼できるのか」
「それも俺の知っている限りでは確実だ」
「そうか。その片方の主婦の住所だけでも教えてくれないかな」
「それは無理な相談だな」
「そこを何とか」
「どうしても知りたければ、元警官なんだから自分で捜すんだな」
そう言って森野は電話を切った。
長迫は、森野の立場を理解すると同時にこう思った。
……確かに今度の事件は前回の彼女の疑惑を晴らすのにいい機会だ。あきらかに金田兄弟の死は同一犯の仕業だ。もし弟の事件に関し原田の確実なアリバイが確認できれば、二年前の兄の死に関しても彼女は単なる目撃者だと言える。彼女の無実を証明するのは、警官から教師に転職した自分にだけできる使命のようなものだ……。
それでも心のどこかに罪悪感はあった。
……教師である俺が事件のことを調べるのはどうなんだろう。昔警官だったから、これも生徒のため、学校のためのことだろうか。原田の無実を確認したいというのは、逆に言えば彼女のことを心のどこかで疑っているのではないだろうか……。
宝生貴子は廊下を通っているときに、生徒達の会話を耳にした。
「何で私が、学年主任の長迫にそんな事話さなきゃいけないの」
紗英の声だった。
それに対し、みちるが、
「私は覚えてないから、何も話すことなかった」と答えた。
「あの日、栗田さんは六時間目の途中から出てきた。そんな遅くから、しかもあの訳のわからない英語の授業のためだけに出るなんて、変と言えば変じゃない?」
と、貴子がすぐ側にいることに気が付かない紗英は、本心をぶちまけた。
「でも紗英、よくそんなことまで覚えてたわね」
「あの日たしか、五時間目と六時間目の間の休憩時間にひつじ子がおなかが痛いって言って、トイレに駆け込んだでしょう。で、授業始まるまでにひつじ子が戻ってくるか気がかりで。ぎりぎり間に合ったけど、その後堂々と栗田さんが出てきたから印象に残って」
「そう言われてみるとそうだったかな。そういえば、あの日あそこの公園で人殺しがあったでしょう。そのことと関係するのかなあ」
「ひつじ子が犯人だったりして。トイレ行く振りして。でもあそこまで走るとしたら、校舎からだから五分はかかるし、着いてすぐに教室まで戻ったとしても十分越えちゃうな」
そこへ、彼女達同様高校三年にしては幼く見える平アリカが通りかかった。
「何話してんのよ?」
「教えてあげない」と紗英がいった。
「また、そうやって私のこといじめる」
「あんたなんかいじめたくもない。時間の無駄よ」
アリカは、教科書を確認する振りをして、盗み聞きしている貴子に、
「先生、この二人、人殺しの相談しています」と告げ口した。
「人殺しの相談なんかしていないわよ」
とみちるは抗議した。
紗英も、
「そうよ。長迫先生が事件があった日の、うちのクラスのこと聞いてくるから」といった。
貴子はこのチャンスを逃さなかった。
「その日の六時限目って英語だったわね。でも何故長迫先生がそんなことを? 先生に詳しく話してみなさい」
二人の話を聞き終えた貴子は、
「そういうことだったのね。それにしても、彼女たちにまで聞き込みをするとは、さすがもとデカ」といった。
ちょうどその時チャイムが鳴ったので、
「授業だから教室に入りなさい。それとこのことは原田さんには内緒にしておいてね」
と、二人に釘を差しておいた。
授業中も貴子は、みちる達の話が気になっていた。
「原田さん、六十八ページの十行目から読んでください」
留学経験もなく外国人の知人もいない原田が、素晴らしい発音でテキストを朗読している間、貴子は金田辰也が殺された当日の六時限目の授業のことを思い出していた。
栗田以外は全員出席していた。そこに英語の授業が始まって十五分ほどすると栗田が堂々と入ってきた。
「こんな時間から出てきて、一体何考えてるの?」
貴子はむっとしていった。
「今日は休むつもりでしたけど、先生の授業が聞きたくなって来ました」
「あらそう? じゃあしっかり聞いていって」
なにごともなく六時限目の授業を終え、職員室に戻った。その日は三時から学年主任会議があって、五時頃長迫はその要点を報告した。
