6.5 すくい上げた真実は


 保健室。その特有の匂いに、シロちゃんと初めて会った日を思い出す。

 あの日から、全部始まったんだ。月守風呼とシロちゃんの運命は、死という絶望的な悲劇にも負けずに時を超えて、私と弓槻くんを引き合わせた。


「一人で大丈夫そう?」

 榮槇先生が心配そうに聞く。

「はい」


「僕は屋上のフェンスが壊れた件で、報告とかしなきゃいけないから」

「わかりました」

 私のしっかりした受け応えに安心したようで、榮槇先生は保健室を出ていった。


 シロちゃんの生まれ変わりである弓槻くんは、ベッドで穏やかな寝息を立てて眠っている。私はその横の丸椅子に腰かけて、彼のことを見つめていた。


「ねえ、弓槻くん。私も、弓槻くんのことは好きだと思う。けど、それは恋愛的な意味じゃないかもしれなくて……。実はね、別に好きになっちゃった人がいるんだ。その人には黙っていようと思ったんだけど、やっぱり気持ちだけでも伝えてみようかなって思った。弓槻くんが、さっき私に気持ちを伝えてくれたから、私も頑張ってみる」


 弓槻くんがゆっくりと目を開けたのは、そんな私の独り言の数秒後だった。今の、聞こえてなかったよね? 首から上が熱を帯びる。


「弓槻くん!」

「……ここは?」

「保健室だよ。弓槻くん、屋上から落ちそうになって、気を失って……」


「そうか……」

 何かを考え込むような顔。彼は、それからたっぷりと数十秒黙り込んでいた。どうしたのだろうか。


「弓槻くん?」

 また気を失っているのかと心配になって、声をかける。

「ああ。君が助けてくれたんだな。ありがとう」

「いや、そんな――」


「今から俺が言うことは、決して冗談ではない。驚かずに聞いて欲しい」

 突然弓槻くんはそんなことを言い出した。彼の今まで以上に真剣な雰囲気に、私は唾を飲み込む。


 そして、弓槻くんから告げられたのは、とんでもない一言だった。


「俺は、


「……え?」

 弓槻くんがシロちゃんの生まれ変わりだという事実を打ち明けられたり、かと思えば今度は違うって!? もう、わけがわからない。


「俺も、君と同じように前世の記憶がよみがえったんだ」

「記憶が!? それで、その記憶っていうのは?」

「今から話す」遠くを見るような目。「あの事故の記憶だった」

 ってことは、やっぱり弓槻くんはシロちゃんの生まれ変わりなんじゃ……。


「あの事故っていうのは、月守風呼が亡くなったバスの事故のことだよね?」

「ああ。前世の俺も、瓦礫の下にいた。シロちゃんではなく、として」

 予想外の人物の登場に、私は困惑する。


「運……転手?」

「そうだ。名前は、天乃徹あまのてつ。腹部に、大きくて鋭い瓦礫の破片が刺さって、全く身動きがとれなかった。手や足の感覚もほとんどなく、正常に動作していたのは、聴覚だけだった。自分の人生はここで終わる。そう思いながら、ある会話を聞いたんだ」


「会話? もしかして――」

「月守風呼とシロちゃんの会話だ。君が、最初に俺に話した通りの内容だった。それを聞いて、何てことをしてしまったんだろうと思った。たくさんの若者たちの未来を潰してしまった。尊いその命を奪ったのは、運転手の自分だ。重大な責任を感じた。死んでも死にきれないと、本気で思った。女の子が、男の子の名前を呼び続けていた。男の子の声は、もう聞こえなくなっていた。そんな悲痛な叫び声を聞きながら、死ぬ間際に、この子たちだけは助けてあげたい。自分も生まれ変わって、彼らを引き合わせてあげたい。そう強く願ったんだ」


 数秒間の静寂が場を支配する。重く、痛々しい沈黙だった。

「申し訳なかった」

 弓槻くんが突然、勢いよく頭を下げる。


「え?」

「君の前世の、月守風呼の命は、俺が奪ったようなものだ。だから、本当に、申し訳ない」


「やめてよ。弓槻くんは天乃さんじゃないでしょ? それに、事故だったんだし、天乃さんが悪いわけでもない。風呼もシロちゃんも、それに他のクラスメイトも、もちろん私にも、天乃さんを責める権利なんてないよ」


