第5節 もうひとつの物語

第70話 プロローグへのプロローグ

 境界の命運を賭けた決戦、それからその後の花見を終え、この夜シロ達が家に帰って来たのは午後十時前だった。夜桜の下で皆と過ごした一時は楽しかったが、ふたりの体は戦いのせいでくたくただ。

「おっ邪魔しま~っす!」

 彼女が玄関のドアを開けると真っ先にイヴが中へぴょんと入り込んだ。他人の家に住人を差し置いて上がるとは、なかなか図々しい精神である。

「おばあ様、案外元気だね……」

 パチッとリビングの電気をつければ、イヴはお~、と声を漏らしてぐるりと室内を見回した。

「ここがふたりの愛の巣ですか……!」

 にひひ、と八重歯を見せる幼婆。

「なっ!? ななななな何言ってるのおばあ様!」

 疲れが溜まっていたシロの顔がぼっと炎上した。後ろでクロも珍しく狼狽した様子を見せていた。

「お前なあ! 変な事言うと泊めてやんねーぞ!」

「あーはいはいわかったって」

 ふたりと同じ様にイヴも戦いのせいで体が重い。彼女は帰り道でギルバートの家まで帰るのはしんどいから今日は彼らの家に泊めて欲しいと頼んできたのだった。もちろんシロは快諾した。

「疲れたし、さっさとお風呂に入りたいねえ。クロ、湯沸かし頼むよ」

「言われなくてもやるけどお前に命令されるとかんに障るな」

「ま、まあまあクロ。私がお湯はってくるから」

「いや、俺がやるよ……聞きたい事もあるしな」

「へ……?」

 そういえば、シロにも気になっている事があった。自らの守護の印を彼女に見せた後イヴはこう言っていた。

 守護の印? あんたまだこれをそんな物だと思ってんのかい?

 ……あの時のこの言葉は一体どういう意味なのだろう……。

「イヴ」

 クロは真剣な面持ちで彼女に尋ねる。

「並行世界から戻ってくる時にお前の姿を見た。お前とあのガレインって奴が1000年前に会ってたらしいから、あれはあいつの記憶が反映された映像だったんだと思う。あれは1000年前のお前だ」

「……へえ……」

 イヴはぴくりと首を動かして反応を見せ、先ほどまでとは対照的な沈んだトーンで喋る。

「その時お前の後ろに、同い年くらいの銀髪の男がいたな? ちょうど俺と同じ髪の色だ」

「……ああ、いたね……」

 確かに、いた。シロも覚えている。

「俺はそいつの顔に見覚えがある」

「え!?」

 シロは驚いた。どうして1000年も前の、しかも魔界の人物を彼は知っているのだろうか。

「……まあ、あんたが知ってても不思議じゃないね」

「ああ……むしろお前の後ろにいた方が不思議だ」

「それをあんたが言うかい?」

「……それもそうだけど……」

「まっ、確かに不思議な関係だよ、あたし達は。あんた達もね」

「?」

 何を話しているのかシロはいまいちついていけていない。

「俺が聞きたい事ってのはそれだ。あれはルルゥ……1000年前の天界の皇子だ。成長はしてたけど俺はあの顔を何遍も見てきたからわかる。何でお前とルルゥが一緒にいたんだ? 大体、ルルゥは8才の時に死んだ……だけどあの時あそこにいたのはどう見ても今のお前と同じくらいの年……つまり俺達と同い年くらいだ」

「……やっぱり、そういう事になってるのかい」

「……教えてくれないか?」

「ちょっと待って。そのルルゥっていうクロのご先祖様はほんとに8才で亡くなっちゃったの?」

 シロが疑問を口にした。クロは丁寧に答える。

「ああ。1000年前、8才の時に魔界で悪魔に殺された悲劇の皇子。この事件がきっかけで当時の天使の戦意が高まって戦争は一気に激しくなった……お前も歴史で習ってるだろ?」

 彼から問いかけられたが、彼女はその様な出来事など全く聞いた事が無かった。

「え……そんな事件知らないけど……」

「? え?」

「あ、おばあ様。私も守護の印について聞きたいんだけど……」

「はいはいはいはい、だから言っただろ? 戦いが終わった後に話してやるって」

「じゃあ……」

「だから、まずはさっさとお風呂に入りたいって言ってるだろ」


 その後、全員の入浴が済み落ち着くと三人は再びリビングのテーブルの前に座っていた。ちなみにシロはイヴと一緒に風呂に入った。

「クロ」

 イヴは静かに口を開く。

「何だ……?」

「あんた、あたし達がお風呂入ってる時全く覗きに来なかったね」

「それが何だよ!」

「あれだけ『覗いちゃ駄目だからね♡』って言ったのに」

「もうこの流れはいいっつの! さっさと話せ!」

 そういえばクリスマスの時もこんな感じだったっけ……。

「お風呂入ったから喉渇いちゃったよ。いちごミルク飲みたーい」

 急かすクロを尻目にイヴは駄駄をこね始めた。

「そんなもんえよ」

「んじゃ買って来て」

「だからとっとと話を……!」

「話してる間に喉渇いたら話せなくなるだろー?」

「……っ!」


「ぷはーっ! お風呂上がりのいちごミルクは最高だねえ! ちょっと時間経っちゃったけど」

 イヴの要望通りクロは近くのコンビニで1.5lリットルの紙パックのいちごミルクを買ってきたのだった。これでようやく話が聞ける。シロは気持ちを引き締めた。

「う~む、どこから話そうかねえ……」

 イヴは人差し指の先を顎に付けて思案した。やがて考えがまとまったのか、話し始める。

「あたしが産まれた日は、それはそれは凄い嵐が吹いていたそうな」

「……」

「……」

「……あ、ごめん、今のボケだからツッコんで。そこからじゃなくていいよ! って。そんな真面目な顔で聞かないでさ。ほったらかされるボケが一番悲しいんだ」

「……おばあ様……」

「……お前、真面目にしてくれ……」

「何だよ~、だって昔の事話すなんて恥ずかしいじゃないのよさ~」

 左手を頬にぺたりと当て右手を招く様にぱたぱたと動かすという、見るからに中年女性の様な仕草をして彼女は恥じらう。そして今度こそ。

「そうさねえ……遡る事1000年前、魔界。そこには……」

 少しだけ顔を上げる。遥か彼方の記憶に思いを馳せている様な、そんな表情にシロには見えた。

「……天使と悪魔と、そして……人間がいた」


 語られる、古の記憶―――。

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