第7話 私に遊園地?

 八月のうだるような猛暑も、赤松にはあまり影響しないようだ。

 撮影待ちの出演者をつかまえては、あれこれ意見を言う。

「カッコいいぜ。林君。やっぱあの台詞入れて正解だったな。昨日の事なんか覚えちゃいないぜ。俺達には今日という日しかないんだ。でもせっかくのこの名台詞も、TPOに合わせないとニュアンスがおかしくなってくる」

 林は心の中では、

「あんたはいつもニュアンスがおかしいぜ」と思ったが、プロデューサーのご機嫌を取ることを選択し、

「それなら新しい決めぜりふ考えましょう」と提案した。

「いいことを言うね。『女の子泣かせるぐらいだったら、死んだ方がましだぜ』なんてどう?」

 林は、まともにこの台詞が気に入った。

「いいですね。それ。使いましょう」

 こうして林は、自分に都合のいいようにシナリオに影響を与える代償として、赤松の話を延々と聞くはめになった。


 そのとき、早紀は福島と携帯で話していた。

「私の新しい付き人で、警備員さんじゃなくて時田さんて人も一緒なの。これでも一応私も人気稼業だからファンの方達に囲まれたら困るでしょう。それでね、……え~? 亘さんも? 開発部長さんも一緒ですか。はい。お互いさまですね」

 早紀は電話を切ると、時田のところへ行った。

「警備員さん。遊園地の件、福島さんも付き人の方とご一緒なの。これでお互い様ってとこね」

「それで、どこの遊園地に決まりましたか?」

「それがね……ディズニーランドとかUSJとかじゃなくて、荒玉遊園だって」

「?」

 時田には聞き覚えのない名前だ。

「福島さんの会社で、そこの遊園地の買収考えてるみたいなの。それで見に行きついでに、私も一緒にってことらしいの」

「わかりました」

 時田は頷いた。


 その日の撮影が終わった。帰りの車内では、玉井が面白がって荒玉遊園の話をしていた。

「そこねえ、昔一度だけ行ったことがあるの。でもまだ営業してたとは思わなかった。あの老朽化した施設じゃお客さんこないでしょう。当然赤字続きよね」

「福島さんて方、そんなところ買収して大丈夫なんでしょうか?」

 時田が、自分から話に加わった。

「結構やり手の方みたいだから、大丈夫なんじゃない。会った感じじゃそんな風に見えないけど。どこかにセールスポイントがあるのを、見つけたんじゃないかな」

「一体何があるの?」

 早紀にはその点が気になる。

「え~と、観覧車でしょう。それにメリーゴーラウンド。後は……後は行ってのお楽しみ」

「そんなところなの? 警備員さんまでそんなところに行くなんて」

「自分は仕事で行くんですから、お気を使わなくて結構です」

「そうよ、早紀ちゃん。時田さんはお仕事ですから。でも福島さんもそこにお仕事で行くみたいね。でも時田さんがいてくれれば安心でしょ」

「そう警備員さんが来てくれてから、何も起こらないの。やっぱり凄いのね」

 早紀はそう感心したが、玉井は、

「それって時田さん要らないってことじゃない?」と指摘した。

「そんなことないわ。また何か起こらないとも限らないし」

「でも何も起きなければ時田さんも暇で仕方がないわね。私の仕事少し手伝って欲しいわ」

 時田が気を遣って、

「あの、運転代わりましょうか?」と言うと、玉井は断った。

「ありがとうございます。でも会社の車だから、やっぱり自分で運転します。社長に何言われるかわからないから」

 

 しかし、八月八日の午後、都内にある荒玉遊園に早紀を送っていったのは、時田の運転する車だった。がら空きの駐車場に車を駐めると、二人は割高な入場料を払い、中に入った。

