●12日目 02 夜中『嵐と闇夜と侵入者4』

「ふうーっ。いやはや肩が凝っちゃったよー」


 大げさな溜息をついたのは理瀬だった。さっきからずっと黙っていた分を一気にはき出したようだ。光沢も足を組んで定番スマイルになると、


「良いじゃなかったですか。被害なしで今後に生かせる経験が得られたのはある意味最高だったと言えます」

「まあ確かに」


 沙希は頷く。今の治安・連絡体制では校舎内に一人でも入り込めば動きが取りづらくなり混乱が続くということがわかった。緊急時の対策マニュアルを改訂する必要があるとわかったのは大きな収穫だろう。経験こそが力となる。


「外の状態はどうなっているの? あ、ずいぶん雨は収まってきたみたい」


 高阪が見ている窓の外では徐々に雨足が弱り始めていた。風もピーク時に比べるとかなり収まり、雲の中にうっすらと月明かりが見え始めていた。

 沙希はトランシーバーを取り、


「八幡聞こえる? こっちはバカな生徒がいただけで終わったわ。勝手口が開いていたのもそいつが原因だった。今のところ校内の安全は保たれている」

『了解。こっちも良い知らせだよ。中庭の影で変質者の死体を見つけた。死亡原因はわからないけど夕方に見回ったときはなかったし、手に防球ネットを切ったのに使ったと思われる刃物も持っている。入ってきたのは最初に始末したのとこの二人だけみたいだね。念のために止めを刺しておいた』


 八幡の報告に今度は沙希が大きな安堵の溜息をついた。そのまま机に突っ伏してしまう。脱力しすぎて立つ気力も失せた気分だった。


「よかった。これで問題解決したね」


 高阪は最後まで崩すこと無かった笑顔で言った。梶原も緊張が解けたのか珍しく疲れた感じで椅子に座ってしまった。


 その後治安担当チームは警戒態勢を解除し、規模を縮小して巡回警備を継続することになった。一方で生徒たちに安全宣言を出す必要があったが、雑務担当だけで廻らせても不安が解消しきれないかもしれないと考え、沙希自らが教室を廻ってもう大丈夫だと伝えていく。高阪は三年生の教室に戻ったため、ボディーガード役の梶原・光沢と雑務担当統括者と理瀬の四人で廻っていく。


 あらかた廻り終え、雑務担当統括者を自分のクラスへ戻し生徒会室に戻る途中、


「おっ、すっかり良い天気になったね。明日は快晴になりそうだよー」


 理瀬の声に沙希も窓の外を眺めた。まだ雲が残っていたが、その隙間から月が輝き、明かりのない廊下を照らしている。


 今回は正直肝を冷やしたが、何事もなかった上に色々な教訓も手に入った。これは最高の結果だったといっていいだろう。犠牲なく教訓を得る。今の彼女にとってむしろありがたい騒動だった。


 そんなことを考えていた。


 そして、沙希が三階に上ろうと階段に入った瞬間だった。


「――は?」


 突然闇から突き出てきた手に肩をつかまれ声を上げる。最初は理瀬辺りがじゃれてきたのかと思ったが、月明かりに照らされたその腕の先を見て声を失った。校内には存在しないはずの中年男性。目は生気を失い、口からは血が流れ出してそれが服を赤く染めている。疑いようのない人食い変質者の姿だ。



 な・ん・で・こ・こ・に・い・る



 沙希がそう叫ぶ前に変質者はエサに食いつく獰猛な獣のように沙希の首筋に噛みつこうとして――


「――沙希っ!」


 それに誰よりも早く反応したのが理瀬だった。とっさに彼女の前に立ち身を挺して防ごうとして――


「ああああああっ……!」


 変質者にとって相手が生きている人間ならなんでもよかったのだろう。そのままの勢いで理瀬の右首筋に噛みつく。同時に激痛のため理瀬は目を大きく見開き悲鳴を上げた。 すぐさまそれから逃れるために力任せに変質者を突き飛ばしたが、すでに遅く首筋から多量の出血を引き起こされ床に倒れ込む。


「――くそったれが!」


 激高した梶原がふらふらと立っている変質者に強烈な回し蹴りを決めた。その勢いで変質者の顔面が廊下の壁に激突する。だが、まだしつこく立とうとするため、梶原がひたすらその胴体を蹴飛ばしつづけ、


「なんでだ!? なんでこいつが校内にいる!? ちゃんと調べてもう安全だったはずだろうが!?」


 唐突すぎる変質者の出現と襲撃にいつも冷静な梶原が半狂乱に叫ぶ。隣では光沢がどうしていいのかわからないと唖然とするばかり。

 だが、精神的なリミッターが外れた変質者の力は凄まじい。梶原の足首を掴んだかと思うと、猛烈な勢いで投げ飛ばしてしまった。向かいの教室の壁に衝突し、梶原はもんどり打ってしまう。


 そして、変質者はゆっくりと立ち上がり、再び沙希に視線を向け――


「全員その場を動かないで!」


 廊下を走る音とともに、八幡の叫び声が廊下に響く。そして、その手にしていたものから鋭い一撃が飛び出した。


 次の瞬間、変質者が廊下に崩れ落ちる。頭には一本の棒――矢が突き刺さっていた。治安担当に数個だけ配備されているボウガンの一撃だ。遠距離から変質者を確実に殺害できる切り札である。


「怪我の具合は!?」


 激痛と出血に耐えられなくなり廊下に仰向けに倒れている理瀬に八幡が駆け寄る。喉を裂かれたためか、うまく呼吸が出来ず激しく胸を上下させている。


「……誰か医療担当を呼んで!」

「僕が直接呼んできます!」


 助けを求めて走りだす光沢。だがそんな中、沙希は未だに何の反応も出来なかった。

 猛烈な勢いで頭の中にどうしてという考えが回り始める。

 なぜだ?

