●1日目 03 午後『平凡な日常に対する侵入』

 結局、そのまま教師は戻らず昼休みに突入し、給食係がせっせと準備を始める。そして、ちょうど全員に給食が行き渡った辺りになって再び校内放送が流れた。


『えー。学区内で事件が発生している模様です。現在状況の把握に努めているので、生徒達はそのまま教室から出ないようにしてください。危険なので昼休みも絶対に外に出ないように』


 この指示に教室内がざわめく。事件発生。長引く緊急職員会議。教室から出ること禁止。沙希は直感的に事件が不良の小競り合い程度ではないことを悟った。同時にさっき学校の外をふらついていた変質者も頭によぎる。明らかにただことじゃない何かが起きていた。


 その後、5時限目に入っても教師達は戻ってこない上、放送も全くなくなり、さすがに生徒達の間に不安が蔓延し始めた。様々な噂が飛び交い、殺人事件とか近くで立てこもり事件が発生とかさらにはクーデター発生説、はては外国との戦争勃発説まで聞こえてくる。


「なんか不安が広がっていくばっかりだね。ホント何が起きているんだろ」

「…………」


 いつもはお調子者の理瀬もすっかり元気が失せて不安げな顔になっている。沙希も内心まずいんじゃないかとざわついていた。雑談したくても悪い予感が頭に浮かんできて邪魔をしてしまう。

 そんな中、クラスメイトの一人の男子生徒がやって来た。


「なあ、ちょっとおかしくねえ? お前、生徒会長だろ? 職員室に行って聞いてくれよ」


 押し付けがましいクラスメイトの言葉に、に沙希は心底呆れつつ――ただし表情に出さずに、


「教室に出るなって指示あったじゃない。聞きに行ってもどうせそれ以上は教えてくれない。あたしだって生徒会長以前に生徒の一人なんだから、伝えられることがあったら放送で流すでしょ。のんびり待っていればいいのよ」


 ぶっきらぼうな返答に男子生徒はなんだよそれ、と愚痴を吐きつつ去っていく。彼が耳に届かないところへ行ったことを確認すると、沙希は小さく溜息をついて、


「全く生徒会長とか普段は無視しているくせに、こういうときだけ頼らないでほしいっての」

「仕方がないよー。こんなおかしいこと初めてだもんね。みんな不安なのさ」


 そんな理瀬のフォローもいつもの明るさがすっかり消え失せている。

 だが、何も分からない状態が続くのはやはり辛い。ほどなくしてクラス委員の男子が我慢できなくなったのか、


「ちょっと職員室に行ってくる!」


 そう言い残し、教室を飛び出して職員室へ向かっていった。

 それから少ししてからだった。沙希の前の方に座っていた生徒の数人が一斉に騒ぎ始めた。


「な、なに!?」


 理瀬が驚いて声を上げる。沙希も何事かと慌てて辺りをキョロキョロし始めた。見れば、騒いでいる生徒たちは全員に窓の外を指さしている。


 当然沙希の視線も自然とそちらの方に向かい――

「なに……これ……」


 愕然とした。

 いつものように広がる閑静な住宅街。建物自体は普段と何の違いもない。


 だが、さっきまでと違うのは、外を見た時には誰もいなかった路上に無数の人が歩いていることだ。男性、女性、子供、大人、老人とありとあらゆる人で溢れかえっている。

 何かの騒ぎを聞きつけて慌てて外に飛び出してきたのか。沙希は一瞬そう考えたが、すぐに考えを改める。外を歩く人影は慌てている感じはない。疲れ切ったように力なくゆっくりと徘徊していた。


「気味が悪い……」


 損無いような光景に、隣で理瀬があからさまに不快感を表す。


「校門から入ってきているよ!」


 ここで外を見ていた女子生徒の一人が叫ぶ。沙希もその目で次々と不気味な人たちが学校敷地内に侵入しているのを確認した。門を閉めておけばこんな事にはならなかったのに、と舌打ちしてしまう。


 だが次の混乱は予想外の方向から飛んできた。廊下側で悲鳴と怒声が沸き起こったのだ。

 沙希と理瀬はすぐさまそちらの方向に同時に振り返ると、唖然と目を見開いた。そこにはさっき職員室に向かったはずのクラス委員の男子が立っている。しかし、その姿は尋常ではなかった。喉元が激しく損傷しそこから勢い良く流れ出している血が制服の上着どころかズボンを伝って床に溜まっていた。目はうつろで真っ青な顔になっている。


