昨日から、二-二

「飯は出る」その言葉を信じてはいけないけれど、信じないわけにはいかなかった。だって俺ら他にすがる言葉ないんだもの。だけどそんな俺たちに勤務初日の朝礼後に用意されたのは、希望を絶望に高角度から垂直落下に叩きつけるような朝飯で、部屋で暖房がつけられないってんで体が冷えてんのに、朝飯で唯一温かいのはお湯を濁らせたような味噌汁で、出された弁当箱には白米とコロッケ2個、焼売4個入っただけの、炭水化物を炭水化物でまぶしたり包んだだけという炭水化物の宝石箱、胃にプレッシャーを与えるためだけのようなシロモノだった。出動の際には期待してたわけじゃないけど昼飯ということで渡されたのは、逆に見たことないようなシンプル過ぎる単色で「しゃけ」「おかか」とかかれたパッケージのコンビニのおにぎりが2個だけ……数日後にはオハジキをドロップと間違えて舐め出す奴いるんじゃねぇか。朝の六時にたたき起こされそんな朝飯を済ませてさっさと六十分の朝礼と配置決めを終えると、ハイエース数十台に隊員が乗り込み現場へと向かう。着いた頃は夜だったから気づかなかったけど、俺が昨日走っていた道路には稲妻みたいに新鮮な亀裂が走ってて、それを目で追うだけで何か冷たい感覚が背筋を走ってくる。田舎の方はそうでもなかったけど、少しづつ現場の街へ近づいていくと、ただでさえ考えたくなかった頭はより一層思考を停止し始め、モノホンの被災地を目にした時、俺の感情が弾け飛んでしまった。

「なんじゃこりゃあ!」

 意図せずに松田優作のモノマネをしてしまうくらいの驚愕、俺たちの派遣されたところは本格的な被災地じゃないってのは聞いていたけど、街の様子は予想以上にひどかった。液状化現象とやらでアスファルトが沈んでそのまま形をとどめたみたいに柔らかそうにへこんで、けれどマンホールの周りは頑丈だったらしくて所々ゴルフのピンみたいにポッチが突き出してて、一体これをどうしてどういじったら元の街に戻んのかマジわかんない有様なのだ。電線なんてたるんでフヨンフヨンに風で揺れていて、窓ガラスにいたっては完全に全滅だった。むしろここが数日前まで俺の地元と変わらない街だったことが想像つかないくらいだ。俺が張り付きながら窓の外をいていると、うちの班長が「ほらこれ、ここいら放置車両が多いんだよね。」と、顎でしゃくりながら指し示す。

「乗り捨てて逃げたんスか?」

「いや、最初はみんな元々放置されてる車からガソリン盗んだりしてたんだけどね、ガソリン不足で。でもそれが良くなかったらしくて、そうやってガソリン入れた車が不具合起こしてまた放置されてんのよ。」

 どうもパニック物の映画とかでやってるような、車のガソリンを抜き出すってのはかなりマズイらしい。班長が「放置されてる車からガソリン盗んだ」って言った時点では「頭いい~」とか思っちゃったけど……。そういや先発隊で行った舛添さんは道路工事じゃなくてショッピングモールの警備をやらされてて、その理由が震災の後そこに盗みに入る奴が後を絶たなかったからってことだったんだよな。テレビでは「絆」だのとしきりに言われてっけど、水面下では流石の日本でもこんなことが起きてるわけだ。

 しかしこの班長には現場に向かいながらいろいろ教えてもらったけど、どうも典型的なマジメだけどデキない人だったらしく、街中を進んでいくなり「あれ?…あれ?」とか言い出したんで、助手席に座っていた年配の隊員が「大丈夫なの?」て聞くと「いやぁ、ナビの調子が悪いみたいで……。」と頭をかきながら困り始めて(つか本当に頭をかいて困る人初めて見たよ)ふとあることに気づいて「あの……ナビの地図って地震前のやつじゃないんすか?」と聞いたら、ただでさえ埃っぽい車内がいやぁな空気で重くなって「もしかして、迷ったんすか?」って俺がまた聞くと、班長は「いやっ、道にちょっと確信が持てなくなったんで、一旦止まって地図見ようかなと……。」と言い、車を道路脇に寄せて駐車しやがった。人はそれを「迷った」って言うんだけどさぁ……。もう見る意味もないだろうカーナビを懲りずに班長が「あれぇ」とか言いながらイジって、「ここかな?」とディスプレイの下のプラスチックの出っ張りを強引に引き抜いたら「ブリッ」とかいう、漏れる一歩手前の屁みたいな音と同時に、ディスプレイの映像が一瞬乱れて、そのままディスプレイはデッカい田んぼの「田」の字のような液晶のシミを残して沈黙してしまった。車内の全員が白目を向いていた。

