第2話 私に性悪教師?

 六月二十三日、朝十時。

 民放テレビ局JBCの一室で新番組「バニラカフェ」の出演者一同の初顔合わせが行われているのだが、一名遅刻した模様だった。待っていても仕方がないので、番組プロデューサーの赤松民雄は、簡単に自己紹介を済ますと、この作品に賭ける意気込みを熱く語り出した。


 彼は天才肌のプロデューサーで、常に撮影現場で指揮を執る。無難な企画を嫌い、野心的な作品を好むがリスクも大きい。今回の作品も企画段階から勝利宣言をしたため、局内の冷たい視線に晒され、失敗を許されない状況だった。そのためストレスが重なり、もともとどこかおかしいところがあったが、最近はさらにひどくなっていた。

「…みなさま方とその点では同じです。かつてないような青春群像をここで描き出し、視聴者の皆様方に我々の熱意と情熱とその他諸々が伝われば、きっと数字にも跳ね返ってくると思うのであります。それにはですね…」


 出演者一同はプロデューサーの方を見ている。黒縁眼鏡をかけているが、それでも飛び出しそうなほど大きな目は隠せない。その大きな目をぎょろつかせながら、彼は熱く語り続ける。


「…さすがにミステリーとの融合ともなると、少々予算の方がきつくなって会社ともめたんですが、そこはそう、我々の情熱と誠意で説得でき、今こうして皆様方の前でお話しさせていただいている次第であります。今回脚本を担当していただく久津川さん。大変優秀なシナリオライターで私も以前から一度一緒にお仕事をさせていただきたいと思い、それが実現できて大変喜ばしい次第ですが、その久津川君と飲みながら話したんですけど、かねてから私がよく言うことに『バニラ』な発想では駄目だ。今、TVドラマの置かれている現状を見てください。バラエティに押されっぱなしで視聴率は低迷する一方。内容も続編ものか職業ものばかり。スチュワーデス、ナース、医師、弁護士、刑事、教師、ホスト……」


 同席していた脚本担当の久津川は、番組資料に目を通し始めた。今回の作品は原作のないオリジナルもので、彼にとっては初のミステリーへの挑戦となる。それだけに気合いが入っている。


「……私がTVマンを志したのは、ほんの偶然からでした。ここでその経緯を説明すると長くなるので省略しますが、(以下省略)」

 資料に目を通し終えた久津川は、それを机の上に置き、出演者の様子を伺った。皆、プロデューサーの話を真剣に聞いているか、あるいはその振りをしている。


「……それにもかかわらず、青春モノというだけで、何かこう固定観念のようなものがあって、それが毎回同じような展開を繰り広げる結果につながるんです。で、今回我々が試みるのは、二年ダブった二十歳の高校生を主役に、彼がダブる原因となった二年前の出来事、そう殺人事件です。これを中心に目撃者の女子生徒、彼女を問い詰める被害者の弟、元警官の教師、彼がミステリーでいうところの探偵役なんですが、それに担任の女教師、あれ、まだ仁科さん、来てませんね」


 スタッフの一人が、遅刻の連絡があったことを赤松に伝えた。

「ああ、そうですか。担任の女教師、それに被害者の弟が率いる不良グループ。それだけではありません。通学途中にある作品のタイトルになったバニラカフェ。もちろん、バニラクリームを入れるコーヒー、ハワイコナ直輸入ですよ。なかなかいいセンスでしょ。さすが、久津川君。コーヒーにバニラという組み合わせが斬新で素敵じゃないですか。私が日頃から言っている『バニラ』な発想から脱した貴重な例です。何と彼は、このタイトルを私と打ち合わせしていた喫茶店で思いついたそうです。それこそ天の啓示のように発想が降りてきたというから、大したものじゃありませんか……」


 その時、部屋のドアが開いて申し訳なさそうに早紀とマネージャーの玉井が入って来たが、そんなことには構わず赤松は続けた。

「……登場する不良グループの名前は、『ホワイト・マフィア』と言うんですが、実にセンスのいいネーミングじゃないですか。これにもいろいろエピソードがございまして、(エピソード省略)」


