昨日から、五

「なぁ、仕事辞めてくれよ……。」

 夜勤者と交代の終業時間に、てっきり物覚えの悪い新入りに「オメー辞めちまえっ」と言うのと同じノリで言ってきてんのかと思って「いやいや松本さん、ジョーダンきついっすよ。」て言ったらかなりガチだった。

 普段は「金は天下の回り物~……て全然回ってこねぇじゃねぇかっ」とか冗談かましてた人が、メチャ真剣な顔で言うもんだから俺もさすがにどうしていいかわかんなくなってたら「ウチ、今年ガキが大学に入んだよ……。母ちゃんも働いてっけどさ、入学費もヤベェんだ。頼むよ……オメェまだ若いじゃん、ここじゃなくっていいだろ?」とか言われちゃって、確かに俺ら入り分しか給料もらえねぇから19万あった月収が15万になるってんでヤべーヤベーって感じだし、まぁよくよく考えりゃ周りのおっさん連中は家族やら何やらがあってやっぱり実家暮らしの俺とはヤバさ加減が違うってことなんだろうけれど、なんつぅか元々うちの職場ってのはいい意味での共産主義国家みたいなところがって、要するにどんなに頑張っても給料上がんないから若いやつもじいさんも出来るやつも出来ないやつも同じ給料で、そうなってくると足の引っ張り合いとか変な見栄とか張る必要がなくって皆肩並べて平和な感じでやってきてたんだけど、地震のせいで仕事が減って全員で回してたパイが足りなくなって、ちょっと出来ないやつを見る度に「何であんなやつに仕事回してんだよ」とかいう言葉が出るようになって、横並びだった俺らは横目で相手を監視するようにまでなって、何だか人間関係もぎすぎすし始めちゃって、最近はどうにも居心地が悪い職場になってきてしまっていたのだ。まるで崩壊前のソ連みたいだった。よく知らんけど。俺たちは地震で出来た建物のヒビは即効で埋めたのに、俺らの生活のヒビは全然埋まってなくって、それどころか時間が経てば経つほどそのヒビは大きくなって俺らを飲み込んでいっていたのだ。被災地から帰ってくるときは、故郷に帰る兵士なんてのに自分をなぞらえていたけれど、帰ってきたらその場所はもうなくなってたわけだ。別にホモってわけじゃないけど同僚達のことは好きだったし、俺と同い歳の子供の相談とかしてきたりして結構他人事じゃなく思ってたっていうのと、あそこから帰ってきて上手く言えないけど俺ってこのままだといけないんじゃないかっていう、それまではぼんやりとしてたモヤモヤに色がついたくらいには具体的になって、結局何となくそこまで強い決断があったわけじゃないんだけど、俺は六年間勤めた警備会社を辞めることにしてしまったのである。何だかんだいって結局バイト扱いの準社員なもんで、退職金なんてなかったし、みんな財布の口が堅くなっちゃったせいで送別会も開いてもらえなかった。桜が散って俺も散るってわけだ。

 プータローになった次の日、仕事を辞めたことをいつものファミレスでいつものメンツに報告すると、タカは「無職無職~ついでにナマポになるんかぁ?」と茶化して、マチャは「大丈夫なの?」と本気で心配してくれた。

「つかさ、お前被災地いったんだろ?ある意味会社に貢献したんだから優遇されないわけ?」

「使い終わったカイロを大事に飾るやつなんていないだろ?」

「違いねぇ。」

「まぁ大丈夫だって、まだギリギリ20代だし文句言わなきゃ受け口くらいあるだろ。」

 なんて強がってみたのはいいが、明日から履歴書を書く毎日となると気が滅入って仕方がない。貯金だって万が10桁もないし、とりあえず実家暮らしなのが救いか。まずタバコを2日に一箱から3日に一箱にしてスロもキャバも月一くらいにしとかないとなぁ……。

「そういえばエガちゃん元気してるのかな?」

 マチャが一八〇円のフライドポテトに、どっちかというとケチャップを舐めるのがメインくらいの勢いでケチャップを塗りたくりながら言う。エガが沖縄に行ってしまってから、俺たちの溝は広がったままだった。

