第27話 赤点せんせーしょん

 七月も半ばを過ぎた。あと数日もすれば少年少女が待ち望んでいる長い長い休みがやってくる。そう、夏休みだ。

 だが、その前に彼らには最後の試練が待っていた。

「よ~し、じゃあテスト返すぞ~」

 担任の英語教師が楽しそうな声で言った。その結果に期待や不安を抱いている彼らの心を察した上での口調だ。授業が始まってからずっと、教室はざわついていた。

 聖道学園の試験では30点未満が赤点となっており、この点数を取ってしまった生徒には後日追試が実施される事となる。仮にその追試でも再び赤点を取ってしまった場合には夏休みに登校して補習を受けなければならない。と言っても、夏休みにわざわざ授業が実施されるのが嫌なのは教師も同じであるわけで、追試では本試よりも難易度が下げられた問題が出される事となる。しかし、それでも通らない生徒ももちろんいないわけではないが。

「郷田」

 担任教師はどんどん生徒を呼び解答用紙を渡していく。郷田は自分の用紙に目を通すと目を見開いた。思った以上によかったのか、それとも悪かったのか、遠目から見ていたクロにはどちらか判別がつかなかった。

「おい郷田、見せろよ」

 彼は席を立ち郷田の元へ向かう。

「……」

 郷田は黙ったまま用紙を見せてきた。


郷田茜 22点


「ぷっ」

 彼は口を押さえた。が、堪え切れずに笑いは漏れていく。

「ぐは、ぐははははははははははっ! おめでとう、追試おめでとう!」

「うっ、うるせー! 大体、初めての試験で20点も取ったんだぞ! 上等な方じゃねえか!」

「ああそうだな、100点満点中20点な。上等上等」

 馬鹿にした笑いをクロは続けていた。そこに谷口と内藤もやってくる。

「郷田さ~ん、テストどうでしたか~?」

「お、おう。ま、俺にしちゃまずまずだぜ」

「すげー! 22点っすか! 俺なんか12点っすよ! さすが郷田さんっす!」

 内藤の言葉に悪意はない。

「ぐははは! 内藤! お前らしい点数だなあおい!」

「何だとクロノ! お前そんなにいい点数だったのかよ!」

「いや待て、俺はまだもらってねーんだ」

「何だ、そうなのかよ。つかですよー郷田さん、谷口が何気にいい点取ってんですよ」

「あ、何かすいません……」

 内藤に促され谷口がぴらりと用紙を見せた。66点。

「てめえ谷口! ひとりだけ裏切りやがって!」

「ああすんません! 何かすんません!」

「ヴォルトシュタイン」

 その時ようやく彼の名が呼ばれた。転校生なので一番最後なのである。

「はいはーい」

 ま、俺も半分の50点ぐらいは取れてんだろ。ちょっと自信あるし。


 クロノ・ヴォルトシュタイン 2点


 にっ……!