 早紀は着席し、玉井は部屋の後ろの方に控えた。

「……逆に台詞が長いのがいいんです。この久津川先生の作品をそれで敬遠される役者さんもいますが、今回この時点でメンバーの変更があったのも、実はそういうことでして、だがこのベストメンバーならあの長台詞を難無く乗り越えるとそう私は確信しております。ただ、視聴者の方からすれば、あまり長い台詞も考えものかと思って、出来る限り簡潔にかつ内容を損ねることのない文章を、私としては要望する次第でありますが……」


 ホワイトマフィアの新リーダー塩川良平役の体重百二十キロの林守は、隣にいた不良役の青年に小声で言った。

「あんたの話の方が、長いんだよ」

 不良役の青年は、プロデューサーに気付かれるといけないので、笑いをこらえた。


 早紀は昔共演した栗田京平役の糸井純と目が合ったので、とりあえず会釈した。

「……この業界はですね、流行に乗るんじゃなくて、流行を作り出す、いわば流行の発信源にならないといけないんですよ。それもダイナミックかつエキサイティングなものを生み出さないといずれ飽きられます。そこで私は考えたんですが、バニラな学園ドラマでは初回時の数字はある程度とれても、四話、五話あたりからは一桁になるのは目に見えている。そこで久津川さんと相談したんですが思い切って殺人事件でも入れてみようと。最初は視聴率が落ち込む六話あたりで優等生が不良に殺害されるアイデアで進めたんですが、どうせなら本格的な推理ドラマ、それも第六話だけでなく全編に渡るディテクティブストーリーに仕立てれば、学園ミステリーという新ジャンルを確立できる。これこそまさに流行の発信源に……」


 隣にいた不良役の青年に話しかけても、無視されることがわかった林守は、一人でつぶやいた。

「新ジャンル? ざらにあるでしょ」

 林の呟きが糸井の耳に入ったらしく、糸井はにやりとした。それを見た早紀も糸井に微笑んだ。早紀は胸の前で両手でハートマークを作り、顔の前に持ってきて糸井を見つめた。糸井は気付いてない振りをした。

「……よく、聞くじゃないですか。溺れる者は藁をもつかむ。今のTVドラマがまさにこの状況だと思うんですね。…(業界人の不満などの退屈な話を続ける)」

 早紀が同じポーズを続けているので、糸井はぎこちなく微笑んだ。早紀もスマイルで返した。


 赤松の長話が延々と続く間に、弁当の業者が全員分の唐揚げ弁当と烏龍茶をワゴンに載せて入って来た。

「……そこで、どうしたらいいか二人で良く考えた結果、フーダニット、犯人は誰かにウェイトを置いた構成にしてみることにしました。今回、原作本のないオリジナル脚本のため、一般の視聴者は結末を知ることができないはずです。皆さんもくれぐれも内容をもらすことのないように注意してください。特に仁科さん」

 いきなり名指しで呼ばれ早紀は驚いた。

「えっ、私?」

「頼みましたよ」


 赤松の話が一旦止まったのをチャンスととらえたスタッフの一人が、

「あの、プロデューサー。そろそろ食事にしません?」と聞いた。

「えっ、あっそうだな。それでは皆さん。ここで一時間ほど休憩を入れますので、くつろいでください」


 ところが、食事中もプロデューサーの熱弁は続いた。

「……糸井君、そうでしょう? 高校生役は十年やってやっと一人前。メンバーの中で最年少は十歳だから、彼女も後十年したら一人前の高校生役がこなせるようになるんじゃないかな」

 糸井は食べながら適当に頷いた。

「皆さんもそう思いませんか? 僕は俳優じゃないけど、二十年以上ドラマ制作の現場に携わり、最近やっと一人前になったかなという感じがするんですよ」

 その場にいるスタッフは相槌を打った。

「……ほら、最近よく言うだろう。虎穴に入らずんばじゃなく、飛んで火に入る何とやら。あれ、時代劇や子供番組でヒーローが敵のアジトに乗り込んだとき、相手のボスが言う台詞だよな。面白そうじゃないか。それ入れようか? どう、久津川君?」

「いや、それはちょっと」

 久津川は、赤松のアイデアに乗り気でない。

「僕はいいと思うけどな。ホワイトマフィアのアジトに栗田が乗り込んだとき、塩川が言えば格好いいと思うよ。どう、林君、ちょっとやってみて。ハハハ、飛んで火にいる何とやらって」


