第37話 サマー・エンド・インシデント

「シロをどこに連れてった!?」

 目の前の男にクロは問う。彼女を捕まえて姿を消した謎の男の後に現れた、もうひとりの謎の男。見た所まだ若い。細い目をした柔らかい顔が、その笑みの不敵さを際立たせている。

「あんまり手荒な真似はしたくないからね、僕は!」

 クロの言葉には何も答えず、彼は翼を広げまっすぐふたりに向かってきた。翼……黒い翼……。

「薫!」

「! うわっ!」

 すかさずクロは薫の手を掴み翼を出して避けた。波際から少し離れる。

「! 何っ!? 避けた!?」

 男は予想外の展開に驚いていた。

「……! 君……! その翼は……!」

「う、うわああっ!」

 男がクロの姿を見るのと薫が男の姿を見て声を上げたのは同時だった。

「ク、クロノ君! あ! あの人つ、翼が生えてるよ! く、黒いよ! き、君みたいに白い翼じゃなくて、ま、真っ黒だよ!!」

「……やっぱお前ら、悪魔か」

「あ、悪魔ぁっ!?」

 薫の声が上擦る。

「悪魔って、あの悪魔!?」

「お前が言ってる悪魔がどの悪魔かは知らねーが、天使おれたちの敵である悪魔だな」

「て、敵って!」

「そう言う君は天使だね……! どうして天使が境界こんなところに……!」

 男は動揺していた。以前出会った悪魔もクロに驚いていた。ま、境界には不干渉、それが暗黙の了解ルールだもんな。

「シロをどこへ連れてった」

 男の疑問には答えずにクロは再び尋ねた。

「シロ……王女様の事かい? まさか、王女様と天使がお友達とは……!」

「いいから答えろ」

「これは、何やらめんどくさくなりそうだね……」

 男は構えた。何かやる。この場でまずすべき事は……。

「とりあえず吹っ飛べ! アンドルト!」

 彼は魔術を唱える。旋風が起こり、砂嵐がふたりを襲ってくる。

「うわあああっ!」

 クロも薫も体を巻き上げられてしまった。薫から離れる前に、クロはポケットからカードを一枚取り出した。


 砂嵐が収まると、ふたりいた少年のうちの片方は彼の後ろの波際へと落ちた。そして、もうひとりの、あの天使の少年は……。

 彼の前方に立っていた。だが先ほどまでと様子が違う。いつの間にか右手には刀が握られていた。鞘も腰に提げられている。

「……ずいぶんと物騒な物を持ってるね」

「もういっちょ見せてやろうか?」

 そう言うと少年は刀を空中へと投げ上げた。そして一枚のカードを取り出し、身に着けていたブレスレットと擦り合わせる。カードは燃える様に無くなった。

「来い……神薙」

 プラズマと共に長槍が現れる。少年の背丈よりも長い。そして彼の銀色の髪が一瞬の内に金色へと変わった。

「! ……まさか天使も魔術が使えるなんてね……!」

「だから魔術じゃねえって言ってんだろ!」

 少年は落ちてきた刀を左手でキャッチすると素早く槍を構えて彼の方に向かってくる。こいつはやばいな。彼は直感的に思った。この少年、ただの天使じゃなさそうだ。それとももしかして、天使って奴等はみんなこうなのか?

「こういう手はあんまり使いたくないんだけど!」

 そう言ってすぐに後ろに向かう。そこにはもうひとりの少年が飛ばされてきたはずだ。さっきの会話を聞く限り、あの子は人間らしい。

「え? うわああああっ!」

 眼鏡の少年が自分に迫って来る彼に気付いた。悪いけど君、ちょっと使わせてもらうよ!

 そう思って少年を捕まえようとしたのだが、何と信じられない事に彼の腕は少年の体をすり抜けた!

「え?」

 腕だけではない。突進していた彼の全身が少年を通過して、彼はそのまま海の上に来てしまった。

「!? は!? 何事!?」

「ばーか」

 考える間も無く彼は背中を蹴られる。

「うおおっ!」

 そのまま海へと落ちてしまった。

「ぷはあっ!」

 水面から顔を出すと頭上には天使の少年が槍を構えて飛んでいる。

「くっ……!」

 水を操る術を……!

