第9話 私に写真週刊誌?
「いけない、遅刻、遅刻」
目を開くと同時に、早紀はそう叫んで、ベッドから飛び降りた。眠い目をこすりながら、大急ぎで仕度した。
化粧の最中にチャイムが鳴った。
「時田です」
「は~い。ちょっと待って。もうすぐだから」
結局、時田はドアの外で三十分待たされた。
車の中で、早紀は、携帯で忍とおしゃべりを続けている。
「昨日、眠れた?」
「うん、ぐっすり」
「いいなあ、今も眠くて、眠くて」
彼女は、あくびをこらえるのに必死だ。
空港に着いてからも、歩きながら携帯で話を続けた。大きめのサングラスだけの変装だが、彼女と気付く人はいなかった。
「えっ、もうそんなに人いるの?」
先着の忍の言葉に驚いた。
「早紀も早く来てよ。場所ふさがっちゃうわよ」
「忍と違って車で来たから。第一国際ターミナルね」
「マスコミの人もいるみたい。インタビューされてる人いるし。早紀がインタビューされるのまずいよね」
「大丈夫。変装完璧だし。それに警備員さんいるから」
「付き人の人? スターは違うよね」
「スターが、追っかけなんかするわけないじゃない」
「そうね」
早紀が、空港ロビーのエントランス付近に着いた時には、すでに百名ほどのファンが台北から来る俳優を待ちわびていた。
忍はすぐに見つかったので、早紀は両手を前に突きだして、掌を振って近付いた。
「ごめん、遅くなって」
「大丈夫。予定より時間早めだから」
忍は、早紀の後ろに控える時田の方を見た。
「こちら付き人の時田さん」
早紀は紹介した。
「初めまして」
忍は遠慮がちに挨拶した。 時田は軽く会釈した。「どうも」
「こちら友達の真壁忍さん」
「よろしくおねがいします」
時田は、深々と頭を下げた。
忍は、何故かそれから口数が少なくなった。早紀はそれに気付かず、一方的に忍に話しかけるのだった。
「それで山嵐さんが視聴者の方に謝るから、まるで私が悪いみたいじゃない。でもヤラセなしの実力だから、どうしようもないでしょ」
忍は、どこか上の空で彼女の話を聞いていた。
「テクノロジー問題なんて普通わかりっこないでしょ。それがあの消防士さん、答えちゃうんだから。これではもう優勝するのは無理とあきらめてたんだけど、次の問題がすごくラッキーだったの」
忍は、ぼうっとしたようにロビーの床を見ている。時田は、二人の後ろで控えている。
「世界で一番高いビルはどこの都市にあるかなんて、全然しらなかったから、思わず台北って答えたら当たってしまって。それで最後の問題なんか、牛飼いのおじいさんと目が合って……優勝賞金二千三百万なんて言われてもね」
忍は、はっとして早紀の顔を見た。
「えっ、優勝賞金って? もしかしてクイズ番組なんかに出たの?」
早紀は、人の話しを聞かない忍を叩いた。
「だから、さっきからずっと話してるじゃないの。QアンドAで優勝したって」
「優勝?」
忍は、驚いて両手で口を隠した。
「そう、優勝してしまいました」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないってば。警備員さんに聞いてみてよ」
会話が自分に振られた時田は、正直に答えた。
「はい、仁科さんのおっしゃるとおりです」
「三百万円って本当にもらえるの?」
忍は、自分が宝くじにでも当たったような雰囲気で、早紀に確認した。
「三百万じゃなくて二千三百万。全問正解特別賞ももらえるんだから」
「二千三百万円!」
忍は、まるで自分がもらったように喜んだ。
「聞いてたの? 二千三百万は辞退したってさっき言ったでしょ」
「辞退って、どうして?」
忍が大声でそう叫んだので、近くにいたご婦人達も彼女の方を見た。
「そんな大きな声で聞かないでよ。私だって本当は欲しいわよ。でもプロデューサーさんが土下座してまで謝ってるから、辞退するしかなかったのよ」
「それって、おかしくない?」
忍は、自分のことのように無気になって早紀を批判した。
「どんな事情があろうと、番組の決まりならばそれを破るのはおかしいわよ。これが早紀じゃなくて、素人の方だったら辞退しないでしょ。どこか自分は特別だと思っているから、そんなことするのよ」
これには早紀も反論した。
「特別だなんて思ってないわ。でも、ドラマの宣伝のために出させてもらって、賞金頂いて帰るなんて、あまりにずうずうしいでしょ」
近くにいたご婦人達は、ひそひそ話を始めた。
「ひょっとして芸能人?」
時田は、周囲の視線が彼女達に向けられているのに気付き、注意を促した。
