6.3 指と指の隙間から
「まずは月守風呼の記憶から、シロちゃんが本当に苦手なものを割り出した」
「本当に苦手なもの? 猫じゃなくてか?」
弓槻くんは驚かない。むしろ、挑戦的な眼差し。私が出した答えに、彼もたどり着いているのだろう。
「シロちゃんが私のところへ逃げてきたのは、女子生徒が猫の前足を掴んでクラスメイトに向かって喋ったとき。猫を抱いた女子生徒が教室に入ってきたのはもっと前なのに、どうしてそのときに逃げて来なかったんだろう。矛盾しているわけじゃないけど、少しおかしい気がする」
「我慢してただけではないのか?」
「もちろん、それも考えられる。でも、もっと納得のいく説明ができるの。シロちゃんが月守風呼と初めて出会ったとき、サボっていた授業は、家庭科の裁縫だった。月守風呼がシロちゃんに告白した記憶で、彼が使っていたのは先の丸い鉛筆」
昨日まで、月守風呼の記憶の中で、頭の隅に引っかかっていた違和感たち。それらを並べ立てる。さらに、弓槻くんにはまだ話していないけれど、今朝の記憶にもおかしなところがあった。雨の日に二人で帰るとき、徒歩であるにもかかわらず、彼らは傘をささずにレインコートを着用していた。
「それから?」
弓槻くんが先を促す。
「猫の肉球を押したとき、出てくるものって何か知ってる?」
弓槻くんがその答えも知っているであろうことを承知の上で、私は問う。
「爪、だな」
「そう、爪。つまり、シロちゃんはあのとき、猫に怯えていたわけではなかったの。あくまで、女子生徒が猫の前足を掴んだときに現れた爪を恐れていた」
それを聞いて、弓槻くんがニヤりと口角を上げる。
「つまり、シロちゃんの恐怖の対象は――」
「先の尖ったもの。裁縫のときに使う針も、先端の鋭いシャーペンも鉛筆も、猫の爪すらも、彼にとっては恐怖の対象だった」
そして、傘もそうだ。
「先端恐怖症だな」
「そう。ここまでは、弓槻くんの考えと一緒?」
その質問の答えは、今までの弓槻くんの反応でもわかるように、すでに明らかだった。
「ああ。その先はどうかわからないがな」
彼は余裕のある笑みを浮かべる。
「そうね。次に私は、四人のシロちゃんの生まれ変わり候補について考えて、その中から、先端恐怖症でない人を除外していった」
二人の間に、緊張感が漂う。
「それで、答えは出たのか?」
「うん」
「そうか。聞かせてもらおう」
少し弓槻くんの表情に陰りが見えた気がする。何か、間違ったことを言ったのだろうか。
「まず、
これで、まず一人。
「そうだな。残りは三人だ」
「次に、
「アイスピック……か」
「うん。アイスピックを使っている仙田くんが、先端恐怖症なわけがない。だから仙田くんもシロちゃんの生まれ変わりではない」
二人目。
「ということは、同じ理由で
立て続けに三人目。
「そうね」
外科医になろうとすれば、注射器やメスなどの手術器具といったような、先の尖ったものを避けることはできない。先端恐怖症の人間が外科医を目指すことは、あり得ないと言い切れないまでも、考えづらい。
つまり、
「それで?」
弓槻くんは、私に続きを催促する。もう彼も、私の言いたいことはわかっているはずなのだが。
「残りの一人、
私は、強い自信を込めた目で彼を見た。
しかし弓槻くんは、
「本当にそうか?」
静かにそう言った。
どういうこと? だって、残りは一人しかいないわけで……。それに、ちゃんと與くんは尖ったものが苦手だという証拠もある。
「私、ちゃんと覚えてるよ。文芸部の部室で、弓槻くんが與くんに、紙を切るように要求したこと。あれは、與くんが近くにあったハサミを使うかどうか試したんじゃないの?」
弓槻くんは與くんに、紙を切ってそこに連絡先を書くように促した。その際、與くんは近くのペン立てにハサミがあったにもかかわらず、なぜか手で紙を裂いた。これは、彼が先端恐怖症だという証拠なのではないか。
「じゃあ、俺からも一つ質問をしよう。與
何って、そりゃ、覚えてるけど……。
「ボールペ――っ!!」
全身に大きな衝撃を受けたかのようだった。先端恐怖症の人間が、ボールペンなんて尖ったもの、使うはずがない。
「それに、先端恐怖症の人間は、尖ったものはなるべく視界に入れたくないんだ。
それがたとえ、自分の前髪でもな」
與くんの前髪は、明らかに彼自身の視界に入るような長さだ。
「ちなみに、彼は先端恐怖症ではない。與時宗の恐怖の対象は刃物だ」
「刃物……恐怖症ってこと?」
先ほどの衝撃からどうにか復帰し、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「そういった病名があるかどうかは俺も知らないがな。彼が前髪を長くしている理由は知っているか?」
それなら昔に聞いて知っている。
「小学生のときに、彫刻刀でできた傷がおでこにある……んだよね」
彼はそう言っていたはずだ。そして、その傷を隠したくて前髪をわざと長くしているということも。
「ああ。図工の授業中に、手が滑って彫刻刀を宙に飛ばしてしまった。彫刻刀の刃の部分が前頭部に命中してしまい、深めの傷ができたということだ。そのときから、刃物が怖いらしい。つまり、昔彫刻刀を使っていた與時宗は、シロちゃんの生まれ変わり候補から外れる」
「そ……んな」
それじゃあ――
『不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる』
「でもまだ、先端恐怖症を克服した可能性が残ってる。三人に聞いてみなきゃ」
私がスマホを取り出そうとするのを、弓槻くんの声が遮る。
「俺がすでに聞いた」
「え?」
「残念ながら、残りの三人も尖ったものに対して、普通以上の恐怖心や苦手意識は昔からなかったと言っている」
「ってことは、四人とも――」
「そうだ。シロちゃんの生まれ変わりではない」
弓槻くんははっきりと断言した。
このとき私が味わったものは、暗く深い絶望だった。
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