 荒玉遊園は、玉井の言葉通りの小規模な遊園地で、ペンキの塗りなおしが目立つ年季の入った遊具を見ていると、昭和の遊園地を偲ぶテーマパークのようだった。

 平日のその日は、特に閑散としていた。


 約束通り売店前のオープンテラスで、福島とその部下は待っていた。

 カバを思わせる大きな顔が、顔に見合う大きな身体に乗っている開発部長の園部は、福島と同年代と思われ、早紀と時田を見つけると、すぐに立ち上がって挨拶した。

 手ぶらの福島と対照的に園部は大きな鞄を抱え、晴天の下スーツ姿が暑苦しかった。


 互いの紹介が終わると四人は、その場でドリンクを飲むことにした。当然、園部が売店まで買いに行くのだが、時田も手伝おうとした。

「彼に買いにやらせますから、警備員さんはいいです」

 といって、福島は時田を止めた。

 警備員であることを知られているのを驚いた時田は、早紀のほうを見た。

「えっ、私? 私時田さんが警備員だなんて一言も言ってないけど」

 福島は一瞬笑った。

「そう一言もね」


 園部が、アイスドリンクを冷たいうちに届けようと走って戻ってくると、時田は立ち上がり手伝おうとする。

「あっ、いいです。私がやりますから」

 と、園部は丁重に断った。

 早速、早紀は福島に疑問をぶつけた。

「本当にこの遊園地、買収するの?」

「君にその質問をされるとはな。まだ提案を受けただけのところなんだ。検討に入る前に現場を見ておこうと思って。でも、彼と二人だけだとむさ苦しいんで、君を誘ったんだ」

 園部は、神妙な面持ちで会話を聞いている。

「それにしても空いているね。このまま買収してもお荷物かな。まあ、仕事の話は抜きにして、乗り物にでも乗ろう。といっても……」

 福島は園内を見回し、

「観覧車があるから行こう」

 といって、早紀を連れて観覧車の方へ向かった。

 残りの男二名も、後をついていく。


「あの、会長。まず、チケットを買わないと」

 園部が、売店の近くにあるチケット売り場を指し示した。

「あっ、そうだね。園部君、四人分買ってきて」

 それを聞いて時田は辞退した。

「自分は仕事で来ていますので結構です」

 園部も「私も開発担当として来ていますので」と断って、二人分のチケットを購入しに向かった。


「でも福島さんが、ここ買収したら、タダで好きなだけ乗れるのね」

 早紀がそう言うと、

「そしたら、早紀ちゃん、毎日好きなだけ乗っていいよ」

 と福島は答えた。

 彼女は嬉しそうな顔をしたが、よく考えるとそれほど嬉しくないことに気付いた。


 早紀と福島が、観覧車のプラットホームに入っていき、残りの二名は近くで待機することになった。

 福島が係員に二人分のチケットを渡し、

「あの開放型で」というと、相手は「足ブラタイプが来るまで、お待ちください」とマニュアルどおりに答えた。


 荒玉遊園の観覧車は、径五十メートル、ゴンドラ数二十八の小規模なものだったが、そのうち二つのゴンドラだけは、スキー場のリフトのような二名乗りオープンタイプの「足ブラ」と呼ばれるものだ。

 残りは上部ガラス張り下部金属を塗装した、四名乗りのどこにでもあるゴンドラだったが、塗装の色をそれぞれ変えて、特徴を出そうとしていた。

しかし、二人の他に乗客がいないのを見ると効果はあまりないようだ。それは観覧車に限っての問題ではなかったが。

 足ブラタイプが下まで来ると、二人は隣り合わせに腰掛け、シートベルトを閉めた。その時、福島は腕時計で時間を見た。


「うわ~気持ちいい」

 乗ってすぐに早紀は笑顔で喜んだが、普段からそんな顔をしているので、 福島は自分の感想を冷静に言った。

「これでも最新式遊園地並みの五百円とるんだかな。そのくらいとらないと割りに合わないから仕方ないけど。搭乗係のほかに運転手もいるはずで、お客さんはぼくら二名。おそらくこれはまだましなほうで、誰も乗っていないのに、回ってるときのほうが多いんじゃないかな」

「仕事の話は抜きって言ったじゃない」

「ごめん。そうだった。じゃあ、早紀ちゃんの好きな話をしようか」

「私の好きな話?」

「理想の恋愛とか?」

「そうねえ。私が傷つき苦しんでいるところに白馬の王子様みたいな人が現れないかななんて」

「ふふ」

「何がおかしいの?」

「いや、早紀ちゃんらしいなと思って」

「それでその王子様みたいな人が、私をずっと幸せにしてくれるの」

「ふ」

「また、笑った」

「早紀ちゃんには悪いけど、白馬の王子様はいないんだ」

「えっ?」

 早紀は笑うのを止めて、福島の横顔を見た。


「本当は早紀ちゃんも心の底でそれが単なる幻想だとわかっていると思う。白馬の王子様という幻想を抱くことで自分を慰め、それにすがることで安心感を得ようとしている」

「ひどーい。どうしてそんなこと言うの? 人の夢壊さないでよ」

「早紀ちゃんも子供の頃にはサンタクロースを信じていたと思う。おそらくサンタクロースが作り話だと知った時も、今と同じような反応をしたんじゃないかな」

「覚えてないけど、そうかもしれない」

「人は幻想が幻想だと悟った時、傷つき落胆する。それにすがる程度が大きいほど激しく打ちのめされる。幻想の対象に怒りを感じるかもしれない。でもそうしていくことで真実に目覚めていくんだ」

