●1日目 04 午後『混乱』

 怒声に罵声、悲鳴。狂乱とも言える騒ぎだけが、目をつぶり視界を闇に閉ざす沙希の耳に刺さり続けた。さらに助けて助けてと絶望に染まった金切り声が響く。耐えられなくなった沙希は、閉じた目に続けて耳も手で塞ぎ、完全に外からの情報をシャットアウトした。


 終われ終われ、なんでも良いから早く終われ……!


 ひたすら心の中で叫び続け、生き残るために行動を始めた人たちの勝利を願った。目を開けたときには全て終わって鎮静化している。そんな他人任せで身勝手な思いにすがった。


 やがて手の皮膚を突き抜けてくる喧噪が少なくなっていることに気がつく。惨事が終わったことを期待して、手を離して耳を解放しようと思うが、さっきまでの恐怖が脳内に残っているためか手が震えてできない。


 それを察したように抱きしめていた理瀬が沙希の背中を軽く叩いてきた。

 沙希はそれが終わったという合図だと悟り、ゆっくりと手を耳から離す。すると、理瀬が耳に口を寄せてきて、


「……大丈夫、終わったみたい」


 そう震えながら声をかけてくる。沙希は手に続いて閉じたままだった目を開いた。長らく視界が暗闇に落ちていたため、教室に降り注いでいる快晴の日差しに目がくらんでしまうが、周りを見回している間にそれも収まった。


 教室内はひどい有様で、騒ぎの時に机や椅子がめちゃくちゃに散らばされ、壁際にはクラスメイト達が混乱に歪められた表情で座り込んでいた。中には床に突っ伏したまま、まだ耳をふさいで震えている人もいる。


 しかし、廊下側の状況は落ち着いているらしく、騒ぎは沈静化していた。恐らく防火シャッターが降ろされて外の連中を食い止めることに成功したのだろう。

 ここで理瀬が沙希から離れ、


「ちょっと廊下に様子を見てくる。沙希はここにいて。大丈夫、すぐに戻ってくるから」

「……うん」


 沙希は力なく頷き、状況確認に行く理瀬を見送った――が、唐突に廊下の方で激しい口論が始まった。男子女子が入り乱れてヒステリックな罵声が教室の壁を伝って耳に入ってくる。

 沙希は一瞬迷うものも、見に行った理瀬の事が気がかりになり、ふらふらと立ち上がって教室から出た。途中、教師たちに首をえぐられて絶命しているクラス委員の姿とその周囲に広がる血だまりが視界に入るが、瞬時に目を背けた。


 廊下から覗くと、一階へ降りる階段の入り口前に男子生徒が盾になるように立ち、そこに数人の男女混合の生徒達が今にもつかみかかろうとする勢いで怒鳴りつけていた。


 沙希はそこから少し離れたところで不安げな表情で立っていた理瀬に所に駆け寄り、


「どうしたの……?」

「……シャッターを降ろした時にまだ一階に三年生が残っていたんだって。でも、よくわからない人たちが押しかけてきてすぐに閉じちゃったから、多分一階に残された人たちはみんな殺されて……」


 一階は三年生の教室があった。あの混乱ではパニックになり身動きが取れなくなったに違いない。そんな生徒たちを置き去りにする形でシャッターを降ろしたのだ。

沙希はそれを聞いて複雑な気持ちになった。置き去りにしたのはよくないかもしれないが、そのために自分たちが救われたというなら歓迎すべきかも知れない。だけど、それでは下の人達を自分たちが殺してしまったのと同然で――


「うっ……」


 そう考えたとたん、沙希は不自然な嘔吐感に襲われた。今まで味わったことのない不快感、胃がとても冷たくなり、キリキリと悲鳴を上げている。


「……考えたらダメだよ」


 そうポツリと理瀬がつぶやく。まるで沙希にではなく自分に言い聞かせるように。


「……そうする」


 同じようにポツリと呟いた。


 しばらく続いた口論もやがて諦めの空気に変わり、抗議していた集団は解散していった。騒ぎが落ち着くとともに、今の悲惨な状況が理解できてきて言い争うことが無意味に感じられるようになったのだろう。一時的に自分たちが延命できただけで一つ床の下にはあの人食い変質者の群れがいることには変わりないのだ。


 そばにいた理瀬はリーダーとして指示をしていた八幡の所へ行き、状況確認を始める。


「もう大丈夫なの?」

「うん、第一校舎と第二校舎の一階階段は封鎖したからもう安全だよ。今後のことは……まだ考えられないけどね。それから――」


 どこか幼さの残る口調で八幡は質問に答える。

 沙希は冷静な二人に強い羨望を感じていた。どうしてこの二人はこんなにも優れているのだろう。それに比べてオロオロすることしかできない……出来なかった自分は――


「――沙希? 大丈夫?」


 沙希は理瀬からの呼びかけではっと我を取り戻した。こんなことを感じてもなにも始まらないと頭を二、三回振ってから、


「大丈夫。ちょっと参っただけ」

「仕方ないよ。私もまだドキドキが収まらないし、足の震えも……ね?」


 理瀬の膝あたりが細かく震えていた。そんな彼女を見て、つい安心してしまう沙希だった――そんな自分が嫌になった。

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