ハートスマイル

@kkb

第1話 私に学園ミステリー?

 空中停止したヘリコプターの中からチェーンの梯子が垂らされると、その女は駆けつけた警官達の方を見て、嘲笑うように言った。


「今頃着くとは遅かったわね。あなたたちがもう少し賢かったら、私もおしまいだったけど。初動捜査からミスの連続、おまけに内部に共犯者がいたのに気付かないようじゃ、この結果は当然のことね」


 女が梯子に手足をかけると、ヘリコプターは上昇し始めた。警官達は悔しそうに、その女を眺める他はなかった。風になびく豊かな髪が頬を覆う。警官達との距離はさほどでもなかったが、彼女の右手に握られた拳銃が自分たちに向けられていて、これ以上犠牲者を出さないためにも、彼らは発砲を控えた。銃撃戦になった場合、あの女の射撃の腕なら、数名の死傷者が出るのは避けられない。

 何も出来ない彼らを尻目に、夕陽を背にしたヘリは、東京湾の方へ消えていった。まるで太陽に飲み込まれていったかのように。


「はい、カット。お疲れさま」


 その女は、ヘリコプターの操縦士に向かって、

「パイロットさん、怖いから早く降ろして。早く、早く!」と叫んだ。ヘリが地面に近付くと、着地する前に飛び降りたため、足を少し挫いてしまった。女が尻餅を付き顔を引きつらせると、彼女の周囲に数人が駆け寄り心配そうに見た。


「早紀ちゃん、大丈夫?」

「ああ~ん、怖かった」


 顔をくしゃくしゃにして目に涙を浮かべるその女は、仁科早紀といい、芸歴十年の二十六歳になる目と口と身体の大きい女優である。シリアスな役柄が多いが、本人は至って明るい性格である。

 マネージャーの玉井美智代は、彼女のデビュー当時から担当しているので、十年経っても十六歳の頃とあまり変わらないこのわがまま娘を上手に扱っていた。


「足挫いたの?」

「足? そう言えば、足も痛かった。ミッチーが言うから思い出したじゃないの」

「一人で立てる?」

「もちろんよ」

 足を挫いたはずだったが、気丈なところを見せようと彼女は立ち上がった。173センチの長身はプロフィール上は170センチと低めに公表されていたが、特に珍しいことではない。問題はそのことを誰にでも話してしまう彼女の性格で、それも170センチと言ったすぐ後に、本当はそれより三センチ高いんですと付け加える。ちなみに体重は非公開。


「お疲れさま」

 撮影スタッフから声をかけられ、彼女は愛想よく笑顔で応対した。口が大きいので、顔中が笑顔になるが、笑った顔はあまり美人とは言えなかった。普通にしていれば派手な顔の美人で通じるので、周囲からはカメラのある所では必要以上に微笑むなと注意されていたが、必要以上に微笑んでいた。

「お疲れさま」

 スタッフの一人から花束を手渡された。彼女の出番はこれで終わりだった。周囲から拍手が湧き起こった。彼女とマネージャの玉井は頭を下げた。


 帰りの自動車の中で、早紀は運転する玉井に聞いた。

「私の役ってどうしてこうもアクションものばかりなの?」

「身長が高いからじゃないの」

 玉井本人は一六五センチ程度だ。

「でも私以外にも背の高い人大勢いるじゃないの」

「最近モデル出身の女優さんで背の高い人は多いけど、みなさん痩せてらっしゃるから、アクションものだと重量感が足りなくて迫力に欠けるでしょう? それで早紀ちゃんが……」

 玉井の言葉は聞き捨てならなかった。早紀は、四歳年上のマネージャーに喰ってかかった。

「重量感ってどういう意味? 私が太っているみたいに聞こえるけど?」

「そんなこと言ってないでしょう。ただアクション向きの筋肉があって、貴重な存在だってこと」

「貴重な存在って、貴重なほど太ってるってこと」

 いつものことだったが、玉井は思わず苦笑した。

「そうじゃなくてアクションシーンに躍動感や迫力を出せるだけのボディをお持ちってこと。要するに、あなたは太ってはいませんけど、ダイエットの目標になるほどには痩せてもいません。標準体重です。今のモデルさんたちが痩せすぎなんです」

