第5話 シエルとクロノ

「フェイス! 本当かい!」

 くわっと目を見開いて魔王は聞き返した。

「本当にシロから連絡が来たのかい!?」

「はい! ですので早く謁見の間に!」

 フェイスが返事を言い終えない内に、気が付けば彼は走り出していた。

「ぬおおおおおお! 待ってなさい我が愛する娘よおおおおおお!」

「……!」

 四十代、しかも若干ふくよかな体型であるにも関わらず、その走りはなかなかのものであった。


〈シロ!〉

 ぬっと突然目の前に現れた父の顔を見て、シエルは思わずのけぞった。

「うわ! あ! お父様!」

〈シロ! ああ! シロ! シロ! ああ! シロ!〉

「……お父様……お元気そうで……」

 彼女は手鏡に映った娘の名を何度も呼ぶ父に頬を引きつらせた。相変わらずである。といってもまだ別れてから一日しか経っていないが。

 この手鏡には高度な魔術がかけられている。次元を超えて魔界の大魔城にある大鏡と連絡を取る事が出来るのだ。

〈シロ! どうだいそっちの暮らしは? ちゃんと友達出来たかい?〉

「友達って……侵略のために来たんだから」

 彼の呑気な質問に少女は呆れた返事をした。

〈ああそうか! でも友達は大事だぞ? 何か困った事があったら、友達が助けてくれる〉

「わかってるから……そんな事よりも、聞きたい事があるんだけど」

〈何だい何だい? お父さんが何でも答えてあげるよ!〉

「どうして同居人がいるの!」

〈え?〉

 ここで、時刻は少しだけ遡る。


「お? 誰?」

 少年はシエルに気付き振り向いた。口には煎餅をくわえている。

「だ……誰って、ここの住人です! あなたこそ誰ですか! 勝手に人の家に上がり込んできて」

 彼女は強気な口調で言った。ソファーに座ってお菓子を食べながらテレビを見る……って、これじゃまるでこの人がここの住人みたいじゃない!

「住人? ……はーそうかそうか」

 彼はひとり合点して頷いた。

「お前がもうひとりの住人か。何だ、俺と同い年くらいじゃねーか」

「なっ……お前って……!」

 初対面の相手に対してお前とは何なのだ、と少女はむっとした。

「あれ? 怒った?」

「……っ! 当たり前……って、え? もうひとりの・・・・・・住人?」

 台詞の途中でシエルは言葉を止める。もうひとりの住人。今彼は確かにそう言った。もうひとり?

「あれ? お前もしかして聞いてねーの?」

「……な……何を……?」

「この部屋、ふたり暮らし用なんだよ」

「……は?」

「ルーム・シェアもオッケーだとか。何でも、元々この部屋には大家夫妻が住んでたみたいなんだけど、引っ越す事にしたから貸す事にしたんだと。だからここだけ特殊な扱いなんだよ」

「ちょっと待って! ルーム……何とかって、何?」

「んー、要は一緒に暮らすって事だな」

「は? 一緒に暮らす? 誰が?」

「だから俺とお前だろ」

「えぇっ?」

 あまりの急展開ぶりにシエルは動揺を隠せない。

「……お前、ほんとに何も聞いてねーんだな。どうやってこの部屋借りたんだよ」

 少年はあっけらかんと言った。

「そ、それは……ほ、他の人にやってもらって」

「なるほどな……んじゃ、そいつから何にも聞いてなかった訳だ。ひでー奴だな」

 サーバースー……! 王女は老執事の顔を浮かべる。

「ま、そういう事だから、これからよろしくなー」

 彼はテレビに向き直った。

「……!」

 シエルは心の底の方から徐々に徐々に怒りが込み上げてきているのを感じた。突然現れた同居人。そんな話は全く聞いていない。それに、その同居人の態度、何だかあまり好ましくない。

