第52話 禁忌の代償

「あたしが目を覚ましたのはつい7ヶ月くらい前さね」

 日が暮れたアーケードを歩きながらイヴが語り始めた。

「目を覚ました……って? ずっと眠ってたの?」

 シロの質問を彼女はじっくりと聞く。先ほどまでとは雰囲気が少し違う。ついさっきまで彼女が見せていた子供の様なはしゃいだ笑顔はそこには無く、まるで幾重もの年月を重ねた大人の様な落ち着いた表情があった。

「そ。ずっとね」

「……どのくらい?」

「ん~……ざっと600年、って所かな」

「……600年?」

 ふたりのやり取りを、先ほどからクロは黙って胡散臭そうに聞いている。

「何かに呼ばれた様な気がして目を覚ましたんだ。ぱっとね」

「……? はあ……」

 真面目な顔をして話す少女を見てシロは戸惑った。正直、クロと同じ様に現実的ではない彼女の話を全く信用出来ない。

 だがそんな馬鹿げた話を平然とした様子でする彼女に違和感を覚えるのも事実であった。

「どうやら誰かが異界への門を開いたみたいでね。それを感じてあたしの意識は目を覚ましたみたいなんだ」

「……あ!」

 七ヶ月前というと……もしや自分が境界に旅立った時では?

「……心当たりあるみたいだね……そっか、お前だったんだね」

「多分……」

「何だ? 時空の歪みとか、そういうのがお前にはわかるってのか?」

 少し乱暴にクロが口を挟んだ……もう、だからそんなあからさまに態度に出したら……!