「まあまあ、二人ともおさえてください」
そんな時田の思いも、熱くなった二人の耳には届かなかった。
「でも、一般の視聴者からしてみれば、やっぱりヤラセだってことになるじゃない」
「どこがヤラセなの? 問題も解答も全然教えてもらってなかったのに」
近くにいた主婦の一人が、
「あの大きい方のサングラス、どこかで見たことない?」
と、同行したOLに聞いた。
「私も見たことある。たまにドラマとか出てる……何と言ったっけ、あっ、そうそう、西村みさき」
「そういう意味で言ってるんじゃないの。業界の事情で出演したとか関係なくて、誰が出演しようとクイズ番組はルールに則って賞金を払うべきなんじゃないの、と私は言いたいの。あいつには顔が利くから払わなくていいとか、例外を設けるのは、やっぱりヤラセよ」
忍はすっかり興奮している。
「そんなこと言ったって、私の立場に立ってみてよ。番宣ついでに賞金独り占めよ」
その場でこのありさまを見ていた週刊誌のカメラマンは、早紀の存在に気付いた。
こうした会話で待ち時間を潰しながらも、周りは人でごった返してきた。
そして、いよいよ海外進出の野心を胸に秘めた二枚目俳優、サム何の登場となった。
大歓声が上がり、警備員達がサムに近付こうとするファンをくい止める。
「独り占めしなくても、私に奢ってくれたっていいじゃない……え? サム、サム!」
忍の様子を見てようやくサムの登場に気付いた早紀も、他のファンと同様に彼に近付こうとした。
そして、サムが笑顔を振りまき彼女の近くに来たとき、サングラスを外して時田に手渡した。
サムは、ファンの中に比較的若くて長身の女が、顔の前でハートを作って自分を覗き込んでいるのに気付いた。ハートの向こうにある顔はにこにこしている。携帯で撮影するファンが大多数なのに、少々変わったファンもいるものだと思ったが、笑顔で会釈をしておいた。
先ほどのカメラマンは、シャッターチャンスを逃さなかった。撮られた本人は、撮影されたのはサム何であって、自分も一緒に撮影されているとは夢にも思わなかった。
その夜十一時すぎ、早紀が部屋のPCでサム何の公式ホームページを見ていると、チャイムが鳴った。
「こんな時間に……また」
彼女は本能的に出るのはまずいと感じた。今までのピンポンダッシュは比較的早い時間だったため、相手は逃げて行ったが、今出るとこのまま部屋の中へ入ってこられる心配がある。そこでしばらく様子を見ると、
「早紀ちゃん、私」という玉井の声がする。
「どうしたの? こんな時間に。来るなら来るって連絡くらい入れてよ」
早紀がドアを開けると、息を切らした玉井が、
「ごめんなさい。慌てていたもので、つい。これ、久津川さんから。明日の分ようやく出来たって」
といって、台本を早紀に渡した。
「えっ、今頃? もう寝ようと思っていたのに」
「明日の朝渡されるよりいいでしょ。久津川さんこの数日まともに寝てないそうよ。いいところまでいったかと思うと赤松さんから連絡が入って、また変更してくれっていわれたりして大変どころの騒ぎじゃなかったって。それでは私もう帰ります」
「は~い」
玉井が帰ると、早紀は面倒くさそうに台本を開いた。
職員室。自分の席で考え込む様子の長迫。そこへ校長が歩いて来て、声をかける。
校長「長迫先生。まだあの事件のことをお考えですか?」
長迫「いえ、校長先生。私も教師になってもう二十年以上経ってますから、自分でどうにかしようなんて思っていません。ただ……」
「ただ、何でしょうか?」
「ただ、うちの生徒達に影響がないように、少しでも早く事件が解決するよう、少ない知恵を絞っているんです」
「うちの生徒? 長迫先生。先生は我が校の生徒を疑ってらっしゃるのですか?」
「いえ、私は生徒に向けられた疑惑を晴らそうとしているだけです」
回想シーン。錦城公園の西側の家の玄関。
長迫「すいませ~ん。どなたかいらっしゃらないでしょうか?」
住人「はい、どちら様で?」
長迫「この間公園で起きた事件のことで、少々お伺いしたいことがあるんですが」
住人「警察の方ですか?」
長迫「昔はそうでしたが、今は教師を勤めさせてもらっております」
住人「学校の先生がどうしてまた」
長迫「実は当校の生徒が、その時刻にこの付近にいた可能性があって。私としてはその生徒の無実を証明したくて、事件の詳しい情報を集めているんですが」
住人「それで、何をお知りになりたいんですか?」
