第3節 堕天使の逆襲

第23話 シロのツイてない日

 カーテンを開けると朝の光が部屋に差し込んできた。少女はあまりの眩しさに思わず目を細める。

 今日も一日が始まる。

「続いて、全国のお天気です」

 テレビの中では女性キャスターが明るい声で話していた。

「あれ、雨降っちゃうんだ。今すっごい晴れてるのに」

 シンプルな日本地図のとある一点に表示されているマークを見てシロは言った。太陽の絵が描かれており、その右にある矢印の先は傘の絵になっていた。

「降水確率昼から100%かよ……わかんねーなー、天気は」

 クロは先に朝食をとり終えると、ガチャガチャと食器を重ねて席を立つ。まだ時間に余裕はあるため、シロはそのまま食べかけの目玉焼きにぱくりと噛み付いた。

「さて、それでは今日の運勢です」

 天気予報が終わり、番組は占いのコーナーに変わる。彼女はぼんやりと画面を見る。占いにさほど興味はない。このコーナーでは誕生月ごとに運勢を見ており、一位と最下位である十二位以外の運勢が一覧で表示されていった。

「本日の絶好調な人は……7月生まれのあなた!」

 もぐもぐもぐ……ん?

 これで十一個の月が発表された。まだ出ていない月はあとひとつ……。

「残念、絶不調な人は4月生まれのあなたです……」

「んぐ?」

 シロはまだ口の中に目玉焼きを残したまま思わず声を出した。彼女の誕生日は四月六日だからだ。

「今日はとことんツイてない日。ラッキー・アイテムは傘です。以上、本日の運勢でした~」

 とことんツイてない日? なかなか抽象的な表現だな……と心の中でツッコミを入れる。まあ、所詮は占いだし。

 その時、彼女が持つ箸の一本が突如音を立てて曲がった。折れたのだ。

「え!?」

 さっきまで何ともなかったのに!? ご飯を掬おうとしただけなのに!?

「……」

 何でだろう、不良品だったのかな。

「……」

 とりあえず、他のに換えなきゃ。


 それからしばらくして、ふたりは忘れずに傘を持って家を出た。道路には昨日の雨がもたらした水溜まりが至る所に出来ている。せっかく晴れたと思ったのに、また雨が降っちゃうんだ……何でも、今はちょうど雨期らしい。

 犬の散歩をしているおばさんがやってきた。連れている犬は日本犬のようだ。四足でとてとてと歩くその姿を見てシロは大魔城で飼っているペットの犬の事を思い出した。ベロちゃん……元気かな。

 おばさんがふたりの側を通り過ぎた時、突然その犬がシロに向かって吠え始めた。

「きゃっ!」

 びっくりして思わず横に避ける。その時右足を嫌な感覚が襲った。

「……あー……」

 彼女の右足は見事に水溜まりに浸かっていた。少しではあるが水が靴の中に入ってくる。

「……最悪……」

「あーあ……もう戻るには遠いとこまで来ちまったしなあ……」

 その様子を見ていたクロが言った。

「うう……右足だけ……右足だけ気持ち悪い……」

 何てツイてない……。

 片足だけの軌跡を残しながら交差点まで来た時、信号がちょうど赤に変わった。止まっていた車が動き始める。ふたりは雑談をしながら信号が再び青に変わるのを待っていた。

 すると今度は彼女の体にばしゃりと水がかかった。車道の端を走っていたスクーターが同じく端にあった水溜まりの水を飛ばしたのだ。

「……また……」

「お前、今日呪われてんのか?」


「あ、シロちゃんおはよー」

登校後、教室に入ると彼女の友人が声をかけてきた。シロは低めのトーンで返す。

「……おはよう……」

「? 何か元気ないね。どうかした?」

「うん……ちょっとね……」

 この友人の名は佐倉陽菜さくらひな。アニメや漫画が好きで、ぱっちりとした瞳が特徴のマイペースな少女である。事あるごとに「シロちゃんかわいい」と言ってくる。彼女の中の「男子が好きそうな女子」がまさにシロらしい。実際にどうなのかはシロにはわからない。

「水溜まりに足を入れちゃうし、制服は濡れちゃうし……朝から散々だよ」

「制服が……濡れちゃったの……?」

 陽菜は大仰な声を出す。あれ、そんなに驚いたの。

「それって……がっつり?」

「いや、シャツの下の辺りからスカートの上くらいが……だけど」

「ふむふむ……シロちゃん、それ……」

「?」

「ギリギリエロいね」

「は?」

 シロの顔は真っ赤になる。

「な、何言ってるの!」

「ね、ゆいちゃん」

 陽菜は隣にいた少女に同意を促す。彼女もシロの、また陽菜の友人だ。紫宮しのみや結という。陸上部に所属するバリバリのスポーツ少女だ。

「うん、それはエロいね」

「ちょ、ちょっと結まで!」

 このふたりは初等部からの付き合いらしい。相性、呼吸は抜群に合っている。

「シロちゃん、もういっその事頭から水かぶってきなよ。そしたら男子にモテモテだよ」

「どうしてそうなるの!」

「え~、私水が滴り落ちるシロちゃん見た~い」

「そう言われても嫌!」

 それに……別に私は他の男の子に好かれなくてもいいもん。にだけ好かれればそれでいいもん。

 とはさすがに言えない。

「あ~もう言わなきゃよかった」

 後悔したような声を出してカバンを開ける。しかしそう言いながらも彼女はまんざらでもなかった。異世界の同い年の少女らとこのようなやりとりが出来る事が楽しかった。

「え……?」

 だがカバンの中を見た時またしても一波訪れる。なぜか今日の授業にはない科目の教科書などが入っている。

「あ……!」

 昨夜、今日の準備をするのをうっかり忘れていたのだ。カバンの中身は昨日の時間割りのままだった。

「どうしたの?」

 結が尋ねてくる。

「……カバンの中身が昨日のまま……うっかりしてた……最悪……」

「あちゃー……あんた、今日呪われてるね」

 何てツイてない…………。


 昼休み。皆はそれぞれのグループにまとまり机を寄せ合って食事の用意を始める。シロも自分の椅子を陽菜の席に持っていく。結も同じだ。いつも彼女の席に集まって三人で食べている。