「あの! あなた!」

「ん?」

 彼は再びシエルの顔を見る。

「ああ、そういや自己紹介がまだだったな。俺はクロノ。よろしく。んで何?」

「そう! クロノ! 今から私は自分の部屋に行くから、絶対入ってこないでね! ここの隣の部屋だからね!」

「おーそうか。んじゃ俺の部屋はその反対側の部屋だな」

 少女は頬を膨らませながらリビングを出た。


 そして今に至る訳である。

〈同居人……? 何の話だい?〉

 父はぽかんとしていた。そんな話、何も聞いていないようだ。

「私の部屋に同居人がいるの! そういうお部屋だったみたいなの!」

〈えっ……え~~~~~~~~っ!?〉

 ようやく事情を飲み込めたらしく、魔王は驚きの声を上げた。

〈そっ……それはよかったじゃないか! 早速お友達が出来て!〉

「……! そっ……そうかもしれないけど! サバス!」

〈はっ! はいっ!〉

 冷や汗を垂らしながらサバスがひょいと父の横から顔を出した。

「この部屋はサバスが探してくれたんだよね?」

〈そっ……そうでございますっ……!〉

「どうして説明してくれなかったの!」

〈もっ……申し訳ございません……! 実際に部屋を探したのは下の者なのですが、名前を聞いた瞬間にこここそ相応しいと思い……部屋も他のものよりも大きかったですし……その、あまり詳しくは聞いておりませんでした……賃貸契約もその者にやらせましたし……〉

「もうっ! しっかりしてよ!」

〈……申し訳ございません……!〉

 彼はただただ頭を下げるだけだった。

〈しかしお嬢様、これはいいご機会なのではないでしょうか〉

 ふたりの前にさらに顔を出したのは、フェイスだ。

「……どういう事? フェイス」

〈はい。その同居人とやらを、早速奴隷になさるのはいかがでございましょうか。所詮は人間でございます。お嬢様のお力の前にはただ平伏すだけでございましょう〉

「! ……なるほど、それはいい考えね」

 彼女の案にシエルは賛同した。冷静になって考えてみれば、なるほど同居人がいるという事はいいチャンスだ。

〈はい! 恐縮でございます!〉

 フェイスはぺこりと一礼をした。

「だけど、あんまり急には出来ないわ。さっき失敗しちゃったから」

 王女は先刻の事を思い出す。

〈ややっ! 昨日そちらに赴かれて、もうすでに侵略を行われたのですね! さすがお嬢様!〉

「だから……そうね、お父様の言う通りかも。まずはと友達になって、それから奴隷になってもらえばいいのかも」

〈かっ彼……彼、だって!?〉

 またしても魔王が顔を出した。

〈シロ、今彼と言ったのかい? 彼というのは、つまり、その、男なのかい?〉

「女の人だったら彼とは言わないでしょう?」

〈……! 男! シロと一緒に暮らすのが! 男!〉

 父は突如鬼のような形相へと変貌した。

〈男がシロと同棲! よし殺す! 今殺す! さあ殺す!〉

「どうせ……? お父様、何を言ってるの?」

〈魔王様! 落ち着きになってください!〉

 鏡面にはサバスの顔だけが映り、その脇から父の叫びと、それをなだめるフェイスの声が聞こえてくる。

 すると、その鏡面がまるで水面みなもに波紋が広がるように歪み始めた。鏡にある魔力が残り少ないらしい。話せる時間もあと少しだ。一度魔力が少なくなるとまた溜まるまでにしばらく時間がかかる。

「! もう時間がないから切るね! とにかく私頑張るから! お父様もフェイスもサバスも、体に気を付けてね! じゃあね! またね!」

〈シエル様こそ、どうか……〉

 サバスの言葉の途中で、鏡は元に戻った。

「……ふう……」

 シエルはベッドから腰を上げ、手に持っていた鏡を机の上に置いた。

「……クロノと、友達か……」

 なれるのだろうか、あの少年と。正直、第一印象はあまりよくない。

「……まあ、頑張るしかないか……!」

 お風呂に入ろう、と少女は自室を出た。


「あ! いけない!」

 一方、こちらは魔界。フェイスに体を押さえられていた魔王ははっと我に返る。

「シロに大事な事を言うのを忘れていた!」

「大事な事、でございますか……?」

 フェイスは何の事だ、と思い彼に尋ねる。

「私もうっかりしておりました……」

 サバスも魔王の後に続ける。彼は大事な事というのが何の事なのか知っているようだ。

「何なのでございますか、その、大事な事というのは……」

「ああ、昨日シロが次元の扉を開けた時に、同時多発したその時空の歪みに、数名の悪魔が飛び込んだらしい……懸念はあったんだけど、こればっかりはどうしようもないからね……」

「まさか、その飛び込んだ悪魔の中に、急進派が……?」

「それはわからない。ただ、可能性はあるから注意しなさいと言いたかったんだけど……ま、そんなに焦る事ではないかな!」

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