●4日目 01 朝『床の下にあった地獄』

 翌日の朝、治安担当による第二の作戦が開始された。

 今回も作戦自体はシンプルで校門と裏門を閉鎖、隙間などを机や板で塞いで周り、その間に敷地内にいる変質者を排除して回る。

 

 治安担当チームの仕事的に変質者を殺すことは避けて通れない。しかし、沙希は八幡以外は自分の命を守る必要ができた場合以外、変質者を殺すことを禁止した。


 悪ガキ時代だった時に大人ぶるがゆえに戦争の歴史だの犯罪の心理だのそういう書籍を読み漁っていた時期があった沙希は、(あまり思い出したくない時代の記憶だが)人が人を殺すことは精神的に非常に負担になることを知っていた。 相手は人を食う変質者だが、見た目は普通の人間と変わらない。違いと言えば風呂に入ったり着替えたりしていないせいかここ数日で薄汚れつつあるぐらいだ。

 

 そういう存在を治安担当が見境なく殺したらどうなるか。人間の形をしたものの頭に金属バットを振り下ろすことを強要されたらどうなるか。酷いストレスを溜め込んで精神的におかしなことになるのを想像するのは容易だ。


 一方でそれを乗り越えて平然と変質者を殺せるようになるのも問題だ。変質者を殺せるということは、最悪同じ人間――学校内の生徒に対しても簡単に殺す行動を起こす恐れがある。そういう「人殺し」に躊躇がない人間を量産するのは学校内に不穏な空気を残すだろう。また他の生徒たちからも人殺しという視線を向けられる恐れがある。


 そのあたりを考慮した上で原則変質者を殺すのは禁止という指示を出した。当然、八幡も同意した。

 

 しかし、唯一責任者の八幡だけは沙希が自ら変質者を殺してもいいという許可を出している。

 この作戦の前に八幡は最初に外に出た時に自宅に戻り、変質者化していた家族を皆殺しにしたことを確認した。本人曰く、いちばん大切なものだから最初に手をかけることにしたらしい。つまり……他の変質者も人間もそれ以下だから手をかけることに何ら躊躇もないという決意の行動だったはずだ。

 

 ある意味怖いほどの正義感であるが、八幡の精神的な強さを表す証拠でもある。変質者を殺し続ければやがて精神も疲弊するかもしれないが、この学校に永住するわけでもないし救助が来るまでの間なら耐えきれると沙希は判断している。暴力を使って周りに迷惑をかけるような性格でもない。だから許可を出している。


 もちろんそれに伴う責任は全て生徒会長である沙希にあるということも伝えてある。


 なので変質者の排除は、数人で取り押さえてガムテープで縛り上げた後にフェンス越しに学校の敷地外へ放り捨てるという手段を採用した。変質者は力はそこそこあるが動きは鈍いので引き離して一人ずつ押さえ込めばなんとかなる。頭に体操着を入れていた袋をかぶせてしまえば噛まれることもない。


 どうしても暴れて無理な場合は八幡が息の根を止める。これで最低限のリスクで作戦が遂行できた。


 治安担当チームは初回作戦の犠牲で人数が減っていたため厳しい戦いなると思いきや、その身を犠牲にしてまでがんばる人たちに共感したという人が押し寄せて、最終的に40人体制で実施されている。従来メンバーの士気も上がり、最高の状態で作戦は進められた。


 そして、徐々に日が一番高くなる頃合いになり、作戦終了の一報が入る。


「よっしゃ!」


 沙希は威厳もへったくれもない大声を上げてしまった。それに続いて生徒会室内にいた各担当統括者たちも喜びの声を上げた。


 その理由は簡単。この困難だと思われた作戦で犠牲者はゼロ。転んで捻挫した生徒は一人出たが、軽傷だ。これを喜ばずにして何を喜ぶというのか。


 祝福モードな生徒会室だったが、唯一無愛想な面構えの梶原が彼女の肩を叩き、


「浮かれている場合じゃねぇだろ。次にやることあるんだろうが」

「わかっているわよ」


 沙希は顔を引きして目立ち上がる。そして、立ち上がり閉鎖されていた階段に向かった。この作戦が成功した暁には、生徒会長として一階の様子を伺うと宣言していたのだ。


 背後にはいつもと同じように梶原と光沢がいた。三年生の遺体だらけであろう一階視察には付き合う必要はないと二人にはあらかじめ伝えたが、梶原は無言で、光沢はせっかくですからといつもの胡散臭いスマイルでついてきている。


 一階まで降りると階段前に下ろされていたシャッターの前に立った。やがて、防火シャッターが少しずつ外にいた治安部隊によって押し上げられていく、この二日間ずっと自分たちを守ってきた防火シャッターがついに解き放たれる瞬間に、思わず見を震わせた。


「うっ――」


 シャッターが開いた途端、すぐに妙な臭いが鼻についた――かと思いきや一気にそれは肺から全身に周り、強烈な嘔吐感を誘い出した。あわてて戻さないように口を押さえる。梶原もかなり顔をしかめ、予想していたのか光沢はすでにハンカチで口を押さえていた。

 

