2.3 恋の予感は散り乱れ
古典のテスト返却が行われた。
私は手応え通り、そこそこの出来だった。藍梨が騒がしく喜んでいて、そんなにいい点数だったのかと思っていたら、どうやら補習を免れただけらしい。
続く世界史のテストでも、私はそこそこの点数をマーク。
そんなテスト返却の間、私はやたらと視線を感じていた。それも、特定の誰かからではなく、不特定多数の人間からの視線だ。こそこそと噂をされているような気もする。
なぜだろうか。何か、悪いことをしてしまったのかと不安になる。
二科目分のテスト返却が終わって、休み時間。このとき、謎の視線の正体も判明する。
「琴葉、大胆なことしたね」
私の机までやって来た藍梨が、開口一番でそう言った。
「え?」
大胆なことって? 私は何のことかわからず、疑問を露わにした。
「ほら、今朝のこと。あんな堂々と呼び出して。みんな注目してたよ」空席になっている弓槻くんの席をチラッと確認してから、藍梨は続けた。「で、弓槻のどこに惹かれたわけ?」
周りのクラスメイトの何人かも、私たちの会話に注目している。
「えええええっ!? 違うよ! 弓槻くんとは、別にそういうんじゃなくって……」
両手を胸の前でぶんぶんと横に振り、慌てて否定する。
でもたしかに、客観的に見れば告白の呼び出しに思える。というか、そうとしか思えない。
やってしまった。こんな感じで、私はときどき周りが見えなくなり、暴走してしまうことがあるのだ。今回のことについては、恋愛に関して疎いことも原因の一つなのだろう。
「別に、照れなくていいのに。悩み事って恋愛のことだったかぁ。恋に消極的だったあの琴葉がねぇ……。うーん、感慨深い」
藍梨は、両手を頬に当てて目をつむった。勝手にうっとりされても困る。
「本当に違うんだってば。神に誓ってそんなんじゃないから、信じて」
詰め寄るように身を乗り出して、必至に否定する。
「え? そうなの? てっきり告白かと思っちゃったじゃん。じゃあ朝に話してた悩みとは関係ないの?」
私の真剣な剣幕に、藍梨も思い違いを認めてくれたみたいだ。
「それとは関係なくはないけど」なくはないどころか、大アリだ。「……ああっ、どうしよう!」
新しく懸念事項が浮上する。
「ん? どしたの?」
「あの呼び出し! クラスのみんなも藍梨と同じように、私が弓槻くんに告白をしようとしてるって思ってるってことだよね?」
「まあ、そうだろうね」
「うわぁ……。やっちゃった……」
どうしたものだろうか。思わず頭を抱える。
「そんなに弓槻と噂になるのが嫌なの? あいつ暗いけど結構イケメンじゃん。格好いいって言ってる女子も何人かいたよ」
たしかに、弓槻くんは顔立ちも整ってるし、ダークな雰囲気で一部から人気はありそうだ。
「いや、私じゃなくて弓槻くんが困るかなって」
私のその言葉に、藍梨は一瞬真顔になり、すぐに破顔する。
「もぉ、琴葉はもっと自分に自信持ちなよ! 琴葉はすごい可愛いんだから」
何を言い出すのかと思えば……。
「え? 私が可愛い? どこが?」
私は怪訝な表情を隠すこともなく、首をかしげる。
「ああ、もう! そういうところだよ!」藍梨が、ぐりぐりと私の頭を撫で回す。
「琴葉が男子と普通に話せれてれば、今ごろ彼氏が十人はできてるよ」
十人って……。
「そんなにいらないよ」
ぐちゃぐちゃになってしまった髪を整えながら、私は言った。
その後は何でもない雑談をしていると、チャイムが鳴って弓槻くんが戻って来た。藍梨も自分の席へと帰って行く。
藍梨の言う通り、私は男の人と喋るのが苦手で、恋愛に対しても消極的だ。当然、交際経験はナシ。
男の子に告白されたことは一度だけあるのだが、緊張のあまり何も言わずにその場から逃走してしまったという前科を持っている。
きっかけはささいなことだった。
私が小学校低学年のとき、目の前で、二人の男子が殴り合いの喧嘩を始めたのだ。喧嘩の原因や、そのあとどうなったかなど、細かいことは覚えていない。たかが小学生の喧嘩で、大怪我などもなかったと記憶している。ただ、当時の私にとっては強烈な出来事で、男子は怖い生き物だという認識がすっかりできあがってしまった。
この年にもなれば、子供同士の殴り合いの喧嘩くらいよくあることだとわかっていて、怖がる必要などないことは頭では理解しているつもりだけど、一度頭に絡みついた恐怖はなかなか消えてくれない。できる限りかかわることを避けてきたため、どう接していいのかもわからない。そんな私の経験不足が、男子とかかわりを持とうとすることに対するストッパーとなっている。
結局、男子に対する苦手意識を克服できないまま、私は高校生になってしまった。
恋愛に興味が全くないわけではないけれど、誰かと恋人同士になるなんてことは、私にとっては高すぎるハードルでしかなくて。
藍梨は『テキトーによさそうな男と付き合ってみなよ』なんて、あたかも男を自動販売機で売っているもののように言うけれど、私はちゃんと好きになった人と付き合いたいのだ。
でも、男子とかかわりを持つことを避けている私が、男子を好きになることなんてないと思う。
怖さと憧れ。矛盾したこの気持ちに、折り合いをつけられる日が来ることはあるのだろうか。
いつか自然に、人を好きになれたらいいのにな、と思う。
さらに二科目のテスト返却を終え、放課後となった。
「琴葉、かーえろ!」
スクールバッグを持って私の机の前に立った藍梨だが、すぐに弓槻くんの方を見て「あっ、そっか」と気づく。
「うん。そういうことだから」
「それじゃ琴葉、また明日」
去り際の彼女の顔には『やっぱり本当は告白なんじゃないの?』と、そう書いてあった。
「またね」
私は顔に『残念ながら違いますよー』と書きつけて応戦した。
教室に人がまばらになってきた頃。
「人に聞かれたくない話か?」
弓槻くんが私の正面に立って問いかける。
「えっと……そうだね。できれば」
朝に一度勇気を振り絞って話しかけたからか、弓槻くんが話しかけてきても緊張はさほど感じなかった。
「そうか。それならちょうどいい場所がある。行くぞ」
歩き始める弓槻くんについて教室を出る。
『てっきり告白かと思っちゃったじゃん』
休み時間の藍梨の言葉がリフレインする。彼女には、私が告白のために弓槻くんを呼び出したと思われていた。クラスメイトも、そういう目で私を見ているのだろう。一旦意識し始めると、恥ずかしさが込み上げてくる。
「あの、ごめんなさい」
思わず、そんな言葉が口から滑り落ちていた。
「……何がだ?」
弓槻くんは振り返って、不可解そうな様子で私を見る。
「私と、その……そういう噂とか、迷惑じゃない?」
その一言で察してくれたようだ。
「君は俺にそういうことを伝えたくて呼び出したのか?」
そういうこと、というのは恋愛的な意味での好意のことだろう。
「あ、いや。違う、けど……」
きっぱり否定するのもどこか失礼な気がして、言葉尻を濁した。
「なら問題ない。他人にどう思われようが気にしなければいいだけの話だ」
彼はそう言って、再びすたすたと歩き出す。本当に気にしてない様子だ。その背中を見て、芯の強い人だな、とそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます