5.7 折れることなき情愛の


 帰宅してすぐに、リビングのソファにダイブする。物心ついたときからこの家にある白いソファは、その高い弾力で弱気な私を受け止めてくれた。冷房の効いた部屋で冷やされた表面の革が、ひんやりとして気持ちよかった。


「猫じゃなかったらなんなのよ……」

 私の呟きは、あごの下敷きになっているクッションに飲まれて、儚く消えた。


 真実は目の前にあるはずなのに、届かないもどかしさ。けれど、それを知ってしまうのも怖い。そんなことを思う私もいて。


 どうしても、その先のことを考えてしまう。

 私とシロちゃんの生まれ変わりは、月守風呼とシロちゃんがそうだったように、運命の赤い糸でつながっているはずだ。私を嶺明高校に入学させた不思議な力によって、私とその人はひかれあう。


 でも、もし何かの間違いがあって、シロちゃんの生まれ変わりに、私が拒絶されたとしたら……。正体が明らかになった彼のことを、私が好きになれなかったとしたら……。そんな懸念におびやかされる。こんな風に、すぐにネガティブになってしまうのは私の悪い癖だ。


 榮槇先生のこともあって、心配性に拍車がかかっている。ひかれあうはずの運命の相手ではない人間を、私は好きになってしまった。


 きっとこれは錯覚だ。偶然、榮槇先生に助けてもらったときに、シロちゃんと初めて会った記憶を思い出しただけなんだ。そのときの気持ちを、私の脳が勝手に目の前の榮槇先生と結びつけて、恋と勘違いしただけだ。


 そうでなければ、試練だ。私に関係のない人間への好意を抱かせたうえで、それを跳ねけて、運命の相手を選びとってみろと、神様か誰かが仕組んだものなんだ。


 何をいまさら不安になっているんだろう。大丈夫。運命は絶対に、私たちを結びつける。

 シロちゃんと月守風呼をつないでいた赤い糸を、私は信じる。その赤い糸の一端は、今は私に結ばれているのだから。あとは自分で手繰り寄せればいい。


 弓槻くんは答えがすでにわかりかけている様子だった。それならば、私でもたどり着けるかもしれない。他人に頼るのは何か違う気がする。大切な人なら、自分で見つけなきゃ。そんな気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。


 今までよみがえった記憶をもう一度思い出して、時系列順に整理することにした。


 まずはシロちゃんとの出会い。季節は冬。月守風呼は、まだ中学二年生だ。突き指をした風呼が保健室に行くと、シロちゃんがベッドに座っていた。不在の養護教諭の代わりに、応急処置を施してくれる。


 このとき、わたしは恋に落ちるのだ。

 死んでも、生まれ変わってもなお、月守風呼はシロちゃんに恋をし続ける。それはまさに、終わることのない永遠の恋であり、人並み外れた強く深い愛である。


 隣に座って風呼の手を取り、氷で冷やしてくれた。シロちゃんが風呼に近づいたときの鼓動の高鳴りは、今でも鮮明に覚えている。


 彼は家庭科の裁縫の授業をサボって保健室へ来ていたと言う。しかし、どうしても授業をサボるような不真面目さは、シロちゃんから感じられなかった。

 それに加えて、ただ単に好きになった人と話をしたかったこともあり、月守風呼は彼にこう聞いた。授業を休んだ本当の理由は何か、と。


 シロちゃんは観念したらしく、それに対して答えた。しかし残念なことに、返事の途中で記憶は途切れている。この答えが、シロちゃんの生まれ変わりを突き止める重大なヒントになるかもしれない。


 それからしばらくして、風呼はシロちゃんへ告白する。二人は三年生になって、同じクラスになった。春の温かい夕日が差し込む、他に誰もいない放課後の教室。


 そんな静かな教室で二人。柔らかな春風がカーテンを揺らす音も、シロちゃんが先の丸い鉛筆で綺麗な数式を書く音も、私が消しゴムでノートを擦る小さな音すらも、はっきりと聞こえた。使い古された表現だけど、この世界に二人だけが存在しているような感覚。