 昨日ぐらいから一階から悪臭がするというのは生徒たちから言われていた。そのためある程度覚悟はしていたが、実際に立ち入るとその臭いはかなりきつい。


 それは口の中を切ったときに味わう感覚と似ていた。つまり血の臭いだ。


「人の血液には嘔吐性があると聞きます。そのまま吸わない方がいいかと」

「そうした方が良さそうだな」


 光沢の進言に梶原もハンカチで口を押さえた。沙希も最初はそうしようと、スカートのポケットから取り出すがすぐに戻す。


「おい――」

「いいのよ。あんたはそうしてなさい。あたしはやらない。目をそらしているようで嫌だ」


 梶原の制止を振り切り廊下へと出た。八幡と他数人の治安担当チームが彼女を出迎える。全員漫画とかで出てくる銀行強盗のように大きな布で口を覆っていた。


「ようこそ地獄の三丁目へ、生徒会長」


 そんな八幡の言葉。沙希が周囲を見回すとまず目に入ったのは真っ赤に染まった廊下の床だ。日数が経ってすっかり乾いてしまった血によって塗り固められてしまっている。さらに、その中に血の池から伸びる腕が浮かんでいた――いや、違う。途中で食いちぎられた腕が廊下に無残にも放り捨てられている。


 猛烈な吐き気に耐えつつ廊下へと踏み出す。


「…………」


 覚悟はしていたつもりだがやはり現実を直接見たときのショックは大きい。妙な震えが身体を襲う。

 

 廊下の端から端まで損傷のひどい遺体が続き、出入り口越しに見える教室の中にはとても言葉では言い表せない遺体が大量に放置していた。


「これは……想像以上ですね。ちょっとここに来たことを後悔しつつありますよ」


 いつものスマイルはどこへやらハンカチを抑えたまま苦々しい表情を光沢はつぶやく。梶原も無愛想な表情ではなくあからさまな嫌悪感を浮かべていた。


 沙希はとにかく校内を見て回らなければならないと思い、ゆっくりと踏み出す――と、突然廊下の中をばたばたと大量の足音が響きり、


「どいたどいたどいたー!」


 沙希たちの背後から理瀬を先頭に清掃担当チームが押し寄せてきた。全員口に布切れを巻きつけにおいを押さえるようにしていて、さらに教室のカーテンを丸め腕に抱えている。そして、その勢いで遺体置き場と化している廊下に飛び出すと、


「いい!? 遺体を直接見るときつくなるからまずカーテンを上に覆って! それでうまく包んで丸めた後にいったん中庭に運び出すよ! さっき決めた男子数名は八幡くんたちと協力して体育倉庫からスコップをとってきて、その後中庭に穴を掘り始めて! あと一緒に台車もとってきておいて! でもまだ変質者に襲われる可能性もあると思うから必ず治安担当の護衛をつけながら作業を進めること! 八幡くんいいよね!?」


 半ばやけくそ気味にいっているように見える理瀬に八幡は少し押されて唖然としたが、やがて強い眼差しで頷く。


「よっしゃあ! じゃあガンガン作業を進めるよー! みんな張り切っていくっさ!」


 パンパンと手を叩く音を合図に理瀬たちは一斉に作業を始めた。先ほどの説明のように手近な遺体にカーテンをかけ始める。


 だが勢い任せでもこの作業は厳しい。開始早々数人の担当が腰を抜かして動けなくなるが、すぐさま理瀬がフォローに入り立ち上がらせる。


「寝るな休むな立て立つんだ! みんな頑張っているのにそんな情けないことでどうする! 私たちは誇りある清掃担当なんだぞ!」


 よくわからない檄を飛ばす理瀬を見て、これなら任せておいて大丈夫だろうと判断した沙希は負けていられないと気を引き締め、校内の視察を再開する、


 第一校舎と第二校舎の一階を見回ったのち職員室に入ってみると、この中には変質者・生徒含めて遺体はなかった。教師のものもない。やはりここにいた大人たちは喰われるのではなく喰う側に変貌してどこかに行ってしまったようだ。


 次に校庭に出る。校舎内ほどではないにしろぽつぽつと生徒たちの亡骸が無造作に転がっている。ここまで逃げて襲われたのか、殺された後に変質者に運ばれてきたのか。中には生徒ではない変質者の遺体もあった。見たところ死後あまりたっていないので八幡が始末したのだろう。


「見てください。恨めしそうにこっちを見ていますよ」


 光沢に促されて学校のフェンス越しに外に視線が向かう。そこにはフェンスをつかんでこちら側をじっと見ている変質者たちが群れを成している。特にフェンスを揺らしたり乗り越えようと暴れたりはしていないが、その目は早く食わせろと狂気に染まっているとすぐに悟った。


 最後に中庭に足を踏み入れると四人の治安担当に守られて清掃担当チームが一心不乱に墓穴を掘っていた。その隣には血で汚れた机や本などが積み上げられ燃やされている。遺体は埋葬、それ以外のものはすべて焼却するつもりらしい。


「へいへい、邪魔だよっ! どいたどいた!」


 沙希たちの後ろから大量にカーテンにくるんだ遺体を載せた台車を押しながら理瀬が走ってきた。そのまま大きな穴の横に遺体を積み上げていく。そしてまた校舎内へ台車とともに消えていった。身に着けている作業用のジャージが血まみれになっていることから、かなり激しい作業になっているのが見て取れた。


「清掃担当の方はもう大丈夫そうだね」


 サポートしていた八幡がふうと口から布を取り払って新鮮な空気を吸い込んでいた。 電波な少女として人気のあった理瀬だったが、ここにきて精神力の強さを見せられ、すごい人が友達だったんだなと少し自慢げになってしまう。


「八幡、清掃の方はもういいからすぐに治安担当の訓練に入って。特に自動車の運転について最優先でお願い。明後日にはまた食料を取りに行ってもらうことになるから」

「了解」


 そう答えると、八幡は数人の生徒たちと主にグラウンドへ向かっていった。

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