第3話 幼い隣人
「ごめんね、急に押しかけたりして」
電話もなしに突然俺の前に現れた彼女は、部屋に上がるなりしおらしい声でそう切り出した。
「迷惑だった?」
いいや、全然と俺は言う。
それで、話って何だ?
「うん……あのさ……」
もじもじしながら彼女は続ける。まさかこいつのこんな姿を見る日が来るとは、と俺は思った。会ったばかりの頃はもっととげとげしていて、結構とっつきにくい感じだったのに。
だけど、何度か触れ合っていく内に少しずつ変わっていっているのがわかった。今ここで見せているこの態度は世界で俺しか知らないみたいで、凄くどきどきする。
「好きになっちゃったよ……」
え? と俺は聞き返す。
「だからさ、好きになっちゃったよ、あんたの事……どうしよう」
彼女のこの言葉を聞いた瞬間、俺はついにこの時が来たかと内心呟いた。
そして、俺も答える。俺も、
「うそ……!」
彼女の顔が急に赤らんだ。
「嬉しい……!」
この時、世界中が俺達ふたりを祝福しているみたいな気分になった。今までの俺達はもうどこにもいない。これからは、新しいふたりの関係が始まる―――――。
それから俺達は色々な事を話した。初めて会った日の事。大げんかした時の事。文化祭の思い出……たくさんの事を振り返った後に、彼女は急に甘える声で言った。
「ねえ……しよ?」
俺はごくりと唾を飲み込む。俺の手が彼女の肩に触れたその時……。
ピンポーン。
とドアホンが鳴った。
「だあっ! 誰だよこんないい時に!」
メニューボタンを押し、俺、
「こちとら今から初めてだってのによ! 一体何時間かけたと思ってんだ!」
どうやら部屋の外に誰かが訪ねてきているらしい。どすどすどすと玄関に向かう。
「はい?」
さりげなく不機嫌そうな色を出しながら俺はドアをちょこっとだけ開いた。
だが、ドアの前には誰もいない。
……いやいやいるいる。いた。何か、ちっさい子がいた。女の子だ。小学生くらい?
「……」
俺は何が何だかわからなかった。何で小学生の女の子が俺の部屋に来るんだ?
「あ、あの……」
彼女は俺を見上げながら口を開いた。
「隣に引っ越してきました。シエルっていいます。よろしくお願いします」
「はあ……」
え? 引っ越してきた? こんなちっさい子が? ひとりで? ってか、外人? 見た所日本人とそんなに変わんないけど……黒髪だし。中国とか韓国人? ハーフか?
って、いやいやよく考えろ。隣は確か2LDKの豪華な部屋だったはずだ。家族で引っ越してきたに決まってるだろ。それにしても凄い子だな。親が仕事だから、ひとりであいさつに来たのか? 最近の小学生すげーな。
「あの、ちょっと大事なお話があって……上がってもいいですか?」
「は?」
何言ってんのこの子。おいおい、初対面の兄ちゃんの部屋に突然上がり込むなんて、何考えてんだ。大事な話って何だ。ただのあいさつじゃないのか。まさか、実は俺の妹ですとか言わねーよな。てか、相手が相手ならやばいぞ。あいにく俺にロリコンの気はないが。
「……駄目ですか?」
上目遣いで迫ってくる。いや、俺より背が低いから上目になるのは当たり前なのだが。しかし、これは普通にかわいいと思ってしまう。いや! そんな変な意味じゃなくて! 純粋にかわいい顔だと! 子供ってかわいい! って思う気持ちと一緒よ! ほんと! 客観的に見てきれいな顔の女の子なんだよ!
「……別に駄目じゃないけど……」
俺は正直に話す。ただ、モラルとしてはいけないよな。見知らぬ小学生の女の子を部屋に上げるなんて。
「じゃあ、おじゃまします!」
そう言って彼女は僅かに開いているドアから俺の体を滑り玄関に入ってきた。小さいからね。
「ちょ、ちょっと!」
ここで俺ははっとする。いや、駄目だよ! やっぱ上がっちゃ駄目だよ! だって俺の部屋には、君みたいな十八歳以下の子供が見てはいけないものがたくさんあるもの! 比喩表現じゃなくて! ほんとにそうだもの! リアルに年齢制限付きの奴なのよ!
「ちょ、ちょいちょい!」
俺は急いで彼女の前に回り込む。
「ストップ!」
「? 何ですか?」
彼女は純粋な顔で聞いてくる。かわいい。いや! 普通に礼儀正しいって意味な! おばあちゃんが知らないお子さんを見てかわいいねえって言う感覚な!
「ちょ、ちょっと今、部屋が散らかってて……」
「そんなの、私平気です」
「俺は平気じゃないの!」
「! だったら、お片付けします。そしたら上がってもいいですか?」
「いや、片付ける時点で上がってるから! 矛盾してるから!」
「ひゃっ!」
俺はついつい彼女の肩を掴んでしまった。しまった。痛かったかな?
「ご、ごめん」
その時、またしてもドアホンが鳴る。
「えっ!? またお客さん!?」
除き穴から外を見るが、誰もいない……って事はエントランス……マンションの入り口か。
「……外か……いいかい!? ちょっとここで待っててね! すぐに戻って来るから! 絶対に上がらないでね!」
そう言って俺は一旦部屋に戻りすぐに壁に取り付けられたモニターで訪問者を確かめる。
げ!
木下さんとは学校の同級生の女の子だ。何気に気になっていたりする。
「な、何でこんな時に! てか、何で俺の住所知ってんだ?」
「出ないんですか?」
シエルという女の子は玄関から不思議そうに尋ねてくる。君だよ! 君がいるから出られないんだよ! いや待てよ。俺の妹とは言わずとも従妹だとか適当に言えばごまかせるような。いや駄目だ! 木下さんには俺の親戚にこんな女の子がいない事はすでに言ってしまっている!
