第四章 「秩序の終了」

●27日目 01 朝『どうにもならないこと』

 食料も水も微妙な残量になりつつあるあった4週間目に入って新たな問題が起きた。


「状況は?」


 沙希は校舎の屋上に上がると、双眼鏡で周辺を見回っている八幡に声をかける。しばらく黙っていたが、やがて双眼鏡を手渡してきたので受け取り様子を見る。


「……思ったよりまずいわね」

「消す人がいないからね。燃え広がるだけだよ」


 八幡の視線の先には巨大な黒煙が空高く上がっていた。


 略奪者によってスーパーが爆破されたが、それからしばらくしてから火の手が上がった。最初は煙が少し出ている程度だったが、タイミング悪く強風の日があり、それで周囲の民家にも延焼し始めたのだ。今では周囲を巻き込んでどんどん火災が広がっている。変質者たちも火に近寄るのが嫌なのか、避けるようにしてうろついている。あの火災の勢いでは変質者の餌にされた治安担当の生徒たちも燃えてしまっているだろう。


「今のところ、こっちに向かう気配は?」

「風向き次第だね。今日は逆方向に吹いているから遠ざかっているけど、もし風向きが変わってこっちの方に火の粉が流れてくるようになったら手がつけられなくなるかも」

「とはいえやれることも何もなしか……」


 唸る沙希。なにせ大規模火災など消す経験もなければ技術もない。校舎内には火事が起きたための放水装備はあるようだが、誰も使ったことがなくマニュアルもどこにあるのかわからない。そもそも使えたところで街が燃えているなんて事態に使えるものではないだろう。


 ふと光沢が火事を見つめながら何かを思い出したように、


「そういえばドラマの再放送でこんな状況を見ましたね。何年か前の大ヒットドラマだったようですが、夏休みに学校に忍び込んで遊んでいたら周りの家が火事になって閉じ込められ助けを求めるという」」

「ああそれなら俺も知ってる」


 珍しく光沢の話に乗っかる梶原。だが、沙希の身体が強く反応したのはそちらではない。


「意外ですね。失礼ながらこの手の話には興味が無いと思っていましたので」

「興味はねえよ。でもこいつが俺に面白いから見ろと全話録画したのを見せてきてな」

「ほう。生徒会長案件でしたか」


 そんな光沢と梶原の会話に沙希の特大級のトラウマが脳裏に蘇る。絶対に忘れなければならないと思い全てを消したあとに本当に忘れられたあの恥ずかしい記憶。


 だが、梶原は容赦なくその傷を抉る。


「で、その後にこいつが小説を書いたから読めとか言って渡してきてな。その内容がそのドラマの中にこいつみたいなキャラが登場して主人公とヒロインに『お前らは間違っている!』とか説教し始める内容で――」

「ぎゃああああ! 死ぬ死ぬ死ぬ!」


 あまりの忘れたい記憶の復活ショックに沙希は屋上の床を転がりまわった。どうあがいても忘れたかった三大恥と勝手に命名して何が何でも忘れることを決意していたのに思い出してしまった。


 その勢いそのままに梶原に掴みかかり、


「あんたまだそれどこかに持っているんじゃないでしょうねぇ……っ!」

「まだ家の俺の部屋の何処かにあるはずだが」

「そのうちあんたの家に戻ってそれを破り捨てろ、いや焼き捨てろ。チリひとつ残すな!」


 もうやだやだと沙希は耳をふさいで記憶消去を試みる。そんな姿を見て八幡が不思議そうに、


「小学生ぐらいがやっているのなら年相応だと思うんだけど」

「恥だと認識した以上は恥なのよ。周りがどう思おうがあたしにとっては忘れたい恥ってだけ。痛い痛い痛い痛い……」


 そんなやり取りをしているときだった。急に光沢が口に手を当てて周りに静かにするようにというポーズを取り、


「何か聞こえませんか?」

「…………?」

 

