6.4 風にさらわれこぼれ落ち


 絶望的な気持ちを抱えてうつむく私に、弓槻くんが言った。

「君に謝らなくてはならないことがある」

 今までにないくらい、緊張を含んだ声だった。


「え?」

 驚いて弓槻くんの方を見る。彼の口元は震えていた。


「俺は、一つだけ嘘をついていた」


 彼は決して私の方を見ようとせずに、足元のコンクリートに向かって台詞を吐き出した。まるで、隠していた重大な罪を告白する直前の大罪人のようだと思った。


「嘘? それって……」


「俺はAB


 弓槻くんのその言葉は、数秒かけてじわじわと、私の頭を真っ白に染めた。


「えっ!? 待って! ってことは――」

「そうだ。シロちゃんの生まれ変わり候補は五人いた」五人目の生まれ変わり候補である弓槻くんは、申し訳なさそうな顔で続ける。「もし君にそのことを教えてしまったら、他の候補たちと同じような客観的な視点で見れなくなってしまうと思って黙っていた。本当にすまない」


 申し訳なさそうに頭を下げる弓槻くん。

 こういうときは、怒ればいいのだろうか。でも、怒ったところでどうにもならないし、そもそも怒ってなんかない。多少、嘘をつかれていた悲しさはあるとしても、驚きに比べればほんのちっぽけなものだった。


「じゃあ……」

「ああ。他の四人がシロちゃんの生まれ変わりではないことが証明された以上、可能性があるのは俺だけだ。尖っているものに苦手意識もある。俺が、シロちゃんの生まれ変わりだ」


 先ほどとは比べ物にならない衝撃。

「また、冗談だ、とか言うんでしょ? だって、そんなの……」

 自分でも、顔が引きつっているのがわかる。


 箸やフォークは使用せず、スプーンのみを使っての食事。メモ帳とペンの代わりに、タブレットと先の丸いタッチペン。『あまり架流かけるに指を向けるなよ』という伊凪くんの言葉。その全てが、弓槻くんが先端恐怖症であるという事実を裏付けていた。


 昨日、チョコを埋葬する穴を掘るためにスコップを持ったときに、手を震わせて呼吸を荒くしていたのも、スコップの先端が尖っていたからか。あの震え方は、演技とは思えなかった。


「君が俺に相談を持ち掛けてきたときから、うすうす気づいてはいたんだ。なのに、君に疑われるのが怖くて言い出せなかった。この三日間は、俺以外の候補の可能性の排除と、俺自身の心の準備をしていた。早く言わなくてはダメだとは思っていたんだが……。君に打ち明けるまでに時間がかかってしまって、本当に申し訳ない」


 なんとか頭の片隅にわずかながら冷静さを取り戻し、最低限の状況は把握できた。

 いつも自信に満ち溢れている弓槻くんが、そんなに悩んでいたなんて。

 私はまた、弓槻くんの新しい一面を知った。


「私が相談したときに、すぐに自分がシロちゃんの生まれ変わりって気づいたの?」


「いや。君が俺の運命の相手だということについては半信半疑だった。確信したのはかなり最近だ。最初は、もしかするとそうなのではないか、くらいの考えだった。その可能性に気づいたのは、俺も君と同じだったからだ」


「同じって?」

 どういうことだろう。


「君は、運命に導かれてこの高校に入ったのかもしれない、というようなことを言った。俺が、この嶺明高校に入学したのも、同じようになんとなくひかれて、という理由なんだ。それに、生まれ変わりに関しての研究を始めたこともそうだ。自分の意志とは違った、何か別のものが働いていたのだと思う。気づいたら、オカルト研究同好会なんてわけのわからないものまで作って、のめりこんでいた」


 弓槻くんは一度深く息を吸って、再び話し始めた。


「でも、俺がシロちゃんの生まれ変わりだとしたら、全てつじつまが合う。全てはこのときのためだったんだ。君の前世の記憶がよみがえって、同じ学校で同じクラスのオカルト研究同好会の俺に相談する。そして、この真実にたどり着く。全部、運命によって決まっていたことなんだ」

