1-7
「うん、普通だよ。普通の、優等生だ」
おさかなのその言葉は、自身を励まそうとしてくれているのだとは思う。
それでもその普通という言葉は、アズサにとってうれしいものだとは感じられなかった。
「さっきも言ったけどね、アズサちゃん。私はそれを非難するつもりはさらさらないんだよ。人を傷つけたくない。人に向かって魔術を使いたくない。ましてや人を殺すつもりなんて、さらさらない。それは決して悪いことじゃないと思う」
「私もそう思ってきました」
でもススキノでそんな言い訳は通用しないんじゃないだろうか。
法のないこの街で、暴力以外に人を律することはできないのだから。
「魔術で人を傷つけるのは簡単だよ。殴り合うのと同じくらい簡単だ。だけど、言葉で和解ができないときに、相手を傷つけずに屈服させるのは非常に難しい。そんな魔術ができれば、私たちの仕事も楽になるんだろうけどね」
「無傷で制圧する、という意味ですか」
おさかなは「そうだね」と笑顔で頷く。
「それは魔術を用いて、ということでしょうか」
「魔術に限る必要はないと思うけれど、まあ、そうだね」
「それは場合によると思いますけど……」
例えば彼我の戦力差が圧倒的であれば、それも可能だ。こちらの圧倒的な戦力を見せびらかすか、あるいは身体を傷つけない程度の魔術で体を縛り上げてしまうことは難しくはないだろう。
だが、それはあくまで格下を相手にする場合に限る。
戦力が伯仲している状況でそんな手加減をすれば、自殺行為も同然だ。
「常にそれができる人はいないんじゃないでしょうか」
魔術なんて言ったって、なんでもできるわけではない。
あらゆる規制の中で、あくまでできることしかできない。
魔術はそんなに都合のいい技術じゃない。
「そうかもしれない。でも理想を掲げることは間違いじゃないでしょう?」
そう言うおさかなを、アズサはらしくないと思った。
彼女はロジカルで理路整然とした思考を好むのだと、アズサは思い込んでいた。
その理想論は、おさかなが口にするには現実離れしていると思ったのだ。
「そう、理想を掲げることは間違っていないんだよ。あなたがその理想を貫き通すんだというなら私はその助けがしたいと思う。でも残念だけど、今のアズサちゃんに、『蜂の巣』の全員を無傷で無力化できるほどの強さはないと思う。どう?」
結論は言うまでもない。
アズサ自身がおさかなよりも先に諦めている。
魔術では――少なくとも今のアズサの魔術では、誰かを無傷で制圧することはできない。
「あなたがとるべき選択肢は二つ。一つは実戦を控えて傷つけずに制圧できる力をつけること。もう一つは、今使える武器で人を傷つけること。どっちがいい?」
「……そんなの、選択肢無いじゃないですか」
魔術による無血制圧。それができるだけの力をつけるとはいったいどれほどだろう。一対一で対峙した時に相手を拘束できればいいのか。十人の敵を一度に制圧できればいいのか。それとも百人の人間を無力化できればいいのか。
そんな曖昧な基準の力を求めて、今できることをしないのは、警察官として失格だとアズサは思う。ススキノの治安を守ることが仕事だというなら、それをやらないわけにはいかない。
たとえそれが、誰かを傷つける手段であったとしても。
アズサは薄い板状の魔調器を、おさかなに手渡した。
「できることなら私は、アズサちゃんに理想を追ってほしいと思っているんだけどね」
「私、そんなに頼りないですかね」
「違うわよ。あなたみたいな普通な感性を、もう誰も持ってないのよ。この街じゃね」
おさかなは受け取った魔調器を、先ほどの隣の刻印機に乗せる。
アズサが取り出した魔調器は長方形の板状のものだ。掌よりも一回り大きいほどで、片面がタッチパネルになっている機器だ。
「パネル型? 他にはないの?」
「はい。持ち歩いているのはこれだけです」
おさかながぽりぽりと頭を掻きながら、う~んと唸る。
「変、ですか。やっぱり」
「いや、変ってわけじゃないんだけどさ。実際、パネルタイプの魔調器を使ってる人は多いし」
「ですね。私の友達も、パネルタイプが多かったです」
「でも本局で新しい魔調器を勧められたでしょ?」
「はい。そうなんですけど」
一般に、魔調器というのはなんでもいい。剣でも銃でも、鉛筆でも金槌でも、金属でもプラスチックでも、何を用いても構わない。
魔調器の役目は魔術の発動を補助することだ。特定の条件、例えば〈リザルト〉の規模や発動範囲といった魔術を発動するうえで本来術者が調整しなければならない事柄を事前式として固定化し、それを物体に埋め込むことで魔調器は出来上がる。術者は魔力を魔調器に流し込み、固定化されていない条件式だけを自らの魔力で編むだけでよい。〈リザルト〉の変域を狭める代わりに、必要とする魔力、そして新たに式を編む時間を節約できるわけだ。
しかしながらパネルタイプの魔調器は少々意味が変わってくる。パネルタイプを含む電子デバイス――すなわち電子管理された魔調器の最大の特徴は、公式を格納・取り出しできることにある。タッチパネルのディスプレイに表示させる文字列を変更させることで、無数の公式を保存することができるのだ。
だがもちろんデメリットもある。
「電子デバイスは公式を保存したり取り出したりすることはできるけれど、公式の選択は自分自身で行わなきゃいけない。どうしたって物体に直接式を植え付けた魔調器に比べれば時間がかかる。日常生活で使う分には便利な機能だけれど、喧嘩をするにはちょっと向かないわよね」
殴る蹴る程度の喧嘩ならまだしも、生き死にがかかった殺し合いで魔調器を操作する時間は惜しい。研究一辺倒の科学者ならともかく、ススキノはもちろんそれ以外の土地でも、いざという時に対応するための魔調器は身につけている人が多い。
「でもその……この機会で魔調器を新調というのも……」
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