第一章 「秩序の構築」

●1日目 01 早朝『いつもと変わらない一日の始まり』

 ……ずっと昔のことだ。


「ああもうむかつくー! あのクソ高校生共、おもいっきり背中蹴りやがって! アザになったらどうすんのよー!」

「だから高校生はやめようって言ったんだ……」


 寂れた公園の中で一人の少女が地団駄を踏んでいた。顔は転んだ時についた砂だらけで背中には大きな靴跡がついている。 そのそばではさらにボロボロになっている少年が座り込んでいた。


 二人はさっきまで学校をサボっていた不良の高校生たちをからかっていたが、案の定逆襲されて逃げまわる羽目になった。もともと逃げるまで計算の内に入れていた少女だったが、隣の少年が転んでしまい、それを助けようとしたせいで一発けりを入れられてしまったのだった。


 うなだれている少年の尻を少女が一発蹴飛ばすと、


「うっさい! あんたがへまやらかしたからあたしの計画が狂ったんだ! あたしの言うとおりにちゃんとやっていれば完璧に全て終わっていたのに!」


 そう言い終えるとまた一発けりを入れる。

 少年はしばらく慣れっこという感じで蹴られた尻をさすっていたが、やがて立ち上がる。それからしばらく照れくさそうな表情を見せていたが、


「……でも、転んだ時に助けてくれてありがとう」


 そうにっこりと微笑んだ。

 これを見た少女はみるみると顔を真赤に染め上げる。


「ななななななっ、何言ってんのよ! そもそもあんたがコケるからあたしが助ける羽目になったんでしょうが!」

「いてっ!」


 また蹴り上げられる少年。だがその表情はどこか嬉しそうだ。

 少女は気を取り直して一回咳き込むと、


「このまんまじゃ済まさないわよ。すぐに報復行動に入るわよ」

「まだやるの? 今度こそ取り返しのつかないことになると思うけど」


 少年の不安をよそに少女はグフフと悪巧みみの笑みを浮かべる。


「今度はあたしたちだってわからないようにしてやるわ。見えないところから水ぶっかけてやるとか」

「姑息」

「なんかいった?」

「何も」


 睨みつける少女に、少年はそっぽを向く。少女はすぐに腰を手に当てて高らかに笑い始める。


「このままじゃ終わらせないわよー! この街のボスはあたしなんだからね! 町民皆一同あたしにひれ伏せや、ガッハッハ」


 住んだ青い空に若く青々しい叫びが響いていく。

 

 そう、ずっと昔の話。もう4年も前、彼女が小学五年生のときの話。当時は友人とつるんで悪さばっかりして狂犬コンビと言われていた時の話。



 …………

 …………


「とっくに過去の話なのに……なんで今更夢に出てくるのさ」


 どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえる中、彼女――黒片沙希は目を開いた。秋半ばの朝、ひんやりとした空気が彼女の顔を撫で、布団から出たくなくなる。しかし、久しぶりに見たあまり思い出したくない昔の自分の夢を、脳裏から振り払うために意を決して布団から起き上がる。


 カーテンを開け窓から外の様子を伺う。すっかり日は昇り、日差しが室内に入り込んできていた。沙希は一度身体を伸ばしてからベッドを降りて、洗面所へ向かった。そこで目を閉じて顔を洗っていると、またさっきの夢のことがフラッシュバックのように脳裏に蘇ってくる。


「全く……なんで今更……ああ痛い痛い痛い痛い」


 思い出したくない恥ずかしい過去に心が痛い。募ってくるイライラ感を再度振り払うように、彼女はタオルで強く顔を拭いた。


 本当にあの頃のことは思い出したくない。なぜあんなみっともないことをしていたのか。後悔しか生まれないほど恥ずかしい。


 黒片沙希はとある中学校の二年生。特に優れたこともなく成績も平凡、容姿も一般的平均レベルで中学生活の中でも目立ったことをやったこともない。にもかかわらず学校の鏡とまで賞賛されるぐらいに優等生扱い受けているのは、単純に反抗期の多い中学生の中で教師の言うことに忠実だからだろう。おかげで今では中学校の全生徒の代表、生徒会長の座に収まっていた。学校始まって以来初めて二年連続生徒会長を務め、成績は全国でもトップクラス、才色兼備の完璧正統派美少女だった高阪美咲の後釜という誰もやりたがらない状況で教師たちの強い推薦があったおかげだ。