「これから試験までが大切です。我々教員も生徒と一丸になって……」
至って平穏な一日だったが、六時頃警察から学校に電話があり、原田羊子の行動を訊ねてきた。何故警察は彼女のことを? 貴子はその時点では二年前の事件のことを知らなかった。
常日頃から貴子の授業の進め方に不満を感じている北山正隆は、クラス中に訴えるように言った。
「先生。原田さん、とっくに読み終えましたけど。目を開けたまま眠らないでください」
クラス中に笑いが起きた。栗田も鼻で笑っていた。
その日の帰り、栗田は原田達がバニラカフェに入っていくのを見届けると、ポケットから財布を取りだし、中身を確認した。本革の財布には一万冊が十枚以上入っている。
「どうして教える方が、おごってやらなければいけないんだろう」
そんな疑問も、ここ数ヶ月の株式取引のパフォーマンスや、手持ちの投資信託の残高を考えると気にならなくなるのだった。
「まあ、こんな格好してるけど、年上の大人だからな」
彼がカフェに入っていくと、マスターが、
「うちで塾みたいなことするんだったら、場所代払ってよ」
と、親しげに話しかけてきた。
「僕らはただ喫茶店として利用しているだけです。それより彼女達に何か頭の栄養になりそうなものを」
と、品名も言わず注文した。
「それじゃあ、バニカフェ特製頭のよくなるドリンクでも。栗田君は何がいい?」
「この店で一番高いものを」
場所代の代わりだ。
「ありがとうございま~す」
原田、みちる、紗英の三人はテーブルに陣取り、教科書や参考書を開いて、ぶつぶつ声を出して読んでいた。
栗田は「熱心だね」と感心したふりをした。
しばらくして彼は、
「さて、方針変えようか…」といって三人を見回した。
「それぞれ苦手科目は何?」
「物理」
「数学」
「英語」
「じゃあ、それぞれ苦手科目を今から克服しようか」
「それぞれ別々の科目を?」とみちるが質問した。
「テキストは音読してね。三教科同時に頭に入るから効率三倍だよ」
「かえって頭が混乱して効率落ちるかも」
紗英が感想をもらした。
「やってみなければわからないじゃないか。毛利元就の三本の矢の例えを知ってるかな……」
栗田は戦国の逸話を披露した。
「うまいこというね」
栗田のたとえ話を聞いて、オレンジベースの特製ドリンクを作っているマスターはつぶやいた。
その夜、紡績工場跡地でニットは有田を待っていた。だが約束の時刻がすぎても、相手は現れなかった。何度携帯にかけても、電源が入っていないか、電波が届かない場所にいると応答された。
「遅いな。あいつ、どうしたのかな?」
彼が携帯から目を上げると、人影が敷地内を歩いてくるのが目に入った。
「アリ、遅いじゃないか。連絡ぐらい入れろよ」
彼がそう言っても、相手は返事をしなかった。
「アリじゃないのか? 誰?」
暗くて相手の姿がよく見えない。
「有田は来れないってよ」
聞き覚えのある声だった。
「お前、マッド」
マッドは一人だった。この間まで仲の良かった二人は互いに敵同士なったわけだが、それでもマッド個人に対する親しみの感情はどこかに残っていた。
「来れないってアリに何かあったのか?」
「あいつ、お前のこと心配して、やばい目に遭って」
「やばい目にって?」
「ニット、お前、ヤクザに脅されてるらしいな」
「どうしてそれを」
「有田から聞いた」
「アリが何て言ってた?」
「あいつも羽佐間とかいうヤクザに絡まれてるからな」
「アリも?」
「お前、まだ気付いてないのか」
「?」
「塩川が羽佐間と組んでるのを」
「まさか、リーダーが?」
「辰也さん亡き後、ホワイト完全に自分のものにしようと自分から近付いたんだ」
「嘘だ」
「俺たちはそれに気づいて、ホワイトから離れたんだけど、塩川は羽佐間使って有田に俺たちブラック潰すように命じてたんだ」
そういえば、羽佐間はアリの仲間になれと……。
「それがいやで有田、羽佐間達に逆らったんだ。そしたら……」
「そしたら?」
