6.6 途切れることなく鼓動を続け


 私は、たくさんの想いを抱えて廊下を歩いた。


 亡くなるその瞬間まで恋人を想い続けた、月守風呼の一途な想い。

 こんな私を好きだと言ってくれる、弓槻くんの秘められた想い。

 そして、私自身の想い。


 向かった先は屋上だった。

 扉を開けると、榮槇先生と、数人のスーツを着た男が立っていた。校舎で何度か見かけたことのある顔もあった。おそらく事務の人たちだろう。


 フェンスが壊れた部分には応急処置としてロープが張られ、さらにその周りに赤いパイロンが設置されている。ちょうどいいタイミングで、スーツの男たちがこちらに歩いてきた。会釈を交わす。彼らは私の横を通り過ぎて、屋上から撤収していく。

 

 最後に、榮槇先生がやって来た。

「あれ、鳴瀬さん。どうしたの? 弓槻くんは?」

「弓槻くんなら大丈夫です。目を覚ましました」


「それはよかった」

 爽やかな笑みを浮かべる。私の心臓は、張り裂けそうなほどに脈打っていた。

「榮槇先生、大事なお話があります」


 ここからが本番だ。ケアレスミスはしていないか、もう一度確認する。バスに乗っていたのは――。

『このクラスは三十七人で奇数だから、それでちょうどいいでしょ?』

『バスに乗るのは皆さんと先生だけです』


 生徒たちが三十七人、羽酉先生、そして、弓槻くんの前世の運転手、すべて足して三十九人。だが、弓槻くんと見たネットのニュースでは、死亡者はとなっていた。


 そう。


 私は大きく深呼吸をする。

 目の前にいる運命の相手を見据えて、告げた。


「あなたが、シロちゃんだったんですね。

 

 シロちゃんは


「やっと気づいてくれたみたいだね。また会えて嬉しいよ。

 動揺した様子もなく、それどころか楽しそうに榮槇先生は言った。


「あのときまだ、シロちゃんは生きていたんですね?」

 事故の記憶の最後の方。風呼は、シロちゃんが死んでしまった思っていたけど、彼の命はまだ、消えていなかったのだ。


「ああ。風呼に呼ばれながら、意識が遠のいていくのを感じた。ここで死ぬのか、って。そう思った。でも、僕は起きたら病院のベッドの上にいたんだ。救助隊の人たちの迅速な行動のおかげで、ギリギリで生きたまま病院に運ばれたみたいだ。残念ながら、あの事故で生き残ったのは僕だけらしいけど。死にそうだった僕の難しい手術を成功させてくれた伊凪先生は、僕の命の恩人だよ」


 ここで、榮槇先生と伊凪くんのお父さんとのつながりが明らかになった。やはり、医者と患者の関係だったようだ。


「でも、僕にたどり着くのがずいぶんと遅くなったみたいだね」


「記憶の中で、私は彼のことを、シロちゃんというあだ名でしか知らなくて。でも、シロちゃんっていうあだ名は、どこから……」

 なんとなく、予想はついていた。


「ああ、僕の父親の名字が“帯城おびしろ”なんだ」

 オビシロだから、シロちゃんか。でも、今の先生の名字は……。


 私は予想していたことをそのまま口にする。

「ご両親が、離婚したんですか?」

 月守風呼が告白した記憶で、シロちゃんは両親が離婚しそうだと言っていた。そのときに、『僕のせい』と言っていたのは、おそらく――。

 言ってから、少し失礼だったかなと申し訳なく思う。しかし榮槇先生は、穏やかな笑みを絶やさずに答えた。


「うん。もう知ってると思うけど、僕は先端恐怖症だ。今ではかなりよくなったけれど、昔は生活に支障をきたすようなレベルでね。時計の針を見るだけでもパニックになったりしてたんだ。両親も色々と大変だったと思う。僕のために、家中の先の尖ったものを処分したり、何人かの専門家に治療法を相談したり。でも、やっぱりストレスは溜まっちゃうみたいで……。責任を押し付け合うようにもなってしまったんだ。そのうち、夫婦の関係にひびが入って……。今でもまだ、申し訳ないと思ってる」


 彼は昔のことを思い出したようで、顔をしかめた。

 やはり私の思った通りだ。そういえば、昨日見た榮槇先生の腕時計もデジタル表示だった。


 誰のせいでもないのに、理不尽な不幸が降りかかってくることがある。高校生の私は、そんな残酷な現実をもう知っている。

「それは、先生のせいじゃありません」


「それくらい、僕もわかるよ。でも、誰のせいでもないって開き直るよりも、自分のせいにしてた方が、まだ気が楽なんだ」


 悲しそうに笑う先生は、私よりも大人だと、そう思った。年齢的にも、精神的にも。もちろん当たり前のことなんだけど、このときに、私と榮槇先生の間には、決して短いとは言えない距離があることを感じたのだ。


 年月というのは恐ろしく残酷で、私たち人間が抗っても、どうすることもできないもののうちの一つだ。強い想いでつながっていたとしても、簡単に引き離されていってしまう。


「そんなの……」

 誰も幸せにならないじゃないですか。そう言おうとしてやめた。経験した本人にしかわからないつらさが、きっとあるのだと思う。


「で、母親の旧姓が榮槇でね。両親が離婚して、母親に引き取られた結果、僕は榮槇華舞はるまになった。だから、今の僕の名前からはシロちゃんなんてあだ名は想像すらできない。鳴瀬さんがすぐに僕にたどり着けなかったのも当然といえば当然か。そもそも、シロちゃんっていうあだ名で僕を呼ぶのは風呼だけだったんだ。華舞って、字面がちょっと女っぽいでしょ? それで、あんまり自分の名前が好きじゃないって言ったら、風呼が『じゃあ、帯城だからシロちゃんって呼ぶね』なんて」

 榮槇先生は、懐かしそうに目を細めた。


「……そうだったんですか」

 私の知らない、月守風呼とシロちゃんのエピソードを話す榮槇先生は、どこか活き活きして見えた。

 十七年前に死によって引き裂かれた恋人が、生まれ変わって目の前にいる。彼は今、どんな想いで私と会話をしているのだろう。全く想像がつかない。

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