 弓槻くんの強い意志を感じる口調。そこからは、今までにない熱を感じた。


「運命……」

 運命って、なんなんだろう。月守風呼がシロちゃんと初めて会ったときの記憶で、私は運命を知った。けれども、弓槻くんからは、同じように運命を感じることは――。


鳴瀬琴葉なるせことは

 初めて弓槻くんに名前を呼ばれた。心臓が跳ねる。真っすぐに私を見つめる彼の目から、私は視線を反らすことができなかった。


「は、はい」

 慌てて返事をしたため、声が上ずってしまう。


「俺は、君のことが好きだ」

 

 胸の高鳴りはさらに激しさを増す。

「入学式で君を見つけたとき、運命だと思った。わけもわからないうちに君に惹かれていった」

 言われて思い出す。入学式の日に、廊下で肩がぶつかった男子生徒。私を見て、なぜか驚いていた。あれは、弓槻くんだったんだ。


「いきなり、そんなこと言われても……」

 どうすればいいのかわからない。この場から逃げてしまいたい気持ちをグッとこらえて、落ち着くように脳に言い聞かせる。けれども、心臓は激しく動いているし、思考回路は壊滅状態だ。


「もちろん、すぐに答えてくれなくていい。でも、君には俺の気持ちを知っていてほしい。それに、俺はシロちゃんの生まれ変わりとして、月守風呼のことを好きと言っているわけではない。たしかに最初に君に惹かれたのは、前世のことがあったからだと思う。ただ、こうして一緒にいるうちに、今の君のことが好きになったんだ。俺は、弓槻架流は、今の君のことが、鳴瀬琴葉のことが好きなんだ」


 一気に色々なことがありすぎて、理解が追い付かない。四人の中にシロちゃんの生まれ変わりはいなくて、でも弓槻くんが実は五人目の候補者で、その弓槻くんがシロちゃんの生まれ変わりで……。


 弓槻くんが私のことを好きで……。


 全く予想していなかった展開が、思考と言葉を全て奪い去っていく。何も言えないでいる私だったが、弓槻くんはずっと待ってくれている。


 私が口を開きかけたときだった。

 突然、強い風が吹いた。月守風呼の記憶が最初によみがえってくる原因になった風を思い出す。あの風に似ているな、とぼんやり思った次の瞬間。


 金属が砕ける音がした。


 弓槻くんの寄りかかっていたフェンスが、いきなり折れたのだ。

 人間よりも狭い間隔で並んでいた鉄の棒の列に、ぽっかりと空間ができた。


 その空間を通って、弓槻くんの上半身が空中に放り出されるのを、私は見た。世界がスローモーションに感じられて、彼が目を見開いているのもはっきりとわかった。


 考える間もなく、反射的に体は動いた。右手で折れていない鉄の棒を、左手で彼の左手を掴み、グッと引き寄せる。

 普段の私からは信じられないほどの反応速度だった。


 もしかすると、私が右手で掴んでいる鉄の棒も折れてしまうかもしれないと思ったけど、そんなことに構っている暇はなかった。


 弓槻くんが軽かったことも幸いし、どうにか彼は落ちずに済んだ。

 下の方から、ガシャン! という音が聞こえた。折れた鉄の棒が落ちたのだろう。同時に、たった今引き上げたばかりの弓槻くんの体が、ドサリと崩れ落ちた。


「ちょっと!? 弓槻くん!?」

 彼は、気を失っていた。が、呼吸もしているし、心臓も動いているみたいだ。目の前で人が気を失うところなんて、初めて見た。どうすればいいんだろう。


 私はすっかり動揺してしまって、後ろから人が近づいて来ていることにも気づかなかった。

「鳴瀬さん!?」

 呼ばれて振り返る。

「榮槇先生!」


「屋上から何か落ちたみたいでしたけど、大丈夫でしたか?」

「はい。でも弓槻くんが……」


 榮槇先生は、コンクリートの上に横たわる弓槻くんに近づいて、抱き起こした。彼の口元に耳を当てる。

「呼吸はしているので大丈夫です。びっくりして気を失ってしまっただけじゃないかな」


「よかった」

 改めて他人から言われると、安心できる。

「とりあえず、保健室に行こうか。弓槻くんは僕が運ぶけど、鳴瀬さん、歩ける?」

「はい、歩けます」

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