第30話 デートとはこんなものかしら
「みんなー、ありがとー!」
大歓声の中、ふたりはファンの人々に手を振った。三時間にも及ぶ長いライブが終わった。今回の公演は野外ステージが会場の大きめのもので、十台以上ものビデオカメラで撮影もされていた。後日映像ソフト化されるのだ。
「お疲れー」
控え室に入ると汗でびっしょりになった体を拭きながらフィリアンヌは椅子に座った。室内には冷房が程よく効いている。
「お疲れ様ですー」
彼女と共にステージでパフォーマンスをしていたもうひとりも腰を下ろした。フィリアンヌのパートナー、ティルミスだ。彼女と同い年なのだが、いつも敬語で話してくる。本人曰く癖になってしまっているとの事。
「あ~~~~~、ベッタベタ。さっさと着替えたい」
衣装の胸の辺りをぱたぱたとしながらフィリアンヌはテーブルに置いてあるドリンクに手を伸ばした。シャワーを浴びに行く前に少しゆっくりしたい。
「無事に終わってよかったですねー」
ティルミスが安堵の息を漏らす。春にこの野外ライブの開催を告知してから、ふたりはずっとこの日に向けて頑張ってきた。今年はまだあと四ヶ月ほど残っているが、今日のライブがフェアリー・テイルのこの一年の活動の中で最も大きな物なのだ。
「ほんとねー。スタッフさんにもきちんとお礼言わないと」
「明日からお休みですよー。しっかり体を休ませないとですね」
一大イベントの後は十日間のオフがふたりを待っていた。アイドルとしての芸能活動を一切行わない、事務所からのサービスの様な物だ。
「で、しっかり準備しないとね」
「そうですね」
ふたりは目を合わせた。オフの最中、ふたりだけで旅行をする計画を立てている。
「ま、何だかんだで連休中でも私はばたばたと動くけどねー」
「え、そうなんですか」
「うん。ちょうどいいから境界に下りようと思ってねー」
「あ、そうでしたね……楽しんできて下さいね。どんな所か、お話聞かせて下さい。それから……」
「しっかりお土産買ってくるからね」
「はい!」
ティルミスは嬉しそうな声を出す。
「さーて、じゃあシャワー浴びに行きますか」
「そうですね」
汗も引いてきた所でふたりは立ち上がり、ロッカーから着替えを取り出した。
「明日はお昼まで寝て……それから美容院にでも行こうかな……せっかく、はるばる会いに行く訳だしねー、婚約者に」
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」
時速70kmでコースターは降下していく。隣に座っているフィリアンヌは興奮のあまり叫んでいた。恐怖も混ざっているのかもしれないが、顔は楽しそうだ。
「いや~~~~、凄いな境界! こんなの
「すっげー羽がうずうずしてたぞ」
コースターから降りた後、クロとフィリアンヌは初めてのジェットコースターの感想を言い合っていた。
「まだあと4つあるみたいだな」
ガイドマップを広げてクロは言った。
「だったら、目指すは全制覇よ! 覚悟はいいわね!」
「おう!」
ふたりはテーマパークに遊びに来ていた。クロが住んでいる街から電車で三駅ほど進んでやってきた。まさかいきなりフィリアンヌが押し掛けてくるとは思わなかったが、ここ楽しいし、まあいいか。
ただちょっと、シロが気になるけど……。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ふたつ目のジェットコースター。今度はクロも声を上げる。
「楽しいなあ、ここ!」
再びガイドマップを広げてふたりで覗き込む。このテーマパークはかなり広い。学校よりもだ。
「次は……え~っと……あ、ここね」
三つ目のコースターの場所をフィリアンヌが指す。
「よし! さっさと行くわよ!」
彼女は駆け出した。
「おい! 待てよ!」
神の弟に国民的アイドル、といってもふたりはまだまだ子供。疲れなど露知らずテーマパークに夢中になっていた。
「さて、昼はどれに行くか……」
ランチの間もマップを机上に広げて午後の予定を組む。
「え~っと俺達が今いるのはここだから、こっから近いのは……」
クロが口に食べ物を含みながら場所を確認していると、突然何かが彼の口元を優しく撫でた。
「! な、何だよ!」
「汚れてたからよ。ったく、もうちょっときれいに食べなさい」
フィリアンヌがペーパーナプキンで拭いてきたのだ。
「だからお前は俺の保護者か!」
「婚約者がだらしなかったら私の体面が汚れちゃうからね。芸能人なんだからね、私」
「……あーはいはい」
「あんた、やっぱシロちゃんに迷惑かけてるんじゃないの? はーあ、シロちゃんかわいそう……」
「うるせえ!」
「あ! 私ここ行きたい!」
彼女が身を乗り出して示したのはお化け屋敷だった。
「お化け屋敷い……?」
「何よー、怖いの?」
「こっ、怖くねーよ!」
「だったら行こうよ!」
という訳でランチの後、ふたりはお化け屋敷に向かった。受け付けを済ませ、懐中電灯を手渡されしばらく待っていると、時間が来たので中へと入った。
洋館仕立ての建物の中は真っ暗だった。懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
「…………ごくり」
唾を飲み込むと同時にクロは一歩を踏み出した。床が軋む。この建物……相当古いのか? いや、怖がらせるために音が鳴る様にしているのかもしれない。
突如左腕がずしっと重くなる。
「なっ……何だよ……!」
フィリアンヌがぎゅっと彼の腕を抱き締めていた。これじゃ歩きづらい。
「いっ……いいでしょ!? ちょっ……ちょっと、思ってたより怖いなーとか思ってるだけよ!」
「何だよお前、さっき俺に怖いのだの何だの言っといて、自分が怖がってんじゃねーか」
「ええそうよ。別に私は怖くないとは一言も言ってないじゃない」
「だったら何で来たんだよ」
その時、カサカサという音が聞こえた。何かが床を這っているのだろうか。
「ひっ!」
フィリアンヌはさらにきつくクロの腕に抱き付く。
「うおっ! ……いてーよ……!」
さすがにこの距離は緊張する。たとえ幼馴染で昔からよく知っている間柄だとしてもだ。こんなにぎゅっとくっつかれちゃあ、意識しない訳にはいかない。
……心臓がどくんどくん言ってる……くそっ、何で俺がこいつなんかに……!
