●1日目 07 夕方『周りがバカみたいに見える』

 沙希が第二校舎三階の隅にある生徒会室に入ると、そこには男子一人、女子二人が椅子に座っていた。副会長と書記と会計――彼らもまた生徒会に所属しているから、という理由で責任を押しつけられたのだろうと彼女は直感で理解する。他にも生徒会メンバーがいたが、変質者たちの襲撃で命を落としたのか、あるいは運良く責任の押しつけ行為から逃れられたのか、ここにはいなかった。


 生徒会長の席に座ると、他のメンバーに視線を向ける。副会長は頭を抱えてぶつぶつと聞き取れない独り言を繰り返し、書記と会計の女子はひたすらお互いを支え合うように寄り添ってすすり泣いていた。


 ……さあどうするか。沙希は祈る気分で天井を見つめる。外は人食い変質者だらけ、中は自分たちを助けろと詰め寄ってくる生徒たちだらけ。前門の虎後門の狼――いや、これは四面楚歌といった方がいいか。


 だが、何もしなければその内餓死するのは目に見えている。その前に飢えた生徒たちに血祭りに上げられるかも知れない。行動しないということは死に直結するのだ。

 しばらく他のメンバーにちらちらとタイミングを伺い、そして勇気を振り絞って声をかけようとして――


「あ――」

「できるわけないだろっ!」


 反射的に返ってきたのは副会長の怒声だった。予想外の返しに沙希は心臓が飛び上がるほど身体が震えてしまった。さらに彼は椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、


「一体俺たちに何をしろっていうんだよ! どいつもこいつも勝手に俺たちに責任押しつけやがって、無理に決まってんだろうが! 外で何が起きているのかすらもわからないし、先生たちもなしにできることなんてないだろうがっ! ああ、くそ! 何でこんな目にあわなきゃならないんだよっ! 生徒会に立候補したのはいつもの学校生活だからなんだっ、こんなサバイバルみたいな状況だったら誰がそんなものをやろうって思うんだ! いい加減にしろよチクショウっ、あいつらなんも考えずになんとかしろとか壊れたレコードみたいに言いやがってっ!」

「あ、あたしたちどうすればいいの……っ」


 発狂し始めた副会長に釣られて書記の女子まで大声で泣き始める。それが伝染したのか会計の女子まで泣く。

 罵声と泣き声。狭い生徒会室に負の感情が満ちていく――


 ギリッ。


 沙希は自分がいつの間にか痛みを感じるほど歯を食いしばっていることに気がついた。最初は副会長と同じ気持ちだった。なんで自分が。こんなことを解決するために生徒会長になったわけじゃない。そもそも教師たちが勝手に生徒会長の座に祭り上げたようなものだった。そんな自分に何を解決しろというのか。何ができるというのか。


 だが、無意味に暴れる副会長や何もせず泣きじゃくるだけの書記たちを見て、彼女の中に別の感情が芽生え始める。自分はこんな奴らと同じなのか。この状況でただ喚く、泣く、悲観する、駄々をこねる……それしかできないのか。実際にできていないじゃないか。そんな自分でいいのか。自分はそこまでダメな人間だったのか。これでは責任を押し付けてきた連中とどこが違う?


 目の前にいるのがついさっきまでの自分なのだ。こんな醜くて、ダメで、無能な姿を晒していたのかと思うと、いらだちが募る一方だった。


 今は何かをしなければならないのだ。

 でなければ死ぬ。

 みんな死ぬし、自分も死ぬ。

 だったらやれよ。

 誰もやらないなら自分がやってみせろ。


「……でていけ」


 次第に募ってきた怒りで自然と口からこの言葉が出た。それを聞いたとたん、副会長たちはぴたりと身を固まらせる。まるでよく聞こえなかったもう一回言ってくれと聞き返すように。

 その態度にさらに怒りをふくらませた沙希はばっと入り口の方を指さし、


「邪魔だから出て行け。あんたたちはあたしの権限で生徒会をクビにする。周りに何か言われてもあたし一人でやると言われたと答えればいい。だから――今すぐさっさと失せろ」


