第31話 フィリアンヌの事情

「うう~……」

 ひとりぼっちの自室でシロはベッドに横たわっていた。

「うう~~~~~~~~……!」

 ごろごろ。ごろごろ。

「はあ……」

 溜め息。

 このモーションを何セットも繰り返している。

 クロとフィリアンヌさん……今頃何してるのかな……。

 ごろごろ。ごろごろ。

 まさかクロに許嫁がいたとは……彼女にとっては驚天動地の大事件。許嫁って事は、つまり、お互いがお互いを好き……って事だよね……結婚の約束をしてるって言ってたしね……。

 じゃあ、私はどうすればいいんだろ……。

 って、決まってるか。

「……諦めるしかないのかあ……」

 消えそうな声でシロは呟いた。

 好きな人に好きな人がいる。だったら私が好きな人にはその好きな人と一緒にいて欲しい。

 いや、もうひとつ選択肢はある。彼女は冷静な頭で考えた。

 フィリアンヌを殺しちゃえばいいんだ。

 所詮は魔術も使えぬただの天使の女の子。私の力を以てすれば簡単に殺せちゃうだろう。

 そうすれば問題は解決……。

 なんて、出来る訳無いか……。

「ああ気持ち悪い!」

 頬をぱんぱんと叩く。何考えてるんだ私……でもさあ……。

 左胸に強く手を当てる。

「どうやったら好きって気持ちは消えるんだろ……」

 恋の始め方もわからなかったけれど、終わり方もわかんない。説明書があればいいのに。

 その時廊下の方から物音が聞こえてきた。ふたりが帰って来た様だ。


「いや~、ただいま」

「あ……お帰りなさい。楽しかった? その……デート」

 その言葉・・・・を口にした時、ずきっとシロの心臓が痛んだ。

「うん! 楽しかった! ね!」

 フィリアンヌは笑顔でクロに感想を求める。

「ああ……まあな」

 照れ臭そうにクロは返した。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!

「あのー、それでさ、シロちゃん」

 彼女はシロの顔色を窺う様に言った。

「……何?」

「急に押し掛けてきて何だけど、今晩、泊めてくれないかな」

「はあっ!?」

 これにはクロが声を上げた。

「お前、泊まってくのかよ!」

「うん。宿とってないし」

 また口論になりそうなふたり。やめてよ、もうそんなの見たくないよ……。

「ああ、うん……いいよ」

 力の無い声でシロは返事をする。もうどうとでもなっちゃえ。

「ありがとう!」

「よくねーよ!」

 って、そんな事言っておきながら、ほんとは嬉しいんじゃないの……?

「私ね、シロちゃんといっぱいお話したいんだ!」

「あ……うん……わたしもだよ」

 嘘です。

「でもごめん、ばんごはんのじゅんび、まだまったくしてないんだ」

「いいよいいよ。私達ずっと遊んでたし。調理するんだったら、手伝うよ」

「あ……じゃあ、おねがい」

 感情の籠らない台詞を二、三吐いた後フィリアンヌと並んでキッチンに向かう時、彼女がシロの耳元に囁きかけてきた。

「きちんと話しておきたい事があるの……シロちゃんにとっては嬉しい事……かもね」

「?」

 私にとって嬉しい事……? 何だろ。


 フィリアンヌが誘ってきたのは、食事も入浴も済ませた後だった。

「ねえシロちゃん、ちょっとふたりだけで話さない?」

「いいけど……じゃあ、私の部屋に」

「わーい! シロちゃんの部屋だ」

「? 何? 何がそんなに嬉しいの?」

「んー、何となく」

「?」

「じゃあ、ちょこっとふたりでガールズ・トークするから、あんたはリビングから出ないでね! 男子禁制!」

「……別に俺も入れろとか言ってねーよ」

 はしゃぐフィリアンヌを連れて、シロは自室に入った。

「さて」

 フィリアンヌは一呼吸して床に座る。シロもそれに合わせた。

「こうやってゆっくりお話したかったんだ」

「……うん」

 私も、とは言わない。

「まず初めに、謝らなきゃ……ごめんね!」

 フィリアンヌは突然顔の前で手を合わせた。なぜ謝られたのかシロはわからない。

「……何が?」

「昼間のあれ。ちょっと意地悪しちゃった」

「……意地悪?」

 首を傾げる。

「シロちゃんさ、あいつの事好きでしょ」

「……は?」

 ボッ、とシロの顔は真っ赤になった。

「な、ななな何言ってるの!? わ、わわわ私がクク、クロの事をすす好きだとか……そそ、そんな事別に……」

「別にクロとは言ってないけど?」

「はうあっ! い、いや今のはその……」

「あっはは! いいよ隠さなくても。バレバレだから」

「……うう~~~~~~……」

 フィリアンヌはからかう様に笑う。何さ、馬鹿にしちゃって……。

「……そんなにわかりやすいの? 私」

「うん! すっごくわかりやすい! そしてそんなシロちゃんはかわいい! だからちょっとからかっちゃった。クロと親しい様なアピールしちゃった」

 うう、そんなかわいいとか言ったって、私はあなたの事は嫌いなんですー……!