「お前とここで待ち合わせているところを、エンドー、塩川、羽佐間の三人から袋だたきにされて、俺たちが何とか助けたんだけど」
「それで、有田は?」
「病院に運んだよ」
ニットは全身の力が抜けたが、自分にも責任があると感じた。
「どこの病院だ。俺も見舞いに行く」
「中央病院だ。一緒に行くか?」
「おう」
二人は病院に出かけた。病室ではブラックファルコンのメンバーがベッドの周りを囲んでいた。
「ニット、お前もきたのか」
「アリは?」
脚を固定したままベッドに横たわっている有田は、ニットに弱々しい笑顔で
「俺なら大丈夫だ」と答えた。
「アリ、本当なのか? あのリーダーが」
有田は涙ぐんだ。
「俺だって信じたくはない。でも、こいつらも知ってることだ」
昔の仲間達は頷いた。
「ちきしょ~。どうすればいいんだ」
ニットは地団駄を踏んだ。そして周りにいる昔の仲間達を見回すと、
「俺も入れてくれないか。ブラックに」と熱心に頼んだ。
ブラックリーダーのマッドは、
「いいけど、ただ、ホワイトは辞めないで欲しい」と返事をした。
「どうして?」
「まだトクジ達がいるだろう。あいつらも何とかしてやらないと」
マッドの言うことに、ニットは同意した。
「スパイみたいなことか?」
「スパイみたいじゃなくてスパイだよ」
周りの仲間達は笑った。
ニットは、自分との待ち合わせ中に暴行を受けたはずの有田が、すでに手当を終えベッドの上にいるという、時間上の矛盾に気付かなかった。
見舞客が帰った後、有田貴文はベッドの中で一人怯えていた。
「本当に足を折るなんて。しかも医者には階段からすべって落ちましたなんて言わされて。何て恐ろしい男だ……」
翌日の休憩時間中、栗田は廊下でバスケ部主将片山とすれ違った。
「あっ、先輩。こんにちは」
「どうも」
「今度の明城との試合必ず勝ちますからね」
「君がいれば大丈夫だろう」
「できたら先輩にも参加していただきたいんですけど」
「もう、現役じゃないから」
「そんな、先輩くらいの実力だったら、多少のブランクくらいすぐ取り戻せますよ」
「随分買いかぶられたものだな」
栗田の脳裏に、二年目の光景が蘇る。
「先輩。葉山は足を挫いて、どうしても試合に出れないんです。今のメンバーでは明城との試合に勝てません。一試合だけで結構ですから、お願いします」
片山は必死に頼み込んできたが、
「悪いが、他に用事があるんで……」 と仕方なく断った。
「この通りです」
「頭を上げてくれ」
「お願いします。何でもしますから」
「出るからいいよ。別に何も要求しないよ」
栗田は、あのとき断らなかったことを今でも悔やんでいる。そこで、
「失礼します」と彼に会釈して、その場を去ろうとする片山を呼び止めた。
「片山」
「はい、何ですか」
「怪我するんじゃないぞ」
「怪我するつもりなんかないですよ」
「そうだな」
栗田は、鼻で笑って教室に向かった。
「この年になって、宝生先生みたいな若くてきれいな女性からお誘いを受けるなんて光栄ですな」
長迫は、おしぼりで額を拭きながら言った。
「いえ、わざわざお時間頂いて、こちらこそお礼をいわなければなりません」
貴子の顔が真顔なのを見て、彼はすぐ用件に入ろうとした。
「で、何のご用でしたかね?」
「ずばりお伺いします。この間の公園での殺人事件。うちのクラスの生徒に聞いたんですけど、長迫先生はもしかしてうちのクラスの子が事件に関係しているとでも思ってるんですか?」
「関係してるというか、また事件に巻きこまれてないか確認したかっただけです」
「原田さんの事ですよね」
「彼女が目撃した二年前の事件の被害者の弟が、同じ場所で殺害された。弟は、この辺の不良達を率いていた。原田さんにもつきまとっていたという噂です」
「まるで、彼女を中心に事件が起きたとでも、おっしゃってるみたいですけど」
「中心とまでは言いませんが、彼女が二年前あの場所にいたことが、今回の事件の一因になっている可能性は否定できません」
貴子は、さっきから口をつけていないコーヒーをかき混ぜ、
「二年前、彼女は本当は何を見たんでしょうか?」と聞いた。
