第3話 私にストーカー?
「どうして職員室に呼び出されたのかわかっているでしょうね?」
「いいえ」
「そのぬけぬけとしらを切る態度がいけないのよ」
栗田は無表情のまま立っている。
「まあいいわ。どうせ自分は優秀だから、適当にやっていれば、簡単に卒業できると見込んでいるんでしょうけど。いくらテストでいい成績を取っても、出席日数が足らないと卒業できませんから」
「はい」
「もう、戻りなさい」
栗田、職員室を出る。
教師A「宝生先生、彼、株で相当稼いでいるって聞いてますか?」
「えっ、株って? 栗田君、成人かもしれないけど、一応まだ高校生でしょ?」
「それが、彼のお父さんが結構厳しい方で、留年が決まった時に、家を追い出されたそうですよ。追い出される時に手切れ金みたいな形で、証券会社にある父親名義の株式口座百万円近く譲ってもらったようで、それをネットで取引して、相当増やしたらしいです」
「相当って?」
「本当かどうかわかりませんが、サラリーマンの生涯収入くらいあるんじゃないかと」
「えっ、そんなに」
学年主任長迫弘が、会話を聞いて二人の方を見るが、すぐ関心がない振りをする。
「だから、仮に卒業できないにしても、彼自身は何も困らないと思っているんでしょう。それなのにこうして学校に来ること自体、まだどこかにやる気が残っている証拠じゃないでしょうか」
「そう、栗田君が……」
校長が職員室に入ってくる。長身のハンサムな青年も一緒だ。
校長「皆さんすいません。以前からお聞きだとは思いますが、こちら台湾から研修で来られたサムさん。半年間の間だけ、当校で教育実習をされます」
「?」
「サムさん。ご挨拶を」
「大家好。我叫何新奇。請多関照。ヨロシクオネガイシマス」
「そうですね。それでは担当は宝生先生にお願いしましょうか。サムさん、こちら」
「えっ、私?」
校長がサムを宝生のところへ連れてくる。宝生、何がなんだかわからない。
「こちら、宝生先生。こちらサムさん」
「初次見面」
見つめ合う二人。
宝生、言葉が出ない……これって夢かしら。
そう、夢だった。天井のポスターから、彼が微笑みかけている。
記憶に残ってはなかったが、早紀はベランダから戻ったようだ。というのも目が覚めたのはベッドの上だったからだ。まだ、意識ははっきりしない。頬をつねってみると感覚はある。
「夢だけど……初めて夢で遇えた」
彼女は喜んでベッドから転げ落ちた。
「早速、この喜びを忍に連絡しなきゃ」
「それがねえ、大ニュースなの」
携帯をかけると、相手は眠そうな声だった。
「何なの、朝っぱらから」
「初めてサムに遇えたの」
「頭、大丈夫?」
「それが夢なの」
「なんだ。それなら私もあるわよ」
「でも私は初めてだったから」
「風水でも始めたの? それともポスターを枕の下に敷いたとか」
良く考えてみると早紀には、一つだけ心当たりがあった。
「そうねえ、昨日車の中でマネージャーのミッチーと、サムとドラマで共演する話で盛り上がったからかな」
「それなら、心理学的にありえそう」
「もうこうなったら、これから毎日共演話で盛り上がるわ」
「へえ~。ところで今日撮影?」
「今日はオフ。撮影明日から。今本読んでるところだけど、台詞がくさくってイヤになっちゃう。プロデューサーがバニラな発想じゃだめだって言ってたけど、中身は全然ベタな学園モノ」
「でもそれ贅沢な悩みよ。私も女優さんのお仕事してみたいけど、全然話がこないから」
「そう……エキストラでもやってみる?」
「えっ、できるの?」
「私からスタッフの方に話しておくわ」
「えっ、嬉しい。ドラマの現場一度見てみたかった」
「ところで今日空いてる?」
「ええ」
「これから遊びに行っていい?」
「まだ早いわよ。今、朝の七時よ」
「えっ、そうなの?」
夏の暑さと日照時間の長さは、時間感覚を狂わせる。
早紀は壁時計を見た。
「本当だ。じゃあ十一時頃そちらに着くようにするわ」
「待ってま~す」
ベランダから中に戻ると、朝の歯磨きだ。彼女が入念に歯を磨いている時に、入り口のチャイムが鳴った。
こんな早い時間に誰が?
