●1日目 02 昼前『始まるいつもと違う異変』

 その日もいつものように授業が始まった。沙希は真面目にノートを取りつつ、勉強に励むそぶりを続ける。実のところかなりに集中が欠けていたりするが、まじめな雰囲気を取り繕っていればとりあえず怒られることはなかった。


 今日も平凡で、いつも通りだ。


 そう思ったのもつかの間だった。四時限目の授業も半ばにさしかかり、迫る昼休みを急かすように腹の虫が泣き出したあたりで、突然スピーカーから校内放送が流れ始める。


『えー、先生のみなさんへ。至急職員室へとお集まり下さい。緊急で話し合うことができました。授業中突然で申し訳ありませんが、よろしくおねがいします。繰り返します……』


 唐突な呼び出しに教室がざわめき、教科書とチョークを手にしていた教師が怪訝な表情を浮かべた。沙希も妙だと首をかしげる。授業中にそれを中断して職員室へ来い、などという指示は今まで聞いたことがない。何か事件が起きたのだろうか。


 教師は熱が入っていた授業に水をさされ、まいったなと頭をかきながら残りの時間の自習指示を出すと職員室へと向かった。 一方、残された生徒たちは自習する気なんてサラサラなく、すぐさま前後の席でおしゃべりを始めた。当然話題の中心は教師たちの呼び出しについてである。


 そして、それは沙希にとっても例外ではなく、椅子を片手にやってきた理瀬とそのことについて話し始めた。


「なんだろーねー。授業をやめてまで職員会議とか、事件、事件なんだろーか!?」


 沙希の隣に置いた椅子に座って推理っぽい仕草でうむむと思案する理瀬に、沙希は窓から見える街並みの様子を伺いつつ、


「その割には警察とかのサイレンも聞こえてこないし、大方さぼっている生徒達が何か学区内で悪さでもしたんじゃない?」


 外は至って静かだった。もともと閑静な住宅街の真ん中に位置するこの学校の周りは、平日昼間あまり人影などは見かけなかった。


 そういえば梶原が朝から学校を出ていったのを思い出した。とっくに悪ガキを卒業した沙希と違って相変わらずトラブルを起こしていた不良なのでまた何かやらかしたのかとふと思う。


 理瀬も一緒に外を見つつ、


「最近私ら二年生の素行が悪いって問題になってるもんねー。あ、そういや二時限目辺りに軽飛行機が煙を噴いて飛んでいったのを見たって人がいたよ。ふらふらと上空を旋回していったって。もしかしてそれがどこかに墜落したとか」

「……飛行機?」


 沙希は記憶の糸をほじくり返してみるものの、


「見た記憶がない。そんな低空飛行なら音もすごいと思うからすぐに気がつくだろうし、ただのデマじゃないの? それにこんな家が立ち並んでいるところに飛行機が突っ込んだら、今頃警察や消防、マスコミで大騒ぎになっているはずよ」

「……言われてみれば確かに。デマかなぁ?」


 うーんと目を細めて外の様子を伺いながら唸る理瀬。沙希もどうせ暇だと何が起きているのか、少し考えて見ることにした。


「こんな時間に職員室に緊急集合ってことは相当切羽詰まったことよね。さらに教師全員を集めたってことはどこかのクラスだけで問題が起きたわけじゃなく、学校そのものに影響が出ているレベルってことになる」

「やっぱり事件? それも大事な感じの」


 理瀬の問いに沙希は首を振って、


「でも事件の割には外が静か過ぎる。学校を揺るがすほどの大問題ならもっと大騒ぎになってもおかしくないんだし」

「ほうほうほう、でこの学校を代表する生徒会長、黒片沙希先生の見解は?」


 ここで理瀬がマイクを差し向けるような素振りで拳を彼女の口元に持ってきた。沙希はしばらく眉間にシワを寄せて考えてから、


「……わかんない」

「ずごー」


 大仰に机に突っ伏する理瀬。沙希は椅子の背もたれに身体を預けて、


「まあ大したことでもないだろうから、その内先生が戻ってきて教えてくれるでしょ」

「そうだねー。本当に大げさだったら……」


 理瀬も同意し、顔を上げてまた外の様子を伺い始めた時だった。急に口をつぐむ。いつも楽しそうな彼女とは打って変わって、露骨に不快感を示す表情を浮かべている。沙希も引っ張られるように視線が外に向いた。学校の校庭の周りは道路が囲んでいるが、ちょうど彼女たちの教室から真正面に当たるところに、誰かが立っている。高いフェンスと防砂・防球ネット越しのためはっきりとは見えないが、男性のようだ。