 沙希も耳を済ませる。学校に閉じこもって以来この街から聞こえるのは変質者が出す物音か小鳥のさえずりぐらいだった。しかし、今日は別の音を耳が捕らえる。


「ヘリ……の音か?」


 周囲を見回していた梶原も気がついたらしい。たまにこの街の上空を通り過ぎていたのでよく覚えているブオーンという音がどこからか聞こえてくる。間違いないヘリコプターの音だ。


「あれだよ! 北の方向から火事の方に向かってる!」


 八幡が指差した方には赤いヘリが飛んできていた。ぱっと見る限り消防のように見える。


 その後ヘリは火事が起きているところの近くを飛び回り始めた。どうやら状況を確認しているらしい。やはり消防のもののようだった。


 しかし、T県は変質者がこれ以上増えないようにするために飛行禁止区域に設定されているので飛んでこれるはずがない――いや待て。


 沙希はすぐさま生徒会室に全力疾走で戻り、テレビを付けた。もしかしたら政府の対応に何か動きがあったかもしれないからだ。


『……速報です。さきほど政府はT県上空の飛行禁止措置を一部解除したと発表しました。記者発表では三週間以上厚生労働省と防衛省と共同で身長に安全についての調査を続けた結果、上空200メートル以上で飛行し続けても搭乗員が興奮状態になるなどの問題が確認されず、安全であると判断したと述べています。これに伴い上空から避難所への支援物資投下も可能になり、一部地域で発生している火災についても上空からの消火活動を行うとしています』

『しかし、地上への救助隊の派遣は安全性が確認されておらず、現時点では未定であるとしています。防衛省からも自衛隊を投入する場合は武力行使を含めた隊員の安全が確保されることを条件にしており、野党からの反発も多く、時間がかかるのではないかと指摘されています』


 報道を確認した沙希は光沢へ即座に指示を出す。


「メールを出して! あらゆる手段を使って上空のヘリにあたしたちの存在を伝えるわよ! 雑務担当には用意していたあれを使わせて! 全部使い切って構わない!」

「了解しました」


 光沢はすぐに手慣れた手つきでノートパソコンを打ちメールを送信する。沙希も即座に生徒会室を飛び出し、校庭へと向かった。


 校庭では沙希の到着から少し遅れて雑務担当全員が走ってきた。その手にはみんな古タイヤがある。


「準備は!?」

「この時のために何度も練習しておきましたからね! バッチリですよ!」


 責任者は校庭の真ん中に積み上げられていく古タイヤを確認した後、少量のガソリンをかけて火を付けた。するとみるみる燃えていき、真っ黒な煙が立ち上り始める。今日は緩やかな風しか吹いていないので少し斜め程度の黒煙が空高く舞い上がっていった。


 もしヘリが来たら狼煙を上げてすぐにこの場所を知らせるように決めてあったのだ。しかも今回やってきたヘリは消防のもので火災を消している。ならこっちの黒煙にも必ず近寄るはずだ。


「……来た!」


 消防ヘリがこちらに向かってきたのを視認した沙希は思わず手を叩く。ほどなくして学校の上空で止まり、ローターから発する風が校庭に吹き荒れる。


「これでこれでようやく長かった立てこもり生活も終わりですね」


 いつの間にかやってきていた光沢が感慨深げにつぶやいていた。梶原も何時ものと変わらない無愛想な顔ながらどこかホッとした感じを受ける。


「…………?」


 全生徒が消防ヘリに向かって手を振り歓声を上げている中、沙希はふと気がついた。ネットの向こう側のフェンスに掴んでいる変質者たち。さらにその背後にフェンスにはよらずにじっとこちらを横目に見ている変質者がいた。ネット越しなのではっきりとは見えないが、何か他の変質者とは違うように感じる。


 しばらくするとさらに消防ヘリの音で集まってきた変質者に埋もれるようにその姿は見えなくなっていった。

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