怪訝に思いながら、彼女は口に歯ブラシを挿したまま、ドアの覗き穴から向こうを見たが誰もいない。そこでドアをゆっくり開けて、パジャマのまま首を突きだして廊下の左右を見たが、やはり誰もいなかった。
彼女が入居しているマンションのセキュリティは充分でなかったが、今まで何の問題もなかったので、引っ越しは考えていなかった。そこそこ顔は知られていたが、ファンに追いかけられて困ったこともなく、有名人の割に比較的気ままな暮らしを続けてきた。
彼女はドアを閉めると、サムターンをしっかりと回し、チェーンをかけて、何事もなかったかのように冷蔵庫の中を漁った。
忍の自宅は、早紀の住むマンションから、公共交通機関を使って一時間ほどのところにある。資産家の両親は一時的に海外で暮らしているため、彼女は豪邸の主として、一人暮らしをしていた。そのため早紀が泊まることがよくあった。一応有名人の早紀は、サングラスと帽子という簡単な変装をして、電車とバスを乗り継いで忍の家に出かけた。
荘厳な玄関の重い扉を開けて出てきた華奢な忍は、早紀よりも十センチも身長が低いが平均くらいはあった。早紀が彼女をうらやましいと思うのは、体重が十キロ以上も少ないことだった。細い目と小さな口は清楚な雰囲気を醸し出し、派手な容姿の早紀とは対照的だ。彼女とは早紀がモデルをしていた頃からの付き合いだ。
「まだ十一時まで一時間もあるじゃないの」
「それがね。ちょっと怖いことがあって、早く来ちゃった」
「何? 怖いことって」
「怖いから中に入りましょう」
壁に大きな絵画の掛かっている廊下で、忍は聞いた。
「ひょっとして幽霊? 変な夢見たから」
「ピンポンダッシュってやつ。今度やったらつかまえてやる」
「怖がってるわりに元気がいいのね」
キッチンでの食事の準備中も、話題はその件だった。
「早紀。ピンポンダッシュ、ひょっとしてスートーカーじゃない?」
「えっ。私にストーカー?」
「そんなに驚かなくていいじゃない。あなたも有名人でしょ?」
「私にストーカー」
早紀は小声で繰り返した。
「それだけ人気のある証拠じゃない」
「私にストーカー」
早紀はショックを受け、かなり落ち込んだ。
「冗談よ。ペッパー取って。後カルダモンも」
「ここまで尾けて来られなかったかしら?」
「変装してきたでしょ。サングラスと帽子だけで」
早紀は卵を割ると、殻ごとボールに入れてしまった。
「何やってるの? カルシウム余計に取る気?」
「警察に相談した方がいいよね?」
「その程度じゃだめよ。もっと被害がひどくなくっちゃ。単なる通りすがりのいたずらか、酔っぱらった人が自分のところと間違えてすぐに気付いたのかもしれないし」
「そうよね。ストーカーのわけないよね」
早紀は自分を励まそうと、ストーカー説を否定した。
「カレー味強すぎたかな」
「そうよね。ストーカーのわけないよね」
「私焼くので、早紀サラダ頼むわね」
「えっ、サラダ? サラダなら任せてよ」
食事中も早紀はどこか落ち着かなかった。
「どうしたの、さっきから何か変よ」
「別に何もないわよ」
「朝の電話の調子だと、サムの夢を見て、その自慢話に来たかと思ったら、どこか上の空だもの」
「そんなことないってば」
「今度のドラマで緊張してるの? もうベテランじゃない」
忍の指摘はある意味当たっていた。今朝のピンポンダッシュが、昨日のドラマの顔合わせと関係があるのかどうか気になっていた。帰りに尾けられたのかも知れない。
「ストーカーの件なら気にしないことね」
確かに一件、軽い悪戯があっただけともとれる。だが彼女の予感は悪い方向を指し示していた。
ひょっとして今も付けられているのでは? 外で待ち伏せされていたらどうしよう。
