昨日から、三-一

「モッサン、それ香水じゃねぇっすよ。」

 体臭を気にしてファブリーズを体にまぶすように吹きかけていたモッサン(坂本)に俺がそう言うと、モッサンさんは「おっ、おっ」とオットセイみたいに頭をペコペコ下げて再びファブリーズをまぶし始めた。あんまり強く言っちゃうと、この人は自分がイジメられていると思ってしまうのでしつこく言ってはいけない。

「眞鍋さん……。」

「ん、何?」

「布団のシーツの交換したいんですけど、知念さんのところ触りたくないんですよね……。」

 ホテルのはずなのに従業員も避難していたせいで、布団の取り替えをはじめとする部屋の管理は俺たちがることになっていた。

「ああ、じゃあ後で俺から知念さんに言っとくよ。」

「マジ勘弁してくださいよ、あの人が寝てる周りキモくて近づけないんですから。」

「本人だってわざとやってんじゃないんだから、あんまり言うなよ。」

「そうですけど……。」

 知念さんは重度のアトピーで、寝ている間も体をかきむしる癖があり、ここ数日の不潔さも相まって彼の寝ている周りは連日なごり雪がふる時を知った駅のホームみたになっていて、露骨に嫌悪感を出してはいけないとは思いながらも、俺たちは彼には使い回すことなく専用のシーツを用意し、本来は四人が限度という空間に五人を詰め込んでるにも関わらず、ほんの少し彼からスペースを空けて布団を敷いていた。

 こんな感じで一週間も過ぎると俺はここのベテラン扱いになり、同僚の相談や意見を聞かなければならない立場になってて、派遣された新入りから差し入れを贈呈される様などはさながら牢屋主だった。たった一週間と思われるかもしれないが、この一週間を乗り越えられるかどうかが瀬戸際で、中には食っても食ってもガリガリに痩せていく奴や、瀬古みたいにあっちの世界にいっちゃって関東に帰される奴もいるからだ。

 部屋の仕切り以外にも、勤務時には現場監督と打ち合わせをして隊員の配置を決める役割を担当した。こういうのは本来社員の仕事なのだけれど、とうの社員でも一週間ももたずに帰される奴や、デスクワーク担当でこんな極限状況に慣れない奴もいたので、自ずと俺に仕事が集中するようになっていたのだ。現場監督の朝礼が終わると、ここれからひっぺがす予定のひび割れたアスファルトの上に立って俺が指示を飛ばす。

「じゃあ、吉岡さんと梶原さんは看板で言うところのAB間の片交ね。で……モッサンは、C地点の通行止めのところに立哨しててもらえますか?」と俺が言うと、モッサンは「え?り、りっしょ?」と、キョドリながら体を小刻みに震わせる。

「看板の横で立っててください。車が入ってこないように。」

「お、お……。」

 時間をかけてしまうと施工の職人達が不審な目を向けてくるので、モッサンみたいなタイプはこちらから素早く指示をして人目から隠す必要がある。俺が思うに、別にモッサンはバカってワケじゃなくって、なんというか人と物の理解の仕方の仕組みが違うってことじゃないかなってことなんだけど、でもまぁそういう奴をバカっていうんだよって言われちゃったらこっちも何も言えなくなっちゃうんだけどさ。

「はい、じゃあ皆さん怪我にだけは気をつけて。昨日六班の隊員が4トン車に足轢かれて病院送りになったらしいんで。マジでよろしく。」

 全員が配置についたことを確認すると、俺は工事帯に出入りする車両の誘導を担当した。とりあえず今日の配置では一番面倒なところだ。同じ仲間と長い間狭い場所に、ウンコの出が悪いかどうかぐらいまで分かるくらいにべったりくっついていれば、いろいろ見えてくるものがある。これだけやっていればいいと言ってあげれば安心する人間、この仕事はこういう理由だからこの手順でやる必要があると言って納得する人間、俺みたいに面倒を任せられざるを得ない人間と、どれだけ頑張っても給料は同じだなんだけれど、運命共同体の俺らは文句を言わずに与えられた自分の領分に、損得勘定抜きで従っていた。

 まだ雪が降りそうなほどに寒い東北・仙台での相変わらずの休憩時間なしのぶっ続け労働、人間ってのは不思議なもんで一切の希望が無くなったなら無くなったなりの順応をするってところで、人間的に扱われることを期待せずに、ただ与えられた境遇でも働こうとするとき、壊れる人間がいるものの、人は暗闇の中でも何とか手探りでも歩けるようになる。体の反応は早いうちに適応したが、人に対する嫌悪感なんてものも分別できるようになって、ほんの数日前まではアイツ使えねーだのなんだのと文句もたれてた俺でさえも、相手の目線にまで降りて仕事ができるようになっていた。