「…………」


 沙希からその男性の表情は見えない。しかし、なにか表現しがたい不気味さを感じ取る。


 しばらくじっとこちらを見ていた不気味な男性は、やがておぼつかない足で学校から離れていった。理瀬は顔を不安でゆがめて、


「……なんか気持ち悪いなー。あの人何やっていたんだろう」

「酔っ払いかなんかじゃないの? 昔を懐かしんで学校を見ていたとか、そんなに気にすることもないと思うけど」


 沙希は自分に言い聞かせるように言う。不気味さを感じるのは教師たちの緊急職員会議と勝手に関連付けているせいだと決めつけていたからに違いないと。


「そういえば嫌な事件あったよね。二年前だっけ? ここから少し離れた小学校に変質者が押し入って生徒たちをたくさんの殺しちゃったっての。あの犯人、週刊誌で読んだけど取り押さえられた後すぐに変死しちゃったらしいね。死因は未だに不明だってさ」


 沙希はふとその事件の話を聞いて思い出した。


「そういえば、一週間ぐらい前にも県内で殺人事件が起ったわよね。家に頭のおかしくなった人が押し入って皆殺しにしたってヤツ。あれも犯人はまともに会話できない状態が続いているって話よ」

「あー、やだやだ。世知がない世の中ってもんよ」


 理瀬は耳をふさいで頭を振る、がすぐに止めてから、窓から校門の方へ視線を向けると、


「……校門。閉めたほうがいいんじゃないの? さっき変な人いたし」


 そう不安げな声を上げる。


 二年前の小学校乱入事件。当時はかなりの騒ぎになった。その結果、全国の学校の警備強化につながり、この中学校も塀や門の大幅拡張が図られた――はずなのだが、どんな凄惨な事件であっても時間とともに記憶が風化し、恐怖心が薄れていく。それが校門開けっ放しというずさんな警備体制に現れてしまっているのが実情だ。


「そもそもうちの学校はルーズすぎるのよ。ちゃんと危機意識を高めてないからいざ問題が起きてから困る」


 沙希は軽くため息をつき、理瀬もやれやれと肩をすくめるばかり。ふと、最近の凶悪事件と教師の緊急招集に関係があるのかと一瞬思ったが、一週間前の事件で今更緊急会議になるわけもない。この辺りで同様の事件が発生したとかなら大問題だが、それなら今頃この辺りは警察のパトカーで埋め尽くされているだろう。


「やっぱり大したことじゃないわよ」


 外が静かなことが事件性のないことを証明している。沙希は完全に結論を出して別の雑談でもしようと頭の中で話題探しを始めたが、ここでさらに理瀬が違和感に気がついたように窓から広がる住宅街を凝視する。


「……ねえ、この町ってこんなに静かだったっけ?」


 唐突にそう言った。その言葉に沙希は眉を潜めて、


「ここ結構静かな街じゃない。民家は多いけど普段からあまりで歩く人もいないし、車通りの多い道は離れているから」

「違うって。確かに静かな街だけどさ、ほらなんというか……普段でも自動車の一台二台はたまに走るじゃん。自転車で通り過ぎる人とかも。遠くの大通りでトラックが走る音も聞こえてくることがあったよ。でも今はさ――」


 じっと外を見つめる理瀬に促されるように、沙希も耳を澄ませてみる。


 確かに何も聞こえない。人のいる痕跡を感じる物音や騒音がさっぱり聞こえてこないのだ。まるで街にだれもいないかのように。


 嫌な雰囲気だ、と沙希はその言いしれぬ雰囲気に鳥肌を立たせた――と同時に4時限目が終わるチャイムが教室内に鳴り響きわたる。思わず短い悲鳴を上げてしまいそうになった沙希を理瀬がニヤニヤと見つめてきたため、


「と、とにかく気にしすぎよ。たまにはこういう静かな日だって今まであったはずだし、普段気が付かないことがさっきの緊急呼び出しで変に意識が高まって気になっているだけよ」


 そう机の上においてあった教科書類を整理し、給食の準備を始めた。

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