「……わざとしたの? 私に見せつける様に?」

「ごめんなさい」

 彼女は改まって謝った。

「……」

 シロは黙り込む。わざわざ謝ってきたという事は、悪く思っていたという事だろう……少しはいい人なのかもしれないけど、それでもやっぱりあなたの事は好きになれません。

 ……でも。

「私の方こそ、ごめんなさい」

 今度はシロが謝った。戸惑うフィリアンヌ。

「何でシロちゃんが謝るの?」

「その、私、知らなくて……フィリアンヌさんの事。知らなかったから、その……許嫁がいるなんて事……」

「それでどうして謝るの?」

「その……クロの事を好きになっちゃって、ごめんなさい」

「……? シロちゃんが誰を好きになろうと、シロちゃんの自由でしょ?」

「でも、ふたりはその……婚約してるんでしょ? なのに、その……」

 彼女からしてみれば、婚約者に好意を抱いているシロが鬱陶しいに決まっている。そうだ、この人が私の邪魔をしているんじゃなくて、私がふたりの邪魔をしているんだ。

「その事なんだけどね」

「?」

「許嫁っていうの、あくまでも形だけなんだ……今となっては」

「え??」

 形だけの許嫁……? どういう事……?

 そして彼女は詳細を語り始めた。

「私の一族は、ヴォルトシュタイン……神様の一族の有力な後援者なの」

「後援者……?」

「何でも昔、天界の覇権を巡って戦争があったみたいなんだけど、その時に初代の神様と一緒に戦った強力な仲間が12人いたの。それで、戦争が終わって初代の神様が神の座に就いた時に、その12人の一族も大きな権力を持つ様になったの。使徒の一族って呼ばれてるんだけど」

 同じだ、とシロは思った。魔界でも昔、その支配を巡って争いが起こっていた。それに勝利したのがエリシア一族なのだ。

「それで、その使徒の中でも序列があって……一番力を持ってるのが私のお家なの。9年前、私のおじいちゃんが私とクロを婚姻関係にしたの」

「おじいちゃんが?」

「そう。私とクロが結婚したら、私はいずれは神様の妻になる訳でしょ? つまり、神様の一族の仲間入りをする訳」

「……ふむふむ」

 ちょっと難しくなってきた。

「そしたら、私の一族はさらに大きな権力を持つ様になるの。何となく、わかる?」

「うん。フィリアンヌさんの一族とクロ……神の一族が直接的な関係を持つんだよね。ふたりの間に子供が産まれたら血縁が出来る」

「そういう事。だからおじいちゃんは私達を許嫁にしたの」

 つまり、言い方は悪いがフィリアンヌの祖父は彼女を政治利用したという訳だ。

「それって、フィリアンヌさんの気持ちは確認したの?」

「ううん。向こうも同じ。クロのお父さん―――その時の神様ね―――は、反対出来なかったみたい。最有力使徒って事は、一番神様の一族に協力をしてたって事だから。関係を悪くする訳にはいかなかったのよ」

「酷い! じゃあふたりは好きでもないのに結婚させられちゃうって事?」

「正解! ほら、シロちゃんにとって嬉しい事」

「………あ! ……そういう事……?」

 彼女は出会ってすぐにシロがクロの事を好きだという事に気付いた。だからそんなシロにとって許嫁である自分が良からぬ存在である事も悟っていた。しかし本当は、許嫁というのは当人の意思を無視した形だけの関係。その事をシロに説明する事で、シロのわだかまりをとかしたかったのだ。

「フィリアンヌさん!」

 シロは目の前の少女の名を呼んだ。彼女の中の暗い気持ちがすうっと消えていったのがわかった。

「ごめんなさい! やっぱり私、あなたに謝らなきゃ。あなたがいなくなればいいなんて思ってた。ごめんなさい!」

「はは。まあ、しょうがないよ。でもね……」

 フィリアンヌは続ける。

「実を言うと……ここから先はクロあいつには内緒ね」

 彼女は声を落とした。

「実は、私、あいつの事好きだったんだ」

「ええ!?」

 どっち!? 安心させといて、結局また突き落とすの!?

「落ち着いて。過去形よ、過去形。小っちゃい頃から将来の結婚相手だって言い聞かされてきたし、それに……ほんっと腹が立つけど、あいつたまーーーーーーーーにかっこよかったし」

