第69話 戦い終えて

 ガレインがぴくりとも動かなくなったのを確認した後ふたりは術を解き様子を窺った。声にならない声がかすかに聞こえているので、どうやら意識はまだある様だ。しばらくすると彼の体はつま先の方から蒸発する様に霧散し始めた。

「ガレインの体が……消える……?」

「1000年前にとっくに滅んだ肉体だ。強引に復活させたんだろうし、元々大して丈夫じゃなかったんだろうね」

 彼が完全に消滅するまでにそれほど長い時間はかからなかった。

 これでこの街に襲いかかる脅威は去った。戦いは終わったのである。

「……っ!」

 憔悴し切ったシロは安心した途端にその場に倒れ込みかけたが、膝を突く前にイヴに抱え上げられた。足に力が入らず、立つ事すらままならなくなっていた。

「シロ! 大丈夫かい!?」

「あ……うん……」

「シロ!」

「シロちゃん!」

 ルシフが結界を消し、クロ達が急いで彼女の元へと駆け寄ってきた。それを見たイヴの左右に垂れる髪が、何かを思い付いた様にぴん、と重力に逆らう。

「あ、あ~れ~……」

 と気の抜けた声を出すと彼女はふらふらとよろめき始めた。

「あたしも年だね~。疲れちまったよ」

 そうしてくるくると回りながら肩を組んでいたシロをクロにぽんと預けた。

「おわっ!」

「きゃっ!」

 びっくりしたふたりは同時に声を上げる。

「だ……大丈夫か、シロ……?」

「ふえ……? あ……うん……」

 シロはクロの胸に身を寄せる形となってしまった。あまりにも近過ぎる距離に恥ずかしくなってついつい顔を俯かせる。

「……私の事……嫌いになった……?」

 彼女は戦いの最中ずっと気になっていた事を問い質した。自分が境界に来た真の目的が、一番知られたくない人に知られてしまった。

「……嫌いになんか、なる訳ねーだろ」

 クロは少々ためらった様子を見せながらもはっきりと答えてくれた。

「……ほんとに……?」

「そりゃ確かに最初は信じられなかったけどよ……その……俺もお前と暮らしてもう1年近く経つし……? お前がどういう奴かはその……ちゃんとわかってるっつーか……だから……嫌いになってなんかねーよ」

「……」

 少女は思わず笑みを漏らした。だが、決して誰にも見せる訳にはいかない。

「……まだしばらくはキツイか? 体」

「え……?」

 徐々にではあるがシロは気力を取り戻してきていた。ひとりで立とうと思えば立てなくはない。治癒の魔術だって使おうと思えば使える。

 だけど。

「……うん……その……うん……」

 嘘がバレたそばからまた彼女は嘘をついた。でもこの嘘だけはどうか許して下さい。どうかもう少し、このままで……。

 クロの心音が聞こえる。彼女の鼓動と重なる様に。これって、どんな音なのかな。私とおんなじ音なのかな。彼の胸でこもった吐息が彼女の全身を焦がした。

 ああ、私、恋をしているんだなあ。


「……いや~、若いって恐ろしいね……」

 シロ達からひとり離れたイヴは守田のそばまで来ると寄り添うふたりをしげしげと眺めていた。

「……俺は……」

 同じく子供達を見ていた守田が口を開く。

「俺は……とんでもない事をしようとしてたんだな……」

「……ちょっと失礼……ミリアテッサ」

 断りを入れるとイヴは彼の額に手を当てて呪文を唱える。守田の記憶の一部が腕を通じて彼女の脳へと流れ込んできた。

「……ほ~う……あんた、娘さんを亡くしたのかい……」

「……ああ……」

「……大切な人に会えなくなる悲しみはあたしにもよくわかるよ。けどさ……受け入れるしかないんだろうね……こればっかりはさ……」

 寂しそうに彼女は空を見上げる。

「何度繰り返しても娘は死んだ……俺はうっすらとどこかで、ならばずっと今日が続けばいいと思い始めていた……そうすれば娘はずっと生きているから……だけど、そのままじゃ俺は、あの子達の大事な未来を奪ってしまう所だった……あの子達はミカと同い年くらいじゃないか……子供の未来を、大人が奪っちゃいけないんだ」