 勤務開始から四時間、血の中のエネルギーが少なくなってきた気がしたので、防寒服に体を亀のように収納させながら支給されたおにぎりを、飲み込む力も弱っているもんで口の中でぐちゃぐちゃにしてからセシウムがなんだの関東あたりで騒いでる得体の知れない水で一気に胃に流し込む。ん年後に癌になるよりも、今この場で倒れるわけにはいかないんだから。血液中に燃料が投下されたことを体感すると、丁度職人の様子が若干慌ただしくなったので、カラーコーンとトラ柵を外して車両が出せる準備をする。俺の読みどおり、そのまま車のエンジンが音を立てテールランプが光ったので、誘導棒で吉岡さんと梶原さんに合図を送り一時的に両側から来る車両を止めてもらい、運ちゃんにアイコンタクトと指で出庫の方向を確認し、喉を締めて「ハイ、オ~ルァァ~~~イッ!」と叫んで誘導を始める。出発ざまに運ちゃんが窓から腕を出し親指を突き立てて別れの挨拶をしてくれたので、俺は誘導棒で崩した感じの敬礼のポーズを取ってそれに応えた。やってること自体は日本中の工事現場での仕事と変わらないんだけど、俺たちの後ろにある坂道は少し登ると土砂崩れで道がふさがっていて、真横にある土手はアスファルトの部分からボッコリ割れて、そこから見えちゃいけない管がいっぱい見えているのだ。

 車の出庫を確認して工事帯を元に戻していると、現場監督から「ゼンケイさんお疲れ~。次の有機溶剤持ってくるトラックが遅れてるから、とりあえず十三時半まで休憩でいいよ~。」と想定外の朗報が飛んできたんだけど、休憩って言葉が遠い世界のことすぎて理解できずに口が半開きになっちゃってて、ようやく現場監督にもう一度「……休憩、だよ?」と言われて「お、お、おお~~」ってモッサンみたいな返事をしてしまった。

 班の全員、といっても細かく分けられたから俺のところは四人しかいないんだけど、そいつ等を集めて休憩と言うことを教えると、やっぱりその言葉が懐かしすぎて全員が口から魂が抜けてでるみたいにポカンとしてたんで、俺が現場監督と同じように「休憩だよ?」と言い直して初めて全員が理解して、でも「お、お、おお~~」と俺と同じくモッサン状態になっていた。

「あんまり他の班の人に堂々と休憩とったとか言わないように、休み取れない班もありますから。」

 隊員たちに念を押すと、吉岡さんは制服の装備を緩めて地べたに座り込み、モッサンは突然の休憩にどうしていいかわからずあたりをキョロキョロしだした。

「班長、コンビニいきます?」

「ああ、そうすね、でもまだ物が揃ってないんじゃないじゃないっすか?」

 年下の俺に敬語を使ってくる梶原さんに言われて、一緒に俺たちはコンビニに行くことにした。ガスも所々復旧しているので、もしかしたらチョコレートよりも良いものが置いてあるかもしれない。カントリーマァムとか。

 とりあえずの補修でデコボコになったアスファルトを歩きながらコンビニまでたどりつくと、駐車場に一台のセダンが停まっていた。車とかは別に珍しくもないんだけど、俺が気になったのはそれが川崎ナンバーだったからだ、工事車両でもないのになんだろう。自動ドアの役目をきちんと果たしているドアを開けてコンビニに入ると、ここいらでは見かけないような、いつ地震がきても助からない格好をしてるヤローとビッチの四人組が「すげー、マジなんもねぇ~」だとかコンビニの様子を興奮したように見回して一人がスマホで写真を撮っていた。

 俺がイラつきながら商品棚の前でそいつ等がいなくなるのを待ってると、吉岡さんが「何、ハンチョーそれ買うんですか?」と、ニヤニヤしながら話しかけてきた。気づいたら俺は、生理用品の前で眉間にしわを寄せて腕を組んでいたのだ。

