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よろしくお願いしますと頭を下げた。


「さて、早速っすけど、要件を聞かせてもらっていいっすか?」


「話せば長くなるんやけど、一言にしたら落し物かな」 


「落し物?」


 無意識に口から出ていたことに気づき、アズサはハッと口を隠す。

 これまでススキノの異常性を散々目の当たりにしてきたせいで、きな粉のごくごく一般的のように聞こえた依頼に気が抜けてしまったのも無理はない。 


「落としたものは何です?」


「アタッシュケース、言えばいいんかいなぁ。銀色のやつ。大きさは……たぶんこんなもん思うんやけど」


 きな粉が手で長方形を示す。厚さはわからないがA4サイズくらいだろうか。


「どこで落としたんすか?」


「わかれへん。それな、うちが持ってたわけじゃないねん。外から持ち込ってくる途中で襲われたらしいんやわ」


「襲われた……。日時はわかりますか?」


「昨日なんは確かやけど、正確な時間はわかれへん」


「中身はなんです?」


「実験機材やよ。うちの雇主さんに頼まれた新しい魔術実験に必要な機材。まあ、鍵掛こうとるし、中身だけ取られるゆうことはそうそうないと思うんやけど」


「う~ん……」


 そこまで聞いたイナバは頭を掻きながら唸り声を上げる。だがそれ以上言葉をつづけようとしない。


「えっと、つまり強盗……ですか?」


 アズサの問いかけに、誰も何も言わなかった。


 それどころか誰も何も聞こえてないかのように、おさかなはタイプし続け、イナバは前髪をいじり、千兵衛は微動だにしなかった。唯一反応を見せてくれたきな粉は一人、狐につままれたような表情をしていた。


 そしてきな粉は笑い出した。


「あはははは、いややわ、アズサちゃん。これやから新人はおもろいわ。この街でそんなこと言えるんはアズサちゃんだけやよ、ほんま」


「えっと……」


「ちゃうちゃう。そこにあるもん取るのは正当な権利や」


「え、でも、襲われたって……」


「そうやな、襲われたんやろうな。せやけどそれは問題やあらへん。欲しいもんは奪うんが、こん街んルールやから、襲った奴らは悪くない。悪いんは襲われて、おめおめとブツ奪われとる方や」


「そんな……」


「もちろん報復はするし、向こうさんを許す気はさらさらあらへん。向こうさんかて覚悟の上やろ」


 イナバは魔管法第七条を『恐ろしい』と言った。


 従うべき法と守るべき正義が曖昧になってしまう規則だから。


 もちろんアズサもイナバの言い分は理解していたつもりだった。それでもなお今アズサが言葉に詰まり、あまつさえこの場の全ての人間が言葉を失うほどの失言をしてようやく自身の認識の甘さに気づかされた。


 甘い。


「――あっしらの仕事は『ススキノの治安を守ること』っす」


 アズサときな粉の会話に口を挟んだのはイナバだ。


「単なる遺失物なら、あっし個人としてはお手伝いさせていただきたいと思いやすが、ススキノ所としてはお引き受けできないっす」


 イナバは頭を深々と下げる。

 ススキノ所の使命は『ススキノの治安管理』ただ一つだけである。一般的な警察署が受け持つような仕事を取り仕切ることは、開発特区の発展を妨げる可能性があるとされているからだ。


「いややわぁ、そんな頭下げんどいて。うちかてそないなこと、知っとる」


「そっすね。つまりはそのアタッシュケースの在りかはすでに特定済みってことっすよね?」


「見つけた――!」


 その声は部屋の奥から――おさかなが発した声だった。


「あんた、また厄介なところにくれたわね」


 ぴこん、とPHDがメッセージの受信を知らせた。画像ファイルの受信。

 送り主は――おさかな。同じものがイナバにも届いているようで、彼もホログラムのディスプレイを注視している。


「あんたたちはいらないわよね。そこ、詰めて」


 マグカップを持ったおさかなが、イナバの隣に座り込む。


「かなはん、『千里眼』なんて覚えたん?」


『千里眼』といえば視野拡張魔術と透視魔術の合成魔術でその完成形といわれる代物だが、確か扱える人間はほとんどいないと聞いている。簡単な視野拡張魔術や透視魔術は扱えるが、瞳という同じ感覚器に作用する二つの効果を同時に使用するのは普通はできない。


「落し物探すのにそんな大仰な魔術使わないわよ、バカバカしい。昼にしろ夜にしろ、街の外で商人を襲撃なんてしたら大問題じゃない。だから盗まれたのはススキノの中。あとはススキノの監視カメラを片っ端からサーチしただけよ」


「いちいちたまげるわ。ほんま」


 くすくす、と小さくきな粉は笑う。


「それで、そのアタッシュケースがあるのが『蜂の巣』っすか」


「『蜂の巣』……」 


 アリスが教えてくれた名前だ。確か四強の一角、ハチヤのグループの根城。今朝イナバととおりすがった際には物寂しい雰囲気のビル群だった。


「『蜂の巣』はハチヤさんのテリトリーっす。下手に近づけば殺されるっすよ」


「だろうね。あいつ、潔癖症だし」


 おさかなの言葉は親しい友人に向けるような声だ。


「うちとしてはな、できれば穏便に済ませたいと思うとる。でもな、ハチヤくんたちがどういう考えであれ、謝罪もなし、報復もなし、おまけに実験機材も返してもらえんとなると、うちも動かんわけにいかん。街のみんなに顔向けできなくなる」


「全面戦争もやむを得ないってことっすか」


 きな粉はにっこりとほほ笑むだけだった。


「つまり、こういうこと? ススキノ内できな粉とハチヤが全面戦争を始めれば、ススキノ内で大量に死人が出る。しかも魔術開発とは関係なしに。それを私たちは『治安を守る』ために看過できない。だから、仲裁役をしろ、と」


「いややわぁ、かなはん。『しろ』だなんて。お願いやよ」


 きな粉はゆっくりと頭を下げた。笑顔のまんで。


「どうか、力を貸してもらえへん?」


 イナバたち、魔統局魔術開発特別区域管理課――通称、特区管理課という部署は、日本に三か所ある魔術開発特区の治安維持を目的に編成されている。

 魔術開発特区――すなわち実験場には、魔管法第七条が適用され、一般の法律は適用されない。それは実験場での法外的な実験に目を瞑る代わりに、それに見合うだけの魔術の進歩を要求されているということだ。

 しかし同時に、そこでの実験があまりに非道徳的・非人道的なものになってしまえば国民からの反感は免れえない。必要な実験と非道な実験の線引きを押し付けられたのが、特区管理課なのである。


 きな粉が頼んでいるのは落し物の捜査などではなく、喧嘩の仲裁だ。さもなくば治安の維持どころか四強同士の全面対立が出来上がるという強迫付きの。

 これが子供の喧嘩なら放っておけるが、先端魔術の実験者たちとなればそうもいかない。

 少なくとも、放っておけば死人が出る。

 それはススキノの治安と無関係だと言い張れるものではなかった。


  ***

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