「そうね。私もそう思ってました」


 簡単な説明ですぐに機嫌を取り直した早紀は、話題を変えた。

「次の学園モノ、バニラカフェってタイトルだけど、どういう意味?」

「私も詳しくは知らないけど、バニラを使ったコーヒーを出す喫茶店っていう意味だと思うけど」

「私の聞いてるのはそういう事じゃなくて、その喫茶店がどうして学園ドラマのタイトルになったかを知りたいんだけど」

「実は私もよく知らないの。原作がないオリジナルドラマで、ミステリーものだってことで、内容は関係者にもできるだけ秘密にしてあるらしいのよ」


 早紀は青春ドラマだと思っていたので驚いた。

「えっ、ミステリーなの? 熱血青春モノって聞いてたけど。私、女教師役でしょ。もしかして犯人?」

 信号待ちだったので、玉井は後部座席を振り向いて言った。

「大丈夫。犯人じゃないそうです。英語が担当で、非常に知的な感じの役。独創的な授業が売り。面白そうでしょ?」

 早紀はあまり興味なさそうに「へえ、そうなの」と言った。

 

「久しぶりのオフだけど、早紀ちゃん、何して過ごすの?」

 玉井が話題を変えた。信号は青に変わっていた。

「それが、親から呼ばれてるの。帰って来いって。いつになったらオフかって、凄くしつこくて。もう、嫌になっちゃう」

「ひょっとしてお見合いだったり?」


「そんなわけないじゃない」早紀は無気になって否定した。「私にお見合い? あり得ない。だって私、お仕事忙しいし、亘さんって人もいるし……」

「福島さんは、一応恋人でしょう? それにご両親は福島さんのことまだ知らないでしょう。一応恋人じゃあ紹介もできないし」

「一応恋人って、恋人だけど、恋人じゃないって。もう複雑だから、恋人ってことにしておきましょう」

「いっそのこと、本当の恋人になっちゃったら? 福島さん、お金持ちでしょ? 早紀ちゃん、もう二十六だから会社としては恋愛してもOKです」

「亘さん、お金持ちかも知れないけど、あんなアウトドアな生活してたら、お金使う機会なさそう。それに結婚とか、全く考えてなさそうだし。仮に結婚したとしても、アウトドアな生活に付いていけな~いって感じかな」

「それなら、サムはどう?」


 早紀は、少し照れて、かなり面白がった。

「やだ、サムはそういうのじゃなくて。ただの憧れの人」

 台湾出身の俳優サミュエル・ハーこと何新奇は、彫りの深い非常な美男子で、六年前の若者向けドラマで一躍人気者になり、その後大陸の武侠モノに出演、好評を博する。中華圏だけで満足できず、日本の芸能事務所とも契約。日本のドラマにゲスト出演したこともある。あまりうまくはないのに、歌も出している。

「もし、台湾から共演の話が来たらどうするの?」

「来るわけないじゃないの。私、中国語全くわからないし」

「あれだけドラマ見てても?」

「早口で聞き取れないから。字幕見て付いていくのがやっと」

「まだ、部屋にポスター貼ってる?」

「やだ、貼ってません」

「着いたわよ。入り口まで行く? ストーカーいるといけないから」

 マンションの前の道路脇に、玉井は車を停めた。

「私にストーカー? 今まで一度もなかったから、一度くらいそういうのあってもいいかも。でも、絶対いないからここで降りる」

「じゃあ、気をつけて。初顔合わせ四日後だから。朝迎えに行くから、その時はちゃんと部屋に居てね」

「横浜に行って帰ってくるだけだから、絶対戻ってます」


 早紀は車を降り、マンションの方へ歩いていった。玉井は車を停めたまま、会社に連絡を取ろうと携帯を取りだしたところ、早紀が振り返った。胸の前で両手の親指と人差し指でハートマークを作ると、それを目の前に持って来て、中から玉井の方を覗き込む。いつもの様にいたずらっぽく笑っている。毎度の事で玉井は無視しようとしたが、早紀がしつこく続けるので、仕方なく笑顔を作った。福島亘がいいことを言っていた。

 ……彼女はハートを通して世界を見ているんだ。それで世界が素晴らしく映って見える……。


 玉井は早紀を見送ると、事務所に業務連絡した。

「あっ、もしもし、玉井ですけど。お疲れさまです。今、早紀ちゃん、送り届けましたから。はい、これから戻って打ち合わせですね?わかりました」

 

 早紀が都内某所にあるマンションの八階に引っ越してから一年近くになるが、室内は以前住んでいた所と同じように派手に装飾されていた。部屋のあちこちにハート型のアクセサリが飾られ、ベッドの真上の天井には最近お気に入りのサム・ハーのポスターが貼られている。

