1-4

「まぁ、いいじゃないっすか」


 すでに興味が失せたのか、残っていたコーヒーを流し込んだイナバが口を開いた。


「あっしがハチヤくんに会って話してくるっすよ」


「素直に謝罪するかの」


「すると思うっすよ」


 イナバはあっさりと言う。


「今回の件っすけど、ハチヤくんらしくないんすよ。『猫の目』の関係者を、それもきな粉さんの所有物に手を出せばただじゃすまないなんて、ススキノで暮らしている人間なら誰でも知ってるっす。ましてやあのハチヤくんが何も考えずにそんなことをするとは思えないんすよ」


「でも実際にきな粉さんたちは襲われたんですよね?」


 イナバは頷きながら、指を二本立てる。


「考えられる解答は二通りっす。きな粉さんたちが嘘を吐いているか、襲撃はハチヤくんの意思ではないか」


「前者は無理があるわ。あたしが送ったデータは間違ってないわよ」


 おさかなが奥の資料室から声だけで応える。

 おさかなから送られてきたデータは、襲撃現場の映像だった。映像に偽りがない限り少なくともススキノでアタッシュケースを持った人が襲われ、そしてそれを現在ハチヤが所持していることは確かだ。


「となれば、問題は後者っすね。今回の件にハチヤくんの意思が反映されてないとなると、『蜂の巣』に何か起きてるのかもしれないっす」


「『蜂の巣』っていうのはハチヤさんたちがいる場所……グループですよね。でも四強くらい規模が大きければ、グループに所属している全員の動向を把握できないことも居るんじゃないんですか?」


「他の三勢力ならそうなんすけど、ハチヤくんのところはちょっと特殊なんすよ。あそこは極端に人数が少ないんすよ」


「連絡取れたわよ」


 資料室から出てきたおさかなが肩を回しながらアズサの隣に腰を下ろす。


「コーヒーでいいですか?」


「いただくわ」


 てきぱきとおさかなの分のコーヒーを用意するアズサの隣で、おさかなはPHDのホログラムを拡大してテーブルの上に置いた。ホログラムの内容はおさかなとハチヤによるメッセージの履歴だが、簡単にまとめると今回の件をハチヤは手におえていないようだった。


「やっぱりハチヤの意思じゃないみたいね。謝罪する意思もあるみたい。……イナバ、行ける?」


「仕方ないっすね」


 頭を掻いてそういうイナバは、面倒くさそうな態度を一切隠そうとしていない。


「え、あ、あの!」


「ん、なんすか?」


「わ、私も行っていいですか?」


 それはイナバからしてみれば、予想外の提案だったに違いない。

 イナバにとってきな粉が待ちこんだこの件は厄介ごとでしかなく、億劫だということ以外感想を持ちえていない。だがそれもアズサにとっては違う。


 アズサはこの街についてあまりにも無知だ。

 でもアズサだって望んでこの街にやってきたのだ。

 イナバやアリス、きな粉との問答は自分の未熟さを実感させられる。でもそれは自分が彼らに比べて子供だから。経験が足りないことは認める他ないだろう。だがだからといって経験を得なければいつまでたっても変わらない。


 それにアズサは自身の魔術が劣っているとは思わない。ススキノに来て魔術を目にする機会は少なからずあった。だが市街地で魔術を伴う喧嘩が起こることには驚いたが、魔術そのもののレベルはアズサが理解できないほどではない。アズサでも十分に対応できる、あるいはアズサであれば圧倒することさえできる、そんな魔術師もこのススキノにはいる。

 もちろん先輩である稲葉やおさかなのようにはいかないかもしれないが、何かの役に立つことができるかもしれない――いや、できるはずだ。


「アズサさん、さっき『蜂の巣』の直前まで行きましたよね。覚えていますか?」


「はい」


「『蜂の巣』は安全な場所とはいえないっす」


「そんなの、ススキノのどこも同じだと思います」


「それはそうなんすけどね。『蜂の巣』は、何の予告もなしに殺される可能性があるってことっす。端的に言って危険っす。それでも行きますか?」


「……私は確かに新人です。右も左もわかりません。でも、皆さんに頼ってばかりじゃいられませんから。自分にできることを、したいんです」


「…………」


 イナバは黙ったままだった。

 前髪に隠れて彼の目をはっきりと捉えることはできなかったが、彼の目が自分の目にむけてまっすぐに向けられていることがわかる。


 その眼光に、アズサは少しだけ身が竦んだ。


 自分でも知らないような自分の内側を覗き見られているかのような気配に、体が怯んだ。


「別にかまわんじゃろ」

 

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