第38話 磑風舂雨

「おはよう、クロノ君」

 久し振りの教室。薫はクロよりも早く登校していた。

「おう、はよー……はあ~だりいな……」

 クロは席に着くなり机に伏した。三十五日振りの登校。何ともめんどくさい。そしてこれからまたしばらくこの日々が続くのだ……。

「おう、お前ら」

 郷田達三人組も登校してきた。一学期と同じで、相変わらずの様子だった。そりゃたったの1ヶ月じゃ全然変わんねーか。

「はあ~……またこいつの顔見なきゃなんねーのか……」

「ちょっクロノ君! またそうやってすぐに喧嘩売る様な事……!」

「ああ!? 何だてめえクロノああ!? お前相変わらずムカつく野郎だなあおい! 新学期早々やるか!? ああ!?」

「あ、茜君も落ち着いて……!」

 こうして彼らの日常が戻って来た。

 やがて担任教師が教室に入り、ホームルームが始まる。彼は変わらず爽やか……とは言い難いが、表情が柔らかく、人に懐かれやすそうな教師だ。クロもこの教師の事を接しやすく思い、嫌いではなかった。

「えー、みんなおはよう」

 彼のこのあいさつに律儀に返す生徒もいれば返さない生徒もいる。クロもわざわざ返さない内のひとりだ。薫は真面目に返していた。

 彼は少し話をした後に、改まって切り出した。

「えー……新学期が始まってすぐなんだがちょっとしたお知らせがある」

 表情が少し硬くなったので、生徒達はざわついた。

「先生辞めないでー!」

 ある男子がこう叫んだ。だが彼はこの教師が本当に辞めるだなんて少しも思っていないに違いない。ジョークだ。

「はは……」

 担任教師はやや返答に困っていた。

「……俺じゃないんだよな……」

 この言葉に再び教室がざわつく。

「……実は、早見はやみが今月いっぱいで転校する事になったんだ」

 クラスは一転して静まった。先ほどジョークを飛ばした男子生徒も目を丸くしている。まさか本当に誰かがこのクラスから離れるなどとは思っていなかったのだろう。

「……早見、あいさつしてくれるか?」

「……はい」

 担任に促されひとりの生徒が立ち上がった。

 早見凛琥リンク。学級委員を務めている男子生徒。凛々しく爽やかで、物腰も柔らかい。女子からの評判がいいとか何とかいう情報をクロはかつて薫から聞いた事があった。

「……実は、母さんが他の病院に移る事になったので、引っ越す事になりました」

 彼の母は病気で入院している、という情報もクラスの誰もが知っていた。

「大きな病院に移って、そこでもっと高度な治療を受ける事になって……悪化したとかじゃなくて、よりよい設備で治療を受けるから、今の所よりもきっと治るのが早くなると思います。だから心配はしないで下さい」

 皆早見の言葉に耳を傾けていた。

「だから、あと1ヶ月ですけど、みんなと思い出を作っていきたいと思うので、よろしくお願いします」

 彼はあいさつの最後をこう締めた。

「今月末には文化祭もある。みんな早見とたくさん思い出作っとけよ」

 ホームルームが終わると皆次々と早見の席へと言葉をかけに行く。

「僕達も行こうか」

 薫に誘われクロは席を立った。

「にしても、俺が編入してきた時と大違いだな」

 早見の元に人がどんどん押し掛けている様子を見てクロは言う。

「はは……クロノ君ちょっと不愛想だったしね……」

「よう、早見」

 彼の席に着くとクロは一声かけた。

「クロノ君……嬉しいな、君まで来てくれるなんて」

 早見は笑みを見せる……俺ってそんなに友達思いじゃない様に見えんの?

「ちょっとの付き合いだったけどよー、何か寂しくなるよ。ひとり急にいなくなるなんて」

 クロは思っている事を素直に言った。

「……ありがとう。お互い元気でね」

「おう」

「あんまり話さなかったけど、寂しいのは僕も同じだよ」

「ありがとう、小早川君」

 早見リンクはまた微笑んだ。


「9月になったというのに、相変わらず暑さは続くね~」

 背もたれを前に後ろに動かしながらひょうきんに言った後、彼は机に置かれたコップを取り、中身をぐびぐびと飲む。

「はあ~。やっぱり夏は麦茶に限るね。マリア君、君の作った麦茶はいつ飲んでもおいしい」

「……それはどうも」

 インスタントの湯出しですが。と横に立っていた彼女はツッコむ。

「さあさあ、君も飲みたまえ。おいしいよ~」

「……いただきます」

 少し離れた接客用のソファーに座っていた少年は、同じく差し出されていた麦茶を一口飲んだ。普通のインスタントの麦茶だ。

「……それで、麦茶をご馳走してくれるためにわざわざ僕を呼んだ訳じゃないでしょう?」

 コップを置き早見リンクは彼に尋ねた。

「君のクラスに編入生がいるだろう? と言っても編入してきたのはもうずいぶん前だが」

「クロノ・ヴォルトシュタイン……の事ですか」

「そうそうその子。いやその方」

 彼がクロの呼び方を丁寧に改めたので早見は不審に思う。

「? ……彼がどうかしたんですか」

「彼ね、皇子様なんだよ」

「は?」

 急に何を言い出すんだこの人は。子というと、どこの国のだ。イギリスか? それとも……って、どうして僕はまじめに考えているんだ。

「神様の一族の名を知っているかい? ヴォルトシュタイン」

「……それは本当なんですか」

 早見の眉はぴくりと動く。

「ああ。そこら辺のヨーロッパの国の王子様、とかじゃなくて。彼はね、私達・・天使の皇子様なんだよ。神様の弟」

「……神の……弟……」

「率直に言おう。データが欲しいんだ。私は」

 彼は背中を倒した。

「データ?」

「そう。彼のデータがね」

「……個人情報……とかいう意味じゃなさそうですね。彼ら・・を使えばいいじゃないですか」

「駄目だよ。あの子達にはまだ目立たれてはいけない」

「僕ならいいと」

「ん~、そういう訳でもないんだけど……君なら上手くやってくれるんじゃないかと思ってさ。こわ~い能力もあるし」

「……何なら今ここで使ってあげましょうか?」

「それは困る。頼むよ、転校前くらい私のお願いを聞いてくれてもいいんじゃないかな~?」

「……」

 少年はしばし考えた。この男は何を考えているのかわからない。いつも飄々としていて何も考えていない様に見えるが、何もかも見透かされている様な気分になる。

「わかりました」

 早見は頷いた。

「母さんの転院も含めて、あなたには色々とお世話になってますし……それに神の弟だというのなら、少しばかり復讐心も湧いてきた……いいでしょう。乗ります」

「本当かい?」

 彼は嬉しそうに背中を戻す。

「……どっちみち僕に選ぶ権利は無いんでしょう。母さん人質がいますし」

「やめてくれよ。そんな言い方」

「あなたは本当に嫌な人だ」

「全くです」

 マリアが同意した。

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