 もういないはずの変質者がどうして校内にいる?

 校内にいたのは不良生徒。

 そいつが夜中に勝手に抜けだして、戻ってきたから扉が開いていた。

 侵入した変質者のもう一人は外で死んでいるのが発見されている。

 なんで校内に変質者がいる――


「…………!」


 結論にたどり着いた瞬間沙希の心臓が大きく動悸して、全身が震える。


 致命的なミスを犯している。八幡の最初の報告では侵入しているのは「最低」でも二人だった。だが途中からのどたばたで、なぜか二人しか侵入していないとすり替わってしまっていた。

 そして、杉内たちが不良生徒を発見したのは三階。あの時の言葉を聞く限り、彼らは三階から捜索を続けていた。一階は最初から巡回していた。


 誰が二階を捜索した?


 考えられる結論はこうだ。


 変質者はもう一人いて、不良生徒が開けっぱなしにしていた勝手口から侵入し二階に隠れていた。恐らく騒動が終わるまでトイレかどこかに身を潜めていたのだろう。


 そして、警戒態勢が解かれた今、沙希たちの前に現れたのだ。


 完全な判断ミスだった。


 理瀬はもう手足を動かすこともできず、止まらない首筋の出血により赤い領域が彼女を包み込み始めていた。


 そして、ふらつく手を沙希に向けてあげて、


「沙希……? 大丈夫だった……? 怪我してない……?」


 その言葉に沙希はすぐさま手を取ってしゃがみ、


「りせっち……ごめん、ごめんごめん……あたしのせいだあたしがもっと……!」

「……よかった無事……なんだね……あはは、もう目もよく見えないや……」


 理瀬は力なく微笑んだ。


「この調子だともう……長くないかな……不甲斐ないな……こんなところで……」

「そんなこと言わないで! ずっと一緒だって言ったじゃない! みんなでここから逃げ出して安全なところに行って! それでっ――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ! りせっちがいないとあたしは嫌だよっ!」


 叫び続ける沙希。だが理瀬は少しだけ首を振ると、


「あたし、あんたに謝らなきゃならない……」

「もうしゃべらないで!


 だが、構わずに理瀬は続ける。

「この騒動が起きた時……ひどく絶望して……きっと親も弟もみんな死んじゃったんだって……すぐにわかった……そんな時、目の前にあんたがいたんだ……すごく怖がっていて頼ってきていて……それを見てあんたを助けていれば……そんな絶望から逃げられるんじゃないかって思って……」


 沙希は呆然とそのつぶやきを聞くことしかできない。


「……ひどいやつだよね。自分の現実逃避の道具としてしか……あんたを見てなかったよ。ずっと言おうと思っていたけど……言っちゃったら現実に引き戻される気がして……」


 思い出す。理瀬が前に言っていた言葉。


『同じだよ、きっと――うん同じ。生き延びたいと思うからあんたと一緒にがんばっている――それだけさ』


 本当は生き延びたいと思っていたからではない。ただ大切な人を失った絶望感から逃げるために沙希に付き添って助けていた。むしろ沙希にすがっていたのだろう。


 しかし――だからなんだというのか。理瀬は自分を助けてくれた。どんな時でもついてきてくれていた。動機なんてどうでもいい。沙希にとって理瀬は絶対に無くてはならない存在だった。


「すがってもらっても構わない! それでも一緒にいてくれるなら理由なんてどうでもいい! だからお願い――お願いだから……あたしを一人にしないで!」


 家庭環境崩壊以降、たった一人の友人だった森住理瀬。中学に入った時、自分の無力さを痛感し、ただ生きているだけの真っ白な状態だったところに、色を塗ってくれた。そんな大切でかけがえのない存在。

 だが、理瀬は微かに首を振り、


「大丈夫……もう私がいなくても――大丈夫だよ。あんたと一緒にいてくれる人がこんなにできたじゃん……」


 ここですっと沙希の頬に手を沿え、


「生きて。どんなにみっともない姿になっても生きて。誰かのためとかじゃなく、あんた自身が進むために生きて……」


 そう言い残し最後の力を失った手が床へと落ちた。

 だが最後まで笑みだけは崩さなかった――




 沈黙が老化を支配する。誰も何も言わない。


 そんな時間がどのくらい続いただろうか、やがて八幡が近づいてきて――


「八幡。それを貸せ」


 先に口を開いたのは沙希だった。その手は彼が持っているボウガンを指している。


 変質者に噛まれた人間は、同じ変質者になる。もうすぐ理瀬も起き上がり、生徒たちを襲い始めるだろう。そんなことにはさせない。させてはならないのだ。


 だが八幡は躊躇する。


「でも……それは」


 そんな彼に沙希は涙を飛ばして噛み付くように叫ぶ。


「いいから、さっさとそれを貸せつってんだろうが!」


 ――廊下にボウガンが放たれる音、そして、喉が裂けるほどの悲痛な叫びがこだまする――

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