 思わず放電しかけた。

「ぶははははははははは! 何だよ偉そうに言っておきながら! 2点て! 2点て! 俺よりひでーじゃねーか!」

 郷田は腹を抱えて笑う。

「つか! お前アメリカ住んでたんだろうが! 何で英語が出来ねーんだよ!  ぶははは!」

 うっ……そういやそういう設定だったっけ。

「う、うるせーな! アメリカの英語と日本の英語は違うんだよ!」

 などと訳のわからない言い訳をとりあえずしておく。

「ぶほほほほほ! ま、一緒に追試頑張ろうぜ! 次はせめて10点は取らねーとなあ!」

「るっせーっ!」

 唾を撒き散らしながらクロは自分の席へと戻った。隣の席の薫に聞いてみる。

「……ちなみに薫は何点だったんだ?」

「………………………………94点」

「けっ!!!」


「あ~~~~~~めんどくせ~~~~~~~~」

 テーブルに置いたコップの中の氷がカランと音を立てる。炭酸がシュワシュワと弾けていた。

「はは。そらめんどくさい事になりましたなー」

 カウンター越しにギルバートが笑った。

 学校帰り、彼はシロと共にギルバートの店「居雑貨屋いざっかや香林カリンの園」に来ていた。二ヶ月ほど前にオープンし、今までに数度遊びに来た事がある。

「笑い事じゃねーよ」

 クロはキッとギルバートを睨んだ。

「下手したら夏休みにまで学校で勉強しなきゃいけない破目になるってーのに」

「すんません。王女様は大丈夫でしたのん?」

「え、ええ。私は特に問題なく……」

 隣でシロが申し訳なさそうに答えた。

「さすが王女様や。いやー、魔界の未来は明るいですなー」

「ちょ、ちょっとギル……あんまりからかわないでよ」

「あーあーどうせ天使は馬鹿ですよ。あのな、言っとくけど俺の知り合いにはエリザベスっていうもっと凄い馬鹿がいるからな」

「何の話ですねん」

「ま、まあクロ……追試に受かればいいんだから。私が勉強見てあげるから。ね?」

「お、ええですねー。王女様に教えてもらえるんやったらもう心配あらへんやないですか」

「2点だぞ、2点。ほんとに追試受かんのかよ」

 彼は珍しく後ろ向きな発言をした。勉強はどうも苦手だからだ。

「う、受かるように私も頑張るから!」

 そんなクロを元気付けるようにシロは力強く言った。彼女は真面目な性格だ。きっと親身になって考えてくれているのだろう。

「……いや、シロはいいよ。これは俺の責任だ。俺が何とかしねーと」

 こいつに迷惑をかけたくない、と彼は思った。他の奴ならまだしも。

「わ、私も手伝うよ!」

 ところが彼女は食い下がる。

「夏休み、一緒に色んな事しようって約束したでしょ? ね? だから私も頑張るよ」

「……!」

 彼女の必死な顔を見て、彼はつい目を逸らした。ほんとにこいつは、どこまでいい奴なんだ。

「わかった。じゃあその言葉に甘えさせてもらう」

 そう言って炭酸ジュースの残りをごくごくと飲み干した。

「ぷはっ。よし、目指せ追試合格、目標点数30点だ! やってやるぜ!」

「うん! 頑張ろ!」

「……目標最低ラインやん……」


「よし、じゃあ始めよっか」

「おう」

 風呂も入り夕食も取り、あとは寝るだけとなった宵の刻。クロはシロの指示の元リビングのテーブルの上に勉強道具一式を広げた。

「クロの答案を見たけど、多分基本的な事からわかってないんだよね? 単語の綴りとか意味とか」

「おう! わからんぜ!」

 彼は自信たっぷりに答える。

「……いい返事ね……じゃあまずそこからだね。単語帳の中の重要なものだけ私が印を付けたから、とりあえずそれだけを覚えて。ほんとは全部覚えた方がいいんだけど……時間も限られてるし」

「わかった!」

 彼は単語帳をぱらぱらとめくる。確かに、シロがその中のいくつかの単語に印を付けている。

「すげーな。どれが重要とかがわかるのか、お前」

「まあ……単語帳って、わりとどうでもいいものも一緒に載ってるから……」

「そうなのか……よし……じゃあ覚えるぞ」

 とりあえず一ページ目から印付きの単語だけに目を通していく。その様子を見ていたシロはすかさず彼から単語帳を奪った。

「ちょっと待って!」

「? 何だよ?」

「まさかクロ、そうやって見るだけで覚えようとしてたの?」

「まあ……」

「駄目だよそれじゃ。ちゃんと書かなきゃ。単語は目で見て手で書いて覚える。これが基本だよ。あと余裕があれば口で発音しながら」

「え~、めんどくせえじゃん」

「めんどくさくない勉強はありません!」


 追試は休み明けの月曜日に実施される。それまであと一週間もない。クロは学校でも他の授業中にこっそりと英語の勉強を続けた。単語とその意味を覚えるためにぶつぶつと呟いていた声は隣の薫にも聞こえていただろう。放課後も教室に残り、彼に見てもらっていた。その時は郷田や内藤も一緒にやった。家に帰るとシロに見てもらう。いつもよりも少し夜更かししているため、授業中に寝る回数も多くなった。

 とにかく、いつにも増して彼は勉強に力を注いだ。それはもちろん夏休みに学校に出るのが嫌だからという理由もあるが、何より自分のために頑張ってくれているシロのためでもあった。

「ん~~~~~」

 夜、彼は文章読解の問題を家で解いていた。

「……つまずいてる感じだね」

 向かい側で読書をしていたシロが見かねて声をかけてくる。テレビはクロの気が散るから、という理由であえてつけていなかった。

 彼女は文庫本にしおりを挟むとすくっと立ち上がり、彼の横に座ってぐいと体を寄せてきた。

「ちょっと見せて」

「……!」

 不意に少年の心は震えた。普段は何とも思わないのに、こんなに近くに来られると何だか不思議な気分になる。甘い香りがすぐそこに感じられる。女の子の匂いだ。何だよ俺、急に緊張したみたいに……いや、緊張? これは緊張なのか?