 突然、話が自分に振られた林は、割り箸を置いて、口に唐揚げを詰め込んだまま、

「えっ、今ここでですか?」と聞いた。

 赤松はそれには答えず、

「糸井君、いいよね? 君もその場にいると想像してみて」と言うので、糸井は食べながら適当に頷いた。

 林が仕方なく憮然とした表情で、

「ハハハハハ、飛んで火に入る何とやら」と言うと、

「いいね、いいよね? 糸井君」とまた聞かれる。糸井は役柄と同じで普段からクールな雰囲気を放っていたが、そのクールな感じを維持したまま、「はい」とだけ答えた。


 他のスタッフもこのアイデアに反対らしく、赤松に何か言いかけたところ、早紀が代わりに発言してくれた。

「何か変。昔のお芝居みたい」

「そう、仁科さん、いいこと言うね。じゃあ、もう少し今風のクールな感じでやってみようか」

 林はあきらめて、言われた要求に本気で取り組むことにした。

「フッフッフッ、飛んで火に入る何とやら」

「どう? 監督。これ使えるよね?」

 監督の若林は、この台詞が採用された時のことを嫌がり、やりとりを見ない振りで不参加を決め込んでいたが、自分に振られると弱い。

「えっ? ええ」と肯定するしかなかった。

「よし、また進歩したな。それより、メンバーの紹介まだだったな」

 先程のスタッフが、「すいません。今食事中なので午後からにでも」と言うと「あっ、そうだったな」と、赤松は気付いた。


 早紀は食べ終わると、その場で親友の忍に携帯をかけた。

「あっ、私。今どこ? えっ、いいな。それでね……」

 糸井は立ち上がり部屋から出ていった。それを合図にしたように、各自好き勝手に行動し始めた。

 林はまだ赤松につかまっている。

「今度はね、おめえみてえなエリートに俺たち落ちこぼれの気持ちがわかるかって言ってみて」

 

 自販機の前で煙草を吹かしている糸井を見つけると、早紀は声をかけた。

「純君、また、生徒なの? 私なんか先生。同い年なのにね」

 糸井はクールに微笑み、

「仁科、老けたからな」といった。

 長身でスリムな体型、面長の顔に切れ長で爽やかな目が印象的な糸井純は、顔にかかる茶色の長髪をかき上げる仕草をよくドラマの中でするが、どちらかというと物静かな青年だった。今回、二十六にもなるのに学生役を引き受けたのは主役ということもあるが、役柄が自分のイメージにぴったり合うと納得したからだった。

「純君だって、高校生に見えないわよ」

「それはよかった。安心して煙草が吸える」

「でもあの小学生の子と同級生かと思うと笑える」

 といってから、早紀は口を押さえて笑った。


 糸井は、先ほど端の席に座っていた女の子のことを思い出した。

「十歳で高三やるから、そこそこ大人びた子かと思ったら、ごく普通の小学生じゃないか。あまり一緒に映りたくないな」

「私は先生だから平気」

「でも精神年齢は同じくらいじゃないの」

「やだ、そんなわけないじゃないの」

 早紀は、両手で糸井を叩き続けた。糸井はみじろぎもしない。

そこへ学年主任役の小林透がコーヒーを買いにやってきた。

「暴力はいけません。暴力は」


 身長一七五センチなのに体重五十キロの五十歳の俳優は、外見から貧相な印象を与えがちだが、実は冗談が好きだった。砂糖入りレギュラーコーヒーを注文すると、レギュラーなのにすぐに出てきた。

「しかも、教師が生徒に」

「これは違うの。純君がね」

 糸井は、年上の俳優を気遣って会釈をした。

「校長先生に言う必要がありますね」といって、小林はカップを持ったままそこを去った。

「勘違いされたじゃないの」と、早紀はまた糸井を叩き始めた。

 

 バニラカフェのヒロイン原田羊子役の中井まどかは十八歳になったばかりで、これまで演技の経験がなく、主に水着のグラビア撮影を中心に活動してきた。

 あまり大きくない目は黒目が占め、平均的な体格に丸顔の幼い顔立ちだったが、今回十二歳や十歳の子役と同級生ということでよけいに固くなっていた。監督からは肩の力を抜いて自然にやってごらんとアドバイスを受けたが、ベテラン俳優や年下だが天才子役とうたわれた十二歳の酒井美鈴らと顔合わせして不安が募っていた。