 向かいの公園を見渡せるベランダには丸テーブルとデッキチェアが置かれ、寝る前にはそこで台詞の練習をするのが彼女の日課になっていた。だが、その日がクランクアップで、次の作品の台本もないため、横浜に住む両親に電話をすることにした。


「あっ、もしもし、ママ? 私だけど、明日昼すぎにはそちらに着くね。お土産は? 別にいらないって? すぐ近くだからね」

 

 早紀が所属する芸能事務所社長の宮田は、スポーツ新聞をデスクに置くと、JBCテレビからFAXで送られて来た新作ドラマ「バニラカフェ」の出演者リストを手にとった。五十八歳になる彼は、視点がある行に来ると眼鏡を外し、顔をリストに近づけ声をあげて読んだ。

「出演予定者に変更あり。栗田京平役が糸井純さんに変更。えっ?」

 糸井純は早紀と同い年で、七年前に生徒役で共演していた。

「二十六でまだ高校生か。よくあることだな。しかし……」


 宮田が首を傾げるのも無理はない。生徒役の年齢が、下は十歳から上は三十歳と、二十歳も幅があったからだ。高校三年役で俳優の年齢が二十歳を超えているのは普通にあることだが、十歳の小学生を使うのは聞いたことがなかった。その上、十二歳も二人いる。しかしそこは「まっ、あのプロデューサーだからな」と納得した。

 そこへ玉井が戻って来たので声をかけた。

「ご苦労様」

「お疲れさまです。ところで社長。バニラ・カフェってどういう意味ですか?」

 玉井は自分のデスクに鞄を置くと、すぐに煙草を吸い始めた。

「バニラで味付けしたコーヒーのことだろ」

「いえ、私がお伺いしてるのは、どうしてそれがタイトルになったのですかという意味なんですけど」

「そうねえ」

 宮田は考え込むと、冗談めいた口調で言った。

「赤松プロデューサーの口癖から取ったんじゃない? 『バニラな事ばかり言ってんじゃないよ』ってよく言うらしいから」


 玉井は、その赤松というプロデューサーの口癖は知らなかったが、毎回奇抜なことをして、担当した作品も大こけするか大当たりのどちらかだと聞いたことがあった。

「どういう意味ですか? バニラって」

「ありきたりで面白みがないってことだろう。アイスクリームの定番だからな」

「私バニラ好きだけど。そうね、キャラメルコーラや抹茶ざくろなんかに比べると地味かも。へえ、それでタイトルになったんだ」

「真に受けないでよ」


 宮田はそう言ったが、彼の意見はあながち外れてはいなかった。赤松の口癖に嫌気がさした脚本家が、皮肉にもそれをタイトルに使ったのだった。もちろん赤松本人はそのことを知らなかったが。


「それにしても」

 宮田は長年の経験から率直な意見を言った。「こけそうなタイトルだ」

「これから早紀ちゃんが出るんですから、社長のあなたが縁起でもないことを言わないでください」

 と、玉井は反発した。

「いや、悪かった。だが、どうもねえ」

 宮田は腕を組んでため息をついた。

「嫌な予感がする」

 長年に渡って芸能界を見てきた彼の直感は正しかった。しかし予想を超えるトラブルが続発するとは、さすがの彼にも見抜けなかった。

 

 翌朝六月二十日早朝、早紀が目を覚ましたのは、ベランダのデッキチェアの上だった。

「あら、やだ。いつ眠ってしまったのかしら?」

 丸テーブルの上には、飲みかけのコーラのペットボトルがあり、その側に蓋があった。つまりペットボトルの蓋を閉めることなく、眠ってしまったのだ。母親と電話で長話ししたあと、いつもの癖でコーラを持ってベランダに出て、そのまま眠ってしまったのだろう。

 室内に戻ると、朝早いのに携帯がかかってきた。モデルをしている女友達の真壁忍からだった。

「はい。早紀です」

 相手は興奮した声で、

「大ニュース、大ニュース」

 と言うので早紀はあくびをしながら、

「どうしたの? 忍。まだ眠いのに。は~あ~」と聞いた。

「落ち着いてる場合じゃないわよ」

「何が?」

「サムがねえ」

「えっ。サムがどうしたの?」

 早紀も興味が湧いたようだ。

「八月に来日決定」

「えっ? 本当?」

「本当よ。ネットで見てみてみて」

「ちょっと待って。今電源入れるから」

 秋葉原の専門店で店員に騙されて購入したミニタワーパソコンは、拡張性に優れていたが、筐体が大きく若い女性が好むタイプではなかった。それだけが部屋のデコレーションとアンマッチだったが、本人は気にしていなかった。

