今日まで、二

 ファミレスに入店するともう仲間は全員そろっていた。いつものファミレスのいつもの席、喫煙スペースの窓側の奥の席に……二人。震災直後は計画停電のために閉店を余儀なくされていたこのファミレスは、俺たちが集まる口実をなくさないために、タカが口癖のように「こういう時こそ日本の経済を回すんだよ!」と呼びかけて、通常営業を再開するとすぐにドリンクバーだけなのにしつこく集まった憩いの場所だ。震災から半年くらいは手洗い場のエアタオルに「節電にご協力ください」と張り紙を張られていたが、その時の名残さえ今では消え、その事を忘れるかのように、チェーン店の規格化されたメニューが、規格化された接客が、震災でできたヒビを埋めようとする。パターン化されたものはあの震災前の日々の安定感を少しだけ取り戻させる。しかしそれは一体、人の強さなのか臆病さなのか、時折白々しさを感じてしまう。

「よう亮、今日は来ねぇと思ってたよ。」とタカから話しかける。

「どうしようか迷ったんだけどね。」

「最近どうよ?仕事見つかった?」

 タカはこの店のこの席の家主みたいに、ソファに手をかけふんぞり返っていた。マチャが無言でソファの奥に体をずらしたのでその横に座る。

「やなこと聞くんじゃねぇよ。決まったら言うからさ……。あ、ドリンクバーでお願いします。」

「いいよ、このフライドポテト食っても。」タカが洋画に出てくるブツを差し出すマフィアように、ふんぞり返ったままで皿を俺に差し出す。

「帰ったら飯だからいいや。」

「文字通りの穀潰しだな、亮は。」

「言うなや。」と言い、かぶりを振りながら「いや~三十で無職は骨まで震えますわぁ~。」とかおどけてみたものの二人の目は真っ直ぐだった。ユーモラスな自虐のつもりだったのだが。

 本日のドリンクバーの最初の一杯はエスプレッソに大量のコーヒーフレッシュを注ぎ込み、気付け薬にでもしようかと思ったら清掃中だった。

「ありえねぇ、コーヒーのコーナー清掃中だってよ。」コップになみなみと液体をついで俺は席に戻る。

「ああ、さっきから使えないな……って、またメロンソーダかよ。」

「ああ、ドリンクバーにきたらやっぱこれは飲まないと。」

俺は照明との位置関係に用心しながらグラスを三人の間に置いて言う。

「いいか?裏を返せばメロンソーダの無いドリンクバーはドリンクバーじゃあないんだ。飲んで良いものとは思えないような鮮やかな緑のシロップの濃淡のうねりをテーブルに飾って、浮かんでは弾けていく泡を眺めるのがドリンクバーの作法なんだよ。飲み物を飲むことだけ目的とするのはあまりにも文化的じゃあない、というより………メロンソーダはそんなに美味しくない。」

「……知らねぇよ。」

「お、タカなんか新しい時計はめてんじゃん、買ったんだ?」

 タカの手首に光る重々しい金属の光があった。

「ああ、気づいたかね亮君。こういう時こそ日本経済を回さなきゃならんのだよ。グッチの3万円の時計、マジ奮発したわ。」

「そいういう高ぇ時計はめるんだったらお前絶対遅刻とかすんなよ。」

「え、なに、そんな基準……あんの?」

 気の利いた答えが出ないタカほっといて、グラスのメロンソーダを軽くストローでかき混ぜてからすすった。あいかわらず、健康に良さげな味が全くしない。

「……どうしたんマチャ?さっきから黙っちゃって。エヴァQが酷かったからってまだ落ち込んでんの?」

 ふざけながら正面のマチャに聞いてみたが、マチャがより一層暗い面もちになったので、タカの方を向き直した。ソファーでふんぞり返っていたタカの手が、テーブルの上に行く。嫌な流れだ。

「俺から……言う?」

 何かを言おうとしているが、マチャは言葉をうまく出せないようだ。そういえば、太い骨格の上に乗っていた脂肪がわずかだけれど薄くなって、マチャは縮んだように見えるし、あいつのグラスには水滴が多量についているにも関わらず、少しも中身が減っていない。