 しかも犯人役。

 プロデューサーの赤松によると、彼女のような新人が犯人だとは誰も予想しないだろう。それで起用したとのこと。

 延々と続く赤松の長話も、午後に入るとややトーンダウンしたが、同じ内容が繰り返され、いつまでたっても自己紹介の挨拶にならないので、各自で挨拶に回っていた。


 中井はマネージャーに付き添われて、早紀のところに挨拶をしに来た。

「あの、中井まどかと申します」

「そう、まどかちゃん。CMで見たことあるわよ」

「ありがとうございます。私、ドラマは初めてなんですけど。しかも殺人犯人役なんです」

「えっ、すごいわね。私も殺される役なら何度かあるけど」

 そう言ったが、本人が忘れているだけで、アクションシーンで数え切れないくらいの人数を殺害していた。

「何かアドバイスとかありますか?」

 付き添いのマネージャーも「一つ宜しくお願いします」と頭を下げた。

 ここは先輩の意地で、うまいことを言わなければならない。

「そうねえ~。…うんぅ…え~っと…きっとがんばればうまくいくわよ。私もがんばるから、まどかちゃんもがんばってね」

「はい。素晴らしいご意見、ありがとうございます」

 

「どう? 監督。林君っていいと思わない?」

 以前にも赤松と仕事をした経験のある若林は、意見を言っても無駄とわかっていたので、

「はい。素晴らしいです」と調子を合わせた。

 赤松につかまって最初は迷惑がっていた巨漢の林は、彼に気に入られるようになって喜んでいた。

「ありがとうございます」


 次に赤松は、脚本家の方を見て、

「久津川君。彼、実は心の優しい不良で最後には主人公の栗田がふられ、塩川良平がヒロイン原田羊子の気持ちをつかむっていうのはどうかな?」と提案した。

「そうすると、主人公の栗田はどうなるんですか? 視聴者は納得してくれませんよ」

 脚本家は、今になってシナリオの大幅な変更は御免とばかりに反論した。

「そうねえ」

 赤松は周りを見回すと、十二歳の酒井美鈴に目が止まった。「だったら、最後にあの子と恋人になるとか」

「あの子?」

「ほら、あの。美鈴ちゃん。知名度も演技力もあるし、いいと思うけどな」

「でも、彼女まだ十二歳ぐらいですよ」

「何言ってるんだ。同級生じゃないか」

「設定上はそうですけど」


 林は嬉しそうだ。これまで格好いい役とは縁がなかったからだ。

「ちょっと、美鈴ちゃん。こっち来てくれる」

 赤松は美鈴を呼んだ。

「美鈴ちゃん、純君の恋人役なんかどうかな?」

「え~え、面白そう」

 美鈴は、頬を赤らめて照れくさそうだ。

「糸井君、糸井君。美鈴ちゃん、彼女役にどう?」

 糸井は、無関心とも思える感じで、

「光栄です」と感情を込めずに答えた。

「よし、これで決定だな」

 赤松は満足した。


 久津川は、この件に関しては譲る覚悟になったが、タダでは引き下がれず、

「すると、プロデューサー。先ほどの台詞『飛んで火に入る何とやら』は、キャラクターの設定にそぐわなくなります」 と赤松に抗議した。

 林も、久津川の意見に賛成だった。

「そうですよ。単なる悪役じゃなくなるんですから」

「そうだな。そうするか。それなら、新しい決めぜりふ考えないといけないな。昨日の事なんか覚えちゃいないぜ。俺達には今日という日しかないんだなんてどう?」


 久津川は、これ以上振り回されるのを嫌がった。

「決めぜりふは後で考えましょう。今日これから衣装合わせもあることですし、先に進みましょう」

「そうだな。その前に初顔合わせだから、皆さんに自己紹介してもらわないといけないな」

「それはもういいみたいですよ。皆さん、もう打ち解けてらっしゃるみたいですし」

「そう、チームワークが一番大事だからね。僕が最初に学んだことは、ドラマは一人で作っているんじゃないんだということだ。これは先輩達に言われたからわかったんじゃなく、ある出来事がきっかけで、そう思い知ることになったんだ。そう、ちょうど今頃の季節だったな。まだ、バブルが弾ける前だった。そのころのTVドラマといえばトレンディものが流行りだして、僕も忙しい中、勉強がてら良く観たものだよ。久津川君も知ってるだろう。ほら、あれ、何と言ったっけ…」