アクションシーンで勇敢な姿を見せても、実際には人一倍怖がりだった。相手が目に見えない場合、それが一層増すのであった。
忍の家を出た。バスの停留所でも周りが気になった。
サングラスと帽子という格好は、かえって目立つ。地下鉄に乗り込む時も、後ろから見知らぬ人物に押されはしないかと何度も振り返ったので、周りの人に気味悪がられたに違いない。マンションのエレベータを降りてから、部屋に入るまで、通路に誰かいないか何度も確認した。部屋に入るとほっと一安心した。その安心も二十分後には消え去るのだった。
ピンポーン。
まただ。
チャイムが鳴ると、すぐには応対する気になれなかった。チャイムは一度きりだった。しばらくしてドアを開けたが、やはり誰もいない。
「私が帰ったこと、どこかから見ていた……」
その日はそれ以上、変わった事は起こらなかったが、彼女の不安は消えなかった。
翌日、教室セットの撮影スタジオに入ると、生徒役の子供や大人が似た者同士で幾つかのグループを作っていた。昨日はあれほど怯えていた早紀だったが、状況が変わるとすぐ気分が変わるので、糸井達最年長男子グループとの楽しいおしゃべりに加わった。
「生徒役の方が絶対楽よ。授業の内容覚えるの大変なんだから」
「仁科、あのとき台詞無かったからな」
「あったわよ。え~っと……何だったっけ? きっと、あったわよ」
「へ~っ、昔共演してたんだ。あのドラマ見てたよ。懐かしいなあ」
最年長生徒の森川は、椅子に座り両手を頭の後ろに組んで過去を振り返った。
「あのとき俺二十三だったな。あれから七年も経つのか。上の子が六歳だからちょうど結婚した頃だな」
すぐ隣で、二人の十二歳と一人の十歳が議論していた。
「丸ちゃん、学校の勉強、どこまでやってる?」
「全然やってない。だってママ手伝ってくれないもん」
「中学生になったんだから、自分でやらないとダメだよ」
「そういう美鈴ちゃんは?」
「私、仕事が忙しいから、あんまり学校行ってないの。紀美ちゃんは?」
「私算数得意だもん」
「いいな。小学生は。算数なんだ」
中学生になったばかりの二人は年下をうらやんだ。
そのまた隣では、役柄と同年代の男子達がつるんでいた。
「中井まどかのDVD結構いい。マジ、いい」
「後でサインもらおうか?」
「馬鹿、共演者だぞ。おっ、こっち向いた」
前の方では役柄と同年代の女子達が、仕事上の悩みを話し合っていた。
「夏はいいけど、冬なんか寒くて大変じゃん。グラビアって」
「まどか、本当にCD出すの?」
「サイン会で売る分だけ。お店には置いてもらえそうにないから」
「私もこの間アキバでやったけど、本当おタクっていう人種むかつく」
そして、スタッフの声が響き渡った。
「では、撮影入りますので、席に着いてください」
午前中の撮影が終わり食事休憩の間、中井まどかは六歳年下の酒井美鈴から演技指導を受けていた。
「でも、表情がまだ硬い。もう一度やってみて」
「あの……栗田さん。今日の夕方、空いてますか?」
美鈴と同年齢の丸山ミサが、相手役を務めた。
「特に用事はないけど」
「ろ、六時に、き、錦城公園に来ていただけますか?」
「ああ、いいけど。どうして?」
「ありがとうございます」
「ダメダメ、やり直し。『ありがとうございます』は相手のどうして? を聞き終わる前に言わないと」
中井は、気を引き締めて再度チャレンジした。
「あの…栗田さん。今日の夕方、空いてますか?」
「特に用事はないけど」
「ろ、六時に、き、錦城公園に来ていただけますか?」
「ああ、いいけど。どうして?」
「ありがとうございま~あれ、遅かったかな」
「あ~あ、もうイヤになる~」
一緒にいた十歳の下平紀美も、