「八月って、具体的にいつ?」

「十二日に来て翌日には帰るから。DVDのプロモーションだって」

「スケジュールどうかな。私、連ドラの撮影入ってるし。忍はどうなの?」

「残念。撮影入ってる」

「二人とも駄目になりそうね。それにしても、このPC遅い」

 ようやく立ち上がったパソコン画面で、サムの日本語公式ホームページを見た。それから二時間も長電話を続けた。


 身支度を整えたり遅めの朝食を取ったりして、出発が遅れた。自分の車を運転して、実家に着いたのは三時近くになってからだった。

「昼には着くって聞いたから、お昼ご飯用意しちゃったけど、もう食べてきたよね?」

 母親の佐知子は早紀が着くなり食事を勧めた。早紀は食欲がなかったが、食べないと相手に悪いと思い食欲のある振りをした。

「朝しか食べてないからいただくわよ」

 テーブルには父親の俊之が、緊張した面もちで待っていた。

「やあ、早紀。遅かったね」

「パパ。久しぶり」

「遠慮なく食べてくれ」

「やだ。遠慮なんかしないわよ」

「そうだね。ハハ」

 どこか固い感じがする。

 早紀はテーブルに着くと、「いただきま~す」と大きな声を上げ、懐かしい味を楽しんだ。

「今度ねえ、学園ものドラマやるの」

「ほぅ~。昔みたいに生徒役じゃないよね」

「やだ。先生よ」

「何の教科担当?」

「英語なんだけど」

「英語? それは大変だね」

「ええ。勉強しなけりゃ」

 佐知子は二人にお茶を持って来た。二人にお茶を出すと自分も席に着いた。そして父親の俊之は、テーブルの上に置いてある大きめの封筒から、パンフレットほどの冊子を取り出した。

「早紀。実はね」

「何? 改まって」

「いい話なんだけど、聞いてくれるかな?」

「だから、何なの?」

「うちの会社の親会社がミッドランド開発と言うんだが、聞いたことはあるよね?」

「ええ、大きな不動産屋さん」

「そこのオーナーの息子さんが、今、そこの専務をなさってるんだが、以前からTVなんかで早紀のことを見て、大変気に入ってくださったんだ。ありがたいことだね?」

「嫌じゃないわよ」

「最近、その専務。早紀が私の娘だとお知りになられて、是非、お会いしたいということなんだけどね」

「えっ」

「中山浩介さんとおっしゃる方で、今年四十歳になられる。一流大学を出られて留学の経験もある、背も高くて、顔もすごくハンサム。しかも学生時代はラグビーの選手でスポーツ万能。ここに写真があるんだけど」