 弓槻くんの話に、矛盾点はないように思う。生まれ変わりの研究を始めたきっかけも、この嶺明高校に入ったきっかけも、私とシロちゃんの生まれ変わりを引き合わせるためと考えれば、改めて説明できる。先端恐怖症も、瓦礫が刺さったことが死因だったからだろう。


「でも、これで本当に、シロちゃんの生まれ変わり候補が私たちの学年にはいなくなっちゃったってことだよね」

「ああ。下の学年も調査対象にしなければな」

 私たちの学年に、シロちゃんの生まれ変わりがいるという前提が間違っていたことになる。


『背理法というのは、証明したいことと逆のことを仮定して、そこから矛盾を導くことによって、目的の証明を果たす方法です』

 私たちの立てた仮定は、“シロちゃんが嶺明高校の二年生である”ということ。そして、矛盾が発生し、その仮説は否定された。“シロちゃんが嶺明高校の二年生でない”という事実は、果たしたかった証明ではないけれど。


 じゃあ、私の推理は間違っていた? 順当に考えれば、弓槻くんの言う通り、一つ下の学年から当たるべきだろう。でも、もっと前の段階で、大きな間違いを犯している気がする。


 シロちゃんの生まれ変わりを探すにあたって仮定した条件。それを最初から遡っていく。

 シロちゃんが嶺明高校に入学した。

 シロちゃんが人間に生まれ変わった。

 シロちゃんが――。


 そして、そこにたどり着いたとき、全てのパズルのピースが、きれいにピタリとはまった。信じられないけど、これしかないと思えた。矛盾点はない。それどころか、全てに説明がつく。

 でも、そんなことって……。身体の震えが止まらない。


 私は勢いよく椅子から立ち上がる。

「どうした? 大丈夫か?」

 ただならぬ様子の私に、弓槻くんが心配そうな視線を送る。


「……今度こそ、全部わかった」

「運命の相手が、誰かわかったということか?」

 弓槻くんの疑惑に満ちた声。私だって、まだ完全に信じ切ったわけじゃないけれど、考えれば考えるほどに、疑念は薄くなり真実味は増していく一方だ。


「うん。間違いない。だから、シロちゃんに会いに行ってくる」

 私の自信に満ちた表情を見て、弓槻くんも納得したようだ。

「……そうか。今から行くのか?」

「うん」


「少し待ってくれないか。その前に、君に話しておきたい冗談があるんだ」

 この期に及んで冗談なんて、いったい何のつもりだろう。しかし、彼の目は真剣そのものだった。冗談を言うような雰囲気ではない。


「わかった」

 この話を聞いたら、心が揺れてしまう。そんな予感もした。けれどそれ以上に、聞いておかないとダメだという気持ちの方が大きくて。

 私はもう一度、椅子に腰を下ろした。


 弓槻くんは、大きく息を吸った。そして、私の目を真っすぐ見据える。この鋭い視線が、数日前は怖かった。でも今は、その内に秘められた優しさを、十分すぎるほどに知っている。

 

「俺が君を好きな気持ちは今も変わらない。もちろん、前世の記憶を抜きにしての話だ。でも、君には自分が一番幸せになる道を選んでほしい。そしてもしも、君を幸せにできるのが俺だと思ったら、もう一度戻ってきてほしい。俺は、待っている」


 弓槻くんが口にしたのは、世界で最も不器用で優しい冗談だった。


 冗談だと前置きしたのは、『待っている』という言葉をあまり重く考えるなという、彼なりのメッセージだろう。残念ながらバレバレだ。

 でも、弓槻くんが私を本当に大切に想ってくれていることも伝わった。


 私にとっても、弓槻くんはかけがえのない人だ。

「ありがとう」

 それだけ言って、私は最後の答え合わせをするために、保健室をあとにした。

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