「あんたにだってまだ未来はあるよ」

「……そうだな……まさか君みたいな子供に説教をされるとは……俺は、映画を作ってるんだ」

「うん、知ってる」

「いい物語を思い付いた」

「どんな?」

「天使と悪魔の、小さな恋の物語……ってのはどうかな」

「……いいんじゃない」

 イヴは再び少年少女に目をやりながら、ガレインが封じられていた本を手に取り魔術で火をつけた。本はゆっくりと燃えていき、やがて灰になった。


 壊れた道路やビルはイヴが修復の術で元通りに復元した。シロはそんな術がある事など知らなかったのだが、彼女だからこそ使える超上級の術らしい。

 一件落着した後、シロ達は山上公園に花見に来ていた。咲き誇る桜は綺麗にライトアップされ、夜にも関わらず広場は人で賑わっていた。

「夜桜もいいもんだね」

「うんうん」

 シートの上、桜を観賞する結に続いて陽菜も頷く。

「ほんとだね。ずっと昼に見てたから新鮮だよ」

 体力を取り戻していたシロは紙コップに入ったお茶を一口啜った。

「へ? あんたもう何回か花見したの?」

「え? ……ああごめん、こっちの話」

 ずっと今日を繰り返していたのはシロとイヴのふたりだけの秘密だ。他には誰も知らない。気付いていない。

「でもでも、私シロちゃんになら侵略されちゃってもいいよ」

「へ!? 何急に!? 陽菜」

「そうそう! シロなら誰も文句言わないよ」

「……残念だけど、もうそんなつもりはないから」

「えぇ~、女王様のシロちゃん見たかったのに~。クロちゃんもシロちゃんに支配されたいでしょ?」

「変な言い方すんじゃねーよ!」

「ていうかクロちゃん天使とか何かウケる」

「ウケるって何だよ!」

「あはは。でもこれでシエルさんもクロノ君もすっきりしたんじゃない? ふたりに隠し事無くなって」

「……うん、そうだね」

「俺は別に無理に隠してた訳じゃねーけど」

 王女は改めて友人達に向き直る。

「……そんな訳で、私、悪魔なんだけど……」

「うん」

「それで?」

「……それだけ」

 シロはにこりと微笑んだ。

 季節は巡り、また新しい季節へ―――あなたと。みんなと。


 守田はひとり夜道を歩いていた。子供達に花見に誘われたが、とてもそんな気持ちにはなれなかったので丁重に断った。娘を亡くした喪失感が当然心にあったからだ。何度味わっても慣れる訳など無い。だがそれ以上に、彼の胸の中は娘への罪悪感でいっぱいだった。

「お父さん」

 ふと聞き慣れた声がした。気のせいだと思い一旦は足を止めるが、彼はまたすぐに歩き始めた。聞こえない声が聞こえただけだ。俺は疲れているんだろう。当たり前か。

「お父さん」

 だが、その声はまたしても聞こえた。彼のよく知っている声だ。何度も何度も聞いてきた幼い声。もう聞こえないはずの声。

「……ミカ?」

 振り返ると、死んだはずの彼の娘が誰もいない歩道にひとり佇んでいた。幻でも見えているのか、俺は。

「……ミカ……!」

 それは確かに彼の愛娘だった。思わず守田は歩み寄ると力いっぱい彼女を抱き締めた。幻でもいい。彼はその手で娘に触れ、その体温を感じた。

「お父さんに、お別れのあいさつをしに来たの」

「……お別れの……あいさつ……?」

「うん。私、何も言えないまま死んじゃったから。だからきちんとあいさつをしておかなきゃと思って」

「……ミ、ミカ……!」

 彼の瞳から涙が溢れ出た。子供の様に泣きじゃくりながらきつく、ぎゅっと娘の肩を握る。

「お父さんは……お父さんはお前に謝りたかった……!」

「……どうして? どうしてお父さんが謝るの?」

「俺はお前を……何度も何度も殺してしまった! 何度も……何度も……! 痛かったろう……苦しかったろう……? ごめんなミカ! ごめんな! ごめんなあああっ!」

「……それは、それだけお父さんが私の事を大切に思ってくれてるって事だよ」

「だけどっ! だけど俺はっ! お前を助ける事が出来なかった!」

「いいんだよ、お父さん。いいの」

 ミカは優しく守田の手をほどくとぐしゃぐしゃな彼の顔を見上げた。この時彼は初めて、娘がいつの間にか妻に似ていたのだという事に気付いた。

「私の分まで幸せになってね」

「……俺は、お前の代わりになれるなら喜んでなるよ……! お前じゃなくって俺が死ねばよかったのに……!」

「そしたら私が悲しむよ。それに……お父さんの作る映画を楽しみにしてる人がいっぱいいるよ」

「ミカ……ごめんな……ごめんな……!」

「だからもう謝らないでってば。怒るよ?」

 彼女はふてくされた表情になる。しかしすぐに元に戻った。

「私はもう死んじゃったから。だから私の分まで生きてね。たくさんたくさん面白い映画を作ってね」

「ああ……ああ……!」

「ほんと? 約束だよ?」

「ああ、約束する……!」

「……もう、逝かなきゃ……」

「……ミカ……!」

「……ばいばい。元気でね」

「…………行ってらっしゃい……お母さんによろしくな……?」

「うん。行ってきます」

 温かな笑顔を残して、ミカはすうっと消えていった。


「……あんたも、たまにはいい事思い付くのね」

「たまにはってどういう意味よ?」

 山上公園へ続く大通りを歩きながら頭に乗っかっているアスモにイヴはやや不機嫌そうに返す。

「けど、急にあんたから情報を送られた時は何かと思ったわ」

「ま、別れぐらいきちっとさせてあげてもいいかなーって思ったのよ」

「……あんた、色々あったのね」

「まあね。そこそこは」

「これからシロ達と合流して花見をするんでしょ?」

「うん。あんたも見るの?」

「力を使ったご褒美くらいはもらってもいいでしょう? あんたの頭の上よりもクロちゃんの頭の上の方が居心地いいし」

「まーたこのエロ兎は……」

「そういえば、あの、ガレインだったかしら? 5ヶ月ぐらい前からこの境界に潜んでいたそうよ」

「ふーん……ん?」

 彼女の眉間に皺が寄る。

 ……あたしがこっちに来たのも確かそれくらいだった様な……。

 もしかして……あたしが開いた門に巻き込まれた?

「……余計な事はいーわない!」

「? どうしたの?」

「何でもない何でもない! あはははは!」

 長い長い今日という一日が、ようやく終わりを迎えようとしていた。



 第4節 境界大決戦! 了

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