1.2 たとえ死によって引き裂かれても


 何も見えず、音も匂いもない、真っ暗な闇。私の存在だけがそこにある。そんな奇妙な感覚だった。

 頭に突然、何かが溢れてくる。それは徐々に風景となって、言葉となって、やがて纏まり、記憶の形を成した。


 


 視界に飛び込んできたのは、灰色の瓦礫の山、山、山。所々から煙が上がっている。

 瓦礫からはみ出している、傷付いた腕や脚はクラスメイトたちのもの。

 クラスメイトって、どこの? 

 高校のではない。


 これは、いつの記憶? 情報を必死で手繰り寄せる。

 そうだ。これは、中学三年生のとき。それはわかる。でも、違う。今から二年前に、私はこんな経験はしていない。

 この記憶は、のものではない。


 私が中学三年生だったときよりも昔、のことだった。


 わたしは、だ。

 成瀬なるせ琴葉が生まれるよりも前、私は別の人間だった。そんなの目に映るのは、凄惨たる光景。


 わたし自身も、首から下はコンクリートの破片の下敷きになっている。そして目の前には、苦痛に顔を歪める男の子がいた。


 その男の子を、わたしは知っている。わたしの、運命の相手だ。


 だけど、名前がわからない。知っているはずなのに、出てこない。

 でも、好きだということはわかっていて。

 永遠の愛を誓い合った仲で。

 わたしを大事に想ってくれる人で。

 わたしの一番大切な人で――。


 彼もわたしと同じように、瓦礫に埋もれている。頭からは、真っ赤な血が流れ出していた。内臓に被害が及んでいるからだろうか、口からも流血がある。

「シロ……ちゃん」

 わたしの口から発せられた、弱々しい声。


 目の前の瀕死の男の子は、シロちゃん。わたしは彼のことをそう呼んでいた。

「……風呼ふうこ

 すると、彼も同じくらい弱々しい声で、わたしの名前を呼んだ。

 そうだ。月守つきもり風呼。


 


「何があったの?」

 わたしは彼に問う。

「トンネルが……崩れたみたい」

 シロちゃんが苦しそうに言葉を発する。


 トンネル……。そこから、芋づる式に記憶が掘り起こされていく。

 その日は、修学旅行の初日だった。京都までの道のりを、バスに乗って移動していた。


 車内で、シロちゃんの肩に頭を乗せて眠ってしまっていたわたしは、大きな音と激しい揺れを感じて目を覚ましたのだ。

 次の瞬間、目まぐるしく世界が回転した。何かが崩れ落ちる音を聞いて、体に衝撃を受けた。

 そして痛みを感じる間もなく、気を失った。

 再び意識を取り戻したわたしが見たのは、この悲惨な光景だった。


 わたしとシロちゃんは、当時付き合っていた。それだけでなく、将来を誓い合ってもいた。

 中学生同士の交際なんて、破局を迎える場合がほとんどである。

 しかし、わたしたちは確信していた。二人がお互いに、一生を共にする覚悟があるということを。


 中学生にありがちな、彼氏、彼女の存在をステータスと考えているような、周囲の同級生の恋愛ゴッコとは違っていた。

 わたしたちは、本気で愛し合っていたのだ。

 理屈では説明できない何かが、強く強く、わたしたちを繋いでいた。


 ところが、運命はあまりにも残酷だった。二人の愛は今にも、"死"という、どうあがいても乗り越えられない絶望によって引き裂かれようとしていた。


「わたしたち、どうなるの?」

 溢れ来る不安から、わたしは答えのわかりきったことを聞いてしまう。


 シロちゃんからは、わかりきった答え。

「このままじゃ……僕も風呼も、死んじゃうだろうね」

 言い終わると同時に、ゲフッ、と口から赤い液体を吐き出す。ドロリとした血液が、瓦礫の山に染みを作る。


「シロちゃん!? 血が……」

 大きな声を出したつもりだったが、わたしも相当なダメージを負っているらしく、かすれた声しか出てこなかった。


「僕は問題ないよ。血なら誰からでも貰えるから。それよりも風呼が心配だよ」

「わたしは、大丈夫だよ」

 無理やり絞り出した明るい声は、むなしく宙に舞って、消えた。


 全く大丈夫なんかじゃないし、このままでは死ぬだろうということもわかっていたけれど、目の前にシロちゃんがいたから、どうにか平常心を保っていられた。

 肉体に痛みは感じなかった。これが、痛くなくてよかったと喜ぶべきなのか、死へ近づいているととって悲しむべきなのか、わたしにはそれすらも判断できなかった。


 とにかく、このときすでに、わたしの体に痛みを司る感覚は残っていなかった。

 それでも、たしかに痛みを感じた。心が痛かった。最愛の人と離ればなれになってしまうという喪失感が、わたしの心をズタズタに痛めつけていた。


 いつ死んでもおかしくない状態のわたしを生かしているのは、すぐそばにいるシロちゃんの存在だけだった。


「うん。僕も大丈夫」

 けれどもシロちゃんの声は、微塵も不安を感じさせることなく、わたしに届く。

 彼の言葉は、まるで魔法だ。シロちゃんが言ったことは、本当にその通りになる。

 そんな確信が、わたしにはあった。だから、彼が大丈夫だと言えば、それは大丈夫なのだ。


 シロちゃんは血に濡れた右手を震わせながら持ち上げ、わたしの頭の上に置く。

「僕らはまた、出会える。何度生まれ変わっても、また。だって、風呼と僕は……赤い糸で……繋がっている…………から」


 シロちゃんの視覚は、わたしを捉えていなかった。頭からどくどくと流れる血で、目を開けることを許されないのだ。

 それでも、シロちゃんの心は、わたしだけを見ていた。

 抱きしめたい。そう思った。

 首から下のどの部分も動かすことさえ許されない今の状況では、到底無理な話だった。


「どうすれば……会えるの?」

 死んでも、またシロちゃんと一緒にいたい。その一心だった。


「……十五年と五か月後。二〇一五年の……四月だね。嶺明高校で、二人は再会するんだ。見知らぬ他人同士だった二人は……運命に導かれて、ひかれ合う。だから……ちゃんと生まれ変わったら、僕に…………会いに……来て……」

 シロちゃんの声はそこで途切れた。

 わたしの頭に乗せていた右手も、力を失って地面に落ちる。


「……シロちゃん。シロちゃん!? 嫌だ……。嫌だよ! シロちゃん!?」

 そうしてわたしは、声が出なくなっても、彼の呼吸が止まっても、自分の命が果てるまで、最愛の人を呼び続けた。

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