長迫「この付近の方で、警察に通報された方を捜しているんですが」
住人「ああそれなら私ですが」
長迫「悲鳴の他に、言い争ってる声など聞いていませんでしょうか?」
住人「そう言われるとはっきりしないけど、覚えているのは男の悲鳴がしたので、怖くなって警察に電話したことくらいです」
長迫「悲鳴を聞かれてから、すぐに警察に通報されたましたか?」
住人「そうです。早く来て欲しかったからね」
長迫「それが三時六分」
住人「そのくらいだったかと思います」
職員室
校長「先生、先生」
長迫「ああ、すいません。つい」
「随分、お疲れみたいですな」
「お恥ずかしい次第です」
倉庫のシャッターが閉められる。中には怯えきったホワイトマフィアのメンバー、アリこと有田貴文。
マッドの部下「マッド、こいつどうする?」
マッド「ただ痛めつけても面白くないし、このまま帰すわけにもいかないし、この場で殺すと後が面倒だし」
アリ「頼むから見逃してくれ。もう塩川のところには戻らないから」
部下「だとよ」
マッド「いや、戻ってくれた方がいろいろと都合がいい」
部下「え? ああ。そういうことね。だが、マッド。こいつ戻ったとたん俺たち裏切るぞ」
マッド「裏切る? そんなことできねえよな。車ん中見な」
倉庫の片隅には高級外車。運転席にはパンチパーマにサングラスの中年男。
アリ「?」
マッド「銀龍会の羽佐間さんだ」
怯えるアリ。
マッド「これが俺たちブラックファルコンのやり方だ。あっはは」
翌日以降の撮影は、新しい台本に変わったが、遅れを取り戻すために急ピッチで進められた。早紀も何度かNGを出したが、無事長文を読み終え、スケジュールは順調に思われた。しかし、それから三日後。
「おはようございま~す」
彼女がいつものように撮影スタジオに入ると、どこか様子が変だ。スタッフ達の怪訝な視線にさらされた。
すぐに、男性スタッフの一人が彼女を呼び止めた。
「仁科さん。これ見ました?」
「えっ? 何?」
そのスタッフは、彼女に写真週刊誌を見せた。
「今日発売分なんですけど、関係者から先に入手しました」
彼が開いたページに、自分の写真が載っているのを見て、彼女は驚いた。
「何、これ? 疑惑の賞金女王 台湾スターの追っかけにQ&え~? ミッチー。これ知ってた?」
玉井も、早紀同様に驚いている。
「早紀ちゃん、私に黙って空港に行ったの? でも疑惑って?」
わざわざページを見開いて彼女達に見せたのに、タイトルしか読まないので、そのスタッフは記事の内容を説明した。
「二年近くにわたり素人しか参加してこなかった番組に、いきなり芸能人チームが出演した上に、番組始まって以来の全問正解という快挙を遂げたことは、業界通でなくても何かあるのではと勘ぐりたくもなる。
果たして彼女は賞金を本当に受け取るのか? それとも芸能人である自分が大金を手にするのは、一般の参加者に申し訳ないと言って辞退するシナリオが、最初から用意されているのでは、と疑問の声が上がっている。
マスコミが集まることがわかっている場所で変装もしないでおかしなポーズを取ったり、この間のブログ騒動といい、低視聴率ドラマの出演者も楽ではなさそうである」
スタッフの話を聞いて、早紀は怒った。
「どうしてそんなふうにとるの? 意地悪」
「僕が言ったんではなく、この雑誌の記者がそう書いてるんです」
「まるで、私やまどかちゃんが、番組の視聴率を上げるために、目立とうとしてるみたいじゃないの」
「そうとらえる人もいるってことです。現にQ&Aに出ていただいたのは、うちの番組のためですから」
「でもどうしたらいいのよ?」
「僕に言われても……」
玉井が、長年の経験から状況判断した。
「この調子だと、賞金受け取ることになるかも知れないわね」
「えっ? どうして?」
「早紀ちゃんが受け取らないと、世間はQ&Aとバニラカフェが組んで、最初から払うつもりのない賞金で番組を盛り上げたと思うかもしれないってこと。つまりヤラセ番組だって。Q&AだけじゃなくてJBC放送、いやTV業界全体の信用にかかわってくるかも」
「私の信用も?」
「そう、早紀ちゃんの信用も」
スタッフも追い討ちをかけるように、
「実は、まどかちゃんのブログ騒動があって、この間の放送、数字上がったんです。10%超えてたから、世間が疑うのも無理ないかもしれません」
「そんな。私はずるしないで優勝しました」
「ですから、それならば賞金を受け取るはずだと、普通の人は考えるのではないでしょうか」