「水に入った時点で、もうお前は負けてるんだよ!」

 少年は槍を海面に突き刺す。

「どりゃあっ!」

 それと同時に彼の身体を鋭い痛みが襲う。

「うっ!? うぎゃああああああああっ!」

 ばちばちばちっ、と全身に痛みが走る。これは……で、電気……!? ……彼の意識は遠のいていった……。


「手荒な真似をして申し訳ございませんでした」

 シロが連れて来られたのは、海水浴場のすぐ近くにある森だった。魔術で作られた明かりの中には男がひとり待っていた。二十代後半から三十代前半といった感じだ。頭にはバンダナをしており、体格がよく、四角い顔の輪郭に沿って髭が蓄えられている。

「俺はアゼルと言います。そいつはガイン」

 シロをここまで連れて来た男はぺこりと一礼した。髪がつんつんと立っているこちらの男はアゼルよりは若い様だ。

「は、はあ……」

 彼女は状況を飲み込めていなかった。悪い人達にさらわれた訳ではなさそうだが。

「人目に付かない様にここへ連れて来たかったんですけど、王女様海で遊ばれた後すぐにご友人らとホテルに入ってしまって……」

 ガインが詳細を語り始めた。

「フロントの人間に尋ねたんですが王女様の名前を出しても知らないと言われて」

 それもそのはずだ。ホテルはギルバートの名前でとっている。

「それで部屋もわからず……しょうがないから明日の朝出て来た後にどうにかしようと思いながらずーっと外で監視してたんです。そしたら王女様が急に海に出て来たので……」

「それで、私をここに連れて来て、何をしたいんですか?」

 シロは尋ねる。

「実は……」


「……あちゃー……こりゃ完全にのびてんな……」

 クロは海中から男を引きずり出した後砂浜に寝かせた。その体はぴくりとも動かない。

「結構激しめにしてたからね……」

「手加減したつもりだったんだけど」

「それにしても、どうなってんのクロノ君? 何で電気出せるの?」

「ん~、俺に聞かれても……一族の遺伝というか……」

「それに、いきなり刀で斬られてびっくしりたよ。凄いの持ってるんだね」

 砂嵐に飛ばされた直後、クロは一枚のカードを取り出し神器を転送した。

 三種の神器のひとつ、最強の盾「神居カムイ」。盾といってもその見た目はどう見ても刀。斬られたものは空間から斬り取られ、あらゆるものからの干渉を受けなくなる。ただし目には見える。声も聞こえる。ただ触れる事が出来ないのである。神の居所には何人たりとも干渉出来ない。絶対防御の盾。

 効果は刀を鞘から抜いている間だけ持続する。クロはこの神居を取り寄せると、すぐに薫を斬った。彼の安全を確保するのが先決だと思ったからだ。

 その後男が薫を人質に取ろうとした訳だが、その事がクロにとっていい結果に繋がった。特に苦労せずに彼を倒す事が出来た。

 ちなみに、効果が持続している間、つまり刀を鞘から抜いている間、使用者であるクロの体力は徐々に削られていく。そのためあまり長い時間使う事は出来ない。また消えてしまったカードだが、使い終えた神器を宝殿まで再転送する事で再び現れる。

「参ったな……シロの居場所を聞き出さなきゃいけねーのに……おい起きろ! 起きろってば!」

 気絶している男の顔をクロは容赦なくはたき始めた。

「クロ!」

 その時背後から思わぬ声がする。シロだ。

「! シロ!?」

 彼はびっくりして振り返る。

「お前、無事だったのか!」

「うん。この人達、悪い人達じゃないよ」

「え? でもこいつ、思いっきり攻撃してきたぞ」

「え?」

「ペル!」

 シロの後ろにいた男が駆け出し、倒れている男の元へ寄って来た。

「あ、あんたさっきの……」

 シロを連れて行った男だ。

「ペル! おい大丈夫かペル!」

「どうしたの? その人」

 シロが尋ねてくる。

「倒した」

「へ?」

「ちょっとやりすぎちまったかな……海水だったからそこそこ抑えたつもりだったんだけど」

「何をしたの?」

「電気流した」

「電気!?」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「クロノ君、発電出来るんだよ。変な体だよね」

 クロの隣で薫が補足した。変とは何だ変とは。

「そ、そうなの……?」

「ペル! しっかりしろ! おいペル!」

 シロをさらった男はぱしぱしとペルと呼ばれる男の顔をはたき始めた。

「俺もさっきからそうしてんだけどさー、全然起きないんだ」

「何? おいしっかりしやがれ! ペル!」

 今度はグーで殴り始める。この男もなかなか容赦ない。

「おいペル! 起きろ! 起きろっつってんだろ! 怒るぞおら! てめえこんちくしょお死ねこの野郎!」

 攻撃はどんどんエスカレートしていった。いや、あんた本当に心配してんの。


 ペルの意識が戻った時、彼の顔はぼこぼこに腫れ上がっていた。

「……何か顔がやたらと痛いんだけど」

「気のせいじゃない?」

 全員が口を揃える。

「で? 悪い奴じゃないって、じゃあ何でシロをさらったんだよこいつらは」

 意識も無事に回復した所で(俺のせいだけど)改めてクロはシロに聞いた。

「それは……」

 彼女はその理由を説明し始めた。


「魔界に帰れなくなった?」

「そうみたい」

「何でよ」

「実は……」

 彼女は説明を続ける。

 魔界から境界にやって来るには空間を歪める必要がある。これはクロも知っている。次元の歪みだ。昔は天界にも境界と繋がる歪みが存在していた。今は魔界とを結ぶ物ひとつになってしまったが。

