第53話 シロとクロのクリスマス

 長かったはずの二学期もあっという間に終わり、子供達は冬休みに入っていた。これからまた二週間ほど、学校から解放される。そんな彼らを祝福するかの様に街もいつも以上に明るい雰囲気を放っていた。

 十二月二十四日。今日はクリスマス・イブだ。正確に言うと今日の日没後なのだが、細かい事は置いておく。この日恋人達はそれぞれの想い人と一緒の時間を過ごし愛を育む。少女もまた、そんな未来に憧れているのだった。

 だが、あくまでもそれは未来の話だ。なぜなら彼女はまだ、胸の内にそっと隠してある思いを彼に伝えられていないのだから。だから周りの大人達にとってどんなに特別な日であっても、彼女にとっては今日はいつもと変わらない、ただの冬休みの一日に過ぎないのだ。

 さて、そんな何気ない日に彼女は何をするのかというと……。

「……あ!」

 出掛けるためにいつもの様に髪を結い終えた時だ。リボンが突然ぷつんと切れてしまった。

「……あぁ…………!」

 何たる事。このリボンはもう何年も前から大切に大切に使い続けていたのに……。

「……うう……」

 しょうがないので、シロは長い髪を垂らしたまま部屋を出た。

「あれ? 今日はそのままで行くのか?」

 すでに準備を終えていたクロが不思議に思い尋ねてくる。外ではシロはいつもポニーテール。今まで一度だって髪形を変えた事は無かったのだった。

「うん……リボン……切れちゃった……」

「あー……そっか……ま、しょーがねーよ。物はいつか壊れるし」

 彼はさして興味が無いのか、淡々と言った。男の子にはわかるまい。女の子にとって髪の手入れがどれだけ大事かなんて。

「準備が出来たんなら行こうぜ。遅れちまう」

「う、うん」

 彼女は沈んだ気持ちのまま彼と共に繁華街へと向かった。

「お、いらっしゃ~い」

 ギルバートの店「居雑貨屋香林の園」に着いた時、イヴが相変わらずのテンションでふたりを迎え入れた。

 身寄りの無い彼女は結局ギルバートと一緒に暮らしている。その代わりに店を手伝っているという訳だ。そしてふたりが今日この店を訪れたのも彼女の依頼があったからだった。

「あれ? どしたのシロ? イメチェン?」

 シロを見るなり彼女はその髪型が真っ先に気になった様で聞いてくる。

「え~と、そんな感じです……」

 適当にシロは誤魔化した。

「いいねいいね。よし、んじゃーシロはちょっとこっちおいで」

「?」

 彼女に手招きされシロだけが呼ばれる。

「ちょっとお着替えするから健全なる少年は覗くんじゃあないぞ♡」

「覗かねーよ」

「え? 着替えるの?」

「そそ。制服にね」

「あ、なるほど……」

 制服……って、でも、ギルはいつも私服にエプロン付けてるだけじゃないっけ……。

 と思いながらも、シロはイヴに促されるままに従業員専用の更衣室へと連れて行かれる。

「覗いちゃ駄目だぞ♡」

「だから覗かねーって」

「ほんとにほんとに駄目だからね♡」

 イヴはクロに何度も「忠告」し、ドアを閉めた。


 数分後。シロとイヴの着替えが終わり彼女達は更衣室から出てきた。

「じゃ~~~~ん」

 ふたりは真っ赤な衣装に着替えていた。最近やたらと街中まちなかで見かける服装だ。サンタクロースとかいうじいさんの服を真似た。

「イ……イヴさん……!」

 シロは服と同じくらいに顔を真っ赤にしていた。

「こっ……この格好は何?」

「サンタだよサンタ。今日はイブなんだから。あ、あたしの事じゃないからね」

「ちょっ……ちょっと恥ずかしいんだけど……!」

 もじもじしているシロをクロはついついゆっくりと眺めた。衣装はワンピースの様に上下が繋がっているのだが、それにしてもスカート部分の丈がずいぶんと短い。聖道学園の制服よりもさらにミニなスカートだ。

 ドクンッ、と彼の心臓が鳴った。髪形もいつもと違うからか、妙にシロの姿が鮮やかに映える。

 やっぱ可愛いな。こう思わずにはいられなかった。

「じ~~~~~~~」

「!」

 じろりと睨みながらわざとイヴがその擬音を声に出したのに気付いて彼ははっと我に返った。

「見惚れてたな」

 彼女はにやりと八重歯を見せる。

「み、見惚れてねーよ」

「大体あんた、何で覗いてこなかったんだよ。それでも思春期か」

「は? お前散々覗くなって言ってただろうが!」

「馬鹿。あれはフリだよフリ。あんたバラエティーとか見てないの」

「覗いて欲しかったっつーのかよ!」

「だからあ、あたしはさ、着替えてる最中に覗かれてるのがわかって『ちょ、ちょっと、見ないでよ~!』っていうのがやりたかったのに」

「……お前こそ漫画の読み過ぎじゃねーのか……」


 ……で、結局覗きたかったの……?

