3.6 無駄な描写は一切なく
直方体の部室はそこそこ広く、入り口のある壁から見て左右の二面を埋め尽くすのは、大きな木の本棚。その棚には、ハードカバーの小説や文庫本はもちろん、小説作法の実用書からキャラクターの命名辞典まで、物語に関するたくさんの本が並んでいる。部員である私が言うのもどうかと思うが、お手本のような文芸部の部室だ。
部室内には、一人の男子生徒がいた。入り口の前方には壁に沿って机と椅子が設置されていて、その席の一つに座っている。
その男子生徒である與くんは、パソコンに視線を向けながら、慣れた手つきでキーボードを叩いていた。
その場所は彼の定位置で、もはや作業場となっている。作業場というとプロっぽいけれど、あくまで高校の文芸部の部室だ。USBメモリの刺さった黒いノートパソコンは、かなり古い型でいつ壊れてもおかしくなさそうに思える。その横には、ペンや定規、カッターやハサミなどが入ったペン立て。印刷ミスをした紙の裏面を使ったメモ用紙も、隣に常備してある。ハイテクからは程遠い、いかにも高校生らしい作業場なのである。
與くんはヘッドフォンをつけており、私たちが入ってきたことに気づいていない様子だ。ノックをしたときに反応がなかったのもそのためだろう。
近付いて肩を叩くと、ビクッと体を震わせて驚く。
「ああ、鳴瀬さんか」
振り返ってヘッドフォンを外す。私だとわかって安心したようだ。
與くんは背が高く、全体的に細い。前髪を目の下まで垂らしていて、暗い印象を与える。声も小さく、人と会話しているところもあまり見かけない。内向的というイメージでは弓槻くんに近いかもしれない。
「與くん、新作?」
「そう。来月の公募に出すんだ」
與くんは小説家志望で、よく小説の新人賞に応募している。
私も何度か、彼の小説を読ませてもらったことがあった。文章も物語も素人が書いているとは思えないほどクオリティが高く、感心したことを覚えている。実はプロが書いているなんて言われても、私には嘘か本当かわからないだろう。
文化祭では毎年、部員が一人ひとり、一編ずつ短い小説を書いて部誌としてまとめたものを販売する伝統がある。去年の與くんの作品は、その中でも評判がよかった。
将来、小説家になってもおかしくないのではないか……と思う。素人の私には判断できないけど。
「へぇ、自信の方は?」
「うーん。自分では結構面白いと思ってるけど……。審査員の人たちがどう見るか、だよね」
彼は額を掻きながら言った。長い前髪の間から、昔刃物で切ってしまったという古傷がチラッと見えた。
自分で自分の作品を客観的に見ることがとても難しいのは、私もわかる。去年の文化祭のために私が書いた短編は、自分ではそこそこ面白いと思っていたのに、部員たちからはあまり賞賛を得られなかったのだ。今年は見返したいと思っている。
「そっか。審査員との相性もあるもんね」
「うん。僕の作品は今までの公募だと、余計な描写が多いって言われることがよくあって。自分では全部必要だと思って書いてるんだけどね」
與くんは少し悔しそうに、そんな愚痴をこぼす。
審査員との感性のずれだけではなく、最近は将来についても悩んでいるようだ。本当に小説を書いて食べていけるのか、というようなことをこの前言っていた。
けど、もう少し自信を持ってもいいんじゃないかと思う。私も他の部員も、彼の作品は評価しているのだから。
「それは、審査員の人がちゃんと読み取れてないだけじゃない?」
「そうだといいんだけど……」
「きっとそうだよ。頑張って。與くんなら、きっといい結果が出ると思う」
地味で目立たない與くんは、私と同じくあまり社交的でない。さらに、読書という共通の趣味のおかげでもあってか、男の人が苦手な私が唯一、普通に話すことのできる男子である。
「ありがとう。ところでそちらの人は……?」
弓槻くんを見て、私に問いかける。