「……でも、何で今は好きじゃないの?」

「それはさー……好きな人がいたんだ、あいつ」

「ええっ!?」

 またしてもびっくり。

「あ、これも一応過去形ね。ったく、ほんっとやんなっちゃうよねー。私がどれだけアピールしてもまるで気にも留めなくてさー」

「それは馬鹿だよ! フィリアンヌさんすっごくかわいいのに!」

 シロは無意識に前のめりになる。

「ありがと。ねー、馬鹿だよねー。でもさ、そのうち私、気付いたんだー。ああ、私は絶対あの人・・・には敵わないんだ、って」

「どんな人だったの? そのクロが好きだった人って」

「それはね……秘密」

「ええっ!」

「ここから先はあいつ本人から聞き出して? 私がぺらぺら言う事じゃないし」

 確かに……シロがクロを好きだという事を誰かが色んな人に言い触らしていたら、間違いなく彼女は怒るだろう。

「ま、今のは私の推測なんだけどねー。でも、多分合ってるよ、勘だけどさ。あいつと結構一緒にいたから、何となくわかるんだ」

「その……その人って、もう亡くなっちゃったの?」

「違う違う」

 フィリアンヌは即座に笑って否定した。

「今もちゃあんと元気だよ。あいつ、気付いたんだろうね。叶わぬ恋だって事にさ」

「……」

「ま、色々ごちゃごちゃしてるけど、まとめると私はあいつの事なんか別に好きじゃないって事。今は芸能活動が忙しいし、正直当分は恋愛なんて場合じゃないなー」

「……そうなんだ」

 シロは心の底からほっとした。クロとフィリアンヌは別にお互いを好きな訳じゃない……複雑なお家の事情で婚姻関係にあるだけ。

「おじいちゃんは一昨年死んじゃってさ、私の両親は私の意思を尊重させたがってたから……やっぱりおじいちゃんに反対出来なかったんだけど……おじいちゃんは一族の頭首だったから。だから、もうおじいちゃんが死んじゃったから、婚約を破棄してもいいってなったんだけど、その時はもう私は芸能界に入ってて、フェアリー・テイルの知名度が上がり始めてたから、活動に響くといけないと思って、とりあえずしばらくは許嫁のまんまにしてるんだ。そこはちゃんとクロも許してくれた。けど」

 彼女はその目に決意を宿す。

「いずれはきっちりとしなきゃなって思ってる。私達が成人したらきちんと発表しようかなって」

「そっか……」

 この人はしっかりしてるんだな、という印象をシロはフィリアンヌに持った。

「だからシロちゃん!」

 すると突然手を握られる。

「はいっ!?」

「頑張ってね! 応援してるよ!」

「は……はい……」

「悪魔だろうと関係無いよ! 恋に国境も、人種も、種族も関係無いんだよ!」

「う、うん……っていうか、私が悪魔だって事、クロから聞いたんだ」

「うん! 王女様なんでしょ? いやー、それにしても初め見た時はびっくりしたよ。すっごく似てるんだもん」

「え? 似てるって誰に?」

「え?」

 ふたりの間に沈黙が走った。

「……あちゃー……やらかした……」

「私が、誰に似てるの?」

「ごめんシロちゃん! 今の忘れて!」

「え?」

「そっか、あいつ、シロちゃんに教えてなかったんだ」

「……何を?」

「ほんっとにごめん。この話も私が簡単に他言出来る様な事じゃないの。あいつのプライバシーに関わる事だから」

「……そう、なんだ……」

 クロが好きだった人に、私が似ている誰か……フィリアンヌさんの事もそうだったけど、私って、クロの事全然知らないんだな。

「でも、そういうの以外だったら、昔のあいつとか色々知ってるよ。聞きたい?」

「聞きたい! 凄く!」

「じゃあ、私にも、最近のあいつの事とか教えてよ。それに魔界の事とか境界の事」

「うん。私が知っている範囲の事なら」

「ありがとう……でもその前に、一旦戻りますか。あいつひとりで寂しがってるんじゃない?」

「はは。そうかも」

 シロとフィリアンヌは一緒に立ち上がった。

「それからシロちゃん。私の事はフィリィって呼んで。私もシロちゃんって呼んでるし……勝手にだけど」

「構わないよ。じゃあ……フィリィ……さん」

「呼び捨てでいいよ」

「フィリィちゃん」

「ふふっ。じゃあそれでいいや」

 ふたりはいつの間にかすっかり打ち解けていた。フィリィはシロの友達になった。


 そして、翌日。フィリアンヌとの別れ。ロイヤルハイム浅川前。

「じゃあね。また遊びに来るよ」

「うん。いつでもいいよ」

 とシロ。

「二度と来んな!」

 とクロ。

「……ふふっ」

 彼の言葉を聞いたシロとフィリアンヌは打ち合わせでもしていたかの様に同じタイミングで笑った。

「……何なんだよ、お前ら……」

 そんな少女らを見てたじろぐクロ。その時不思議な音と共に突如若い男が三人のそばに現れた。

「お迎えだ」

 とフィリアンヌ。

「クロノ様。突然の参上、失礼致します。フィリアンヌ様をお迎えに上がった所存です」

「おう、ご苦労」

 どうやらこの男、神の元に勤めているらしい。彼はシロにも軽くあいさつをした後、フィリアンヌに手を差し出した。彼女はその手を握る。

「じゃあ、またね、シロちゃん。クロ」

「うん。またね」

「おう。またな」

「それでは失礼致します」

 男があいさつを言い終えるか終えないかの内に、ふたりの姿は火花が散る様な音と共に眼前から消えた。

「凄い……今のが天使の科学……魔術みたい」

「まあな。じゃ、入るぞ」

「あ、うん」

 部屋へと戻る途中少女は彼の背中を見つめていた。

 少しずつでいいから、私の知らないあなたを無くしていきたい。

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