 ふたりのやり取りを見ていたシロだが、そんな事など聞けるはずもなかった。

 今日シロとクロがこの店に呼ばれたのは、商売を手伝うためだ。クリスマス・イブだからいつも以上に力を入れたいらしい。またお給料も出してくれるそうなのでふたりはそれに釣られる形でやってきたのだった。

「よーしそれじゃギル、行ってくるよ~」

「はい。よろしゅう頼んます」

「え? 外に出るの? この格好で!?」

「クロは店内でギルのお手伝いね」

「ああ、わかったよ」

「あ、あのイヴさん、やっぱり私普通の服装で……!」

「何言ってんの! 客引きなんだから派手にいかなきゃ!」

 イヴに手を引かれシロは半ば強引に外へ連れ出された。


 彼女達の仕事は店に客を呼び込む事。シロとイヴは店の宣伝をしながらアーケードを歩いていった。それと共に事前に用意していた小さなチラシを道行く人に配っていく。イヴはプラカードも持って高々と掲げていた。

「うう、恥ずかしい……」

「何言ってんの。可愛いんだからいいじゃない」

「ほんとに、可愛く見える?」

「うん。そりゃクロも見惚れる訳だ」

「ふへっ!? み、みみ見惚れるって、私に!?」

「自覚が無いのがあんたの酷い所かもね」

「へ!? 酷いって!?」

「居雑貨屋香林の園で~す! クリスマス・セールやってま~す!」

 イヴは会話を中断し店の宣伝を再開した。仕事だからとシロも恥ずかしがりつつも声を出す。

 そんな様子でしばらくやっていると思わぬ出会いがあった。

「あ、シロちゃん」

「!」

 陽菜と結がアーケードを歩いていたのだ。シロは余計に恥ずかしくなりふたりから顔を逸らす。

「おー、バイトするって言ってたけど、まさかミニスカサンタのコスプレするなんて。あんたもずいぶんと大胆になったねー」

「あ、はは……」

 とりあえず笑っておく。

「クロちゃんは?」

「あ、クロならお店の方にいるよ……はい、これ」

 彼女はふたりにチラシを手渡した。

「今だけの特別セールだよー!」

 イヴが横から口を挟む。

「ありがと。後から寄るよ」

 以前シロに連れて来られた事がきっかけで、ふたりは香林の園の常連となっている。

「ありがと~」

「じゃあ行こうか陽菜」

「待って!」

 その場を離れようとした結を陽菜は止める。そして突如がばっとシロに抱き付いてきた。

「ふひゃあっ!? 何? どうしたの陽菜!?」

「……くんくん……サンタシロちゃんの匂いをしっかりとこの鼻に焼き付けておこうと思って……くんくん……」

「あっ! それ私もやっとく!」

「ちょっ! ちょっと結まで! や、やめてよもう! あひゃ、く、くすぐったいってば!」

「あ~携帯持ってたら写真に閉じ込めておくのに!」

 変態行為は数十秒続き、その後ふたりは名残惜しそうに去っていった。

「……いい友達だね」

 遠くに行く彼女達の背中を見ながらイヴは寂しそうに言った。きっと、昔いた友達の事を思い出しているに違いない。

「……今度ちゃんとイヴさんにも紹介するね」

「……ったく、何心配してんのよ!」

 シロの気持ちを察したのか、イヴは彼女の背中をばんと叩いた。

「あんたみたいな年端もいかない小娘に心配されるなんてね。伊達に長生きしてないんだよあたしは」


 途中で昼休みを挟みつつ、アルバイトが終わったのは午後の五時頃だった。

「はい、これお給料です」

 シロもクロもくたくたに疲れていたのだが、ギルバートから差し出された封筒を見るなりすぐに目をきらきらと輝かせた。

「いやー今日はほんまにありがとうございました。宣伝のおかげでお客さんもいつもよりぎょうさん来はったし、坊ちゃんの手伝いもあったさかい助かりましたわ」

「あとはいつも通りあたし達でやるから、あんた達はイブを楽しみな。あ、あたしの事じゃないよ」


「は~、疲れた」

 店の外に出たクロの第一声がこれだった。

「でも、お給料もらえたし、よかったね」

「おう……見るか、中」

「う……うん」

 ふたりは揃ってごくりとつばを飲み込み、いけない物を見る様にこっそりと封筒の中を覗く。

「……おお!」

「お、お金が入ってる!」

 給料なのだから当たり前なのだが、ふたりにとっては初めての労働、そしてそれによって得た対価だったのだ。

「……よし!」

 クロは封筒を大事そうにバッグに入れた。

「んじゃ、どっか適当に店回るか」

「え? もう使っちゃうの!?」

「切れたんだろ、リボン」

「え?」

「今日はクリスマス・イブだからな」

「……か、買ってくれるの?」

「……何か見てて落ち着かねーんだよ、それ」

 そう言って彼はぷいと顔を背けた。この時少女は、ただドキドキしていた。


 適当なアクセサリー・ショップに入ると、リボンはすぐに見付ける事が出来た。たくさん売られてある。

「好きなの選べよ……あんまり高いのは考えるけど」

「……ん~……じゃあ……」

 シロは少し悩んだ後、

「クロが決めてよ」