 小学五年まで狂犬コンビと名乗り暴れまわっていた彼女がどうして中学生になった途端、優等生扱いされるようになったのか。それには家庭の事情があった。


 沙希は顔を洗い終えると朝食をとるべくリビングへと移動する。そこで赤く点滅するものに視線が向かった。固定電話機が留守番電話の記録を知らせている。


 彼女はぞんざいな感じで再生ボタンを押して、すぐに朝食の準備を始めた。買っておいた食パンをトースターで焼き牛乳をコップについでひと飲み。その間留守電メッセージが流れていたが、適当に聞き流していた。どうせ聞かなくてもわかる。父親からのいつもの電話だ。内容はワンパターンで元気でやっているかとか、帰れなくてすまないとか、今月の生活費の振込とか、そんなことを話しているだけだからだ。


 沙希の家庭はとても一般的とは言えなかった。まず親がいない――正確には父母ともに健在なのだが、現在二人ともに家にはいない状態になっていて、母親は三年近く、父親も一年近く姿を見せていない。沙希が小学六年に進級したころ、両親の関係は急速に険悪になりいつもケンカしていた。そんな状況が一年ぐらい続いていたが、やがて母親が愛想を尽かせて出て行ってしまう。


 父親はしばらく沙希の世話に奮闘していたが、やがて女でも作ったのか帰ってこない日が出始め、ついには全く姿を見せなくなった。沙希は最初こそ自分が家庭を守ろうと動いたが、両親から「子供が関わる問題じゃない」という一喝されて以降、自分の無力さを痛感しただ黙って壊れていく家庭を見ていただけだった。

 

 父親が家に帰ってこない日が増えてきた頃には、完全に両親に対する関心を失い、もういなくなろうがなんだろうがどうでもよくなってしまっていた。父親の方は一応まだ責任を感じているのか、姿は見せなくても生活費だけは振り込んでくれていたので生きることに支障はなかった。


 そんなこんなで、もはや沙希にとって親なんて彼女の中では無意味なものになりつつある。今後、そういう訳にもいかない時が来るかも知れなかったが、今は考えたくなかった。


 メッセージが流れ終わった後、沙希はさっさとそれを消去する。時計はすでに登校の時刻を指している。テレビで今日の運勢と天気予報を確認しつつ制服で身を固めると、溜まっていたゴミ袋とカバンを手に外へと出る。


 雲ひとつ無い晩秋の快晴に思わず目をくらませる――が、すぐに無数の影が太陽を遮り始めた。


 最初何が起きたのかわからなかったが、バサバサという雑音でその正体に気がつく。近くの電柱に止まっていた無数のカラスが一斉に飛び立ったのだ。


「…………」


 カラスの集団はしばらく沙希の頭の上を飛び回っていたが、やがて空の彼方へと飛び去っていく。しばらくそれを黙って見守っていたが、ここでカラスは不吉な象徴という俗説を思い出し、久々に見た黒歴史自体の夢も合わさって朝から憂鬱な気分になってしまう。


「おっはよーさーん!」


 テンションの高い女子の声と共に、沙希の背中に何かが押し付けられる。突然だったので思わず悲鳴を上げそうになるが、なんとかそれを飲み込みつつ、軽く溜息をつくと、背中に顔を埋めてスリスリしている彼女の頭を押し返す。