「真実……」

「サンタクロースや白馬の王子様みたいなものだけじゃない。過去の思い出、希望の未来、特定の信念、何とか主義、偏見、差別、理想、夢。そういったものはみんな幻想なんだ。いや、我々が現実だと思っているものも幻想を通して見ているので真実からかけ離れている。そしていつかはその幻想が破れ悲しむことになる」

「でも、夢のない生活って味気なくつまんないじゃない?」

 真顔で早紀は聞いた。

「夢を見続けている限り真実に目覚めることはない……ごめん、こんなところでする話じゃなかったね」

「いえ、いいの」

 早紀は、押し黙ったまま福島の言った意味を考えた。でもよくわからなかった。


 やがて二人の乗ったゴンドラは、頂上を超えて下がり始めた。

 足ブラタイプは下がよく見える。視力のいい早紀は、待機中の時田の姿を認識した。

「お~い。警備員さ~ん」

 隣で大声を出されて、福島は驚いた。

「目がいいんだね」

「毎日ベランダから遠くを見ているから。台本読んでいる間の休憩だけど」

「服装からして時田氏だな。あれ、園部どこに行ったんだ?」

 と、福島もやや近眼の目を凝らした。

 下から四十五度の位置にくると、早紀は両手の指でハートマークを作り目の前に持ってくると、時田の姿をハートの中に入れた。時田は意味不明といった感じで見上げている。


「警備員さん、困ってるじゃないか」

 福島がそう言っても、彼女は同じポーズを続けている。

 下に着いてゴンドラから降りると、福島は腕時計を見て言った。

「乗っていたのは二十分間。かなり低速なタイプだ」

「えっ、それだけ? もっと長く感じた」


 観覧車コーナーから出た後、早紀に催促されメリーゴーラウンドに乗りながら、福島はこの遊園地の問題点と改善案を考えた。

 その後、福島とその部下は管理事務所へ挨拶へ行くと言って、時田と早紀を残した。残った二人は、売店前のテーブル席でLサイズドリンクを飲んでいた。

 そうしている時…… 。


 二人から五メートルほど離れた先にある案内板の陰から、帽子を目深に被りサングラスをかけた人物が、顔を出して二人のほうを覗き込んでいる。

 しかし、二人は話に夢中でその人物に気付かない。

 そいつは案内板から出ると、ゆっくりと二人に近付いてきた。

 身長は一六〇センチ台、帽子を深くかぶっているが長髪は隠せない。メッシュ入りとはいえ、この暑さの中、青色のジャンパーは目的があってのことか。


 最初に気付いたのは、時田のほうだ。

「僕たちに何か用か? おい、待て」

 時田の声で、相手は案内板の陰に姿を消した。時田はすぐにそいつを追いかけた。早紀も一瞬だけそいつを見たが、状況が把握できない。

「えっ、待って、どうしたの?」

「不審な男がこちらを見ていたんです」

 と、走りながら時田が答えた。

「えっ、もしかしてストーカー?」

 早紀は、怖がってその場で立ち上がった。


 案内板の裏にはすでに人の姿はなかった。時田に追われることを予め想定していたのか、その人物は巧みに彼を巻いたようだ。

 早紀は一人になるのが怖いので、時田のほうに近付いた。

「まだ遠くに逃げてないはずです。さがしましょう」

 そう言った時田の熱意を感じたのか、早紀は本当は怖いくせに合理的な考えを提案した。

「こうなったら別々に探しましょう」

 彼女の提案で二手に分かれた。

 客の姿も少ないので、すぐに見つかると踏んでいた早紀だったが、相手は見つからない。

「そうだわ。変装してるかもしれない。いや、変装を解いて普段の姿になっているわ」

 自分もよく帽子とサングラスで外を歩く早紀は、相手の行動を推測した。


 視力2・0の彼女は、ついにそれらしい人物を発見した。相手は黄色のTシャツ姿で帽子もサングラスも身につけておらず、体型の一致以外は共通点はなかったが想定内だ。

 遠かったので顔ははっきり見えないが、長髪の若い男のようだ。堂々と観覧車のプラットホームに立っている。相手が犯人だという確信がないので走らずに近付いていくと、男はピンク色のゴンドラに乗った。中で腰を下ろしたが窓から見えるのは後ろ姿だった。

 観覧車が一周するのに二十分ほどかかるので、その間に犯人の姿を早紀よりも良く見たはずの時田を呼びにいくことにした。もちろん、一人で相手を問いつめるのは危険だからでもある。


