2.4 その心の柔らかさを知る
弓槻くんに連れられてたどり着いたのは、オカルト研究同好会の部室だった。文化部の部室が並ぶ廊下の、一番端に位置している。部室前の電球は切れかかっていて、時折チカチカと点滅する。普段なら私が絶対に来ないような、目立たない場所だ。
弓槻くんがドアを開けて、部室に入っていく。
「お、お邪魔します」
私もそれに続く。
部室内は、大量の段ボールに占拠されていて狭かった。安っぽいパイプ椅子とテーブルだけが、かろうじて部室らしさを醸し出している。他の部室にありがちなテレビゲームやコミック雑誌などは、どこにも見当たらない。
「とりあえず座ってくれ。申し訳ないが、お茶も珈琲も出せない」
「あっ、いえ、大丈夫です。お構いなく。他に会員はいないんですか?」
パイプ椅子に座りながら質問を投げかける。
「いるよ。幽霊会員が何人か。それと、本物の幽霊が」
ふいに弓槻くんが斜め後ろを見るものだから、つい私もそこに目を向けてしまう。が、見えるのは段ボールの山だけだ。
「え? ゆ、幽霊?」
背筋がピンと張り詰める。少し、いや、かなり怖いことをおっしゃる。
「……冗談だ」
一瞬、本気で信じてしまった。安堵して、肩から力が抜ける。伸びていた背筋も元通りだ。
「弓槻くんが冗談なんて、意外ですね」ホッとしたせいか、ついそんな台詞が出てしまうが、すぐに失礼だったと反省してフォローを試みる。「あ、いや。弓槻くんってもっと……なんかこう、クールなイメージがあったので」
「気にしなくていい。冗談を言い合う友人がいないだけだ」
彼は自嘲気味に笑う。またもや意外な発言。私が思い描いていた彼の人となりとは、いくらかギャップがあるように感じる。
彼の柔らかい微笑を見て、さっきの冗談は、私の緊張をほぐそうとしてくれた優しさかもしれないと思った。
「幽霊は冗談だが、少し変わった会員ならいるぞ」
「え?」
「会ってみるか?」
遠慮しておきます。そう伝える前に、弓槻くんはすでに立ち上がって、段ボールの積まれた方へ向かっていた。
仕方なく、私もそれに続く。自分の身長よりも高い段ボールの山をくぐり抜けて、奥へと進んで行く。入り組んでいて、まるで迷路のようだった。
オカルト研究同好会の部室は一階に位置していた。入口の向かい側の壁はガラス製の扉を隔てて、中庭に面している。残念ながら段ボールのせいで、中庭につながる扉自体は閉ざされてしまっているものの、一部ガラスが割れている部分があり、そこだけは外界に通じていた。段ボールの切れ端とガムテープで補修されているが、テープが貼られているのが上部だけであるため、持ち上げることで簡単に開く。つまり、小さい生物であれば、容易く出入りできるようになっていた。
「ちょうど来てるみたいだ」
弓槻くんがしゃがみ込む。
「うわっ!?」
思わず声を上げる。そこには、毛づくろいの最中の黒猫がちょこんと座っていた。私を見上げて、興味を示したのはわずか二秒程度。すぐにプイと顔を背ける。
「この場所が気に入ったみたいで、住み着いてしまったんだ」
「へぇ」黒猫の頭を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らした。「名前は何ていうんですか?」
「チョコだ」
弓槻くんの口から、そんなかわいい名前が出てきたことに少し驚く。ケビンとか
「チョコ……」
柔らかい体を丸めて後ろ脚を舐めるチョコは、私を見上げると「ミャー」と一鳴きし、毛づくろいを再開した。非常にかわいい。
「弓槻くんが名前をつけたんですか?」
「ああ。……いや、それは少し違うな。俺がチョコと出会った日の話をしよう。あれは、去年の今頃だったと思う。ある日、俺がこの部室でチョコレートを食べていたとき、チョコ……猫の方のチョコが現れた。ドアは閉め切っていたし、俺が部室にいない間は鍵も掛かっているはずなのに、なぜ入れたのか、それが不思議だった。霊的な力で空間を超えて出現したとしか思えなかった。あとで見てみたら、ここは俺が入学する前からこんな状態だったらしいから、霊的な力でも何でもなかったようだがな」
ガラスの割れた部分に、雑に貼り付けられている段ボールをひらひらさせながら、弓槻くんは言った。
「へぇ。チョコレートを食べてるときに現れたからチョコ……」
他に突っ込みどころがあった気がしたけど、何も言わないでおこう。
「いや、そういうわけではない。いきなり姿を見せた黒猫に、俺は話しかけたんだ。『チョコが欲しいのか?』と。霊的な力を持った猫であれば、人間の言葉も喋れるのではないかと思った」
さすがオカルト研究同好会だ。
「は、はい。それで……」
若干理解に苦しみながらも、なんとかあいづちを打つ。
「チョコは『ミャー』と鳴いた。もちろん、猫はチョコレートを食べると中毒症状を起こすからな。実際に食べさせはしなかった。俺が『ダメだ』と言うと、チョコは黙って俺を見つめた。もう一度『チョコはダメだ』と言うと、また『ミャー』と鳴いた。俺は、もしかしてと思って『お前の名前はチョコなのか』と聞いた。すると、こいつはまるで応えるように『ミャー』と鳴くんだ」
「偶然じゃないんですか?」
「こいつは、『チョコ』と言うと反応するんだ」
「ミャー」
あ、本当だ。
「つまり、俺に会う前から、こいつはチョコだったんだよ。ちなみに、チョコが霊的な力を持っている可能性はまだ捨てていない」
「霊的な力……ねぇ」
さすがオカルト研究同好会会長。思考がオカルトだ。
「ちなみに、こいつは高いところが苦手なんだ」
「猫なのにですか?」
猫といえば、バランス感覚が優れていて、高い場所にも平気で上るイメージがある。
「ああ。ちょっと持ち上げてみればわかる」
私は言われた通り、チョコを抱き上げる。弓槻くんがサッと離れた。
抱きかかえた瞬間は問題なかった。しかし、高い高いをするように、私が天井に向かって持ち上げた瞬間、チョコの様子が一変した。いきなり暴れだして、私の腕を爪で攻撃しだしたのだ。
「痛っ」
私がひるんだ隙に、手からすり抜けて、床に着地する。そして、
「フーッ!」
威嚇された。
「ご、ごめんなさい」
引っかかれた腕を押さえながら、思わず謝罪をする。幸い、血は出ていないようだ。
本当に高いところが苦手みたいだ。
「前より暴れ方がおとなしいな。もうかなり年をとってしまっているからかもな」
「え?」
チョコに視線をやる。全くそんなふうには見えない。
「出会った頃よりも食欲が落ちているし、目も濁っている。いつ寿命がきてもおかしくない状態だ」
「そう……なんですか……」
予想外の深刻な話に、私はそれしか言えなかった。
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