「……そろそろあの日かなぁって。俺、規則正しいんで。」

 俺がそう返すと吉岡さんは爆笑しながら「俺なんかもう上がっちまいましたよっ。」とドリンクコーナーへ向かった。俺は夜用のホッカイロとおやつ代わりのクリームパン、毎日仲間と酒を飲んでるんでそれ用のつまみのカルパスをひっつかんでレジへ持っていって、会計を待ちながら今まさに出ていった四人組を冷めた眼で睨んだ。まったくどうなってんだ日本は、こんな冬なのにあんな生足を露出しやがって、まったくけしからん。あれか?戦争に負けたからか?バブルがはじけてリーマンショックで民主党が政権とってるせいで若者の性風俗に乱れがでてんのか?とかなんとかビッチの生足を見て考えていると、「気になりますか、ああいうの?」とレジの女の子が話しかけてきて、てっきり俺は生足ガン見してるのがばれたかと思って体がビクついた。

「東京の人からすると、やっぱりただ大きな地震があっただけなんですかね……。」

 ハタチちょい過ぎくらいだろうか、髪がプリンになってるそのレジ打ちの女の子は、少し出っ歯気味のせいでこもった感じの声でそう言った。

「さあ、どうっすかね。でも俺も東京から来てんですけど……。」

 俺は久しぶりに拝んだ生足でギンギンに勃起したナニを悟られないように、少し前のめりになりながらレジカウンターに手を突いた。

「あ、ごめんなさい。知らなくてつい。……じゃあはるばる東京から来てここの工事手伝ってくれてるんですね。」

「まぁ、手伝ってるっていうより、仕事なもんで。」

「それでも嬉しいですよ、東京の人がわたしたちのために頑張ってくれてるんですから。ありがとうございます。」

 頑張ってる、ありがとう、そんな遠く忘れていた言葉を聞いて一瞬めまいがした。

「……どうか、しました?」

「いえ、なんでも……ないです。」

 思わず鼻をすすりそうになったので、モノが入った袋を強引に取り上げると息を止めてそのまま自動扉へ早足で歩いていた。レジの子が「あ、お釣りっ」と呼び止めてきたので俺は「募金しといてっ」と、振り返らずにそのままコンビニから出ていってしまった。店を後にした後も、あの子の言葉が体に優しく抱きついている感じがした。

 コンビニを出るとモッサンが車に乗り込んでいた例の奴等をつっ立ったまま眺めていた。亀田兄弟みたいに凶暴そうなヤツもいるんで、んなことしてたら絡まれそうなものなのだが、実はモッサンは相手の視界にいながらにして気配を消すという、グリーンベレーが長年訓練をつんで身に着けるだろうスキルを天然にして持っている、別の言い方をすれば激しく影の薄い人間なのである。そいつらはモッサンに気づくことなく、そのままセダンに乗ってどこかへ行ってしまった。そのモッサンの表情が、文楽の人形みたいでなんでか俺の背筋が寒くなっていた。

「……モッサン、モッサンも足フェチですか?」

 モッサンは俺を見ないまま、というか斜視のモッサンは視点が定まらないのだけど、「ふふふふふ……」と不気味な笑いを浮かべた。

「心臓に、穴が開きますよ、アイツら……。」

 しゃべる文楽の予言は、中々笑い飛ばすには迫真過ぎて怖いのだけれど、ああいうのにムカついてんのが自分だけじゃないってのが妙に心強かった。動物園の動物を見てる気にでもなってんのだろう、アイツらは。動物だって見物人を恨むのだ、人間ならばそれに加えて呪詛の言葉だって吐く。


「テメェ、ケツには気をつけろよ……。」

 その夜、今日から新しく派遣された同室の新人に、どう頑張っても女一人組み倒せないようなモッサンが囁きかけた。人と話すときに目があさっての方向を向くモッサンは、当初は青白いインドア派のなりだったが、被災地に来てほんの数日で良い意味でどっかの部族の誇り高き戦士のような面構えになっていた。んで、「気にすんなよ、アレ冗談だから」って俺が落ち着かせてやろうとしたら、まだ被災地スレしてない、肌なんかがきめ細かな若い新人のキョドった様子でちょっとナニがアレしそうになっちまったんで、喉に何かがつかえたみたく「んん」って咳払いをしてさりげなく、「キミ、支社どこよ?」とか冷静を装おうとした矢先、「女だ!女の匂いがする!!」って、より一層獣化がすすんで嗅覚が進化して半径5mの生理用ナプキンの匂いまで嗅ぎ取れる(たぶん)舛添さんが、アホみたいな声を上げながらタコ部屋に入り込んできた。この人は新人が来るたびに同じこと言っている。舛添さんが「眞鍋ぇ、女がいるぞ!どこだ!?女ぁ!!」って、昔話にでてくるオニババみたいな醜態を見せるもんで、より一層収拾がつかなくなった上にモッサンがまた「舛添さんコイツです。この……青びょうたんが、雌の匂いをちらつかせてるんです……。」とか、どこの沼から聞こえてくるのか分からないような声で余計なこと言いやがって、したら舛添さんも冗談なのか分からないくらいの座った目で新人君を睨んで、「お前かぁ、あ?」ってホントにどっかの食人族みたくギリギリまで近づいて鼻と目を使ってそいつを舐め回してしまいにゃあ「おい、目ぇ閉じてコイツの匂い嗅ぐと女が近くにいるみたいだぞ」とか、対男でもセクハラ裁判で負けんじゃないかという発言を連発してくれる。