「この仕事、向いてないんじゃない?」と冷たく言い放った。
この様子を見ていた糸井は鼻で笑うと、早紀に
「仁科さんも彼女達に指導してもらったら?」
と言った。そこで、彼女は一昨日のように糸井を叩き続けた。
「おい、こっちの方が子供みたいじゃないか」と三十歳の森川は注意した。「こちとら人生三倍も生きてるんだからな」
その日の撮影が終わり、玉井マネージャーの運転する車に乗っていると、早紀はピンポンダッシュの件を思い出し、自分達の後ろを尾けている車がないか、しきりに後方を見ていた。
その様子を、バックミラーで見ていた玉井は聞いた。
「何か忘れ物でもあった?」
「別に何も」
「スパイにでも追いかけられてるみたいね」
玉井の鋭い指摘に、早紀はドキリとした。役の上では勇敢に危険に立ち向かうが、現実ではピンポンダッシュ程度で怯えていた。
「着いたわよ」
車から出ても早紀は何度も振り返ったが、玉井の方を見るのではなく、誰かを探しているかの様だった。
玉井はそんなことにはお構いなく、事務所に連絡を入れる。
「あっ、もしもし、玉井ですけど。お疲れさまです。今、早紀ちゃん、送り届けましたから。しばらくしてから戻ります。はい、例の件は確かに」
部屋に戻って、コーラを飲んでも、早紀は落ち着かなかった。昨日は帰って二十分もするとチャイムが鳴った。相手が早紀の帰りを待ち伏せていたなら、今日も同じことが起こるかもしれない。
二十分後、チャイムは鳴らなかったが、ドアの郵便受けに何かが入った音がした。彼女は恐怖でしばらく動けなかったが、恐る恐る郵便受けのボックスを開いた。中にはレターサイズの封筒があった。早紀の頭は脅迫文が入ってることを想像した。
封筒を開くと中には一枚の微笑ましい写真があった。だが、彼女は凍りついた。そこにはその日の撮影所での彼女が写っていた。彼女は思わず写真を落としてしまった。
彼女は、すぐに玉井に連絡を入れた。
「もしもし、すぐ来て」
「えっ、どうしたの? 今高速に入ったところなのに」
「いいから、すぐ」
玉井の声を聞くと涙が出てきた。恐怖と悲しみで声が上ずっている。
「落ち着いて話して」
「写真」
「写真がどうかしたの?」
「写真に私が写っている」
携帯越しに玉井の笑い声が聞こえた。
「それがどうかしたの?」
「だから写真が」
「?」
「赤松プロデューサーの連絡先教えて」
玉井は、早紀の様子がただならぬことに気付いていたが、普段と変わらぬ口調で聞いた。
「だから何があったの? 落ち着いて話して」
「早く、教えてよ」
早紀は玉井を急かした。
「待って、手帳、手帳のこのページ。会社の番号だけど、言うわよ。03*******」
「早すぎる。もっとゆっくり」
「早紀ちゃんの方が、もっとゆっくりしてよ。一体何が起こって、どうしてプロデューサーに連絡する必要があるのか、ちゃんと説明して」
マネージャーの言葉で、ようやく彼女も落ち着きを取り戻したようで、状況を説明しはじめた。
「わかりました。落ち着いて話します。私が部屋に戻ると、新聞受入れに写真が入ってたの。その写真には昼間の私が写っていた。スタジオにいた誰かがきっと嫌がらせでやったんだわ。それだけじゃなくて昨日も二回もピンポンダッシュがあったし」
「そう、それでプロデューサーに連絡取りたいの。でもあの人と話すと終わらないから、私から説明しとくね」
「わかりました。でもまた何かあった時のために、連絡先教えて」
「03*******。どう覚えられた? 私はまだだけど」
「ありがとう。でもこれから寄ってね」
「はい。インターで降りてすぐ行くから」
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