●1日目 06 午後『押し付けられた責任』

 そこから一時間ぐらい思い出したくもない地獄絵図になった。近くにいる人間がもうすぐ人を食う変質者になるかも知れないという疑心暗鬼から、お互いを疑い出すという最悪な状況に陥り、しばらく口論や乱闘が続き、最後には異常のない生徒たちが噛みつかれた生徒たちを次々と窓から投げ落とし始めた。傷は負っているが、変質者になっていない女子生徒の助けてほしいという懇願の叫び、手負いの親友を助けようとしてかばった男子生徒がリンチにされた挙げ句その親友にかみ殺される、やりすぎだというグループとやるしかないと言い切るグループの乱闘騒ぎ……


 もう沙希はいっそ殺してくれとふさぎ込んでいた。そんな彼女を理瀬は背中をさすりながら肩を支えてくれている。ただ理瀬自身も相当精神的疲労が蓄積しているようでいつものノリのいい言葉がその口から出てくることはない。


 その狂乱も変質者によって傷を負った生徒の存在がなくなった辺りでようやく収まった。言い争っていた人たちも、もうどうしようもないと散らばっていく。

 沙希が辺りを見回してみると、目に入ってくるのは生き残った生徒たちが床に座り込んで呆然と疲労の顔色を浮かべているだけだった。


 ひとまず状況は落ち着いた。そう認識した途端、今度はやるせない絶望感と疲労が彼女の身体に重くのしかかってくる。


「これからどうなるんだろう……」


 隣にいる理瀬がぽつりとつぶやいた。

 周りの騒乱が収まったおかげで少しだけ余裕が出来た沙希は、気を紛らわせるために、現況と今後のことについて考えてみることにした。もしかしたら少しでも希望が生まれるかもしれない。


 人食い変質者たちは学校に侵入してきたのだから、当然学校の外もそれらで埋め尽くされている。沙希が目撃した限りではあの変質者たちの外見は普通、町のどこでも見かけるような人と同じだった。それを思うと、あの変質者たちは突然空から振ってきたとか地下から這い出てきたとかではなく、この町にいた人間の大半が何らかの理由で人食い変質者に変貌してしまったという推論が生まれる。正常な人間がたくさん残っているのならとっくに助けが来ていてもおかしくないからだ。


 だめだ、と沙希は頭を振った。推論に推論を重ねても出てくるのはろくでもない状況だけだった。そんなことをいくら考えても仕方がないし、どのみち自分にやれることなんてなにもない。だったらなにも考えずに、ただここで理瀬と一緒にじっと助けが来るのを待てばいい。


 だが、周りはそれを許してくれなかった。


「おい誰かなんとかしろよ!」


 突然大声が廊下に響き渡った。不意を突かれた沙希が身体を震わせて反射的にその声の発生源に視線を向けると、一人の男子生徒が怒鳴り声を張り上げている。


「どーするんだよ! このままじゃみんな死んじまうぞ! 誰でもいいから何とかしてくれよっ!」


 子供が駄々をこねるような言葉を吐き地団駄を踏み始めた。それを聞いた周りの生徒たちは一斉に周囲に視線を振りまき、全責任を押しつけられる相手を探し始める。


 沙希はその異様な雰囲気を悟った瞬間、防衛本能が鋭く働き即座に目を床に向けて視線を合わせないようにした。この状況では、少しでも肩書きのある人間が強引にこの絶望に染まった生徒たちを助ける指導役に担ぎ上げられるはず。

 ならそれは誰だ? この場で例え飾りであったとしても一番指導するに値する地位を持っているのは?


 私は関係ない私は関係ない私は関係ない……!


 そう内心祈り続け、徹底して周りを見ないように廊下の床を凝視し、自分に矛先が向かないように祈り続けた。


 だが。


「おい」


 彼女の頭上から非情な言葉が浴びせられた。だが、沙希はそれを無視して床を見つめ続ける。大丈夫、この言葉は自分にかけられたものじゃないきっとそうじゃない……


「おい聞いてんのかよ」


 だが次の言葉は追い打ちを超えてとどめの一撃になった。同時に周囲からの突き刺さるような視線も、目を合わせていないのにはっきりと感じる。

 沙希はそんな周囲の空気に強引に頭を上げさせられる。彼女の前には最初に声を上げた男子生徒が立ち、じっと見下ろしていた。そして、


「――お前生徒会長だろ、なんとかしろよ!」

「ひっ」


 その言葉は沙希の心臓が一瞬停止するに足りるほど強烈だった。思わず短い悲鳴も喉からこぼれでてしまう。

 だが、すぐに助け舟が現れた。理瀬だ。


「なにを言っているのっ!? 生徒会長だからってこんな状態で一体どうしろっていうのさっ!」


 沙希を擁護する言葉。それは隣でずっと彼女を支えてきてくれた理瀬のものだった。男子生徒に頭突きをかましかねない勢いで立ち上り、怒気をはらんだ表情で無理難題を押しつけてきた男子生徒に食って掛かっている。

 しかし、一方の男子生徒も引かない。


「そっちがなに言っているんだ! 生徒の代表として立候補して選ばれたんだろ! だったらみんなを助けるために何とかするべきだっ! それができないなら最初から生徒会長なんかになるなよっ」

「バカ言わないで! 生徒会長は普通の学校生活の中で選ばれた! こんな気が狂いそうなことになってから立候補したわけじゃないし、それで選ばれたわけでもない! 沙希に責任を押しつけようとするのはおかしいよっ!」

「じゃあお前がみんなを助けてくれるのかよっ!」


 言っていることは支離滅裂で無茶苦茶だが、鬼気迫る男子生徒の迫力に理瀬は一瞬言葉を詰まらせる。が、すぐさま、


「あたしにできることがあるなら何でもやるけど、こんな状況でできることなんて何があるっていうのさっ!」

「何も出来ないなら黙ってろよっ!」

「そうよそうよ!」


 ここで別の女子生徒まで荷担し始めた。それが堰を切る合図になったのか、次々と生徒会長なんだから何とかしろ、お願いみんなを助けてなどの怒鳴り声がぶつけられ始める。


「ちょっちょっと……」


 勢いよく言い返していた理瀬もさすがに多勢に無勢になってしまい言葉を失ってしまう。結ばれた口元が微かに震えているのは、気圧された恐怖感か言い返せないことへの苛立ちか、沙希には読み取れない。

 責任の押しつけの対象にされた沙希はこの状況に危機感を募らせ始めていた。それは責任を押しつけられることに対するものではなく、万一ここで拒否をすれば理瀬共々何をされるのかわからないということにだった。


 周囲は完全に沙希にすがってきている。その期待に応えられなければ、それが失望になりやがて憎悪に達するだろう。そうなれば何をされるかわかったものではない。

 ならばもう選択肢はなかった。


「……わかった」


 沙希はうつむきながら足の震えを何とか抑えて立ち上がる。


「なんとかする……何とかしてみる。なんとか考えてみるから――時間を下さい……」


 そうぽつりと沙希。そんな彼女に理瀬は唇をかんで悔しさをにじませていた。


「何とか出来るように考えてみるから……」


 自分でも驚くほど憔悴しきった声を出しながら、沙希は逃げるように生徒会室へ向かった。

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