俊之は、そういって会社案内に挟んであった写真を取り出そうとした。すると早紀の顔が真顔になった。

「ちょっと待って。それって私にお見合いしろってこと?」

「いや、そういうわけじゃあ。一度、お会いしてみてはどうかと。こんなにいい話、滅多にないと思うんだが」

 早紀のムッとした顔がさらに強い怒りの表情に変わった。彼女はテーブルに身を乗り出して抗議した。

「そんなこと私の知らない間に進めて。それに、その何とかって人、会社の偉い人かも知らないけど、パパに無理矢理押しつけたんでしょう?」

 佐知子が厳しい口調で、

「そんなこと言うものじゃありません。お父さんだって立場があるんだから。一度、お会いするだけでも」と言ったので、早紀は「イヤ」とはっきり答えた。

「写真だけでも見てくれないかな。きっと気が変わると思うよ。今まで独身でいたのが不思議なくらいだよ。きっとモテすぎて婚期が遅れたんだろう」

「見ない」

「じゃあ、早紀は、いい人いるの? お母さん、聞いてないけど」

 佐知子の質問には、曖昧に答えるしかなかった。

「ええ、いると言えばいるわ」

「誰なの? お母さん達に紹介できる人?」

「まだ、そんなんじゃないけど」

 俊之は、立場上、断るにもそれなりの理由を必要とした。

「心に決めた人がいるので、申し訳ないけど、今回はお断りするということだな?」

「ええ、そうよ」

「でも、これは、見合いとかそんなんじゃなくて、一度会ってもらえればいいんだ。お父さんも辛いんだよ」

ついに本音が出た。

「じゃあ、パパ。その人にこう言っておいて。どうしても私に会いたければ、会社を通してではなく、自分の力で会って見なさいって」

 佐知子は怒った。

「早紀、そんなこと言えるわけないじゃないの」

 早紀は立ち上がって、

「ごちそうさま。おいしかったわ。私も仕事や家事で忙しいから、もう帰る」と言い残し、部屋を出た。

 玄関に向かう娘を、佐知子は呼び止めたが無駄だった。それからすぐに早紀は車に乗ってどこかへでかけたが、実家での出来事で頭が一杯で、相手先に連絡を入れるのを忘れていた。

 

 日課となっていた釣りを終えログハウスに戻った福島亘は、自分が釣った魚と地元の農家からわけてもらった野菜で食事を作った。庭に出て飯盒で米を炊くのは、その方が美味しく感じられたし、何よりそうするのが好きだった。


 夕陽に照らされる富士山が美しく感じられたが、その光景をもう一つの趣味である写真に収めようとは思わなかった。彼が写真で撮るのは専ら魚や植物だ。釣りに関しても、それ自体を楽しむというより、結果を記録することに興味があった。その彼の嗜好が巨額の富を生む原因になった。


 三十六歳の若さで彼が百億起業の創業者会長になったのは、釣り堀での体験がヒントになった。釣った魚を写真に収めるサービスはあったが、結果を記録参照できるシステムを構築すれば過去の体験も思い出として残せる。

 コンピューターソフト会社を一年で辞めて、会社役員だった父親に借金して一軒の釣り堀屋を始めた。評判が良く繁盛したので、銀行に融資を頼んで商売を広げていった。インターネットの普及で自宅にいながら、過去の履歴やコメントなどが参照できるアイデアは、ボウリング場やバッティングセンターにも応用できた。

 現在は経営を年上の社長に任せて悠々自適な生活を送っていたが、本社から随時送られてくるデータのチェックを欠かすことはなかった。夕食と後片づけを済ますと、PCを起動し、報告書データに目を通していた。庭に車の停まる音がするまでは。


 丸太を組み合わせて作った玄関の扉を開け、彼が外に出ると、背の高い派手な格好の女が車の側に立って手を振って微笑んでいる。


「亘さ~ん」

「どうしたの? いきなり来て」

「だって、パパが……」

「お父さんがどうしたって?」

「私に見合いしろって言うの」

 物静かな福島は面白そうに笑った。

「見合い。すれば?」

「やだ、だってその人、パパの会社の偉い人の息子さんで、無理矢理パパに見合いさせようとするんだもの」


 こうして二人が並ぶと、ヒールを履いた早紀の方が少し背が高いが、精神的には福島の方が随分年上で十歳年下の早紀にも娘のように接していた。芸術家を思わせる繊細な顔に潤んだ大きな瞳、激することの少ない性格はその声にも現れていた。年齢よりも若く見られがちな容姿だが、彼に一度でも接した者は精神的な年齢の高さを感じとるのだった。


「そう言わずに一度やってみたらどう? イヤなら断れば済むことだし、相手のこと意外と気にいるかもしれないじゃないか」

 彼女が無気になって、

「気にいるわけないじゃないの。そんな親の力とお金の力でなんとかしようとする人なんか」と言った時、庭のソーラーライトが切れた。

「暗いから中に入ろう」


 天然木のテーブルを挟んで二人は意見を交わした。

「ぼくだって今こうしていられるのも、親の力とお金の力があったからこそなんだ」

「でも、亘さん。一人暮らしでお金使わないじゃない」

「ここだって買うのに結構かかったんだよ。生活費だって会社から振り込まれるお金でまかなっているんだから。確かにこんな生活していると、お金に縁がなさそうに見えるだろうけど、この生活もお金で買ったんだ」

「でも亘さんはその人と違うわ。ここに来ると安心できるし、ストレス解消にもってこい」

「君は何かいやなことがあると、ここへ来るね。確かにここにいる間はイヤなことは忘れられるだろうけど、また元の生活に戻ればすぐストレスが溜まる」

 早紀はあくびをするように両手を横に広げて言った。

「あ~あ、私もずっとここに住もうかしら」

 福島はおかしそうに、

「好きなだけいれば。ここが本当に君が居るべきところなら」と返した。

「それなら、お言葉に甘えてずっとここにいま~す。って明後日までしか居られないけど」

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