3-4

  ***


 駐在所から西へまっすぐ進むと、ハチヤが束ねる領土『蜂の巣』に突き当たる。その境界まで行き、そのまま北上。ススキノ北西、ゼニガメの領土に入る。


「なんだか……随分賑やかですね」


「この辺りはもうゼニガメさんの地区っすからね。奥に進めばもっと賑やかっすよ」


「ゼニガメさん、って確か四強の……」


「はは、アリスさんすか? そんなことを教えたのは」


 アズサは今朝、イナバが外出している間に、アリスがこの街のことを話してくれたことを伝える。


「はは、なるほど」


 笑いはするものの、イナバはどこか浮かない様子だった。なにか気に障ることでも? アズサがそんなことを考えているうちに、イナバが先に口を開く。


「あっしはそういう呼び方……言えばいいんすかね、あんまり好きじゃないんす」


「それは……すみませんでした」


「いえいえいえ。アズサさんが謝るようなことじゃ、全然、まったくないんすよ。なんとなく、好きじゃないなぁ、ってくらいなんです」


 平謝りをする腰の引くいイナバを見ているとどちらが上司なのか怪しくなってくる。


「そうだ。アズサさん、朝ご飯は食べたっすか?」


「いえ……」


 今朝は出勤前からアリスが部屋に押しかけてきたため、朝ご飯を食べ逃してしまっている。


「お昼にはちょっと早いっすけど、アレ、どうっすか? 奢りますよ」


 そう言ってイナバは道の向こう側の小さな屋台を指さす。屋台と言えばこれ、という木造の小屋のような建物で、おそらく土台には車輪もついていることだろう。


「……職務怠慢では?」


「僕らは三百六十五日二十四時間ススキノ勤務っすよ。食事くらい自由にとっても見逃してほしいっす」


 言うが早いかイナバは屋台に進む。


 赤い暖簾をアズサが潜ると、途端に食欲を刺激する油と香辛料、スープの香りが鼻腔を突き抜けた。


「ラーメン、ですか……?」


「油そばっすよ」


 迷うことなく席に着くイナバ


「そば二つ。……トッピングいりやす?」


 イナバがアズサの方を向いてそう尋ねるので、アズサは首を横に振る。


「じゃあそれで」


 油そばがどんな食べ物なのかは知らないが、聞くからに胃もたれしそうな名前である。朝はパン派のアズサとしては、どうせ食べるのであればレタスとトマトをふんだんに挟んだサンドイッチでも頂きたいものだが、おもちゃを前にした子供のように楽しそうに椅子に座るイナバの横顔を見てしまっては、おとなしく座る他なかった。


「アズサさんは普段は自炊っすか?」


「はい」


「偉いっすね。おさかなさんもアリスさんも、そういうのはからっきしですし、まあ、あっしもなんすけど」


 あははと笑うイナバにアズサは苦笑いしか返せなかった。

 アズサもイナバを嫌っているわけではないのだが、なんというか、イナバは少々とらえどころがない。そのうえアズサはススキノに来てまだ三日。出会って三日のとらえどころのない異性の上司と食事となると、アズサでなくても戸惑ってしまうだろう。


「あ、あの!」


「はい、なんでしょう」


 イナバが『ニンニク入れすぎるとおさかなさん怒るんだよなぁ』などと飯に現を抜かしていることなど知る由もなく、アズサは必死に話題を探していた。


「…………あ、アリスさんってかわいいですよね」


 悩んだ末に出てきた言葉に、アズサ自身も驚いた。他に何も思いつかない自分の頭が恨めしい。店主が置いてくれたお冷でのどを潤し、なんとか落ち着こうと思う。


「まあ、見た目は、そうかもしれないっすね」


「……どういう意味ですか?」


「アリスさんはあっしより年上ですよ」


「へ?」


 アズサにはイナバの言っている意味がよくわからなかった。


「あれ? 言ってやせんでしたか? あっしも正確には知りやせんが、アリスさんは四〇台半ばですよ」


「え、いや、でも……」


 二十代前半のアズサもうらやむほどのもっちもちのたまご肌を装備しているあの女の子が、自分よりも二十歳も年上。倍じゃないか。


 魔術なんて技術は確かに日進月歩、目まぐるしいほどの速さで成長しているが、それでも肉体年齢を操作できる魔術はアズサの知る限り存在しない。もちろん研究自体は進められていたはずだが、ちょっとしたアンチエイジングの効果はあっても、根本的に肉体を若返らせる術式は生み出せていないはずだ。


 見た目だけ他人に幻を見せる術がないわけではないが、視覚だけでなく触覚や嗅覚をも錯覚させる術となると、二十四時間維持できるとは考えにくい。


「……あの、そもそも、アリスさんっていったいどういうお方なんですか?」


「そうっすねぇ」


 右手を顎に当てて首をひねるイナバ。う~んとうなっていると、ドンという音が響く。それがどんぶりをカウンターに置いた音だと気づく前に――


「あの女は魔女だ」


 その答えは思いもよらぬ方から聞こえてきた。


「あなたは……!」

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