5.4 不意に襲った永遠の別れと


「悪いな。ああいうやつなんだ。よく誤解されるけど、根はいいやつだ」

 ため息をついて、弓槻くんが言った。“いいやつ”の範囲が広すぎる気がするけど……。


「ああ、うん。ちょっと苦手なタイプかも」本当はかなり苦手だと思ったけど、少し控えめに言っておく。「それより、霊力の高い黒猫が、みたいな話はしなくてよかったの?」


「あいつは、俺の研究している内容を知っている。それに、もう黒猫の話はする必要がなくなった。君に少しでも会わせられればそれでよかった」

 たしかに、弓槻くんのオカルト研究のことについても言及していた。でも、猫の話をする必要がなくなったって、どういうことだろう。何だか嫌な予感がする。


「そっか。で、さっきの『指を向けるな』っていうのは、どういう――」

「ああ、それは気にしなくていい」

 私が言い終わる前に拒絶される。これ以上聞けない雰囲気だ。


「弓槻くんと伊凪くんはどういう関係なの? 質問ばっかりになっちゃって申し訳ないんだけど」

 気になっていたことを訊ねてみた。


「洸は俺と同じ中学校出身だ。今はオカルト研究同好会の幽霊会員になってもらっている。名前だけ借りているといった感じだな」

「へぇ」


「たまにこの部室に勉強しに来るんだ」

 弓槻くんにも友達がいることに、少し安心した。それと同時に、周囲には知られていない弓槻くんの優しさや頼もしさを、私よりも前から知っている人がいたと思うと、なぜか胸の奥にもやもやした気持ちが湧いた。


「この時期に勉強なんて、すごく向上心があるんだね」

 言ってから、嫌味っぽくなってしまったのを少し後悔する。

 普通の生徒はテストが終わって気を抜くような時期であるにも関わらず、彼は勉強する時間が必要だと言う。高校生としては模範的かもしれないけど、少し寂しいような気もした。


「あいつは、医者になるんだそうだ」

「医者……」

 思いもよらなかった単語の登場に、私は困惑する。


「父親が優秀な外科医で、その跡を継ぐ予定らしい。母親や親戚からも期待されている」

 それで、彼の成績が優秀であることにも合点がいった。


「へぇ」

 あんなに勉強にこだわるのも、それなりの理由があるんだな。

「すごいやつだよ。俺だったらとっくに潰れてる」


 たしかにその通りだ。医者を目指しているからといって、必ずしも成績がいいというわけではない。努力しなければ、良い成績をキープするなんてことはできないのだ。


 そういえば、伊凪洸の父親が、榮槇先生と知り合いなんだっけ。外科医師である人間と、どういう関係なのだろう。すぐに思い浮かんだのが、医者と患者の関係だ。大きな怪我でもしたことがあるのだろうか。


 ふと、榮槇先生に助けられたことを思い出す。

「どうした、何か問題でもあったのか?」

 弓槻くんに指摘される。顔に出てしまっていたらしい。気を付けなければ。

「いや、何でもないよ」


「そうか。あいつがシロちゃんの生まれ変わりだった場合、かなり手強いぞ。見ての通り、多忙なやつだからな。そのうえ、君との相性も悪そうだ」

 すでに相性の悪さを見抜かれている。


 それにしても、今日の弓槻くんはどこか元気がないように見える。いや、元気がないのはいつも通りなんだけど、落胆の色を感じるのだ。


「……チョコが、帰って来た」

 弓槻くんが、ポツリと呟いた。それでさっき、猫の話はする必要がなくなったなんて言っていたのか。

「チョコが!? よかったじゃない」


 嬉しいニュースのはずなのに、弓槻くんの顔は悲しげだ。

『猫は死ぬ前に姿を消すそうじゃないか』

 彼が昨日言った台詞を思い出す。まさか……。

「……冷たくなっていた」


「そんな……」

 私は言葉を失った。


「俺が部室に来たときにはもう、いつもの場所で死んでいた。今は空いていた段ボールの中に寝かせてある。これから埋葬しようと思う。君も手伝ってくれるか?」

 チョコとは一度しか会っていないけれど、断る理由など何一つなかった。

「もちろん」


 段ボール箱を抱えた弓槻くんと、二人で中庭に出る。オカルト研究同好会の部室の前に、シャベルで穴を掘ることにした。部室にはちょうど、シャベルが何本かあったため、弓槻くんと私は一本ずつそれを手にする。