 結局時間ギリギリになんとか間に合ったものの、職人のオッサン方は非常にピリピリしてる様子だった。

「ゼンケイ(ウチの警備会社の略称)さん、遅いよ。作業押してんだからからさ。待ってる身にもなってよ。」だとか、今時リーゼントで金のネックレスをちらつかせてる身長ギリ160のビーバップにメンチ切られて、俺はうっせぇチビ、『走れメロス』でも読んで感想文書いとけとか内心毒づきながら一応班長と一緒に頭を下げといた。

 俺たちの今日の作業はガス管の復旧工事で、なんでも1週間以内にガスを復旧させるという無茶ぶり、そんなもんで作業は休み時間無しの労働基準法に接触しまくりのぶっ続け労働、たまに勤務の最中に隙を見ておにぎりを口の中に突っ込むっていう悪条件の中でひたすらに誘導棒を振り続けた。

 荒れた道路の端に立ち相方と誘導棒でサインを送りながら一車線潰れた道路を交互に使用させる、俺らの言うところの片交という単純作業だ。言ってしまえば「車流せ」と「車止めろ」だけの合図だけだが、中にはこの単純作業もろくにできない奴がいるから困りものなのだ。延々と続く作業時間、寒さと疲労の中で体は考えることをやめて、必要最低限の動作を続ける機械になる。まず顔につく粉塵の不潔さ(うっかり唇を舐めちゃうと破壊的に苦い味がする)を気にしなくなり、そのあとに疲れと寒さが「疲れ」と「寒さ」じゃなくて、別の肉体に送られる「不快」な信号になってきて気にならなくなってくる。被災地に来るまでは俺の暇つぶしとして大いに役立っていた、頭の中に収録されてるMP3(妄想)のお気に入りのインディーズバンドの曲は途中から「ししぱーみみーぱー、ししーぱーみみーぱー」とか若干サイケにぶっこわれて、しまいにはお経のような耳鳴りになっていた。

 時計を見るたびに絶望的な気分になるのでひたすら時間を気にしないように努め、暗くなって作業ができなくなったら終了だとかいう、昔の農作業みたいな感覚で予定時間を二時間オーバーしての終業。作業が終わったことを現場監督に告げられても関節が誘導棒を振る方向にしか動いてくれなかったんで、将棋の駒みたいに体全体を左右交互に前に出しながら配置を離れた。あと何日あるのだろうか、いやいや、時計の次はカレンダーを気にしないようにしないと。残された日々が日数分だけ地面の重力を強くするのだから。引き上げていく作業車両を見ると中に「大阪ガス」と書かれてるものがあって、そのプリントの上には赤字で「天然」と書かれてあった。大阪で天然って……疲れのあまり俺は妙なところでツボるくらいにヤキが回っていた。

 作業が終わっての買い出しの時間へコンビニに向かうが商品などありゃしない。コンビニの「自動」ドアを「手動」でこじ開けると棚には食いもんがことごとくなくって、残ったのは保存の効くチョコレートの類だけ、それでもないよりはマシだろうと買い込んで食べたんだけどそれがクソったれなほど旨くて泣きそうになってくる。口の中で溶かされたチョコレートが、胃の中で吸収されてエネルギーに飢えていた俺の細胞の隅々にまで染み込んでいく様が、電子顕微鏡なんかを通さなくったって分かるようだった。CMみたく国民的アイドルにカリッと爽やかにかじられる運命もあり得たのに、こんな獣臭い男共にムシャムシャがっつかれるなんてチョコレートもきっと夢にも思わなかっただろう。なんかゴメンな。

 被災地に派遣されて三日目、春がまだ遠い東北でようやくお湯がでるようになったという朗報が出迎えてくれた。いややっぱり風呂がないと無理っすよ、文化的な生活ってやつ?ほら憲法とかでも保証されてんじゃん、よく知らねぇけどさ。それじゃあ今日から早速野生の香りともおさらばだって思ってたらファッキン、隊員の人数多がすぎて俺が入る番になったらお湯がほとんどなくなって、赤茶けた液体が浴槽のそこにたまって風呂っていうかもう沼になっていた。120人もの隊員達の赤だの汚れをため込んで、んでもってこの水には何かの基準地以上の何たらベクレルや何とかシューベルトかシューマッハかわかんねぇけどとにかく危険なものを含まれてるのかと、希望をまたもや絶望に叩きつけられ、結局その勤務三日が過ぎた頃には、俺は舛添さんと同じくバスタオルで体を拭くのが当然になってて、そしてついには誰に対する申し訳でもなくパンツを裏返しに履くようになっていた。そのリバースパンツは、俺のこの世界の受け入れ表明でもあった。驚くなかれ諸君、パンツを裏返しに履くというのは、一つの世界観の裏返しでもあるわけだよ。