「警備員さ~ん」

 早紀が呼びながら時田を捜していると、遊園地の本物の警備員が近付いてきたので、

「いえ、すいません。何でもないです」と顔を赤らめて謝罪した。

「時田さ~ん」


 数分で時田は見つかった。

「警備員さん、それらしい男が今観覧車に。でも変装解いてるから確信もてない」

 時田は考えた。

「相手が僕達を見て、逃げだそうとすれば、犯人だと言えるのでは」

「そうね。行きましょう」


 二人が観覧車コーナーに来ると、ピンクのゴンドラは頂上付近だった。

 二人は相手が出てきても気付かれないように、動物マスコットの陰から見張ることにした。

 相手は通りすがりの変質者なのか、それとも自分を予めつけ狙っていたストーカーなのか。もし後者なら何をしてくるかわからない。

 そう考えると早紀は怖くなった。

「もうあきらめて帰りましょう。何もされていないんだから」

 弱気になった彼女は、時田にそう言った。

「何を言っているんですか。せっかく探し出したんでしょう?」

「でも捕まえたら、かえって面倒なことになりそう」

「それなら、相手に気付かれないように写真だけでも撮りましょう。後で証拠として役に立つかもしれませんから」

 そしてピンクのゴンドラが下に降りてきた。しかし搭乗係は、ゴンドラの扉に手をかけず、通りすぎるままにしている。

「あれ、おかしいな」

「乗っていないみたいですね。仁科さん、見間違えたのでは?」

「そんなことない。相手が犯人かどうかわからないけど、確かにピンクのゴンドラに乗ったわ」

「ゴンドラの中から自分達が下を走り回っている姿を見て、それで係員に見つからないように扉のすぐ後ろで身体を縮めて隠れているのかもしれません」

「それならもう一周待ってみましょう」


 更に二十分待つ間に、福島と園部が戻ってきた。

「お二人はこんなところで何をしているのかな?」

 後ろから福島に声をかけられて、彼女はドキッとした。

「ああ、驚いた。さっきおかしな男がいて、私達のことじっと見てたの。その男かもしれない人が今観覧車に乗っているの。あのピンク色、今あのあたり」

 彼女は、該当するゴンドラを指さした。

「それは大変だ。それで被害はないんだね?」

「ないけど気味悪いから。相手の正体突き止めてあげる」

 時田が申しわけなさそうに、

「自分が気付いて追いかけたんですが取り逃がしまして面目ありません。何のためにここに来たのか」

 と言うと、早紀は彼を励まそうとする。

「でも、警備員さんが犯人を追いかけたから被害がなかったじゃないの」

「いずれにせよ被害がなかったなら問題ないな」と福島がまとめた。「それで、相手が降りてくるのを待ってるわけだ」

「それが……いないみたい」


 早紀が事情を説明すると、「僕が確認してくるよ」と福島は言って、ホームに入り、搭乗係に何か頼んだ。

 ピンクのゴンドラが降りてくると、搭乗係は扉を開けた。

 福島は中を覗き込むと、ホームから出てきた。

「忘れ物をしたかもしれないと言って中を見せてもらったけど、中には何もなかったよ」

「でも、確かに乗ったような……」

 早紀は自信がなくなった。

「犯人を捕らえようと、焦って何か勘違いしたんだよ」と福島が言うと「そうかしら…」と彼女は迷った。


 早紀は気味が悪いので、先に帰ることにした。

「そうだね、そんなことがあった後じゃ楽しめないね」と福島は理解を示した。

 彼女達が帰ると、彼は園部に言った。

「防犯面も改良の余地があるな。それに……」


 帰りの車の中で早紀は明らかに落ち込んでいた。時田は彼女が珍しく無口なのに気付いて、自分から話しかけた。

「すいませんでした。自分がいながら」

「いえ、その件はもういいの。何も失ったものはないから。ただ、あの怪しい男、たまたまあそこに居合わせただけかしら。そうじゃなくて最初から私のことを狙っていたかもしれないと思うと怖くなって」

「彼がピンポンダッシュをした人物かもしれないと言うことですか。もし、そうだとしたら相手の特徴をつかんだことになりますから、今回のことは大成功ですよ。相手の身元が判明したり、せめて写真でも撮れればもっとよかったですけど」