もう一度ドアホンが鳴る。待てよ。落ち着け。このまま居留守をすればいいんじゃないか? そうだよそうすればオッケーだ! ……いや、しかし……。
木下さんにそんな事出来る訳がねえ!
俺はマイクのスイッチを押した。
「は……はい! 叶ですけど!?」
〈あ、いたんだ……もしかして寝ちゃってた?〉
木下さんは柔らかい声で俺に尋ねる。ああ、やっぱり天使だ、この娘。
「え? そんな事ないよ。ちょっとトイレ入ってて……」
って、女の子に何て言い訳してんだ……。
「てか、何で俺の住所知ってんの?」
〈え? ああ、これ……〉
そう言って彼女がバッグから取り出したのは、俺の手帳だった。
「あ! それ俺の……」
〈うん。叶君、これ講義室に忘れてたよ。律儀に自分の住所書いてたから〉
「あ……」
そのためだけにわざわざ
「ちょっと待って! 今開けるから! 部屋番号は……」
〈102……でしょ? クスクス〉
かっ……かわいい……!
俺はマイクのスイッチを切り、エントランスのオートロックを解除した。彼女はすぐにこの部屋にやってくるだろう。
……って、思わず通しちゃったけど、どうすんだよこの状況! 俺は再び現状と向き合う。
「あのー……まだですか?」
あの幼女は俺を急かしてくる。確かにすぐって言ったわりにはちょっと待たせてるな……。
どうする……!? 木下さんはもうここに来るぞ……! ドアを開けたら確実にあの子がいる事がばれる!
「くっ……」
俺は腹をくくり、急いで玄関に戻る。
「シッ……シエルちゃん……」
「はい?」
「上がっていいよ! 上がっていいからドアを閉めて部屋の中で黙って待っててね!」
「はい! わかりました!」
彼女は嬉しそうに廊下を歩いていく。逆に考えるんだ。見せちゃってもいいさと。あれくらいの子なら見た所で何にもわかんないかもしれない……そう思いたい!
俺にとっては、見知らぬ女の子よりも、木下さんの方が大事なんだ! 一時の恥は捨てろ!
するとドアホンが再び鳴った。彼女が部屋の前に着いたのだ。
「は、はいはい!」
俺はなるべく笑顔でドアを開けた。
「あ、ごめんね。急に来ちゃって」
「い、いや別に、ひ、暇だったし全然大丈夫だよ!」
「はい、これ手帳。今度から気を付けないとね」
木下さんは俺の手帳を大事そうに扱いながら渡してくれた。
「あ……そ、そうだね。気を付けるよ」
恥ずかしみながら手帳を受け取る。
「っ……」
よかったら部屋に上がんない? とは言えないまでも、これから暇なら一緒に飯でも……と誘いたいのに……誘いたいのに……! あのロリっ娘がああああああっ!
「あ、ありがとう……」
「……」
彼女は何も言わずに微笑んだまま動かない。もしかして、これ、誘われ待ちしてる……?
「じゃ、じゃあね……」
しかし、俺は重たい唇を何とか動かし、別れの言葉を放った。
「あ、うん……」
木下さん、ちょっと残念がってる……? 考えすぎかな? 彼女の顔を見守りながら、俺は精一杯心と体を逆方向に動かした。めちゃくちゃ弱い引力でドアを吸い寄せていく。ああ、木下さん……。
ドアはがちゃりと閉まった。
あのロリっ娘があああああああっ!
直後、俺は部屋へと猛進した。ドアを開けると彼女は俺のベッドの上にちょこんと座って壁に貼ってあるポスターを眺めていた。
「君は!」
俺は叫ぶ。
「何をしに来たの! 大事な話って何!」
さっさとこの子を追っ払って木下さんにメールをすれば、まだ間に合うかもしれない。
「え?」
「さっき言ってただろ! 大事な話があるって! 何!」
俺はどかどかと彼女に近付く。床に落ちていたゲームソフトのケースを危うく踏みそうになったので、慌てて避けた。
と、その拍子で俺は体を傾け、そのまま彼女が座っているベッドへ……!
「あ……」
体勢としては非常にまずい。ベッドに仰向けになっている少女を俺が覆っている図。
何で、何でこんなミラクルが木下さんとじゃなくて……!
「あの……」
彼女は急にもじもじし始める。ちょっ、ちがっ! これじゃ俺が変態みたいじゃないか! 二度も言うが俺にロリコンの気はない。
「すーっ……はあーーーーーーーっ」
と、彼女は深呼吸をしてから言った。
「い……言いなりにしてください!」
!?
俺の顔が火を噴いた。彼女の顔も真っ赤っかだ。
!?
「……」
シエルとかいう女の子は黙って俺の顔を見つめている。いや、だから俺はロリコンじゃ……。
「……駄目ですか?」
か弱い声を出す幼女。
「うわあああああああああ!」
俺は叫んだ。力の限り叫んだ。
「あの! 意味がわかんないんだけど!」
「えっ……!」
彼女は戸惑っている。
「帰ってくんない!? 今すぐ帰ってくんない!?」
「えっ……駄目……ですか?」
「君い、見知らぬお兄さんをからかっちゃいけないよおっ!」
俺はがばっと彼女を抱えがちゃっとドアを開けてとさっと彼女を床に立たせた。
「俺は叶! よろしくね!」
そう言い捨ててまたがちゃりとドアを閉めた。
「……ふ~っ……」
五分ほどその場に座り込んで、ひたすら羊を数えた。そして。
「続き続き」
俺は部屋に戻り、再びパソコンの前に座った。
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