1.3 時を超えて二人は出会う
「琴葉! 琴葉!?」
遠くで聞こえるのは、よく知っている声。その声は安心感を伴って、だんだんと近づいてくる。
うっすらと目を開けると、母親の涙に濡れた顔が目の前にあった。
「琴葉!? よかった……」
状況がわからなかったのは一瞬だけ。すぐにクラクションの音を思い出す。
そうか、私はトラックにはねられて……。
母親に強く抱き締められながら、記憶を再生する。
修学旅行は? バスが事故に……。血まみれのシロちゃん。
シロちゃんって、誰? 風呼って……誰?
これは、誰の記憶?
「ショックで気を失っていただけのようです。手のひらと膝に擦り傷はあるものの、トラックとの接触はありませんでしたし、大丈夫でしょう。念のためこれから検査はしますが、おそらく問題ないと思います」
白衣を着た三十歳くらいの男性が、感情を含まない淡々とした声で話す。
母親が「ありがとうございます」と頭を下げて礼を述べた。
つられて同じように頭を下げるも、私はまだ状況を把握しきれていなかった。
壁に掛けられたカレンダーから、今日が二〇一六年の七月十一日だと知る。
そうだ、期末テストの最終日。テストを受けて、その帰りに自転車で転んだんだ。それで、車道に投げ出されて……。接近するトラックとクラクションの音。
私が明確に覚えているのはそこまでだった。
先ほどの医者の言葉を思い出す。
『ショックで気を失っていただけのようです』
『トラックとの接触はありませんでしたし』
そっか。私、死んでないんだ。
あれ、でもおかしいな。私は、一度死んでいるはず。
両手を目の前に持ってくる。手のひらには、擦りむいた傷があるけど、たいしたことはない。透けてもいないし、私はここにちゃんと存在している。
トンネル事故。バスが大破。瓦礫に押し潰されて。
目の前には、今にも息絶えそうな男の子。私の大切な人。
でも、顔は思い出せない。
名前は、シロちゃん。
『僕らはまた、出会える。何度生まれ変わっても、また』
これは、鳴瀬琴葉が生まれる前の、わたしの記憶――。
その記憶でのわたしの名前は、月守風呼。これってつまり……。前世の記憶を、思い出した!?
「それでは、検査をしますのでこちらに」
看護師さんが笑顔で促す。
「は、はい」
私は慌てて返事をする。
そんなはずがない。前世なんて、あるわけがない。この記憶は、きっとただの夢だ。夢にしてはちょっと鮮明な気もするけど……。きっとそのうち薄れていくに違いない。それに、まだちょっと、頭がボーッとしているだけだ。必死で自分にそう言い聞かせて、平常心を保とうとした。
結局、検査は問題なく終わり、家に帰れることになった。
医者には、しっかり食べて早く寝ることを命じられた。
帰りのタクシーの車内では、母親が隣にいたにもかかわらず、沈黙が流れる。
帰宅後は、母親の作った料理をたくさん食べた。豚肉のしょうが焼きは、母親の得意料理であると同時に、私の大好物である。しかし、落ち着いて食事を楽しむことはできなかった。
もちろん、トラックの事故の件もある。だがそれ以上に、謎の記憶がよみがえってきたことに動揺していたのだ。
夕食のあとはお説教。
徹夜で勉強して寝不足だったことを母親に伝えると「成績なんてちょっとくらい悪くてもいいから、自分の身体を大事にして」と言われてしまった。
たかが転んだだけで大袈裟だという気もしたけれど、一歩間違っていれば命を失っていたのだ。気を付けなければならない。
それよりも、母親に悲しそうな顔をさせてしまったことに、申し訳なさを感じる。
ちなみに、急ブレーキをかけたにもかかわらず、地面に倒れて動かなくなった私に驚いたトラックの運転手が、救急車を呼んでくれたらしい。
母親が電話番号を聞いていたようで、私は電話越しに頭を下げながら謝り倒した。トラックの運転手のお兄さんは「無事で良かった」と言ってくれた。いい人でよかった。