「そうね。そう言われてみると、かえって良かったわね」

 時田の言葉で、急に明るくなった。

「自分の見たところ相手は若くて小柄な男です。髪は長かったですけど、カツラの可能性がありますから」

「女性ということは?」

「近くで見たわけじゃありませんだけですから否定はできません。それにどこか女性っぽい顔立ちだったような……」

「今も車が尾けられてたりして?」

 早紀は後ろを振り返った。

「映画と違って、まず車で尾けられることはないです。こっちも気づきますし、信号待ちで離れてしまいますから。それに相手が以前から仁科さんのことをつけ狙ってる人物なら、どこに住んでいるか知っているわけですから、車を付けたりしないでしょう。怖がらせる目的でつけ回すことならあるかもしれませんが」


 時田は、話を盛り上げるつもりで言ったが、具体的な表現が彼女の想像力をかきたて、また落ち込んでしまった。

「すいません。気に障ることを言って」

「いいの。都合のいい幻想にすがって安心しても、結局後で悲しむだけだから」

「?」


 早紀はマンションに帰ると、五年前に出演したヒットドラマの主題曲のメロディーを口ずさみながら、掃除機をかけていた。そして部屋に戻ってから十五分後、チャイムが鳴った。


 警備員を雇って勇敢になったのか、その時すぐにドアを開けた。

 走り去る足音がした方を見ると、誰もいない。

 相手はエレベーターに向かったはずだ。彼女もそちらに向かうと、エレベーターの扉の閉じる気配がした。階数表示を見ると下に向かっていた。


 危険なので追うのはやめたが、恐怖よりも成功感がこみ上げてきた。

相手は昼の不審人物と同一人物なのか。帰ってきてから間もない時間の出来事ということは、彼女が帰るのを待ち伏せしていた、あるいは後を尾けてきたのだろう。

 しかし、部屋に戻り、ネットの芸能情報を見ると、そんな事件のことも吹き飛んだ。


        ☆☆ 芸能速報 ☆☆


 グラビアアイドル中井まどか。ブログでドラマの犯人だとばらす


「JBCテレビで先月より放送が始まっている学園ミステリードラマ『バニラカフェ』に出演中の人気アイドル中井まどか(一八)が、自身の公式ブログでドラマの犯人は自分だと告白した。ブログの内容はネタばらしを目的としたものではなく、犯人役の役作りでスタッフや先輩俳優達から貴重なアドバイスをいただいて感謝していると、撮影現場の様子をファンに伝えようとして、ついうっかりもらしてしまったようだ。

 問題の箇所は関係者が気付くのが早かったためか掲載後すぐに削除された。だが、ヒット件数の多い人気ブログのため噂はネット上ですぐに広まり、JBCテレビには問い合わせが殺到している。ドラマの内容は、まどか演じる女子高生が連続殺人事件に巻きこまれ、小林透(五一)演じる元警官の数学教師が事件を解決していくというものだが、完全オリジナル脚本で犯人探しを番組の売りにしていた。

 出演は他に糸井純(二六)、林守(二五)、酒井美鈴(一二)、お笑いコンビのマリファナクリニック等」


 早紀は期待してニュースを読んだものの、かえって落ち込んだ。

「私の名前がどこにも無いじゃない。死体役のマリクリまで出てるのに」


 その日はショックなことが重なり、ベランダで台本読みする気にもなれず、彼女は両手を首の後ろに組んでベッドに仰向けになった。天井のサム何が彼女を笑っているように見える。


「このまま日本の芸能界にいてもジリ貧のままね。もうマジに台北に渡ろうかな…テレビ局が多くてドラマの本数も多いし、ドラマもみんな長くて二十話以上ばかりだし。でも中国語話せないしギャラはどうなのかな」

 彼女が、うとうとしかけていたところに電話が入った。マネージャーの玉井からだった。


「大変。大変」

 玉井がここまで興奮するのは珍しい。でも早紀には理由が推測できたから、さほど驚かなかった。

「確かに大変ね。犯人ばれちゃったから」

「そうじゃなくて」

「犯人ばれたら大変でしょ?」

「それも大変だけど。もっと大変なこと」

「なあに?」

「早紀ちゃん。クイズ番組に出ることになったの」

「あっ、そう…え~? 私にクイズ番組?」

「ドラマの番宣も兼ねてるんだけど、急に決まって。おそらくブログの影響で抗議殺到してるから、イメージ回復ってことでしょうね」

「で、どんな問題出るの?」

「そんなことわかるわけないでしょ」

「でもああいう番組って大抵ヤラセで、台本通りに進めて時々アドリブ入れればいいんでしょう? で、優勝は誰に決まってるの?」

「ガチ(真剣勝負)でお願いしますって」

「ちょっと待って」

 まだ聞きたいことがあったのに、玉井は電話を切った。早紀は遊園地の件もピンポンダッシュ復活の件も、玉井に話すのを忘れていた。それどころではなくなったのだ。

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