「思い出せればいいんですが」
「でもそれが彼女自身が思い出したくないことだから、記憶が消えたんじゃないですか」
長迫は、驚いたように貴子の顔を見つめると、
「と言うことは彼女は、原田さんはそのとき見たくないことを見たということでしょうか?」
と逆に聞いた。
「そんな。元刑事さんに驚かれるような意見じゃないです。素人の思いつきで言っただけです」
長迫は、それを聞くと少し安心した。
「彼女が、もし何も見ていないならそれに越したことはない。心に傷を受けるとやっかいですから」
「でも、もし彼女が犯人を見たなら、犯人から狙われないでしょうか?」
「犯人の立場からすると微妙なところでしょうね。彼女を狙って逆に自分の身が危険にさらされるかもしれませんから。二年間も何もなかったのは、犯人は自分が彼女に見られてないと思っているか、見られても自分を特定できるほどの脅威とはみなしていない証拠じゃないでしょうか」
「さすがは元刑事ですね」
「いや、ただの警官ですよ」
長迫はそう言ったものの、原田羊子が事件の真犯人からつけ狙われている可能性を否定できないと気付いた。
……真犯人が口封じのため彼女を狙う? 金田辰也がもし口封じのため消されたのなら絶対ないとはいいきれない……。
「でも、もし原田さんが記憶を取り戻した場合、本当に大丈夫でしょうか? あまり考えたくないですけれど、そのことで口封じとかされたりしたら」
長迫は、心配する貴子を安心させるように、
「犯人はもうどこか遠くへ逃亡してる可能性が高いですし、二年も経ってから思い出した証言がどれだけ法的に有効かはっきりしないでしょう。それに……」
「それに?」
「栗田君が彼女のこと守ろうとしてますから」
「そう、栗田君が……」
「アリが怪我したって本当か?」
塩川はニットに訊ねたが、何故かそっけない。
「ええ」
「何でもっと早く教えてくれないんだよ」
塩川はニットを非難したが、ニットは動じない。
「何でって……」
「で、どこの病院なんだ」
「中央」
ニットはそっけなく答えた。
「中央か。これから行くけど、ニットはどうする?」
「俺もう行きましたから」
「そう。じゃあこれからエンドーやアイ達と行って来る」
バイクで走り去る巨体の後ろ姿を見ながら、ニットは思った。猿芝居にはだまされないぞ。全部知ってるくせに。俺たちがやったことは黙ってろとアリに対して脅しをかけに行くんだろう。そう、早速マッドに連絡しなくちゃ。俺の役目はスパイなんだからな。
「ありがとう。わかった。アリに伝えておく」
マッドはニットからの携帯を切ると、周りにいる仲間に目配せした。ブラックファルコンのメンバーはすでに作戦内容を把握していたので、愉快そうに頷いた。
塩川は、遠藤と相原を連れて有田の病室を訪れた。
「階段から転げ落ちたんだって。注意しろよ」
相原は彼を励まそうと明るく言ったが、有田の様子はどこかおかしい。身体だけでなく心まで痛めたのか。
「おい、アリ。どうした。何か隠していることでもあるのか?」
と、親分肌の塩川は遠慮なく訊ねた。
有田は涙ぐみ横を向いた。
「おい、アリ」
遠藤にとっても、有田のことは気がかりだ。
「すいません。だけど、言いたくない」
「言いたくないって? 何があったんだ」
塩川の言葉でさらに涙の量が増える。
「階段から落ちたんじゃなく、落とされたんです」
「えっ? 誰がやったんだ? マッド達なのか?」
「マッド達ならあきらめもつきます。だけど……」
「だけど何なんだ?」
「トクジにやられたなんて、自分でも信じられない」
見舞いに来た三人はあおざめた。
「まさか、トクジが……」
病院からの帰りに、遠藤は塩川に確かめた。
「リーダー、ニットの様子もおかしいって本当なのか?」
「どうしてそれを?」
「やっぱりそうなのか」
二人とも、ただならぬ事態が起きようとしていることを、予感せざるを得なかった。
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