と彼に決定権を委ねた。

「え? 俺? 何で?」

「いいから」

「俺にリボンのセンスなんてわかんねーぞ」

「いいってば」

「どうなっても知らねーからな……んーと……じゃあこれ」

 彼が選んだのは真っ白で、模様も何も無いシンプルなリボンだった。

「……ちなみに、何でこれ?」

「……シロいから」

「ぷっ」

 シロはたまらず吹き出す。

「ほ、ほらな! 俺が選んだらこうなるんだよ!」

「じゃあこれでいーや」

「は? ほんとにそれでいいのか? もっといっぱいあるぞ。カラフルなのとか」

「ん。これでいい。これがいい」

「……?」

 やっぱり女心はよくわからん。

「ねえクロは? クロは何か欲しい物無いの?」

「え? 俺は別に……」

「私だけ買ってもらうのも悪いし」

「いや、だから別に……」

 リボンを決めた後も店内を何の気無く歩き回っていたのだが、ある物を見付けてクロは足を止めた。

「どうしたの? 何か欲しい物あった?」

「……強いて言うなら……」

 彼は恥ずかしそうにそれを彼女に見せた。ブレスレットだ。

「あ、ブレスレット。クロ付けてるもんね」

 いや、左腕のブレスレットこれは神器を転送するための装備であって、好んでこんなダサいの付けないんだけど……。

 次の瞬間そのブレスレットのパッケージを見ていたシロがまたあははと笑った。

「……これ、もしかして、これ・・だから……?」

 彼が選んだのは、静電気を除去してくれるブレスレットであった。身に付けているとブレスレットから静電気が逃げていく、という代物である。効果の程はわからないが。

「クロ、放電出来るんじゃないの?」

 シロは笑いながら問いかける。

「……体の表面に残った電気は別だ」

「大体、バチッてきてもクロ、平気じゃないの?」

「別に痛くねーけど何かうざいんだよ。いちいち起こんのが」

「わかったわかった。じゃあこれプレゼントするね。あはは」

「わ、笑うなよ!」


 互いにプレゼントを買い終え、今度こそ帰ろうかなとシロが思っていると、クロはまだ寄り道をする様だった。

「……これ……」

 次にふたりが訪れたのは臨海公園。繁華街の外れに位置する、海に接している大きな公園だ。以前、ふたりがまだ出会って間も無い頃に一度だけ来た事がある場所だった。その中にある噴水広場までやってくると、そこは鮮やかなイルミネーションで彩られていた。あ、と少女は思い出す。

 冬になるとイルミネーションが綺麗らしいんだよ、ここ。そしたらさ、また来ようよ。

 以前彼女が少年に言った言葉である。

「覚えててくれたの……?」

「……約束、したからな」

「……!」

 ああ……! どくん、と彼女の胸が高鳴った。まるでエンジンがかかった自動車の様に、その音は鳴りやまない。いつまでもずっと彼女の内に聞こえてくる。

 私、この人の事好きだ……。

 とっくの前からそんな事わかってたのに、今さらになってまた強くそう思った。

 その時、突然音楽が流れ始め、それに合わせて水が出たり、止まったりし始めた。噴水を照らしているライトもついたり消えたり、音に合わせて動いている。ちょっとしたショーの様だ。

 後から知ったのだが、どうやら一時間に一度、午後六時、七時、八時、九時ちょうどになるとこの演出が起こるらしい。

「もしかして、これに合わせて……?」

「いや、これはただの偶然」

 噴水の周りには多くの恋人達が集まり、その音色と舞い踊る飛沫しぶきに魅入っていた。ふたりも芸術を鑑賞する様に静かに佇んでいた。

 あ……何か……何かこれ……。

 デートみたい。

 ひっそりと少女は周りを見渡す。この人達、みんな恋人同士なんだろうなあ……もしかして、もしかして、私達もこの人達から、自分達と同じ様に見えてるのかなあ。

 恋人みたいに見えてるのかなあ。

 すると、ぽつ、ぽつ、と白い粒が落ちてくる。雪だ。彼女の服に、髪に、肌に当たってはすぐにじわりと溶けていく。きっとこのままどんどん降り続いても、私の上には積もらないだろう。きっとこの熱が、たちまち溶かしてしまうから。

 一分ほどでショーは終わった。辺りにいた恋人達はまばらに散っていく。

「……ねえ、また来年も来ていい?」

 イルミネーションの期間はまだまだ当分は続くのだが、彼女はあえて来年という言葉を口にした。何というか、一年に一度の楽しみにしておいた方がいい。そう思った。

「1年後か……長いな……覚えてたらな」

 彼は以前と同じ言葉を口にした。

 その時は、今とはまた違った関係になっていたらいいなあ……と少女は夢を見る。もう少しで言えそうなのに、なかなか言えない。歯痒い。だからその時までに、勇気を出して……。

「帰るか」

「うん」

 長かった寄り道が終わると彼女は少年と共に今度こそ家路に就く。一年先の未来を夢見て。信じて。


 だけど、その夢は叶わない。

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