「私、今日はパンだから……買ってくるね。食べてていいよ」

 シロもクロも、週に一、二回は弁当を作らずにパンを食べる日を設定している。毎日作るのは面倒くさいのと、食事にバリエーションをつけるためだ。彼女は購買部へと足を運んだ。小走りで廊下を急いでいると、曲がり角で階段を上ってきた生徒とぶつかった。

「きゃ!」

「うお!」

 見ると、いかにも悪そうな見た目の男子生徒だった。彼は鋭い目をシロに向けてくる。あ、この人知ってる……! 確か陽菜が有名な不良だって言ってた人だ……!

「……!」

 学年一の不良はずっと彼女の顔を見つめていた。ひ……! 怒ってる……!

「ご……ごめんなさい!」

 シロは逃げるように階段を下りていった。

 も~、怖かった……! ……最悪……。


やっとこさ辿り着いた購買部はまだ賑わっていた。何を買おうかと迷っていた所に新発売の文字を見つける。あ……「甘くておいしいホイップクリーム・サンド」……? お、おいしそう……!

 聖道学園にはパン工房がある。購買部にはそこで作られたオリジナルのパンも置かれているのだ。しかもこのオリジナルパン、なかなかおいしいと評判があり、校外にて出張販売まで行っているほど。

 そんな人気のある聖道ブランドが新たに出した商品というならば、買わない訳にはいかない。最近は甘いの食べてなかったし、たまにはいいよね。

 残っているのは二個だけ。しかし一個はちょうど今他の生徒が取ってしまった。最後のひとつに手を伸ばす―――。

 その時、チャリチャリン、と小銭が落ちる音がした。気になって足元を見ると百円玉が数枚床に落ちていた。すぐにごめん、と後ろにいた男子生徒が小銭を拾う。彼が落としたようだ。

「あ!」

 一時の目移りがいけなかった。新発売の「甘くておいしいホイップクリーム・サンド」は気が付くとすでにそこにはなかった。

「……最悪……」

 何てツイてない………………。


 昼を過ぎた頃から予報通りに雨が降り始めた。授業中、クラスの中には窓の外を見て口をあんぐりと開ける者もしばしば見られた。きっと予報を見ずに傘を持ってきていないのだ。

 よかった、持ってきてて。シロも外を眺めながら思った。午前中青天だったのが信じられないほどに本降りの雨だった。たとえこの中を傘を差さずに走って帰ったとしても、一分も経たない内に全身ずぶ濡れになるだろう。そういえば、ラッキー・アイテムは傘だったっけ……って言っても、予報を見たから持ってきた訳で、ちょっと違う気もするけど。

 でも、ラッキーという事にしておこう。そうすれば今日起こったアンラッキーは全て帳消しに出来る。気持ちの問題として。

 傘も売り切れそうだな、購買……ああ、食べたかったなあ、甘くておいしいホイップクリーム・サンド……。


「か、傘がない……!」

 放課後になり昇降口に下りてきたシロは、傘立ての前で戸惑っていた。朝確かに持ってきた、この傘立てに確かに立てた傘が、ない……!

「何で!? 何で!?」

 間違えて他のクラスのに立てちゃったかな? と他の傘立ても探すが、やはりどこにもない。信じたくはないが、誰かが持っていったのだ。ああ、世の中には悪い人間もいるんだね、と小さな怒りと共に魔力が漲ってきた。いや、もしかしたら間違えて持っていったのかもしれない。盗まれたと断定しては駄目だ。

「どうしたんだよ、そんなに慌てて」

 クロがやってきた。彼のクラスもホーム・ルームが終わったようだ。

「あ! クロ! ねえ聞いて! 傘が! 傘がないの! ラ、ラッキー・アイテムのはずのか、傘がないの! もう、全然ラッキー・アイテムじゃないよ! 最悪だよ! ツイてないよ!」

「お前、ほんとに今日は厄日だな……しょうがねえ、ちょっと狭いけど、入るか?」

「え?」

 彼は自分の傘を取り、外に出るとぽんと広げた。

「ほら。嫌なら別にいいけど」

「……あ……」

 どくん、と少女の心臓は高鳴った。これって、あれだ……あのひとつの傘にふたりで入る、あれだ……。

「は、入る! 入らせていただきます!」

「何で敬語?」

 彼の言う通り、その傘はふたりを包むには少し小さかった。だが彼女の心を包むには十分過ぎるほどだった。天上から降り注ぐ雲の涙は徐々に徐々に少年少女の肩を濡らしていった。

「さっきの言葉、訂正するよ」

 うきうきした口調でシロは言った。

「え? 何を?」

「やっぱりラッキー・アイテムだったって事」

「?」

「やっぱり、所詮は占いだね」

 少女の心はいつまでも傘の上で弾んでいた。

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