 やがて立つ力もなくなったのか、その場に膝をつくクラス委員を周りの生徒が慌てて抱きかかえ声をかけ始めた。

 それを見て、沙希はただ茫然とするばかりで言葉ひとつ発せない。何だ、何が起ろうとしているのか。視覚から飛び込んでくる情報が脳の把握・理解能力を遥かに超えて目眩がしてきた。

 一人の生徒が首の辺りにハンカチを当てて止血を試みるが、かなりの深手を負っていて出血は止まりそうにもない。クラス委員長は、周りからの何があったんだという問いかけに息も絶え絶えに答え始める。


「職員室へ行った――そこから突然先生達が出てきて襲い掛かってきた――喉に噛みつかれた――あわてて逃げ出した――昇降口から変な人たちが上がり込んできてた――」


 それだけ伝えるとやがて意識を失い、呼吸も停止する。どうすることも出来なくなった生徒達はパニック状態に陥るが――

 今度は窓の外から鼓膜が破れそうな悲鳴が聞こえ教室内を乱反射する。沙希は反射的に窓から外を見た。

 悲鳴の正体は一階の三年生の教室からだった。真下を見下ろすと次々と一階教室の窓から変質者のような人達が侵入していた。


 一階に教室がある三年生は完全にパニック状態になっているのか、窓から飛び出して逃げる人もいた。ほどなくして、今度は中年男性や女性が入り交じった様子のおかしい集団――変質者たちに女子生徒の一人が窓から引きずり出されてくる。そして――


「……うっ」


 それ以上は直視できなかった。簡潔に言えば変質者の集団がその女子生徒を食らい始めたのだ。喉元、手、足と次々に噛みつき始めた辺りで沙希は見ることを拒絶してしまった。


「沙希!」


 ここで突然理瀬が抱きついてきて教室の隅に押しのけられる。パニック状態になっているのは理瀬も同様で、はっきりとわかるほど身体を震わせていた。


「なんなの! これはなんなのっ! どうなっているの!」


 沙希も完全に恐怖に押しつぶされて、口元が麻痺してしまい悲鳴すら上げられない。

 だが、ただ震えていても騒ぎは収まるはずがない。ばたばたと廊下を走る音が聞こえ始め一階の三年生達が逃げ込んできたことを悟る。そうなるともちろん一階からあの変質者達も追いかけてくるということだ。

 もうだめだ――ここで自分は終わりなんだ――


「防火シャッターです! 一階入り口のあれを下ろせば外にいる人達は入って来れなくなります!」

 唐突だった。興奮しきった甲高い声は、大災害に遭遇して気分が盛り上がっているような――不謹慎ながら楽しんでいるんじゃないかと疑いたくなるものだった。


 それが聞こえてきた後、教室内や廊下で無造作に広まっていた悲鳴が一斉に止まる。

 頑丈な防火シャッター。火災訓練で何度か見たことがある。火や煙が上がってこないために設置されているものだが、確かにあれが降ろせるなら外にいる変質者たちは入ってこないはずだ。


 希望の光が微かながら灯る。そして、それを消すまいと気概のある声が続く。


「誰か、力を貸してくれっ! 今からシャッターを下ろす! そうすれば外の連中は二階に上がって来られなくなるはずだっ! 第一校舎と第二校舎両方共! そうすれば――」


 ――静まり返っている教室――


「みんな助かる!」


 どこか力強く、何かを成そうとする口調に沙希は引き寄せられるようにその声の方に視線を向ける。そこにはモップを抱えた一人の男子生徒の姿があった。ジャージ姿でがっしりとした体型、スポーツ刈りの頭。沙希はそれが同じ学年にいる野球部のキャプテンである八幡賢治であるがすぐにわかった。正義感が強く、男子生徒達からも頼られている熱血漢。その彼がいち早く何とかしようと動いている


 その呼びかけに、何人かの男女が掃除用具入れから武器になりそうなモップやブラシなどを手に出て行く。


 沙希はただそれを見ているだけだった。腰を抜かしている状態の上、理瀬がしがみついて離れようとしないため、その呼びかけに応じることは出来ない――はたからそんな気もなかったが。

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