 沙希の怒気の篭った言葉に、しばらく副会長はあんぐりと口を開けていたが、やがて驚きと歓喜が入り交じった表情で沙希に詰め寄り、


「ほ、ホントだな!? 後でやっぱり手伝ってくれと言われても無理だからなっ!?」

「……いいからさっさと出て行け。二度とここに戻ってくるな」


 再度そう伝えると、副会長は背負わされていた責任を放り出して、意気揚々と生徒会室から飛び出していく。それに続いて書記と会計もそそくさと生徒会室から出ていった――が、書記だけは一度生徒会室の前に戻ってきて一礼してから扉を閉めていった。


 しんと静まる生徒会室。独りぼっちになってしまった。しかし、その静寂はさっきまでの耳障りな騒音に比べて遙かに心地良かった。


「まるで昔の自分に戻ったみたいじゃない」


 つい自嘲気味に言葉が漏れる。なんでもできると思ってやんちゃだった時代。今バカな副会長たちを追い出した時の感覚はその時味わっていたものと全く同じだった。


「さて……どうしよう」


 うるさいのがいなくなったところで状況は同じだ。この最悪な状況を打開するためには何をすればいいのか。何が出来るのか。

 ここでコンコンと生徒会室の扉がノックされ、恐る恐るといった感じに開いていく。最初は扉の隙間から廊下の壁だけが見えたが、やがてひょいと、


「やっほー、来ちゃった。調子どうだい?」


 理瀬の顔が現れた。また生徒たちの押しつけが来るのかと一瞬緊張した沙希だったが、見慣れた顔といつもと変わらない口調でほっと安堵する。


「どうもこうもない。うるさい他のメンバーをクビにしてあたし一人でなんとかしなきゃならない最悪極まりないことになっただけで」

「ほほう、それはそれは」


 理瀬は頷きながら扉を閉めて生徒会室に入ってきた。そして、机に寄りかかるようにしゃがみ上目遣いで沙希を見つめ、


「で、どうしたい?」

「どうって……」


 沙希はまっすぐなその瞳に妙な迫力を感じて少し視線をずらしてしまう。理瀬はニコリと柔らかい笑みを浮かべると、


「私はあんたについていくよ。他の人たちのことなんてどうでもいい、ここから逃げるっていうならついていく。町中あいつらだらけだろうけど、どこかに隠れる場所ぐらいはあると思うし。そしてそのままじっとして助けが来るのを待つ。それも悪くないさ。あるいは――」

「学校に残って助けが来るのを待つ……」


 沙希は彼女の言葉を続けてみた。

 自分にできることは全てを投げ出して逃げる、あるいはここに残る、その二つしか無い。前者の場合は人喰い変質者が溢れかえる街を安全地帯を探して逃げ惑う事になる。数少ない友達の理瀬がついてきてくれると言っているから独りきりではないが、逃げる先の宛も全くない中、本当に生き延びられるのか疑問だ。


 じゃあ後者の学校に残る選択肢は? それは今の状況――つまり生徒会長として学校に残っている数百人の生徒を導くという役目を引き受けることになる。とてもじゃないが、彼女が背負える責任の範疇を超えている。かといって、その役目を放棄して学校に残っていたら、憎悪を向けられて何をされるかわかったものじゃないだろう。


 目を閉じる。脳裏にはすがる目付きで彼女を見る生徒たちの姿が蘇る。同時にさっきまで何もしようとしない上にただ無意味に喚くだけの副会長の姿も現れ、イライラ感がまた蘇ってきた。

 このまま逃げ出し何もしなかったら彼女自身、あんな副会長と同レベルの存在だと認めることになる。中学生になってから二年間、彼女の中ですっかりしぼんでいたプライドが少しずつ蘇り始めていた。


 沙希は目を開き、決意を固める。


「ここで残る。生徒たちを率いて生き延びるために努力しようと思う。見捨ててあとに引きずるのも嫌だから」

「……そっか。なら私に出来ることはあるかな? なんでもいってくれたまへ」


 その返答に理瀬は微笑んだまま全く迷いなく答えた。その曇りのない言葉に沙希は逆に違和感を覚える。なぜここまで助けてくれるのか。どう考えてもなんのメリットもない。理瀬自身だって家族が人食い変質者になったか、あるいは襲われたかも知れないというのに。


 そう茫然と考える沙希の手を理瀬はすっと取ると、


「大丈夫――安心して。私はあんたの味方だよ。どこまでも――いつまでもさ」


 そんな彼女に沙希は軽く頭を振って疑念を振り払った。中学時代ろくに友達も出来なかった中で唯一慕ってきた人を疑うなんてどうかしている。それに今はどうこう考えている場合じゃないのだ。一度決めた以上立ち止まってはならない。あとは自分の信じる道を進むだけだ。


 まずやることはなんだ?