 しかし意外と人間は適応が早い。不潔なパンツ、まずい飯、過酷な労働、安い宿、そしてなによりも地震、来たばっかの頃は揺れるだけで死の予感がしたけれど、わずか三日で慣れるもんだな……と油断したその夜、震度6の地震が俺たちを襲った。東京で感じた揺れとここの揺れじゃあ本気度がまるで違くて、部屋に詰め込まれた五人全員がひっくり返って転げ回って翻弄されて、なんかこうマジで俺たちを殺しにかかってんじゃねぇのって揺れで、部屋の真ん中で寝てた奴が本能か何かでを部屋の隅に移動したら、ジャストタイミングでそいつの上にあったエアコンの馬鹿デカいダクトが落ちてきて、相部屋の奴ら全員が寒さとかじゃなくて文字通り顔面蒼白になっちまった。何なんだろうこれは、被災地ナメた天罰ってヤツ?ぼうっとしてると舛添さんが、「眞鍋、出口確保しろっ!んで貴重品もって逃げる準備!」って思い出したように叫んだから俺は急いで部屋を飛び出して、ドア歪んで開かなくなる前にスリッパを噛ませて開放して、次は非常扉の確保だと思って通路を走って非常扉を開けると、目の前では旅館の隣の山が土砂崩れを起こしてて、その向こうに見える高速道路はCGみたいにあり得ないほど不自然な感じでゆらんゆらん揺れていた。

 ――はい俺死んだ~~

 本当に死ぬ前の人間って逆に冷静になんのな、オナニーの後に来る賢者タイムみたいに。そんな感じでなんだかどうでも良くなり過ぎてぼぉっと目の前で崩壊していく世界を見てたら、後ろで舛添さんに怒鳴られ気味に呼ばれてて、最初は何言われてっか分からなかったんだけど、ようやく「お前、何持ってんだよ?」て言われてるのに気づいた。舛添さんが言うのも無理はない。俺の片手には何故か一升瓶が握られてたからだ。

「貴重品って、お前……。」

「いや、酒、大事かなって……。舛添さんだって……それ。」

 俺の一升瓶を咎めている舛添さんの片手に握られてたのは丸められたヤンマガだった、しかも震災前の号の。

「いや、使うかな……て。」

「使わねぇっすよ……。」

「……ゴメン。」

 お互いのダメっぷりに笑いも見せることなく部屋に戻った俺たちは、死ぬほどの恐怖に見舞われたはずなのに、一時間もたたないうちに昼間の疲れのあまり、布団を敷き直してまた滑り落ちるように眠りこけてしまった。しかし……

 ――くっせぇな

 ふと眠りから意識を取り戻すと、何か妙な臭いがする上にダバダバとだらしのない音が俺の枕元の近くでしているのに気づいた。何より誰かが立っているような気配がする。

 うっすらと目を開けると、俺より二日ばかし早く来ていた相部屋の瀬古が……俺の布団のすぐそばでチンコを出して壁に向かって立ちションをしていた。

「んなにやってんだテメェェェェェ!」

「どうした眞鍋?いや、やだ何?何してんのこのコ?」

 俺の叫び声で目を覚まし、その様を見た舛添さんがなんでかオネエ口調で叫んだ。

「くぉいつ、何こんなとこでションベンしてんだよぉぉぉぉぉ!」

 しかし瀬古は白目をむいたまま正気を取り戻さない。体なんかグニャグニャで脱力してんのに、関節の節々は絶妙にバランスをとってしっかりと立ってやがるんだ。いや、チンコの方がじゃなくてね。

「おいっ、おいっ、真鍋、やめさせろ、バカッ。」

「やめさせろって……おい、テメ、チンコしまえや。」

「いや、そうじゃなくて、ションベン止めろ。」

「つか、どうやってスか?」

 一瞬手でふさごうと思ったが、そんなのはセシウム入りの水に手を突っ込む以上に勇気がいる。

「いや、いや、ああ~~~~」

 そうこうしてるうちにそいつは膀胱に貯まったものを全部出し切って、そのままモロ出ししたままフラフラと立ったまま半目で白目を剥いたままいびきをかき始めた。やべぇよ、何?人間ってこうなっちゃうわけ?マジで開いた口が塞がらない俺たちは、呆然と自分のションベンで手とズボンをびしょびしょに濡らした瀬古を眺めていた。

 次の日、瀬古は問答無用で関東に帰された。朝礼でそのことを聞かされながら、俺はいつか自分も白目を剥いてションベンをするようになるのかと思いながら、裏返しに履いたパンツが冷えていくのを感じていた。

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