「そういや、今日コンビニに可愛い子いたよね。」

「なに?女!?」

 俺らの騒ぎを眺めてた御年六十の梶原さんが思い出しながら言ったせいで、舛添さんが虫歯で黒味がかった犬歯を剥き出しにしながら今にも噛み付きそうな勢いで反応した。

「ねぇ眞鍋さん、昼間のコンビニにね。」

 いや、俺にふらないでくださいよ。

「ホントか眞鍋、どうして黙ってやがった。」

「いや、別にん~な報告義務ないじゃないですか。つか大体梶原さん、若い子ならなんでも可愛いんでしょ。」

「あ~くそ、若い女って単語だけで勃ってきちまった。ちょっとトイレ行ってこようかな。」

「新人の前でマジやめてください。」

 ただでさえ長めのトイレに行くとヌいてきたんじゃないかと疑われるのに、その上堂々と宣言までされてはたまったもんじゃない。もう案の定というか、新入り君が血の気が引いたみたいに俺たちのやり取りを見てるし。

「そういや君、警備員始めてどれくらいたつの?」

 舛添さんが荒らしたこの状況に少しものフォローを入れるために話題を変えてみた。

「いや、この前研修終わったばかりです。」

「マジで新人なんだ?またスゲェの支社もよこしたもんだな。」

「ええ、ここいかないと仕事ないって言われて……。」

「いやぁ、多分それいいように利用されてるぜ、自分。」

「やっぱそうなんすかねぇ……。」

「おい眞鍋、明日配置俺と変われっ。」

 もう頼むから黙っててくれよアンタ。

「先輩たちは同じ支社なんですか?」

 新入りが空気を読んで俺に続いてくれた。

「いや、俺と舛添さんは同じ麻生支社なんだけど、他はみんなバラバラ。梶原さんは都内じゃなくて大宮支社だよ。」

 派遣された人間の中でも高齢の部類に入る梶原さんは元々は製造メーカーに勤めていたけれど、会社が自主退社をさせるために地方の工場に左遷させられて、社員だったにもかかわらずパートのおばちゃん達と一緒に単純作業を延々とやらせられるという仕打ちを受け、一年も耐え切れなくて仕事を辞めたのだという。俺の親よりも年上だというのに律儀に敬語を使ってくる人だ。こういう感覚が古い時代のキギョウセンシというやつなのだろうか。

「で、吉岡さんは……世田谷支社でしたっけ?」

「阿佐ヶ谷だよ、それ言われるの三回目だけど。」

「すんません。」

 四十代半ばの吉岡さんは昔ホストをやっていたらしく、ホストにはまった女に風俗を初回してその紹介料を店からもらったり、風俗での仕事の相談を持ちかけた女に感謝されるあまりこれまた尽く貢がせていたという武勇伝を持つ人だ。まぁ全部嘘だろうけど。どっかで聞いたことのある内容とディテールばかりだし何より吉岡さんブサイクだし、この間鼻から鼻毛出ててそれにピロピロ鼻糞が付いてたし。

 警備員という砂浜には、老若男女高卒も大卒も企業人もやくざ者も問わず、いろんな人生の漂流物が流れてくるものなのだけれど、たった一週間でこれほどの事がわかるようになったのは、その間俺たちがお互いの素性を話しまくったということがある。まぁそれも打ち解けようとしたというより、テレビも何もないからお互いの身の上話しかなかったからなのだけれど、それも最近ではネタが尽きてきて、昨日の夜に至っては三毛別の羆事件がいかに怖いかという話に始まり、結局生物界最強はシャチなのだという結論に落ち着いた。今晩からこの新入りが酒の肴になるんだろう。