「先生たちは? 存在感がなくて他の生徒もみんな忘れているみたいだけど、本来ならこういうときの統率を取るのが役目のはずなのに」

「ああー、さっき八幡くんに聞いたけど、先生たちはみんな職員室にいたままだったみたいだよ。変質者たちが襲ってきたときも助けを求める声もなくて、むしろ先生たちが襲ってきたっていう話もあったみたいだね」


 理瀬の話に死んでから蘇ったクラス委員の残した言葉を思い出す。職員室からでてきた教師に突然襲われたと。

 そして、現在校舎二階以上に教師の姿が見当たらないことを考えると全員死んだか変質者になったかどちらかだろう。ならもう期待することはできない。

 そこで沙希はおかしいことに気が付き、


「でもなんで変質者になったんだろう? あたしたちは全くそんなことはなかったわよね? この学校で生徒だけが無事でそれ以外の人間が突然頭のおかしい変質者に変わった? ああもう一体どういうことなのよ」 

「わかんないねー」


 理瀬もふるふると首を振るだけ。こんなことを話していても時間の無駄だ。情報が足りなさすぎる。

 そう情報だ。まずはそれを集めなければ話にならない。


「とにかく今は学校の外側がどうなるか、状況をつかみたい。世界中がこんな事になってしまったのか、それともこの町だけなのかわかれば活路は開けると思う。避難所が設置されているならそこへの移動も考えられるし」

「うっし、じゃあまず情報だね。それには――まずラジオかテレビがあればわかるはず!」

「それだ」


 沙希はすぐさまテレビかラジオの入手方法を考え始める。テレビなら第二校舎二階の視聴覚室にあったが、あれはテレビ放送のアンテナが繋がっていなかったから意味がない。職員室には確かアンテナ付きのテレビがあったはずだが、一階は変質者たちの巣窟だ。降りて確認するのはまず不可能だろう。

 というかよくよく考えてみれば電気が通ってないんだからテレビは論外だ。


「あっ」


 沙希は思わず小さな声を上げて、自分の携帯電話を取り出す。つい半年ぐらい前に新しい携帯を手に入れていたが、これはワンセグ放送に対応したものだ。相変わらず電話の受信は普通だったが、ワンセグならまた別のはずなのでこれで情報が得られるはず。

 だが、携帯の画面に映るのは受信できませんという虚しいメッセージが映るだけだった。普段は問題なく受信できたはずなのだが――


「たぶんこれが原因でテレビは無理じゃないかな」


 理瀬はパチパチと生徒会室の蛍光灯スイッチのオンオフを繰り返してみせる。天井の蛍光灯はうんともすんとも言わない。

 沙希は顎に手を当てて、


「電波を送信しているところが同じように停電を起こして繋がらなくなっているって事? そのくらいの対策はしていると思うんだけど」

「推測っさ。でも電話もテレビダメっていう現実は変わらないよ」


 理瀬の言葉にさもありなんと沙希。どのみち使えないものは使えないのだからガタガタ言っていても仕方ない。そうなると、


「……ラジオならテレビや携帯よりも広い範囲が入るはず。でもラジオなんてどこかにあったっけ?」

「あれは?」


 すっと理瀬が指さした生徒会室の奥には古いカセットレコーダーがあった。文化祭や卒業式の歌の練習などで昔使われていたが、今では使われなくなり放置されている。導入された時は結構結構高価なものでラジオも聴けると聞いたことがあったのを沙希は思い出し、すぐにそれに飛びついた。が、


「でも電源がないと使えない、むむむ……」

「こういうのは乾電池を入れても使えたはず――ほらここに。電池はあっちにある懐中電灯から抜いて使えばいいっさ」


 ラジカセの背部のカバーを外して乾電池をセットする場所を指さし、にっこりと微笑んだ。

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