「ちょっ、弓槻くん……?」

 私は驚いて彼の元へ近づいた。弓槻くんのシャベルを持った手が、ブルブルと震えていたのだ。

「ああ、なんでもない……」

 呼吸も荒くなっているのがわかる。


「なんでもなくないよ。休んでて。私が掘るから」

 猫とはいえ、チョコは弓槻くんにとって大切な存在だったはず。友人の命を失ったようなものだ。すでに動かぬ物体となっているが、今からしようとしていることは、相当つらいのではないか。


「大丈夫だ」

「手も震えてるし、呼吸だってつらそうじゃん。無理しないで! ダメなときはダメって言ってよ! あ……ごめん」

 思わず強い口調になってしまい、自分でも驚く。


「……わかった。申し訳ないが、頼めるか?」

 弓槻くんはシャベルを地面に置いて、頭を下げた。

「うん」

 

「チョコはここ最近、よくつらそうにしていたんだ」

 地面を掘る私の隣で、弓槻くんは喋り始めた。ボソボソと、聞こえるか聞こえないかくらいの声量。


「でも、君と初めて会った日。あの日だけは、なぜか元気だった。まるで、君に会ったことで役目を果たしたかのようだった。……すまない。君を責めているわけではないんだ」


 私は、返事をしなかった。弓槻くんがどんな言葉を望んでいるのかわからなかったし、返答など最初から求めていないような気もした。代わりに、黙々と穴を掘った。スコップは先が尖っていて掘りやすく、穴はすぐに大きくなった。


 数分かけて掘った穴にチョコを横たえて、土をかける。黒猫だったものの全部が、土で見えなくなった瞬間、少し涙が出た。『チョコ』と書いた木の板を立てて、お墓は完成。


 隣で手を合わせて目をつむる弓槻くん。私も同じように、黙祷を捧げた。チョコが来世で幸せになりますように。

 おかしいな。生まれ変わりなんて信じていなかった私が、こんなことを思うなんて。


 チョコの埋葬を終え、しばらく暗い雰囲気が漂っていたオカルト研究同好会の部室で、弓槻くんが口を開いた。

「人も猫もいずれは死ぬ。今がそのときだっただけだ。チョコは年齢的にも十分に長生きしたと思う」


「でも……」

 やはり命が消えてしまったことに変わりはない。ただ、弓槻くんの言葉は紛れもなく正論で。


「悲しんでばかりもいられない。今はできることをやろう」

 長い間チョコをかわいがっていた弓槻くんがそう言っているんだ。たった一回会っただけの私がくよくよしていてどうする。


「うん。そうだね」

 顔を上げて言った。


 私は、今朝よみがえった記憶を話した。

「お互いにそんな風に思っていたのか。強い気持ちを感じるな。生まれ変わるだけはある。それに、両親が離婚しそうなのがシロちゃんのせい、というのも気になるな」


「うん。私にはさっぱりだけど、月守風呼はその理由を知っていたような反応だった」

 もう一度その理由を考えてみたけど、やはりわからなかった。推測すらもできない。


「ふむ……。そうだ。顔が思い出せない理由がわかったかもしれない。現世で、その人物、もしくはその人物の生まれ変わりに会っている場合、前世の記憶で顔が思い出せないことがあるみたいだ」


「現世で……?」

「ああ。つまり、君はすでにシロちゃんと会っている可能性が高い」


「会っているっていうのは、どの程度? 友達? 知り合い? それとも、ただ見たことだけある人も私と会っているってことになるの?」

 もしその境界がわかれば、四人の候補をさらに絞り込むことができるかもしれない。私は弓槻くんに詰め寄った。


「残念ながらそこまでは俺もわからないんだ。だから結局、四人の候補からは誰も除外できないことになる。ただ、君が今まで認識していなかった人間は除外されるから、四人の中にシロちゃんの生まれ変わりがいなかった場合でも、かなり候補は少なくなるというだけだ」

「そっか」


 少し落胆する。けれど、利害が一致しているとはいえ、直接関係ないはずの私の問題に、弓槻くんは全面的に協力してくれている。何もできない私が落ち込むのは、彼に申し訳ない。


 それと……。シロちゃん以外にもう一人、記憶では見たのに、顔を思い出せない人がいた気がする。あれは……誰だっけ。

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