 風呼はシロちゃんに、唐突に想いを伝える。計画性もムードも何もない。でも、互いに想い合う二人には、そんなものは必要なかった。

 シロちゃんも同じ想いだと知って、風呼はとても喜んでいた。それから一年も経たないうちに、事故で死んでしまうなんて知らずに。


 気持ちを伝え合った月守風呼とシロちゃんは、その日から晴れて恋人同士となった。

 このときに、両親が離婚しそうだということをシロちゃんから告げられる。シロちゃんは、それが自分自身のせいだと言っていた。さらに月守風呼も、その意味をわかっていたようだ。シロちゃんにはまだ、私の知らない何かが隠されている。


 猫に怯えて逃げてきたシロちゃんの記憶。中学三年生の夏だった。クラスの女子が猫を拾って教室に連れてきたのだ。その猫を怖がって、シロちゃんは風呼の席の近くまで避難してきた。


 この記憶を元に、私と弓槻くんはシロちゃんの生まれ変わりを割り出そうとした。シロちゃんの生まれ変わり候補の生徒から、猫に対する苦手意識の有無を聞き出した。候補者全員に対して話を聞くことはできたものの、それだけでは絞れずに、現在調査は行き詰まってしまっている。


 猫に対する苦手意識の有無だけでは、どうにもならない。着眼点を変えないと、この先に進むことはできない。

 それに、シロちゃんが怯えていたのは、猫のせいではない可能性すらある。


 私はこの記憶に関して、一点だけ違和感を持っている。

 クラスメイトの女子が、猫の前足を持って喋っていた。そのときに、シロちゃんは風呼の元へ逃げてきたわけだけど、このタイミングには何か意味があるのだろうか、ということだ。


 猫が苦手だったら、もっと早くにその場を離れるのが普通ではないか。それにも関わらず、女子生徒が猫を抱いて教室に入って来てからしばらくの間、シロちゃんは猫のそばにいたのだ。

 考えても仕方がないような気もするけど、どうしても引っかかる。


 バスの席決めの記憶。修学旅行の二週間前だ。修学旅行が楽しいイベントになることを、誰一人として心から信じて疑っていない。そんな明るい雰囲気の中で行われた学級活動。

 担任の先生に対して、お調子者の篠崎しのざきくんが茶々を入れていたシーンだった。


 月守風呼はシロちゃんとアイコンタクトで会話をした。このときにはすでに、風呼とシロちゃんは、心の通った恋人同士となっていた。


 ああ、そうだ。シロちゃんとは別に、もう一人顔が思い出せない人がいた。その人が、このときの記憶の先生だった。


 ということは、先生も生まれ変わって、今の私と会っている可能性がある。誰だろうか。私が今まで生きてきた中で会った人は決して少なくはないし、きっとこの人だ、などという推測が成り立つ人もいない。また疑問が一つ増えたけれど、シロちゃんの生まれ変わりについてはあまり関係ない気がする。


 そして、修学旅行当日。事故のあった日の記憶。シロちゃんと月守風呼は、死によって引き裂かれてしまう。

 しかし、愛し合っていた二人は、来世でまた出会うことを約束した。


 以上が、私が知っているシロちゃんの全てである。


 月守風呼は、シロちゃんと付き合っていたとはいえ、一年間にも満たない短い期間のシロちゃんしか知らない。しかも、記憶としてよみがえってきたのはそのうちの一部分。つまり、私が知っているシロちゃんの情報はさらに少ない。これだけでシロちゃんの苦手なものなんて特定できるとは思えなかった。


 いや、弱気になっちゃダメだ。私に月守風呼の記憶がよみがえったことが運命ならば、同じように運命によって、私は運命の相手を見つけることができるはずだ。

 ここで諦めちゃいけない。弓槻くんだって部外者なのに、こんなにも協力してくれているのだから。


 でも、ほぼ他人だった私のために、弓槻くんがあそこまでしてくれているのはなぜなのだろう。研究のためとは言っているけど、本当にそうだとしたら、彼はどうして生まれ変わりの研究をしているのだろう。

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