「あの、プロデューサー。もう時間ですし、そろそろ皆さんに衣装会わせしていただきたいと思うんですけど」

 と、スタッフの一人が恐る恐る赤松に話しかけたが、耳に入らない。

「……あのストーリーは最高だったな。あの頃、ドラマ制作に関われて本当によかったよ。でも、僕は現状に失望しているわけじゃないよ。あの頃より悪くなる要因が何かあるか? 予算だってしっかりあるし、シナリオライターの能力だって落ちているわけではない。かくいうこの私も経験を積んだ分、少しはドラマ制作のイロハを学んだつもりであります。要するにだ、マインドつまりハートだな。そうハートの問題だ。心に笑顔を。ハートにスマイルを。直訳しているだけだって?」

 そのスタッフは、自分で判断することにした。

「それでは、出演者の皆さんに衣装合わせに入っていただきます」

  と、そこにいる全員に聞こえる声でいった。


 衣装合わせが終わり、延々と話しける赤松とその取り巻き達を後にして、早紀と玉井は遅刻して来たにもかかわらず帰途についた。

 早紀は、運転している玉井に不満を漏らした。

「あのプロデューサー、頭おかしいんじゃない。一人で話続けて一体何だったの?」

「それだけ、仕事熱心な方だってことですよ」

「そう言われてみると…そうよね」とすぐに納得した。

 玉井は、状況を良く観察していた。

「林さん、プロデューサーに気に入られたみたい。シナリオ変わるかも知れないわよ」

「私には関係ないでしょ? だって教師だから」

「そう言われてみるとそうね。早紀ちゃんには関係ないけど、あのプロデューサー、調子がいい時と悪い時の差が激しいのは、周りがイエスマンばかりだからなのね。でも、あんな感じで話されたら、何を言っても無駄だって、誰でも思うかも」

「あ~あ、私も自分の思い通りのドラマを作ってみたい」

「どんなの?」

「相手は、もちろんサムで…ストーリーは…ストーリーは…とにかく笑えて泣けるもの」

「でも、言葉通じないでしょ」

「やってみなければわからないでしょ?」

「やってみなくてもわかるわよ」

「でも頑張るから。今日まどかちゃんにもアドバイスしたの。がんばってねって。もちろん、私もがんばるから」

 早紀は、実際には起こらないであろう架空の設定を無気になって擁護したため、マンションまで玉井と論戦し続ける結果になった。

 それが原因で車から降りても不機嫌で、いつもの様に振り向くこともなく、早足で入り口まで歩いていった。

 

 部屋に入ってすぐサム何のポスターを見ると、早紀の機嫌はすぐに直った。あり合わせのもので食事を済まし、入浴、メールチェックを終えると、もらったばかりの台本を手にベランダに出た。


「出席を取ります。相沢君、井川君、江川君、加藤君、北山君、栗田君。あれ栗田君は今日もお休み? この調子だと今年も留年ね。もう二十歳過ぎているのに。そのうち大学出たばかりの先生より年上になったりして」

「先生、そういう言い方はないじゃないですか。栗田さんだっていろいろ抱えているし」

「津村君は栗田君と仲がいいのね。バスケ部の先輩だから?」

「それとは関係ないです。僕はただ、誰だって人にいえない事情というものがあるから、それを理解してあげることも必要だと思っただけです」

「人に言えない事情って、あなたにも人に話せない秘密があるの?」

「僕はただ一般論を言っただけです」

「もうあなたと議論している時間はないわ。児玉君」

 そこへ栗田が入ってくる。

「遅れました。すいません」

 そのまま席に向かう。

「遅れましたって、あなた。他に言うことはないの? 今まで休んでいたこととか、遅刻した理由とか」

「寝坊しました」

「この間は?」

「風邪を引いていました」

「風邪? ここ二年間、風邪で休んでばかり。そんなにひどい風邪なら入院でもした方がいいわよ」

「今度からそうします」

 笑い声が漏れる。

「いいわ。あなたがそのつもりなら、私にも考えがあるから」

 栗田、鼻で笑う。

「何がおかしいの?」

北山「先生、授業を始めてください」


 早紀、台本をテーブルに置く。

「もう、この教師、性格悪すぎ~」 

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