「わかった、当ててみるよ。……彼女との間に子供ができたっ、どだ?」

 俺がそう言うと、マチャはため息にもならないくらい弱々しい息を吐いて、「彼女と別れたんだよ……。」と言った。

「……すまん。」

 タカは縮こまりながら煙草を吸い始めた。 

「タカ、一本くれ……。」

「穀潰し……。」

「穀じゃねぇ草だろ。」

 タカから煙草を貰うと、四分の一ほどふかした後に「なんで……別れちゃったの?」と、恐る恐る聞いてみた。

「何か、公務員試験とか結婚に備えてたんじゃないん?」

 確かマチャと彼女のりっちゃんは、りっちゃんの浮気が発覚してもマチャの「体汚れても心汚れてないから」という援交女子高生理論まさかの彼氏応用によって別れなかった程のカップルで、そんな二人が別れるというのはよほどのことがあったはずだ。

「エガちゃんの話したんだよ、彼女に……。」

「それで……?」

「りっちゃんがさ、自分たちも沖縄に逃げようって……。」

「へぇ……。」

 煙草のせいか、喉に何かがつっかえる。

 震災までこのファミレスで一緒に集まっていたエガは、震災から一ヶ月もすると「東京は危ない」と、仕事まで辞めて沖縄に移住していた。寸前までは俺らも一時の気の迷いだろうと思ってふざけて接していたのだが、エガが本気なのだと知ると、四人のリーダー格を自負していたタカはエガを引き留めようとしたのだが、それが良くなかった。

「神経質すぎるんだって。数年経ちゃあ、何てこたねぇ馬鹿話程度になっているよ。」

 そんな軽いノリを信条としているタカの物の言い方に怒ったエガは、「お前等平和ボケも大概にしろよ、地震が起きてからの政府の情報なんて、嘘ばっかだったじゃねぇかっ。メルトダウンだって起きてたし原発だって爆発してただろ。今まで通りなんてもうないんだぞっ。」と、今までにないキレ方をした。中学時代から数えて十年以上のつき合いになるけれど、俺たちの会話の中で「政府」や「マスコミ」という単語は出てこなかった。タカの某国叩きも、別に政治的な主張と言うよりも単なる同意欲しさの振りでしかないのだ。「マスゴミ」なんて言葉を口にしてしまったら、一発アウトで寒い奴認定、長期的な不況の中にあっても深い政治の話題には言及しなかった俺たちだった。いや、長いつき合いだからこそ、そういった話はお互いの関係を悪化するということを、距離を取りながら熟知していたのだろう。けれど去年の地震は俺たち四人の価値観の相違を浮き彫りにし、その関係にはヒビが、氷河のクレバスのように音もなく、しかし瞬間的に広がり、冷たくも修復不可能な溝ができてしまっていた。

 半ば喧嘩別れのように沖縄へと旅立ってしまったエガは、しばらくすると次第に東京へ残っている仲間達を暗に非難するような日記をSNSに投稿し始めた。

――そんなに死にたいのなら仕方ない。もう彼らを救おうという気力もない。

――沖縄にきて、自分がどんなに文明に毒されていたか良くわかった。あんな東京での生活を続けている限り、人は人間性なんて一生取り戻せない。

――今の日本は、第二次世界大戦の時と同じ状況だ。そして東京に残っているのは、あの頃戦争を支持した日本人と同じ考え方の人達なんだと思う。

 暗に批判され続けていた俺たちは、次第にエガのことについて話すことを避けるようになっていた。

「エガに言っとくか?お前のせいでマチャとユミちゃんが別れたって。」

 タカに至っては、正面から噛みつかれたことも相まって、エガに対するディスが増えて言ってた。エガがSNSに書き込みをを上げる度に、「見た?この間のエガの日記。だんだんヤバさが増してきてるよな。カルト入ってんじゃね?」と、あげつらっていたほどだ。

「……やめとけよ。エガは直接は関係ないだろ……。」と、タカを諫めてみたものの、俺も仕事で被災地に復興支援に行くと言った際、エガに非難されたのが最後の会話になっていたので、あまりいい記憶はなかった。