「……もしかしてあんた、私にくっつかれてどきどきしてんの?」
「なっ!?」
フィリアンヌはいつもの調子で話しかけてくる。何だよ、俺ひとり馬鹿みてーじゃねーか……。
「しっ! してねーよ! 大体、お前とは昔っからの幼馴染だし!」
「そう……私はしてるわよ」
「え?」
「悔しいけど、あんたなんかにくっついてどきどきしてるわよ、私は」
「……」
クロは急に恥ずかしくなって黙り込んだ。
「……じゃあ、離れろよ、悔しいぐらいなら。別に手繋いどきゃいいだろ。そんなくっつかなくても」
「……恋人っぽい事したくなったのよ」
「……まさか、こんなとこまで記者が来てんのか?」
「もうっ、知らない!」
と言っても、フィリアンヌは屋敷から出るまでずっとクロの腕を離さなかった。
その後もふたりは色々な施設を巡った。巨大迷路やライドアトラクション、3Dシアターなどなど……。
そして、最後に観覧車に乗ろう、とフィリアンヌが言い出した。
「え? わざわざあんなもんに乗らなくても、飛べるだろ俺達」
「まあまあ、いいじゃない」
ゴンドラはゆっくりと上昇していく。今までテーマパーク内をあちこち歩き回っていたふたりは一息ついた……それにしても遅い。ていうか、ほんとに動いてんのか? まるで時間の流れが止まったみたいだ……ちょっといらいらしてくるなー……とかクロは思ったり。
向かい側に座ったフィリアンヌは、ぼーっと景色を眺めていた。
「今日、楽しかったわ」
ゴンドラが時計の10時の場所まで昇った時、彼女は口を開いた。
「……楽しかったよ、俺も」
クロはそっぽを向いて答える。
「あら、素直ね」
「うるせー」
「それにしても……シロちゃんには悪い事しちゃったなー」
「え? 何を?」
「……何でもないわ」
フィリアンヌはクロの顔を見つめた後、また景色に顔を戻した。
「?」
「……あの娘とは、しばらく一緒に暮らすんだ……?」
「……ああ、多分な」
「そう……辛いわね」
「……」
「似てるもんね、あの娘」
「……うるせえよ」
「よし! 帰ったらシロちゃんといっぱいいっぱいお話しよう。
「……あのさー……」
この時クロは、これから自分が言おうとしている事を彼女に言っていいのか迷った。しかし、彼女もシロと仲良くなろうとしている。その時に本人の口から伝えるのが一番いいのだろうが、些細な事で言い出せなかったりする可能性も十分にあり
「あいつ……悪魔なんだ」
「え?」
「魔王の娘なんだ」
「……は?」
それから彼はシロの事を簡単に説明した。フィリアンヌは話を聞いている間終始戸惑っていた。
「天使の皇子と悪魔の王女様が一緒に暮らしてるですって……? 何ともまあ……」
「誰にも言うな。姉貴にも、リオ兄にも、それからお前の相方にもだ」
「そんな事、言える訳無いけど……ベル姉にも?
「ああ」
「でも……あ、あんたが言うなって言うからもちろん私は言わないけど、ベル姉にならいつかのタイミングで話しても問題は無さそうだけど。
「姉貴の事は信用してるさ。誰よりもな。ただ、姉貴の周りの大人達が信用出来ないだけだ。あ、エリーは除くな」
「……わかったわ。でも、どうして私に話したのよ」
「だってお前、シロと友達になりたいんだろ? お前なら信用出来るからな」
「あら私、ちゃんとそういう風に扱われてたんだ」
「そりゃ、俺の許嫁だからな」
そして、ゴンドラは静かに下降を始めていた。
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