「ええとね」

「!」

 少女の声で彼は我に返った。

「これは疑問文だから……って、どうしたの?」

 動揺が伝わったのか、シロは突然尋ねてくる。

「え? 何でもねーよ」

「? そう? ……で、これは疑問文だから……」

「……」

 一生懸命解説してくれている彼女には申し訳ないが、この時クロは話を半分も聞いていなかった。胸の中に愛おしい気持ちが広がっていくのがわかった。

「……って事……わかった?」

「……ああ……なるほどな……」

 ごめん、ほとんど聞いてなかった。

「じゃあこの問題やってみよう」

「……おう……」

 しかし、話を聞いていないので解ける訳もなく……。

「もう、だからそこはさー……ほんとに聞いてた? ……それとも、私の教え方が下手だったのかな」

 彼女は自分を責めるように言った。

 ……ほんとに、どうしてかな。顔も声も似てないのに、どうしてここまで似てるのかな、お前は。シロを見ていると過去を見ているような錯覚に陥る。そしてその度に彼の左胸にちくりと鋭い痛みが走る。

「……よし! 出来た! シロ! 採点を……」

 その後、問題集のひとつのセクションを解き終え、採点を頼もうと彼は隣を見た。

「……すー……すー……すー……」

 しかし、少女は小さな寝息を立てていた。

「…………ありがとな」

 集中が切れた途端ふわあ、と彼も大きなあくびをした。

「……俺も寝るか」

 採点は明日でもいいや。シャーペンを置き、クロもテーブルに頭を垂らした。

 

そして、追試は月曜日の放課後に実施された。終了後の自己評価。何とも言えない。わかった問題もあったがわからなかった問題ももちろんあった。正直、再び赤点かそうではないか、微妙なラインだ。

「おう、どうだったよ……」

 試験が終わった直後、一緒に受けた郷田と内藤に彼は尋ねた。

「んー、俺は多分大丈夫だな」

 郷田は自信あり、といった様子だ。

「俺は微妙っすよー郷田さん」

「薫様々だぜ、まったく。あいつ教師にでも向いてるんじゃねーのか? 教え方がわかりやすかった」

「うっ!」

 郷田こいつ、意外と理解力あるのか……俺より……? 何か悔しい……。

「ま、いいじゃねーかよクロノ。お前はこれで終わりだろ?」

 クロの気持ちを理解したのか、彼は気遣うように言った。

「俺なんてまだ数学が残ってんだぞ」

「俺はそれに加えてまださらに国語、理科、社会だ」

 内藤も後に続く……ってお前それ全部じゃねーか。

「お前はこれで追試は終わったんだからよ、まあ後はゆっくり明日の返却を待てばいいじゃねーか」

「……」

 まさかこいつに気遣いの言葉をかけられる日が来ようとは……二ヶ月前では到底考えられない事だ。それだけ時間が経ったって事か。それだけ変わったって事か。

「……そうだな」


「ヴォルトシュタイン」

 翌日の英語の時間に追試の解答用紙は返却された。自分の名が呼ばれるとクロは席を立ち教壇へと向かった。


 クロノ・ヴォルトシュタイン 28点


 ~~~~~~~~~~~~~ッ!!

 に、にじゅうはってん……28点……? って事は……また赤点……?

 ごめんシロ、俺駄目だったわ……。

「頑張ったなヴォルトシュタイン」

 落胆する彼に担任教師は優しく言う。確かに頑張った。柄にもなく。しかし、しかしだ。

「……結局また赤点だし……」

「? 何言ってんだ? 合格だよ」

「え?」

 思わぬ言葉が聞こえた。合格? 今合格って言ったのか?

「合格って……だって28点じゃん。赤点じゃん」

「それは本試だ」

「へ?」

「追試は引き下げられて20点以下が赤点なんだよ。だからお前は合格」

「そ……そうなの?」

「これでこのクラスウチからは英語の補習受講者はゼロだ。いやあ、よかったよかった。英語教師のクラスなのに英語の補習受講者が出たら他の先生からからかわれるからな。夏休み、楽しめよ?」

「お……おう……!」

 クロノ・ヴォルトシュタイン、追試、見事合格。この事をシロに伝えたらきっと、いや必ず喜ぶに違いない。何かお返ししねーとな……。

 そして、夏休みがやってくる。

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