「うん。わかるよ」

 イヴはきっぱりと断定する。

「だってあたしは魔界だから」

「……は?」

 これにはさすがにシロも口をぽかんと開けた。

「いや、ってのは言い過ぎちゃったかな。まあ、何だ、その、あたしは魔界と繋がってるんだよ」

「魔界と繋がる……?」

「何で600年も眠ってたんだよ」

「それは……」

 イヴは立ち止まった。気が付くとシロ達はギルバートの店に下りる階段の前まで来ていた。

「……不老不死って、信じるかい?」

 クロはぴくりと反応した。


 香林の園は未だ休憩中だった。ギルバートにまた店を開けるのかと尋ねると、まだ先ほどの調理の後片付けが終わっておらず、時間も時間なので今日はもう閉めるとの事だった。

「お前は不老不死だとでも?」

「うん。そーだよ」

 カウンターに座って話を再開したイヴは、再び一瞬だけ子供の顔を見せた。

「不老不死って……そんな魔術あるのかよ、シロ」

「大昔はその研究が頻繁にされてたみたいだけど、結局術が成功したなんて話聞いた事無いよ……?」

「そりゃーそうさ。そんなのが知れ渡ったらみんな使っちまうだろ?」

「お前がひとりでこっそりと生成して、誰にも喋らずにいたってのか?」

「あたしじゃないよ、生成したのは」

「じゃあ誰が」

「天才さ」

「天才?」

「そ……いたんだよ、友達に、魔術の天才が……」

 彼女の瞳はまた寂しそうになる。

「ま、暗くなるからこれ以上はストップね。つまりそーいう事さね」

「イヴさんは不老不死で、600年前から生きている……と?」

「違う。もっと前。そうだな……今からだと1000年くらい前?」

 1000年前……というと、百年戦争が終結した頃だ。

「それって、戦時中?」

「うん。そうそう、あの頃は天使と戦ってたっけ。平和だねー今の魔界は。目が覚めた後に半年ぐらい見て回ったけど」

「それで何で境界に来たんだよ」

「んー、まあ……ちょっと来てみたかったんだ」

「……」

 話を聞いたふたりは黙り込んだ。1000年前に不老不死の魔術を生成した。その事を誰にも言わずにずっと隠していたというのなら一応筋は通る。とても現実的ではないが。

 だが、ここでひとつ疑問が生じる。シロが考えていたその疑問をクロが先にイヴに尋ねた。

「お前、不老不死の事を誰にも言わなかった……って言ったよな。だったら何で俺達に話したんだ?」

 うん。もっともな発言だ。

「それは……気紛れだよ。あんた達が……ごほっ……あっ……あんた達がっ……!」

 突如イヴに異変が起こった。体はがたがたと震え出し、息が荒くなっているのがシロにはわかった。

「あっ……はあ……はあ……あぁ……あっ……ああっ……!」

「? イヴさん? どうしたの?」

「がっ……はあ……はあ……く……来るなっ!」

 心配して近付くシロを払いのけ、彼女は店内を見渡した後化粧室へと向かって行った。

「イヴさん!」

 彼女が入った後、すぐにシロも化粧室の扉を開く。

「こっ、来ないで!」

 イヴの甲高い声が響く……だが今までとは少し違う……しわがれた様な声……。

「あっ、ああ……み、見ないで……見ないで……見ないで!」

 そしてシロは見てしまった。とても酷く歪んだ顔……いや……顔なのか……? しわしわで、ぐちゃぐちゃで、この世の物とは思えないほどに、何て……。

 何て醜い。

「……!? ……イヴ……? さん……なの……?」

 床に跪いていた少女に問いかけた。その声は思わず震えていた。

 やがてそれ・・は徐々に本来の輪郭を取り戻していった。醜い塊があった所には今や、イヴの顔がある。

「…………………………見ただろ」

 興奮が収まった後、シロを納得させる様に彼女がぽつりと一滴ひとしずく、言葉を落とした。

「……い、今の……は?」

「代償さ。不老不死の命を得た」

「じゅ、術は……失敗してたの?」

「いや、完璧だったよ。理論も、術式も、全てが完璧だった」

「じゃあ何で……」

「罰なんだよ。人道を踏み外したあたしへ大地が与えた罰」

「大地が……?」

「時々今の発作が起こるんだ。あたしは年を取らないし心臓を刺されたって死なない。だけどこの体はいつ死んでもおかしくない状況なんだ。死にはしないけど、いっつも死と隣り合わせなんだよ」

「……!」

 頭の中が混乱している。不老不死、死と隣り合わせの体……だが、シロは理解していた。それらが真実だという事を。今彼女の目の前にいる少女から感じるオーラ、尋常ではない。

「……どうして……どうして不老不死に……?」

「……それは……秘密……♡」

 イヴは作り物の様な笑みを見せた。

「あたしからも質問」

「?」

 調子を取り戻したのか彼女は立ち上がり、今度はシロに問い掛ける。

「あんた、クロの事……好きなの?」

「ほえっ!」

 ど、どどどどうして……? そんなすぐわかっちゃうのかなあ私……! シロは両手で頬を抑えた。

「はは……! あったりぃ~。イヴちゃんは何でもお見通しなのよ」

 この時の彼女の表情がシロには同年代の少女ではなく、もうずっと年上のお姉さんの様にしか見えなかった。フェイスよりもずっと、ずっと年上だ。

 だから、恥ずかしがりつつもはっきりと言う事が出来た。

「す、すすす……好きです……!」

「そっか。好きなんだ。そっか~」

 彼女は急ににやにやし始める。う、またこの反応か……。

「じゃああたしが奪っちゃおうかな~、クロの事」

「! そ! それは困りますっ!」

「はは。冗談だよ冗談。それに……」

 ふっと笑ってイヴは最後に付け足す。

「誰かを好きになるとか、そんな気持ち、もうとっくに忘れちゃったよ」

「……かわいそう、だね」

「え?」

「あ! ご、ごめんなさい! 私、イヴさんの事情も知らないで、つい……!」

「……そう、だね……かわいそうだね、あたし」


「……大丈夫なのか?」

 イヴとふたりでクロの元に戻ると、彼は不安気な声を出した。さすがに演技には見えなかったらしい。

「だーいじょぶだいじょぶ。ちょっとガールズ・トークしてきただけ」

「はあ……?」

「あの……えっと……と、とりあえず、イヴさんの話は信じていいと思う」

「不老不死?」

「不老不死」

 イヴが復唱して頷く。

「……それってつまり……」

 クロは言葉を溜めた。

「……ババアって事だよな」

「プッチーン」

「こっ、こらクロ! そうじゃなくてお婆さんと……はっ!」

「あんたらこのあたしの前でいい度胸してるねえ……! 1000年の間に練りに練った魔力を今ここで思い知らせてやろうか……!」

「い、いや違うのイヴさん! 今のはその……!」

「何や何や……王女様に天使の皇子に、今度は不老不死の魔女ですか……」

 その時カウンターの奥からギルバートが現れる。どうやら話を聞いていたのだ。

「次から次へと集まりますなあ」

「決めた! ギル! あんたも悪魔なんだろ?」

 ばっとイヴは彼に顔を向けた。

「へ? さよですけど……」

「そしたらあたしの面倒見て! あたし、しばらくこっちにいたいからさ」

「ええ? 何でワイの所なんですのあねさん……」

「いいじゃんいいじゃん! こ~んな可愛い美少女と一緒に暮らせるんだよ~♡」

「ババアだけど」

「後で殺す♡ ……ねえ、代わりに商売手伝ってあげるからさー!」

「ええ……?」

「イヴさんをよろしくね、ギル」

「ちゃんと介護してやれよ?」

「ええぇ……?」

「決まりー! さて」

 少女は指の骨を鳴らす。

「生意気な坊主共にはお仕置きをしないとねえ……」

「ちょっ! ちょっと待てイヴ! 落ち着け! ババアならもうちょっと大人の対応を……!」

「そ! そうだよイヴさん! あんまり興奮すると血圧が……!」

 慌てふためくふたりをぎろりと睨み付けながらも、心の中でイヴはこう思っていた。

 あたしが珍しく自分の話をしたのはね……。

 あんた達が、昔のあたし達・・・・に似てるからだよ。

 ……あんたもそう思うだろ? ……ルルゥ。

 こうして、ふたりの日常に新たなメンバーが増えた。1000年前から生きているという不老不死の少女イヴ。この出会いが、止まっていたもうひとつの恋の歯車を再び動かすのだ。

 そして、ふたりが暮らすこの街に大いなる災いが訪れようとしている事など、シロもクロもこの時はまだ、知る由も無かったのである。

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