「スタッフさんの言ってること正論だと思うわ。でも、どうすればいいのかしらね?」
そう玉井も同意したが、いい対策が思い付かない。
「プロデューサーに聞いてみたらどうですか?」 とスタッフが提案すると、
「それは遠慮しておきます」
と玉井は言ったが、早紀はすぐに赤松のところへ行って、声をかけた。
「あのプロデューサー」
「……少子高齢化とネットの普及で出版業界も大変なんだ。これから市場は小さくなる一方だろう? 我々TV業界だって人ごとじゃない。仮に一億の予算をかけたところで、視聴者が一人もいなければスポンサーさんだって降りるよ。ところで、何の話だったっけ? そうそう、写真週刊誌だ。写真週刊誌だって例外じゃない。仮に大スクープ写真を撮ったとしても、一人の読者もいなければ売上ゼロだろう? コンビニとかの立ち読みはどうかって? それも売上にはつながらないんじゃないかな……」
赤松は、スタッフの一人に熱心に説明していたが、相手は迷惑そうだった。
そこへ早紀が割り込む。
「あの、プロデューサー。おはようございます。その写真週刊誌の件でお話があるんですけど」
「あっ、仁科さん。お早うございます。今日は撮影ですか?」
「はい。写真週刊誌に私の写真が載ってしまってご迷惑をおかけしました。大変申し訳ございませんでした」
「え~っ!」
「プロデューサー、すでにご存じでは?」
隣で相手をしていたスタッフが、
「さきほど詳しく説明したんですけどね」
と言うと、早紀はスタッフの苦労を理解した。
その日の撮影が終わり、スタジオを出て帰ろうとすると、早紀は異変に気付いた。
TV局やスポーツ新聞、雑誌の取材陣が大群のように、彼女を待ちかまえていたからだ。撮影中は暇つぶしに専念している時田は、このときとばかりに彼女をガードした。
「すいません。仁科さん。解答が最初からわかっていたという噂は本当ですか?」
有名リポーターから彼女にマイクが向けられた。
「どいてください。あぶないから」
時田は取材陣を近づけまいとするが、相手は多人数で、しかも相当しつこい。
玉井は早紀のすぐ側で、顔を隠すように歩いている。
「仁科さん。サムさんとはどういうご関係ですか?」
「ただのファンです」
「危ないからそこどいて」
時田が注意したが、 そんなことで引き下がるような連中ではない。
「賞金はどうされるつもりですか?」
「えっ? どうって?」
「いい加減にしてくれないか」
時田は、取材陣を怒鳴りつけた。
「誰なんだ。あんたは?」
と、リポーターの一人が、時田に文句を言った。
「誰でもいいだろう」
「警備員さん。喧嘩しないで」
早紀は心配した。
「記者会見を開かれるおつもりは?」
「全く考えてません」
「ファンの方に一言」
「いつも応援してくれてありがとうございます」
「ファンの方に悪いとは思いませんか?」
その質問で、時田の怒りが爆発した。
「あなたがたは自分のしていることが恥ずかしくないんですか?」
取材陣と早紀は、そう叫んだ時田を見上げた。
「こちらだって仕事で来てるんだから、そういう言い方はないでしょう」
「それならこんなやり方じゃなくて、正式に事務所を通していただけますか」
「こんなやり方といわれても、これが長年続いてきたんだから。仁科さん、この付き人さん、わかってないね」
「彼の言うことももっともだと思います。みなさん、今日のところはお引き取りください」
と、早紀は時田を弁護した。
リポーター陣はなおも食い下がる。それでも、車が停めてあるところまでもう少しだ。
「二千三百万円の使い道は? どうされるおつもりですか?」
「まだ考えてません……危ない」
早紀が転びそうになったのを、時田が支えた。
「クイズ番組に出られたのはドラマの宣伝のためだったんですか?」
「私の口から申し上げることではないです」
時田は車の後部座席のドアを開けて、彼女を乗せると自分も隣に乗り込んで、ドアを閉めた。運転席の玉井はエンジンをかけたが、リポーター陣は車のガラス越しに早紀に話しかけてくる。
「世間から疑惑の賞金女王と呼ばれることを、どう思われますか?」
取材陣を跳ねない様に、車は慎重に発進した。
早紀は無表情のままだ。取材陣から離れると、時田は、彼女が泣いているのに気付いた。
「あの人達も仕事でやってますので、あまりお気になさらない方がいいですよ」
時田の言葉で、涙の量が余計に増えてしまった。
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