「おはよ、りせっち」

「おーす。今日も良い天気だねー」


 クラスメイトの森住理瀬もりずみりせは沙希の正面に立ち、セミショートカットの髪をゆっさゆっさとふるって手を振る。クラスの電波発信源といわれる彼女は常にテンションが高いことでも知られ、それは眠気の残る朝でも変わることがない。中学に進学して以降沙希にはあまり友人がいなかったが、理瀬とだけは仲が良く登校時に自宅の前辺りで合流して一緒に学校に向かうのが習慣になっていた。


「いやー、昨日の格闘技番組が熱くってさっ、ついつい真似して夜遅くまで素振りしていたら身体が痛くなっちまったーよ。こんな感じであたたたたたたた!」


 そう言いながらシュババババとシャドーボクシングっぽいものを見せてくる。沙希はそれから飛んでくる風を浴びながら、


「格闘技番組はほとんど見ないし……というか、テレビ番組自体最近全然見てないや」

「おっとそれは良くないねっ。世の中の情報ってのは常に変わるんだし、せっかくただで見れるんだからキャッチしておいて損はないっさね」

「……りせっちみているとテレビに毒されるっていうのがよく分かるから、あたしパス」

「こいつは手厳しい」


 理瀬はあいたたたと額を手で打ってみせる。


 二人はそんな世間話を続けてながら、坂道を登りさらに入り口の階段を登り校門をくぐった。沙希のいる学校は丘の上に位置しているため、たどり着くまで長い坂があり登校するまでに体力を消耗するのが毎朝の憂鬱を肥大化させる。


 校門の頑丈で大きな鉄製の移動式の門はまるで牢獄を彷彿させる雰囲気を放っている。少し前に起きた地方の学校へ侵入事件をきっかけに、老朽化が進んでいたフェンスの交換を不審者侵入対策として頑丈なものに取り替えられていた。学校を取り囲むフェンスも高いものに変更され、校庭の周りは周辺の住宅に配慮し防砂・防球ネットが張られ、さらに校舎側は坂下の方にあるので地面より高くされているため崖に囲まれているような状態になっているため、校門と裏門以外侵入が難しい隔離された刑務所のように思える。


 昇降口に入ったところで、理瀬が肩を叩いた。


「そういえば今日は一緒に帰れるの? 最近生徒会の仕事で忙しいみたいだけど」

「無理無理。今度の文化祭の準備もあるし、夜まで残って仕事しないと。あと、また前生徒会長と比べられて愚痴を聞かされまくるのも追加で」

「あはは。前の生徒会長さんは本当に凄い人だったからねー。ある程度は仕方がないんじゃないかな?」

「限度があるっての。全く高阪さんなら高阪さんならとやかましくてたまんない」

「まーまー」


 沙希の愚痴が続く中、二人は廊下に上がろうとするが、


「…………」


 そこで一人のやや背の高い男子生徒とすれ違った。はだけた制服にだらしのない歩き方、柄の悪い目つき、全然手入れをしていないようなぼさぼさの頭、明らかな不良生徒だ。


 梶原冬弥。沙希と同じ学年で有名な不良として有名だった。熊やヘビも逃げ出しそうなほど鋭い目つき、言葉は少ないがまれにその口から放たれる威圧的な声音に教師ですらうかつに注意することが出来ない。学校にもほとんど来ることがなく、いつもどこかをぶらぶらしていた。群れるのが嫌いで、明らかに他人を寄せ付けないオーラも放っているため、ずっと一人で行動している。


 そして、沙希がやんちゃだった頃に狂犬コンビとしてつるんでいた男子でもある。


「…………」


 いつもなら何も気にせずに通り過ぎていたが、今朝夢の中で昔のことを思い出していたため、つい歩みを止めてしまった。


 しばらく立ち止まっていた沙希だったが、なんとなく振り返ってみるものの、すでに梶原の姿はなかった。そんな彼女に理瀬が不思議そうな顔で、


「どしたの?」

「なんでもない。行こ」


 沙希は軽く溜息をつく。もう昔のことだと軽く頭を振ると、理瀬とともに二階の教室へと向かった。

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