ひと段落ついて、シャワーを浴びた。擦りむいた両膝の傷に、お湯が沁みて痛かった。
「今日はすぐに寝なさい」
お風呂から上がった私に、母親が強く言い放つ。これには私も素直に従わざるを得ない。
そんなわけでベッドに寝転がり、気を失っていた間に見たものを思い返す。
夢だと思っていたあの出来事は、果たして何だったのだろうか。
通常の思考力を取り戻した今だったらわかるが、あれは夢なんかではない。実際の出来事である。状況もはっきりとしているし、色彩も明瞭だ。そのときの風景も音も感情も、鮮やかに思い出すことができる。
ただ一つだけ、シロちゃんの顔を除いて。
しかし、あれが現実に起きたことだとすると……。
事実として知っているだけならまだわかる。しかし、私が生まれる前の出来事を、私が思い出したというのはおかしい。まさか本当に、前世の記憶なのだろうか。
前世なんて、今までこれっぽっちも信じていなかった私には、すぐに受け入れることはできない。でも、鮮明な記憶があるのも事実で……。
誰かから聞いた話を、私自身が経験したものとして混同してしまっているのではないかとも考えた。けどやはり、あの出来事は事実の認識などではなく経験した記憶そのものなのだ。
私はたしかに、十六年と八か月前、月守風呼としてこの世界に存在していた。
常識的に考えれば、私は脳に問題があることになる。
自分自身を信じれば、非現実的な現象が起こっていることになる。
どちらにせよ大変なことだ。どうにかしなくては。
それに、シロちゃんの言っていたことも気になる。
『……十五年と五か月後。二〇一五年の……四月だね。嶺明高校で、二人は再会するんだ』
嶺明高校は私の通っている高校であり、私は一年と三か月前、二〇一五年の四月に入学した。この記憶が本当に過去の出来事だとすると、彼の言う通りになっているのがこれ以上なく不気味で、全身に鳥肌が立った。
自由で活気溢れる校風に惹かれて、というのが、私の表向きの志望動機。面接で質問されたときも、そんな用意された模範解答を並べた。だが正直、校風などはどうでもよかった。嶺明高校に行きたいという気持ちが、いつの間にか中学生の私にあったのだ。
今考えてみるとそれは、行きたいという気持ち、などという生半可なものではなく、行かなくてはならない、という純然たる使命感であるように思われた。
学力が多少足りなかったけれども、それなりに受験勉強に力を注ぎ、入試本番でも運よく直前に見直した問題が出たりした。受験勉強は楽しかったと言えるものではなかったし、模試で結果が出なくて焦ったりもしたけれど、合格を知ったときは嬉しかった。
多くの人が体験してそうな、よくある受験のエピソード。そんな自然な流れが、今考えると不思議でならない。
名前だけしか知らなかった嶺明高校に、こんなに惹かれたのはなぜなのだろう。これが、運命に導かれるということなのだろうか。
さらに考えを先に進めてみる。
『見知らぬ他人同士だった二人は……運命に導かれて、ひかれ合う』
この台詞の、“見知らぬ他人同士だった二人”のうち、片方が月守風呼の生まれ変わりである私だとすると、もう一人はシロちゃんの生まれ変わりということになる。これはつまり、シロちゃんの生まれ変わりも、私の同級生の中にいるということだろうか。
もう少し考える時間が欲しかったけれど、色々なことが起こりすぎて身体的にも精神的にも疲弊していた。
また明日から、ゆっくり考えよう。私は目を閉じて、数分もしないうちに眠りについた。
完全に眠りに落ちる直前に、私が転倒する原因となった突風を思い出した。
あの突風のせいで、転んだ私は気を失い、謎の記憶に悩まされることに……。穏やかな天気に突然現れた、意志を持っているかのような風。それはまるで――。
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