「ああ、こちらは私のクラスメイトの弓槻くん。オカルト研究同好会の会長で、ちょっと簡単な調査をしてるみたい。すぐ終わるから協力して欲しいってことなんだけど……」
打ち合わせ通りの台詞。騙すのは気がひけるけど、本当のことを言ってもどうせ信じてもらえない。それに、完全に嘘ってわけじゃないし。
「うん。大丈夫だよ。ちょうど息抜きしようと思ってたところだから」
「ありがとう」
罪悪感を顔に出さないように気をつけながら礼を述べる。
「では早速、質問させてもらう」
弓槻くんが一歩前に出て、タブレットとタッチペンを取り出す。ゴム製の丸いペン先で、何度か画面をタッチした。
「猫は好きか?」
「……猫?」
オカルト研究同好会らしからぬ質問に、與くんは一瞬虚を突かれたようにぽかんとする。
「ああ」
弓槻くんが真顔を崩さずに頷くものだから、與くんも真面目に回答する。
「う~ん。どちらかっていうと犬の方が好きだけど……。猫もかわいいと思う」
ボソボソと自信のなさげな声。
「そうか。ということは、猫に対して苦手意識はないな?」
「うん、ないよ」
「ふむ。昔は猫が苦手だったということもないか?」
「自分が覚えている範囲ではないはずだけど……」
「そうか。協力、感謝する」
「それで、このアンケートは何なの?」
やっぱり聞かれた。そりゃ、気になるよね。弓槻くんはどう答えるんだろう。
しかし、そんな私の心配などものともせず、彼は表情を一切変えずに、堂々と嘘を並べ立てた。
「最近この近くに霊力の強い黒猫が現れて、嶺明高校の猫好きの誰かに取り憑いているらしいんだ。俺は今、その猫の正体を追っている。猫より犬が好きと答えたから、君はおそらく大丈夫だとは思うが、猫を見かけたら気を付けろ。取り憑かれる可能性がある。無闇に近付くのは危険だ」
もちろん弓槻くんの考えた冗談だろう。笑い飛ばすのが一般的な反応である。が、彼のオカルト研究同好会会長という肩書きに真顔という組み合わせが、笑い飛ばせるような雰囲気にさせないのだ。私は申し訳ない気持ちになるが、與くんは圧倒されている。
「え? 霊力? 黒猫が、取り憑く……? わ、わかったよ。ありがとう」
勢いに押されてお礼まで口にする與くんからは、人のよさがうかがえた。
「念のため、連絡先を教えてもらってもいいか?」
弓槻くんが言った。私が知っているから、不要だと言おうとしたけど、そんなことは彼もわかっているはずだ。きっと弓槻くんなりの考えがあるのだろう。
「連絡先? 別にいいけど……」
「おっと、電池が切れてしまいそうだ」弓槻くんはタブレットをしまう。そして、パソコンの隣に置かれているメモ用紙を示して言った。「紙に書いて渡してくれ。
財布にしまっておきたいから、そこのメモ用紙の半分くらいの大きさがちょうどいいな。切ってもらえるとありがたい」
「わかった」
與くんは弓槻くんの注文通りに、メモ用紙を折って、器用に両手を使い半分に裂いた。そこにボールペンでメールアドレスと電話番号を書き、弓槻くんに手渡す。
「たしかに受け取った。何か聞きたいことが増えたら、こちらから連絡させてもらう。そのときにはまた協力を頼む」
「ああ、うん」
何かを頼む態度とは思えないような無表情で告げる弓槻くんに、雰囲気のままに頷く與くん。
さっきは暗いところが似ているかもなんて思ったけど、前言撤回。全然違う二人だ。
「なんというか、すごい人だね、彼」
一足先に弓槻くんが去って、文芸部の部室には私と與くんの二人が残された。
「そうなのよ」
心の底から同意する。
「小説が一つ書けそうだよ」
「あはは」これには私も苦笑い。「じゃあ與くん、執筆の続き頑張って」
「ありがとう。それじゃ、また」
私も部室をあとにして、廊下で待っていた弓槻くんと合流する。
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