「……いろいろあるんだよ、人間には。」

 短くなったタバコを思いっきり吸うとフィルターを残し一センチ程度になったタバコを灰皿に押し付けて潰した。

「そうだよね、亮ちゃん……。」

「……とうとう、みんな独り身になっちまったな……。」

 タカが自嘲気味にタバコで虚空で何かを描きながら言う。まるで古い、バブル時期に流行ったJ‐POPの歌詞の一小節に自分をなぞらえるようにシナを作って言ってみてはいるが、俺の知る限りコイツはB’zの歌詞並みに女にふられたことはないはずだ。

「あ、でも、そーいや亮さ、今度女の子と合うんだって?」と出し抜けにタカが言う。

「おぅい、このタイミングで言うか?」

「いや、気にしなくていいから……。」

 マチャの真顔が怖い。

「まぁ、なんだ……。向こう、仙台に行ってた時に……な。」

「スゲェよな、だいたいお前被災地に何しに行ってんだよ?あ?嫁探しか?」

「いや、たまたまだよ。」

「たまたま、たまたまってテメェ、自分のタマタマ極限下で抑えられなかったってことじゃねぇか!やらしぃねぇ、やだよアタシゃ、被災地で弱った女の子つまみ食いなんて。この、ど汚えあしながおじさん!」

「……お前みたいに好き勝手ものがいえりゃ日本人は鬱とかにならないんだろうな。」

「俺、典型的なB型だからな、思いつくことはすぐに言うんだ。」

 「フロイトなんてありゃ詐欺師だな」とか言うくせに、こいつはなぜか血液型占いに対しては万全の信頼を置いている。以前、「ゴリラって皆B型らしいぞ?」と教えると、「どうりで……」と妙に納得していたが、コイツの中で一体どういう結論に至ったのか、それは今でも分からない。

「で、亮ちゃんはそのコと付き合ってんの?」

 古いフランス人形のように、ぎこちなく首を動かしマチャが訊く。

「まぁ、どうかな……。付き合ってるって、言っていいのかねぇ……。友達と言っていいのかなんなのか微妙な関係だよ。」

「女子会の会話じゃねんだから。あれ、もうヤったんか?」

「そんなんじゃねぇよ。」

「やってないなら付き合ってないんだな。」

 声を荒げ明るく振舞っているタカだが、その笑顔が攻撃的であるのは長い付き合いから心得ている。

「なんだよその基準は。」

「……大事にして、あげてね。亮ちゃん。」

「いや、だからまだそんな関係じゃないんだって……。」

 彼女がいるかいないかで、俺らのヒエラルキーは簡単に逆転する。単純といえば単純だが、そうだからこそここは心地よいのだ。勿論それはいつかは終わるものだということぐらいはどこかで分かっていたけれど、その変化は年齢とか時間での生活の変化とか、静かに音もなく訪れるはずだったのに、俺らの日常の崩壊ははっきりと揺れとともに訪れて、そしてそれはまま平衡感覚を狂わせている。

「しかしまぁ、なんだかんだ言って日本って変わんねぇよな……。」

 後頭部で腕を組み、あくびのようにタカが言う。

「でも亮ちゃんは、何か変わったよね。」

「そう?あいかわらずのうだつの上がらねぇガキじゃん?」

「まぁな、変わったといえば職をなくしたくらいだぜ?」

「……ああ、うん。」 

 だからお前ら笑えって、その憐憫の眼差しが一番きついんだって。

「でさ、どんなんだったんだよ?この間受けたところは?」

 腫れ物を扱うようにタカが言う。

「……ひでぇところだったよ、なんか面接官が美人なんだけどすっげぇきつくってさ、ほらあれ、民主党のレンホーみたいな感じだよ。」

「いいじゃん、お前Mなんだからちょうどいいんじゃない?」

「いやぁ土下座してクンニしても許してくれないような奴だったよ。」

「そりゃあ、キツいな……。」

「ああ、多分やるときゃローション使うタイプだな。」

「確かにあんま変わってないね、亮ちゃん……。」

「ネクタイ締めて、社蓄になる気満々ですよってオーラ全開だったんだけどなぁ……。」

 あの日から、俺たちは一年歳をとり三十歳になっていた。暗黙のモラトリアルが、無言で終了していた。 

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