「ま、俺らのことはこれくらいにしといて、荷物おろしなよ。君のスペースはあそこの布団一枚分のところだけど。」

 と言って俺が指差したのは数日前に瀬古が立ちションをしたところだった。ゴメンな、新人クン。でもあそこを当てつけられるのは新人の義務なんだよ。

「はい、ありがとうございます。それで、これ……。」

 そう言うと新入り、もういい加減安田と言ったほうがいいだろう、安田はカバンからハムやコンビーフの缶詰を出してきた。

「……差し入れです。」

 安田がそう言うやいなや、舛添さんは「うおおおおい、気が利くなぁ肉だよぉ肉っ」と出されたものに飛びついて、トリュフを探す豚みたく鼻息をゴフッといわぜながらて物色し始めた。俺はその姿をもう見たくもなかった。

「ありがとう、気が利いてんね。」

「支社から持っていくように言われて……。」

「ああ……。」なるほど、差し入れして牢屋主に媚を売るという処世術は、こんな若造なら考え付きもしないだろう。「そろそろ飯だから着替えたら?」

「ええ、……支社からちゃんと食事が出るって言われたんですけど……大丈夫ですかね?」

 荷物を物色している舛添さんの有様から、安田が心配そうに聞いてくる。

「ちゃんとした飯、の定義による。」

「え?」

「ちゃんと満足できるほど旨い飯なのか、ちゃんと腹一杯に食える飯なのか、とかだな。」

「その様子だと、後者のちゃんと腹一杯になる飯、ってことですかね?」とかお気楽な感じで冗談交じりに安田が聞いてくるので、「ちゃんと生命活動が維持できる飯って意味だよ!」と覚悟を決めさせといた。

 宿泊客がいないんでウチの会社が会議室と食堂替わりにしているホテルのレストランに向かい、同じ部屋同士の人間でテーブルを囲って、各々が細切れの大根サラダやカピカピの魚の切り身を箸でほじくる。なんだか一時期ネットで話題になった給食費を払わない小学校の給食みたいだ。やはり安田はその飯に自分の将来の暗示をみたようで、今まさに飯を食って血を増やしているにも関わらず真っ白な顔をしている。果たしてこいつはいつまで持つのだろう……。

 そんな新入りの心配をしていると、食堂に灰色の頭髪をスポーツ刈に刈り込んだ、我らが被災地復興支援隊の総隊長(推定50代)が食堂のど真ん中、掠れた声で何やら演説し始めた。

「え~……そこ、きいとるか?……この被災地に派遣された諸君……あ、箸は動かしたままで結構、諸君の働きの甲斐あって、ようやくこの一帯にガスが通るようになったのは、まぁ、風呂が沸くようになってからというもの実感も沸いているとは思うが……」

 総隊長が「沸く」をかけているのに全く気づかない様子で、間髪入れず安田が驚いたように「風呂、沸かなかったんですか?」と俺に聞いてきたので、「沸いてんだけど今でも人が多くて入れないよ。」と即答してやった。安田の顔からいよいよ血の気が引いた。いや、まだ安田はいい方だ、俺なんて今総隊長に言われて「そっかガス管通す仕事やってたんだ」って思い出したくらいだから。

「……でだ、予定よりも大幅に遅れてしまったが、ある程度のインフラも復旧したんでスケジュールを調整するために明日は半休とする。皆、この数週間ご苦労だった。」

 「半休」、つまりは「休み」、ブラックを通り過ぎてダークネスな日常に突如現れた綺羅星はあまりに遠い世界の響きだった。

「ラッキーですね、いきなり明日休みなんて。」

「ラッキー?」

 俺は笑顔だったはずなのだが、口がわなわな震えているのが自分でもわかった。

「え、ええ?」

 安田の表情は俺の顔のせいで再度曇りがかっていた。俺は煙草を吸うように軽く息を吸い込み、味わいながらそれを吐き出した。

「……モンハンとかやる?」

「あ、はい、やります。え、眞鍋さんもですか?」

「(無視して)例えば、一つのクエストで古龍の大宝玉が三つ出たとしよう。その時君はどう思う?」

「……ここ数日の運、全部使ったかなぁって。」

「うん、で、今がその時だよ。」

「……うわぁ。」

 さてこいつは病人か戦士か、もう顔が曇っちゃってるけど。

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