2.2 日常をも塗り替えて
「おはよ、琴葉」
「おはよう」
教室に入り、
彼女は、私の一番親しい友人である。明るく社交的で、友達も多い。全体的に小柄であり、パッチリした瞳と薄い唇も相まって高校生らしからぬ幼さを醸し出していた。茶色く染めた髪を両脇で結んだツインテールが、そのあどけない顔立ちによく似合っている。
成績は……非常に言いにくいのだが下の下だ。いわゆる、やればできる子というやつであって、決して彼女の頭が悪いわけではない。頭の回転は早い方だし、会話からも確かな知性が感じられる。彼女は多趣味であり、様々な趣味に熱中し過ぎるあまり、勉強に手が回っていないのだ。
本人曰く「一度しかない人生だから、なるべく色んなことを体験したい」だそうだ。私にはない考え方で、ちょっと羨ましかったりもする。
その趣味というのがまた特殊で、最新のゲームだったり、一昔前の流行だったり、すごくコアなものだったりするので、彼女と友人でいると、驚かされることが多くある。この前は、昼休みに延々と落語を聞いていたっけ。とにかく、規則性がないのだ。
今も、ルービックキューブをカチャカチャと回している。そのうち、徳川の埋蔵金探しや廃墟巡りなんてのも始めそうだ。
「うわっ!? その膝、どしたの?」
六面を完成させたルービックキューブを机に置くと、藍梨は私の膝の絆創膏を見て言った。
「ああ、昨日自転車で転んじゃって」
私は苦笑いで応じた。トラックにひかれそうになったことは言わないでおく。
「ええっ、痛そう。大丈夫?」
心配そうに顔をゆがめる。
「大丈夫だよ。ありがとう」
こんな怪我なんかよりも大変なことが起こってるし……。
自分の席に座り、机におでこをつけて大きく息を吐き出す。
「どうしたの、ため息なんかついて。あ、テストがダメだったんだ。めっずらしー! 私と一緒に補習受ける?」
わざわざ私の席まで移動してきて、藍梨は嬉しそうに言う。朝からテンション高めの彼女に若干辟易しながら、私は顔を上げた。
というか、まだ返却すらされてないのに補習って……。どうやら今回も、彼女はテストができなかったらしい。
「いや、テストのことじゃないんだけど、ちょっとね。悩んでることがあって……」
本当はちょっとどころではない。
「悩み事? よかったら聞くよ」
悩みを聞いてくれる友人がいるというのは、喜ばしいことではあるのだけれど、
「ごめん、今はちょっと話せないかな。ちゃんと整理できたら、きっと話すと思う。ありがとう」
私はそう言って断った。
「そっかそっか。おっと、そろそろホームルームだね。それじゃ、また」
軽く手を上げて言うと、藍梨は自分の席へ戻って、先ほど揃えたルービックキューブをぐちゃぐちゃに崩し始めた。
気にかけてくれつつも、無理には踏み込んでは来ない。いいヤツを友人に持ったものだと喜ばしく感じる。私にはもったいないくらいだ。
でも、気を失ったショックで前世の記憶がよみがえりました、なんて……。そんなこと、藍梨にだって相談できない。
しかし、私一人で抱え込むにはこの問題は複雑すぎるのも事実で。誰か、相談できる相手が欲しいところだ。やっぱり藍梨に話してしまおうか……。
そんなことを考えていたとき、ドサッ、と右隣で音がした。白いスクールシャツに身を包んだ男が、通学鞄を乱暴に机に置いた音だった。
彼は椅子を引いて着席し、何やら難しそうな本を取り出す。男子にしてはサラサラの髪が、フワッと揺れる。バッグを机の脇のフックにかけると、取り出した本を開いた。
彼の名前は
暗くて無愛想。それが、彼に対する私のイメージ。クラスメイトの多くも同じ印象を抱いていると思う。
何度か彼と事務的な会話をしたことがあるが、毎回彼の鋭い視線に怖じ気づいてしまう。だけど、暴力的だとか自分勝手だとか、全くそんなことはない……と思う。ただ単に、人と接することが苦手なだけかもしれない。そういった都合のいい解釈もあり、私は勝手に、彼に親近感を抱いていた。けれど、話しかけようとか仲良くなろうとか、そういったことは全く思わなかった。
難解そうな本を、器用に左手だけで持ちながら読み進める。視線の動きを見るに、本を読むのがかなり速い。私も文芸部で、本は多く読んでいる方だけど、スピードでは負けるだろう。
ちらっと見えた本の表紙には『日本人の8割が火星からの使者』のタイトル。思わず二度見をする。どんな内容なのか、ちょっと気になってしまった。
そういえば、弓槻くんはオカルト研究同好会の会長だった。彼は、そんな謎の同好会の会長として有名でもある。他に会員がいるかどうかは不明。噂によると、弓槻くんはオカルト現象の解明に真剣に取り組んでいる……らしい。
待てよ、前世の記憶がよみがえるって……。これはまさしく、オカルト現象以外の何物でもない。
彼に相談してみようか。オカルト研究をしているのだから、信じてもらえる可能性もある。もしかすると、何か有益な情報が手に入るかもしれない。私の悩みを打ち明けるのに、これほど適した人間はいないように思える。
問題は、二人の親密度だった。私と彼の関係はただのクラスメイトであり、ゼロに等しいと言って差し支えないだろう。いきなり話しかけるのは躊躇われるし、正直怖い。それに、弓槻くんは今、本に集中しているところだ。
あとででいいや、などと思って声をかけるのを先延ばしにしてしまえば、そのまま話しかけずに終わる未来が簡単に想像できる。
何か情報が得られるかもしれないという期待と、彼に話しかける怖さを天秤にかける。
そして、天秤は傾いた。
「あのっ!」
半ば強制的に勇気を絞り出して、なんとか話しかけることに成功した。緊張で心臓が激しく動いているのがわかる。
「何?」
本から目を離すことなく、彼はぶっきらぼうな声で応じた。この時点ですでに、私は涙目になりそうだった。
「きょっ、今日の放課後って、時間ありますか?」
慌てて喋ったせいで、少し大きな声になってしまった。弓槻くんはやっと本から視線を上げて、私をジロジロ眺めた後「ああ」と呟いた。
「あっ、ありがとうございます」
お礼を言うのも少し違う気がするが、一方的に拒絶されなかったことに安心した。
チャイムが鳴って、担任の教師が教室に入ってくる。弓槻くんは再び本に視線を落とし、私は前を向く。担任が話をしている間も、私の心臓は早鐘を打っていた。
「――ああ、それからですね。屋上のフェンスが老朽化していて危ないので、屋上には行かないようにしてください」
そんな担任の話す声も、音としては拾っていたけど、私は意味を理解しないまま忘却してしまう。
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