 しかしここからが天界の物とは違う。魔界ではどこかの空間が歪むと必ず他のどこかの場所でも同じく歪みが自然に起こってしまうらしい。原因はよくわかっていないそうだが、空間の質量のバランスを保つために、魔界自体がそれを行っている、と言われている様だ。

 遡る事四ヶ月前、シロが境界にやって来る際にも当然その現象は起こった。空間が歪んだ時、強い力が働いてその穴の中にあらゆるものが吸い込まれてしまう。彼ら三人はそれに巻き込まれてしまったという。

「私のせいなの」

 シロは申し訳無さそうに声を落として言った。

「……シロ」

 ふとクロは薫に目をやると、彼は口をあんぐりと開けていた。

「大丈夫か、薫?」

「……ファ、ファンタジー過ぎて何とも……ていうか、シエルさん悪魔だったの……?」

「あ」

 彼女はわかりやすくどきりとする。効果音が聞こえてきそうだった。

「……? あれ? 悪魔って、天使の敵なんだよね? じゃ、じゃあシエルさんはクロノ君の敵なの!?」

「天使いっ!?」

 薫の発言にシロが連れて来た男ふたりは驚く。

「お、王女様、この少年は天使なんですか?」

「あ、うん……」

「そっ、そうなんですよ兄貴! この子めちゃくちゃ強くて! ちょっとばかり気絶しててもらうはずだったのに逆にやられちゃいましたよ!」

 ペルも思い出した様に口を開いた。

「まあまあいいじゃねーか! 俺とシロは友達なの! それでいいだろ!」

 疲れた様にクロは言った。

「じゃあ何だ? こいつらは魔界に帰りたいのか?」

「そういう事だ」

 アゼルが答えた。


「んでまたワイの札を使うんですか……」

 ギルバートはのっぺりとした声を出した。シロは一旦ホテルへ戻り、彼を起こして海水浴場へ連れて来たのだった。

「ギ、ギルバートさんまで悪魔……」

 薫はますますこんがらがっていた。

「ま、今日は何やかやでええもん採らせて頂きましたさかい、文句は言いません」

 ギルバートは札をかざす。小さな穴が上空に開いた。

「これで帰れますよ。ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」

 シロは三人にお辞儀をした。聞いた話によれば、境界に流されてきた彼らは今までずっと魚や果実を自分達で調達して人目に付かない様に凌いできたらしい。

「いえいえ、こちらこそ手荒な真似をして申し訳ありませんでした」

 対するアゼルは再び謝った。

「侵略の方も、頑張って……」

「わ~~~~~~~~~~~!」

 言葉を続ける彼の口をシロは慌てて塞ごうとする……が、背が低くて届かない。ぴょんぴょん跳ねているだけだった。

「そ、それは内緒にしてるんです」

 小声でアゼルに伝えた。

「それから、迷惑をおかけしておいて頼むのも何なのですが……出来たら私が天使と友達だって事、向こうでは誰にも言わないでもらえますか」

「……わかりました。何か事情がおありの様ですね」

「え、ええ」

 好きなんです。とは言えない。

「あと……」

 続けて彼女はメモをアゼルに手渡した。

「これを」

「これは?」

「お父様への書簡です。役場に持って行って、大魔城まで届けてもらって下さい。迷惑をかけたお詫びに援助をする様に頼んであります」

「……わざわざそんな物まで……ありがとうございます」

 彼はメモを丁寧にポケットに入れた。

「それじゃあ、門が閉じる前に早く……!」

「はい。ありがとうございました。おいお前ら」

「はい! ありがとうございました! 王女様!」

 アゼルに促されペルもガインも感謝の言葉を述べた。

「では!」

 三人は次々と異界への門へ入っていった。やがて穴はどんどん小さくなっていき、空間はしっかりと閉じられた。

「一件落着だな」

「うん」

 四人はホテルへと引き返した。


 こうして、夏休みの終わりに起こった小さな事件は幕を下ろした。

 しかし、それと同時に少女にとって大きな事件が起こりつつあった。

 その事に気付いたのは帰りの電車の中だ。

 彼女は昨夜の事を思い出していた。それにしても、クロが発電能力を持ってるなんて知らなかった。天使にもそんな魔術みたいな力があるんだ。クロは神の一族だけの固有の力だって言ってたっけ。

 ……ん……? 電気……?

 彼女の指先にあの感覚が蘇る。クロと触れ合った時に感じた、あのびりりとした感覚。

 恋する感覚。

 ……え……? まさかあれって……?

 少女は戸惑った。あの感覚が本当は何なのか。その正体を知ってしまった。

 あれ……? 私……。

 あれは……恋じゃないの……? それって、私、私……。

 恋、してないの……?

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