「ああ、沖縄での生活?どうなんだろうな。」

「仕事とかね。」

 いくらなんでも前いた会社の沖縄支社に転属なんて都合の良い話はないだろうから、多分俺みたく無職なんだろう。まぁ俺なんかと違って結構貯め込んでるんだろうから当面の生活費は大丈夫だろうけど、しかしそこまでしなきゃいけないくらいなんだろうか。アイツは三年後には東京も人が住めなくなるって言ってて、よく分からないサイトのURLやら有名人っぽい人の発言の引用とかしててそれなりに説得力があったけど、タカはタカで「そんなに東京がヤバイなら、まずマスコミの人間やら政治家がいなくなるはずだろ」って言ってて、そっちもそっちで説得力があるし、何よりウチの親父が週刊誌の編集者だから、その親父が逃げようとしないってことは色々情報見た上でってことなはずで、でもエガに言わせりゃマスコミも広告主たちに情報操作やら圧力かけられてるって事なんだけど、とりあずそこんとこは何かよくわかんねぇし俺の心配は次の仕事がまでに貯金は持つのかってことだから、明日の我が身がどうなるかも決まってないのに三年後の心配もしてられないわけで。

「亮ちゃんはどうすんの?も一回美容師目指す?」

 マチャが俺の一番敏感なところを刺激してくれた。あまり振り返りたくない過去なのに。

「もう無理だよ、免許切れてんだから……。」

 まだ俺が本当に若くて若すぎて、金勘定で人生を考えなかった頃、俺は自分で人生を選ぼうとしたことがあった。流行に乗ったといえばそれまでなんだけど、二十歳前半まではマジでそれで将来を考えていて、たっかい専門学校の学費払って数回休んだら退学っていう高校のころには考えもできない真面目な学生生活送っていざ卒業して渋谷の、つっても駅の近くの超有名店とかじゃないけど、店に入ったはいいけれど、そこじゃカットをするんじゃなくてひたすらカットモデルのための街でのキャッチの毎日で、技術磨くための練習なんてやらせちゃくれなかった。だいたいカットモデルっつったらいかがわしい髪型にされるってのは世間の常識だから、どんだけ気合入れても街で一人も捕まんなくて、百人超えかけて百人にシカトされて、つかシカトどころか邪魔者を見るような目で見られて、こんなのサロンで技術磨くのとどう関係あるんだよってふてくされてたら何かキャッチがうまい同僚がいてさ、そいつは早々とカットの練習もさせてもらえるようになって、なんかそういうのってどうも持って生まれた才能みたいなのがいるみたいで、そいつとは正反対に俺は延々と接客とキャッチの日々から逃れられなくて、生活が苦しくなってバイトを始めて次第にそれが本業みたいになって銀行の残高とにらめっこしてるうちに、あの頃の自分が他人だったみたいに情熱が消えてって、いつの間にかできるだけ嫌な思いをせずに金を稼ぐってのが優先される生き方になっていた。最初から何も望まないやつなんていやしない、後はどこで現実と折り合いをつけるかであって。でもどうなんだろうな、現実的ってものはなんなんだろうか。俺がやってること、タカやエガがやってること、いったいどれが「現実的」なんだろうか。すんげぇ時間がたって俺らがジジイになった頃、誰かがこれが答えだって言ってくれるんだろうか。

「十年後とかどうなってんだろうな……。」

「何だよ急に、日本がってことか?」

 タカが頭皮をさりげなくマッサージしながら言うけれど、タカ、多分そんな努力したって十年後のお前は禿げてるぞ。

「それもあるけど、ほら俺らがだよ。」

「どーなんだろ。まだまだ先は長いからな、俺らだって未知数じゃん。」

「タカ、それ言って良いの二十代までだぞ?」

「タモリだってデビューは三十からだぜ?」

 タモさんってこんな所で人に希望を与えてるんだ……。

「まぁ、人に迷惑かけたり悪いことしないで生きていけば、それで良いんじゃない?」

 本当にそれが出来そうなマチャが笑いながら言い、「結構ハードル高いな……。」と、それはハードルの問題なのかジャンプ力がないのかどちらなのか分からないことをタカが言う。まぁ大丈夫さ、俺らは通りで連続殺傷やるくらい馬鹿でもなければ無神経でもないんだから。

 明日もまた、こいつらと一緒にいられるんだろうか。また大きな何かがあって、それで今度こそ本当にすべてが崩れてしまったりするんだろうか。地面が揺れてるのかそれとも俺の貧乏ゆすり分からないけれど、少なくとも俺に出来るのはやっぱり道を歩くことだ。それこそ、あの時の大通りみたいに誰かにぶつからずに気をつけることくらいなのかもしれない。

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